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卯月の章・前編

 神前かんざき大学商学部は、上毛野かみけの市の郊外、田園地帯のド真ん中にある。

 最寄り駅は地元ローカル線の神前大学前という、直球な名前の無人駅だ。

 三橋浩一みつはしこういちは帽子を被り直すと二両編成のワンマン電車を降りた。

 他の乗客もほとんどがこの駅で降りる。

 同じ神前大の学生ばかりだ。

 青い春を謳歌おうかする若者たちが若々しい服装に身を包み、髪を茶色や金に染めている者もいる中で浩一の格好はある意味でずれていた。

 春物の白いジャケットに白いズボン、若干桃色がかったワイシャツ。

 頭に被ったソフト帽と手にした鞄は飾り気のない質素なものだ。

 学生たちの奔流ほんりゅうは駅から大学へ延びる道をまっすぐにたどる者と途中のコンビニに寄り道する者に別れる。

 浩一はコンビニ組の方に合流したが、コンビニには寄らず、裏手の山の石段を上がっていく。

 途中の線路を渡り、五分ほどかけて上がり切ると、鳥居と本殿しかない質素な神社だった。

 浩一がお参りを済ませて振り向くと、清田美鈴きよたみすずが慎ましやかに立っていた。

 白いブラウスに若草色のロングスカート、胸元には桜をあしらったブローチが光っている。

 肩にかかる程度の髪は見事な濡羽色をしている。

「浩一さん、おはようございます」

「おはよう、美鈴。今日は良いことがありそうだよ」

「そうですか。そう言えば、今日からでしたね」

「ああ、我が同好会にとって初めての新入生勧誘期間だ。決してメジャーとはいえないRPGこのゲームをどこまで認知させることができるか……」

「大丈夫ですよ。きっと興味を持ってくれる人はいます」

「ああ、そうだな」

 浩一は笑った。


 ***


 高木和人たかぎかずとは教室を出ると、大きく伸びをした。

 二限目の後ということもあり、少し小腹が空いている。

 周りを見れば、同じように教室から出た人の流れが校舎の外に向かっている。

 和人も流れに乗って歩いていると坂上裕太さかがみゆうたが追い付いてきた。

 どこか地味で垢抜けない和人に対し、裕太は角刈りの似合う、爽やかなスポーツマンタイプだ。

 服装もスタイリッシュで、女子人気もたぶん高い。

「ったりー講義。なあ高木、お前なんかサークル入んの?」

「ん、あー、そう言えばサークルの新入生勧誘期間だっけ。そうだな、なんか面白そうなんあったら考えるかな」

「お、じゃあフットサル来いよ、フットサル」

「スポーツは苦手なんだ。文化系サークル回ってみるよ」

「そっか。俺はフットサルって決めてるんだ」

 裕太は親指を立てた。

「その様子だと一限の内に見学行ってきたのか。美人な先輩でもいたな?」

「バカ言え。まあ、確かに可愛いけどさ、あれはきっと同級生だぜ」

 裕太は見学に行って知り合った美少女にときめいて、勝手な妄想を膨らませているらしい。

 和人はそんな裕太から目を逸らし、他人の振りを決め込むことにした。

「あ、おい無視すんなよ」

「悪いけど、今日は購買にカレーパンが入荷する日なんだ。今の内に買っておかないと売り切れるから」

 それは和人がこれまでの半月ほどの学生生活で学んだ教訓の一つだった。

「お、俺も行く。三限、空いてるだろ?」

「ん、ああ。今日はあと四限だけ」

 神前大学の購買は一号館の中にあって、コンビニのような形で営業している。

 和人と陽介が着いた時には既に購買は混雑していた。

 パンはもうほとんど残っていなかったが、幸い、カレーパンは一個だけ残っている。

