水無月の章・前編
「うん、これでいいんじゃない?」
真珠が頷いたので、和人はほっ、と息を吐いた。
「ちょっと、何油断してるのよ?」
「え? これでいいって、今……」
「うん、言ったわよ。確かに、初めてのシナリオとしてはこれでいいわ。でも、ただGMやりたいわけじゃないんでしょ?」
「はい。俺、いや僕、会誌にリプレイを書いてみたくて」
「だったら、これじゃ無難過ぎ。もっとゴーカイでケレンミのある展開じゃないと、読んでて面白くないじゃない」
真珠は頬を膨らませた。
和人は部室で真珠を捕まえ、会誌でリプレイを書こうとしていることと、そのためのシナリオを見てもらっていた。
「いい、和人? 実際のゲームだと戦闘はシナリオの肝かもしれないわ。システムによっては『キャラ作って敵と戦うゲーム』なんて揶揄られるものがあるほど」
真珠はそう言うと缶のお茶を開けた。
「でもね、リプレイじゃただの飾りよ。読者からすれば冗長で退屈なの。だから、戦闘に主眼を置いたシナリオは避けるべきね。もちろん、あたしみたいに漫画にするなら話は別よ」
「絵が描けないんでそれは遠慮します」
「あら、残念。まあ、そういうわけだから、もっとバルバロスのアジトに重点を置いた探索系シナリオにした方がいいわね」
「なるほど……。あ、それから、分かる人には分かるっていう類のネタはどうですか?」
「んー、そうね。否定はしないけど、分からない人には分からないから、極力避けたほうがいいわ」
真珠との会話を通して、和人はシナリオの改善案を頭の中で練り直した。
大丈夫、そこまで大きな変更はせずにすみそうだ。
「じゃあ、少し手直ししてみます」
「うん、そうね。じゃあ、できたらまた持ってきなさい」
真珠はそう言うとお茶を手に部室を出て行った。
「かーずーとー君」
入れ替わりに裕太が顔をのぞかせた。
「ずいぶん楽しそうだったじゃないか、うん? 西村にチクっちまうぞ」
「別に、今度やるセッションのシナリオを見てもらってただけだよ」
「へぇ。そんなの適当にやりゃあいいんじゃないのか?」
「そういうわけにもいかないんだよ。リプレイに書き起こすからさ」
「リプレイって、会誌のか?」
「うん。って、稗田先輩に聞いたのか」
裕太はにしし、と笑いながら部室に入ってきた。
「まあな。で、和人。お前はどう思ってるんだ?」
「どうって、稗田先輩のことだろ。うん、少し性格がきついけど、一緒にいると楽しいかもね」
「それだけ、か。俺は少し安心したよ」
裕太は大袈裟にため息をつく動作をした。
「さて、そろそろ昼だ。学食行ってメシ食おうぜ」
「ああ、いいかもね。ちょっと待って、もうじき佐々木先輩と小宮山先輩が帰ってくるから」
和人は時計で時間を確かめると、机の上に広げた諸々を片付け始めた。
***
昼休みの学食は多くの学生で混み合っていた。
恵梨香はなんだかなー、と思いながら学食を見回していたが、隅の方に和人と裕太が座っているのを見つけると、そっちにとことこと近づいていった。
「おーい、そこのヲタ二人組ー」
恵梨香の声に気付いたのか、和人が顔を上げた。
「おはよう、西村」
「おー。そこ空いてる?」
恵梨香は返事を聞くより前に和人の隣の席に座った。
「ゲームヲタと戦車ヲタが揃ってなに妖しい会合してるんだよ?」
「別に妖しい会合なんかしてないよ。ここしか席が空いてなかっただけ」
「あ、そう」
恵梨香はPCバッグから味噌パンを出してかじり始めた。
「おい、西村。俺は断じてヲタクじゃないぞ」
「はいはい、わかったから。ところで高木、ものは相談なんだけど……」
「情報セキュリティ論のノートを見せてくれ、だろ?」
「よくわかったな」
「他に西村が頼みそうな用事って思いつかないよ」
「ちぇ、そうかよ」
恵梨香は少しむっ、としたがこらえてパンをかじり続けた。
「ん、『ブレイドエイジII』ルールブック?」
テーブルの上に出ていた本に、恵梨香の目が留まった。
「ああ、今シナリオ作ってるからさ」
「こいつ、ゲームマスターってのやるんだってさ」
「ほぉ、良く分かんないけど、高木にできるのか?」
「できる……と思いたいけど、少し不安かな」
「ふぅん」
和人の不安げな顔に、恵梨香は不思議な思いを抱いた。
そういえば、こいつとつるむようになって二ヶ月、思えばいつも自信満々とは言わないけど、多少は余裕のある顔をしてたっけ。
同時に、この前瑠衣に言われたことが脳内でリフレインする。
『花の命は短いのよ、今の内に燃えるような恋をしなさいね』
ん、いや待て、どうしてそうなる?
