15 問題発生
ユメミコがモコに「明日も一緒に勉強しよう」と言い残して、家に帰っていった。それは、吾輩に向けたメッセージでもあった。
つまり、その時に吾輩を未来へ送り返すために、近藤家から連れ出す手伝いをするということだ。
ということは、吾輩に残された時間は一日だけで、明日には家族のみんなとお別れすることになる。
わずか一年であったが、吾輩にとっては六年くらいの価値があるので、感慨深いものがあった。
その日の夜、眠れない夜を過ごした。
いや、眠ったけど。
吾輩ら猫たちは人間と違って、眠れない夜を過ごすことはできないからである。
つまり、その、詩的な表現を使いたいくらい、つらい夜だったという意味だ。
最後の晩餐となる昼食は、いつも通りの通常食にダイエット食品を混ぜたものであった。
これでいい。
ママさんが運動嫌いの吾輩のために、健康を願って作ってくれた食事だからである。
吾輩はそれを「黄金ブレンド」と呼んでいる。「ゴールドブレンド」だとコーヒーになっちゃうからだ。
違いがわかる男とは、吾輩のことだ。
夕方になって、約束通りにユメミコがやって来た。この日も学校帰りなので制服のまま家に上がるのだった。
「じゃあ、わたし着替えてくるね」
「先に勉強してる」
「わたしだけごめんね」
「ぜんぜん。ゆっくりでいいからね」
それが二階の踊り場でのやり取りであった。
ユメミコが吾輩の部屋に入る時にドアをノックしたのは、中にタカカズがいるかもしれないと思ったからだろう。
なぜかアイツは今日に限って早く帰宅し、自室ではなく、リビングで自習をしているのだった。
そんなこと、一度もしたことないのに。
妹の友達が家に遊びに来て、リビングでママさんに挨拶をする、その一瞬のためにカッコつけたわけである。
どこまでも浅い男なのであった。
残念ながらママさんはわざわざ玄関に行って出迎えたので、その雄姿を見せることは叶わなかったわけだが。
そんなことはどうでもいい。
吾輩の部屋でユメミコと二人きりになったので、モコが来る前に尻尾を使って会話をすることにした。
モコは支度が遅い子なので時間はある。といっても、ついでにジュースとお菓子を用意する、気の利いた子でもあるのだが。
尻尾をフリフリ。
「未来に帰らないとダメなのか?」
「あらトラちゃん、帰りたくないの?」
ユメミコが正確に尻尾文字を読み解いた。
「ママを悲しませる」
「あぁ、モコちゃんのお母さんね」
同情してくれた。
「でも、未来にもトラちゃんと会えなくて寂しがってる人がいるのよ?」
世の中は、なんて切なさに溢れているのだろう。
「わかった」
「そう言ってくれると助かる」
と、安堵の表情を浮かべるのだった。
この世界との別れ。
ということは、吾輩の部屋ともさようならだ。
日が沈む前に、外の景色が見たくなった。
窓台へジャンプ。
高さが丁度いい。
お隣さんの部屋は、今日もカーテンが閉じられていた。
やっぱり胸が痛んだ。
「大丈夫?」
ユメミコが心配して寄り添ってくれた。
「大丈夫だ」
「本当に?」
寂しいけど、元の世界に帰らなければならない。
「レイカちゃんのためにも、帰った方がいい」
「レイカちゃんって?」
そこで猫嫌いの隣人について説明した。
「え?」
話を聞いたユメミコがひどく狼狽えるのだった。
「ちょっと待って」
と言いつつ、カバンの中から手帳を取り出して、慌ててページを捲るのである。
「どういうこと?」
吾輩にではなく、自分に問い掛けた。
「ねぇ」
改めて吾輩に問い掛けるが、その目が怖かった。
「お隣さんが猫嫌いって本当なの?」
「本人に言われたから本当だよ」
吾輩の尻尾文字は理解したようだが、その事実に納得していない様子だ。
「そんなわけない」
ユメミコの独り言である。
「どうしよう」
絵に描いたように右往左往するのだった。
「このままだとマズいことになる」
そこで立ち止まり、吾輩を睨む。
「トラちゃんのせいで未来が変わっちゃうじゃないっ」
吾輩が地球の未来を?
変える?
だと?