 和人はそれを手に取ると、会計待ちの列に並んだ。

 それからしばらくして、一人の女子学生が矢のように飛び込んできた。

 白い着物に膝丈の緋袴という服装で、きつね色のツインテールはおそらくウィッグだろう。

 彼女はパン売場の前で立ち止まると、大げさに頭を抱えた。

「出遅れたーっ! あたしのカレーパンー!」

 その叫びに、和人は恥ずかしくなって手元を隠した。

「あぁーもう! こんなだったら勧誘の手伝いなんかするんじゃなかった!」

 彼女は大きな声で一通り喚くと売れ残っていたうぐいすパンをひっつかみ、列に並んだ。

「すごいな、あの子」

「だろ?」

 和人の後ろに並んでいた裕太が自慢げに拳を握りしめた。

「あの子か、お前がさっき言ってたのは」

「おお。可愛いだろ? 確かひえた、って呼ばれてたな」

「ふうん、変わった名字だな」

 無事に会計を済ませた和人と裕太は購買を出て、昼食の場所を探し始めた。

 しかし、めぼしい場所は既に他の学生たちに占拠されていた。

「どうしようもない。裏の土手にでも行くか」

大学の裏は川に面していて、河原との間に設けられた土手はさながら青春映画にも出て来そうなロケーションだった。

 河原にはフットサルのコートがあって、サークルが勧誘を兼ねた紅白戦を展開していた。

「なるほど、これが狙いか」

 和人はカレーパンをかじった。

 程良い辛さが口の中に広がる。

「おうよ。お前もやろうぜ、フットサル」

「だから、俺はいいよ。運動苦手だし。この後、文化系も見て回ろうぜ」

「あー、パス。昼メシ食い終わったら紅白戦に参加するって決めてんだ」

 裕太はそう言うと、鮭おにぎりを頬張った。


 ***


 校舎の中庭には、文化系サークルの勧誘ブースがずらり、と並んでいた。

 佐々木由香里ささきゆかりはブースの中でサイコロをいじっていた。

 周囲を見れば、どのサークルも工夫を凝らした飾り付けで目立とうとしている。

 それに対して、RPG同好会は地味だ。

 看板はただのゴシック体でサークル名を書いただけだし、机の上に積まれているチラシは手書きのものをコンビニのコピー機で印刷したものだ。

 それに、受付嬢はそばかすが目立つ上に訛りの強い田舎娘ときた。

 まったく、人を惹こうという気力が感じられない。

「どうかな、ユカさん? 新入生は入りそうかい?」

 由香里が顔を上げると、浩一が爽やかな笑顔で立っていた。

 半歩後ろには美鈴が慎ましやかに控えている。

「あーだめだめ、ウチみてぇなマイナーで弱小の同好会、話聞こうなんて物好きがいるわけなかんべ」

 由香里は冗談めかしてお手上げのポーズをした。

「やれやれ……。ところで、かつみ君はどうしたんだい?」

「さぁ。副会長を捜しに行くって言ってたけど、どこほっつき歩いてるんだか」

稗田ひえた先輩を、ね。彼女は人気者だから捜すのは骨だぞ」

「まったく。どうせ人捜し口実にしてサボってんだんべや」

 由香里の物言いに浩一は苦笑した。

「あ、お茶飲まない? 人来ないからめっさ余ってるんさ」

「そうか。じゃあもらおうかな。美鈴はどうする?」

「ええ、いただきます」

 由香里は机の下に隠したケースから缶のお茶を三本取り出した。

 見学者に振る舞うためにケースで用意したものだが、今のところ一本も減っていない。

 三人でお茶を飲み、一息ついたところで、美鈴が何かを見つけたように購買の方を指さした。

「浩一さん、あれ、稗田先輩じゃありません?」

 見れば、行き交う人の中をきつね色のツインテールが上下しながらRPG同好会のブースに向かって来ている。