恵梨香は瑠衣の声をかき消そうとするように思い切り頭を振った。
「ん、どうした?」
「虫でも飛んできたか?」
「あー、なんでもない」
恵梨香はそう言うと、ルールブックを手に取った。
「コレ、そんなに難しくはないよな」
「そうだな、リプレイ読んでるならそれほど分からないこともないと思うけど」
「よし、決めた。そのゲーム、あたしも参加してやるよ」
「……は?」
「だからぁ、あたしもプレイヤーとして参加してやるっての。別にいいだろ?」
「でも、一応会長に話してみないと」
「んじゃあ、話しといて。あたしはその間にルールを覚えておくから」
少し強引だったかもしれない。
話を聞いて、大変だなー、で済ませても良かったのだ。
でも、そうしなかった。
何故かは恵梨香自身にもわからない。
不安に思う気持ちを共有したかった?
いや、そんなことはないはずだ。
あたしゃ一体どうしたんだろ。
恵梨香は自問自答しつつ、ルールブックをめくった。
***
三限の講義が終わった後、和人が部室に戻ると、ちょうど浩一が会誌の原稿を書いているところだった。
恵梨香から参加希望の申し出があったことを話すと、浩一は難しい顔になった。
「あの、そんなにまずかったですか?」
「いや、参加希望自体は嬉しいんだ。外の人にも参加してもらえればセッションも賑わうし、マンネリ化の防止にもなるだろう。でも、彼女の場合、稗田先輩が何と言うか……」
そういえば、恵梨香は漫研の部員だった。
「うっかりしてました。どうしましょう?」
「そうだな……。稗田先輩には詳しく話さないでごまかすか」
和人と浩一は顔を付き合わせて真珠対策を考えていた。
と、そこに茶菓子の買い出しに出ていた美鈴が帰ってきた。
「どうしたんです、難しい顔をして?」
「やあ、美鈴。実は少し相談があるんだけどね」
「相談? 高木君のセッションに関係のあることですか?」
「あ、はい。実は、友達が参加希望を申し出ているんですが、彼女、漫研で」
和人が簡単に問題を話すと、美鈴は不思議そうな顔をした。
「それが、なにか問題なんですか?」
「え?」
「だから、なにか問題があるんです?」
「だって、稗田先輩は漫研と仲が悪いって……」
「なんだ、そんなことですか。だったら大丈夫ですよ。わかってくれます」
美鈴はにっこりと笑った。
「仲が悪いのは稗田先輩と斎田先輩、あくまで個人の問題です。それ意外の人は関係ないですよ。稗田先輩はそういう人です」
美鈴が笑うと不思議と場の空気が明るくなる。
まあ、なんとかなるさ、という気持ちが和人の中に芽生えてきた。
「なるほど、個人の問題か。確かにそうだね。すっかり忘れていたよ」
浩一は頭をかきながら苦笑している。
「じゃあ、西村を参加させても?」
「うん、いいだろう。初めてのプレイヤーをフォローする余裕までは無いだろうから、そっちは我々に任せてくれ」
そういうことになった。
***
タイクツな講義が終わり、真珠が教室を飛び出すと、小柄な学生とぶつかりそうになった。
「あっと、ごめん」
「こちらこそ、考え事してて」
その相手は、制服を着ていれば中学生と間違えそうなほどに小柄だった。
栗色の髪には寝癖が目立ち、野暮ったい黒縁眼鏡からは眠たげな瞳がのぞいている。
「君確か、高木とよくつるんでる子よね?」
「西村です。えーと、高木と坂上がお世話んなってます」
「あー、そう言えば裕太も仲間だったわね。ね、少し話しましょ」
真珠はそう言うと恵梨香の手を掴んで強引に学生ラウンジに連れて行った。
ラウンジには四限が終わっても居座って駄弁っている学生が何組かいたが、まあおおむね空いていた。
真珠は空いているテーブルに荷物を置くと、自販機に硬貨を放り込んだ。
「何飲む? 特に希望ないなら烏龍茶にするけど」
「あー、あたしは自分で買うんで」
「ん、そっか。次はおごらせなさいよ」
真珠は自分の分の烏龍茶を買ってテーブルに戻った。
恵梨香は紙パックのいちごオレを買っている。
「君、高木たちとは長いの?」
「いえ、四月に演習で一緒になったのが縁ですね。同じ高校から進学した仲間がいない者同士でなんとなく話すようになって」
「ふぅん。じゃあ、長いわけでもないのね」
「そうですね。まあ、三人が三人別々のサークルに入ったんで、話題もバラバラで結構楽しいですよ」
「あら、そうなの。じゃあ、話聞いててRPGやりたいーとか、フットサルやりたいーとかなることもあるんだ?」
「そうですね、それは……」
「ん、何?」
「実は、高木がゲームを主催すると聞いたもんで、あたしも入れてほしいって言ってるんですけど」
「あら、そうなんだ。で、高木はなんて?」
「なんか、エライ人に話してみるって言ってましたよ」
「エライ人……? 会長かしら。聞いてみるわ」
真珠はそう言うと、携帯電話を引っ張り出した。
「あぁー、いいですいいです。駄目なら駄目で」
「それもそうね。結果は後で聞きましょ」
真珠がウインクしてみせると、恵梨香は顔を赤らめた。
面白い子。
これは、いぢめがいがあるわ。
真珠は笑顔を浮かべながら、そんなことを考えていた。