「うん、どうやら捜され人の方が先に戻ってきたようだな」

 浩一の苦笑が大きくなる。

 白い着物に目の覚めるような緋色の半袴という出で立ちは巫女系キャラのコスプレだろうが、頬を膨らませて大股で歩いているせいか、清楚さは感じられない。

「あっ、会長……。ちょっと聞きなさいよ!」

 稗田真珠ひえたまじゅはぶすったれた顔で右手を突き出した。

「うぐいすパンですね。今日は購買だったんですか」

 真珠は怪訝そうな顔をする美鈴に鋭い目を向けた。

「そうよ! カレーパンがお目当てだったのに、漫研のバカどものせいで買いそびれたの!」

「まあまあ、そんなに怒っていては可愛い格好が台無しですよ」

 美鈴はおっとり笑って真珠の視線を受け止めた。

「か、可愛い? あたしが?」

「はい。東方のプリンセスって感じです」

 美鈴の言葉に、真珠の顔は照れ笑いを浮かべた。

「稗田先輩、ここは僕と美鈴が受け持ちますから部室で着替えてきてかまいませんよ」

「この格好でいいわ。殺風景なんだもの、目立つ看板娘が必要でしょ?」

 真珠の機嫌はあっさり直ったらしい。

 ことの成り行きをはらはらと見守っていた由香里はほっとため息をついた。

「そうですね。じゃあ、僕と美鈴は部室にいますから、何かあったら呼んでください」

「真珠さまに任せなさい。絶対新入生を確保してみせるんだから!」

 真珠は腰に手を当ててウインクした。

「ええ、期待していますよ、看板娘さま」

 浩一は右手を軽く上げて挨拶すると部室棟に向けて歩き出した。

 三歩待って美鈴がそれに続く。

「本当、映画から出て来たみたいな二人ね」

「そうですね。あ、お茶飲みます?」

「ん、もらうわ」

 由香里が足下のケースから缶のお茶を取り出して渡すと、真珠は一口飲んでうぐいすパンの袋を開けた。

「それにしても地味ね。一体どうしてこうなったわけ?」

「宣伝にお金を掛けられなくて、つい」

「で、この手抜き工事になったと。ったく、仕方ないわね」

 真珠はうぐいすパンをかじりながらチラシを眺めた。

「なになに、冒険者求む……? まあ、こういうノリは悪くないわね」

 由香里は頼もしそうな顔で真珠を見ていた。

「ねえ、由香里。このイラスト誰が描いたの?」

「多分美鈴だと思いますけど、どうかしたんですか?」

「ん、別に」

 普段、絵を描くのは真珠が担当することが多い。

 だから、イラストの出来が気になったのだろう、と由香里は思った。

 その時だった。

「あの、ちょっといいですか?」

 一人の男子学生が声を掛けてきた。

 春だというのにカーキ色のジャケットに紺色のシャツという少々垢抜けない格好で、無骨なPCバッグを肩掛けにしている。

 冴えない表情をしているが、それはどうもこの場の雰囲気に気圧されているからのようだった。

 人付き合いが得意ではないのかもしれない。

 まあ、なんであれ、貴重な新入会員候補には違いない。

「あ、いらっしゃい。話だけでも聞いていってくんない」

 由香里は取っておきの営業スマイルでチラシを差し出した。


 ***


『冒険者求む! RPG同好会では艱難辛苦かんなんしんくに立ち向かい、共に物語を紡ぐ仲間を募っています。興味のある方はお気軽にどうぞ』

 チラシには、そんな惹句じゃっくと幾人かのキャラクターがテーブルを囲むイラストがかかれていた。

 和人はそのキャラクターの取り合わせに奇妙な違和感を覚えた。

 スーツにソフト帽のキャラクターが場を仕切っているようなのだが、それ以外のキャラクターは甲冑姿の騎士にトンガリ帽子の魔女、バイキングと、まるでファンタジーのような出で立ちをしているのだ。

 逆に言えば、場を仕切っているスーツのキャラクターだけが浮いている。

「RPGって聞いたことくらいはあるんべ?」

 チラシをくれた女子学生に聞かれて、和人は頷いた。

「けっこう好きなんです。『グローリアス・オブ・オリンピア』とかは隠しボスを倒すまでやりこんだりしました」

「タルタロス倒すなんて、どこまでやりこんでるのよ。じゃあ、『ブレイドエイジ』は知ってる? 『ナハトメイガス』は?」

 うぐいすパンをかじりながらチラシを見ていた女子学生が和人の話に食いついてきた。

 さっき、購買で絶叫していた子だ。

「えーと、タイトルを聞いたことはあります。『ナハトメイガス』って、深夜アニメになってましたよね?」

「今年一年ってことは、アニメやってた頃はまだ高二……これはかなりの逸材ね。由香里、漫研に行かせちゃ駄目! それだけは阻止しなさい!」

「はいはい。ごめんね、副会長、漫研の会長と反りが合わないんさ。ところで君、TRPGって知ってる?」

「てぃーあーるぴーじー……?」

 耳慣れない言葉だ。

 アルファベットの並びということは、何かの略語なのだろう。

 そして、おそらくそれは『艱難辛苦に立ち向かい、物語を紡ぐ』という同好会の活動と関わりがあるはずだ。

 和人は必死に考えた。

 由香里、と呼ばれた訛りの強い女子学生が困ったような顔で笑っている。

「そこまで深刻に考えなくていいよ。そう難しい話でもないからさ」

「あ、すみません。ちょっと、その考えがまとまらなくて」

「謝ることでもないわ。RPGがロールプレイング・ゲームの略称であることは知ってるわね?」

 うぐいすパンの彼女がチラシのイラストを指さして説明を始めた。

「TRPG、つまりテーブルトークRPGは、その先祖に当たるゲームのジャンルよ。RPGでコンピュータが担当する数値の処理やストーリー展開を人間が担当する、想像力をフル活用するゲームなわけ」

「想像力のフル活用……?」

「そう。進行役とキャラクターを担当するプレイヤーとの会話で成立するゲームなの。だから、メーカーによっては会話型RPGなんて銘打ってる場合もあるわね。といっても、会話のやりとりだけで全部が決まる訳じゃないわ。キャラクターのデータを基準にして、行為の結果をサイコロで求めることもあるの」

 和人は、ゲーム業界にまつわる一つの伝説を思い出した。

 曰く、『クリスタル・クエスト』や『ドラグーン・ファンタジー』の原点は、まだゲーム機などゲーセンにしかなかった七十年代の米国にまで遡れるらしい。

 当時のゲーマー達は鉛筆とサイコロ、それに金属製のマッチョなフィギュアを用いて想像力の赴くままに冒険を繰り広げ、非情なトラップや強大なモンスターの前に散っていったという。

「……当たらずとも遠からず、ってところね」

 和人が伝説のことを話すと、うぐいすパンの彼女は少しだけひきつった顔でそう言った。

「確かに、『ドラゴンの秘宝』なんかはそういうところがあるわ。もっとも、ダンジョンを設計するマスターの性格とか経験に問題があることが多いけど」

「副会長はその辺、結構容赦なく殺しにかかってくるかんね。緊張感があるゲームが楽しめるんさ」

 由香里が自慢げに言った。

「失礼ね、あたしだって容赦ぐらいするわよ」

「本来なら氷結地獄直行のところを北極点止まりで勘弁してくれるくらいには?」

「よくわかるじゃない。って、脱線したわね」

 正直、違いのわからない、微妙な表現ではあった。

「とりあえず、君の言う伝説の通り、このゲームの歴史は七十年代アメリカに始まるわ。そして、日本ではライトノベルの勃興ぼっこうとほぼ時を同じくしてブームになるの。『九頭竜の呼び声』みたいな海外作品の日本語版や、『ブレイドエイジ』みたいな国産作品が次々現れて、それは活況だったらしいわ。でも、ミレニアムを前にブームは終息、国産作品も十年ほどは既存作品のサプリメント、つまり追加データ集ぐらいしか出ない時期が続いたの。年によってはそれすらない時もあったわ」

 うぐいすパンの彼女はもうすっかり、語りに夢中になっている。

「あ、あの……」

 和人がおずおずと声を掛けるが、彼女の耳には届いていないようだった。

「あーあ、スイッチ入っちゃったか。本当、どーしょもないんね。ま、百聞は一見にしかずって言うし、一度体験してみればよかんべ。今度、部室で体験会やるからさ」

 由香里がチラシの下の方をとんとん、と叩いた。

 そこには、『体験会開催。四月十九日(土)十三時より、部室棟二階、RPG同好会にて』と小さめに書かれていた。

「使用システムは『ブレイドエイジII』、キャラクター作成と簡単なシナリオを予定してるから、来てくんない」

「そうですね、考えておきます」

 和人は曖昧に答えるのに留めておいた。

 RPG同好会という名前に釣られてしまったものの、ひょっとしたら俺には合わないかもしれない。

 そう思ったのだ。

「せっかくだし、お茶持ってきな」

「あ、すみません。それじゃ、これで失礼します……他に回りたいところがあるので」

 和人はチラシと受け取ったお茶をPCバッグのポケットにしまうと、そそくさとその場を離れた。


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