シュガーメルト ~砂糖のように甘い恋物語~
わたしには気になる男の子がいる。
知り合ったのは高校に入って一ヶ月の時、傘を忘れた雨の日に下駄箱で途方に暮れていたわたしに彼が傘を貸してくれたのがきっかけだった。
それまでは同じクラスの男の子の一人でしかなかった彼は、それから帰る方向が一緒という事がわかって一緒に帰るようになった。そして次第にわたしは彼の事が気になるようになっていった。
そして今日、わたしは一つの決意を持っていつも帰り道の途中に立ち寄る古めかしい喫茶店の端っこの席でアンティーク調の机を挟んで向かい合っていた。
「お待たせいたしました」
喫茶店のマスターが白い湯気を燻らせたティーカップとコーヒーカップをそれぞれわたしと彼の前に置く。
わたしはダージリンティを、彼はブレンドコーヒーを頼むのが、このお店に来た時のわたし達のいつもの事だった。
いつものお店、いつもの席、いつもの紅茶。そしていつもの彼。
その中で、わたしだけがいつもとは少し違っていた。
ボーンボーンと大きな振り子を揺らす柱時計が低い声で時を告げる傍らで、わたしの心臓はバクバクと音を立てて跳ねている。
今日わたしは彼に告白する。
それが、わたしが持ってきた決意。
でも、いざとなると中々言葉が出てこない。
「ふぅ……」
わたしは深呼吸をして心を落ち着かせると、テーブルに置かれた小瓶を手に取りその中に入っている角砂糖を一つ手に取り紅茶の中に落とす。
この白い角砂糖はわたしの気持ちだ。
角砂糖が溶けてなくなってしまうまでに告白しよう。
琥珀色の液体の中で緩やかに小さくなっていく角砂糖と見つめながら、気持ちを整理していく。
しかし、波紋一つないダージリンティの水面とは対照的にわたしの気持ちは波立ってばかりでなかなか言えない。
淡々とティーカップの底の角砂糖が小さくなっていくのをわたしは眺めてため息をつくばかり。
まるで紅茶の中で溶けて消えていく角砂糖のように、わたしの勇気も溶けて消えてしまうかのようだった。
もう一個。
角砂糖が溶け切ってしまう前に、わたしはもう一個角砂糖を紅茶の中に落とす。
さらにもう一個。
その角砂糖も小さくなって消えてしまう前に、わたしはもう一つ、もう一つと角砂糖を紅茶の中に落としていく。
ぽちゃん、ぽちゃんと水面が跳ねる。
追加していったら意味がないのはわかっているのだが、どうしても手が角砂糖に伸びてしまうのだった。
「……」
チラリと彼の様子を伺うと。わたしが躊躇いと一緒に角砂糖を溶かしているその間コーヒーをおかわりしまくっていた。というかよくみると彼はコーヒーを飲みきる前に手を上げてマスターにコーヒーポットでカップにコーヒーを継ぎ足してもらっている。
え、コーヒー飲みすぎじゃない。大丈夫?
そう言えば普段はよく喋るのに、今日は黙ってコーヒーを飲んでばかり。
もしかしたら、わたしの様子がいつもと違う事に気がついているのかもしれない。
というか絶対にそうに違いない。ついでに言うと、周りから見たらわたし達はひたすら黙り合ったまま、無言で紅茶に角砂糖を投入し続ける女と無言でコーヒーをお代わりし続ける男の図でかなり奇妙に映っているに違いないのだった。
時間稼ぎ。
そう思いつつも角砂糖をもう一個。
そこではたと角砂糖が溶けない事に気がついた。
ティースプーで掻き回してみても、角砂糖が小さくなる気配は一切ない。
砂糖の入れ過ぎで、もうこれ以上は溶けなくなってしまったのだ。
角砂糖が溶け切るまでに告白しようといったものの、これ以上溶けないとあってはもう逃げ場はない。わたしは覚悟を決めるとついに彼に話しかけた。
「あの……」
わたしがティーカップから顔を上げおずおずと声を掛けると、彼もまたコーヒーカップから顔を上げた。
彼の顔を真正面から見つめると、言葉が詰まる。
言え、言っちゃえわたし。
そう心の中でバンバンと背中を叩きながら、意を決して口を開いた。
「わたしあなたの事が好きです。付き合ってください!」
とうとう言ってしまった。
まるで胸が張り裂けそうなくらいにドキドキしていた。
「?」
神妙な面持ちで彼の返答を待っていると、彼はおもむろにコーヒーカップを手に取ると、それを一気に飲み干した。
なんだろうと思っていると、彼もまた意を決したようにわたしを見つめ返してきた。
「僕もあなたの事が好きです。付き合ってください!」
そして、真剣な声でそう言ったのだ。
「えぇ」
告白したつもりが、逆に告白されていた。
よくよく聞いてみると、彼の方もコーヒーを全部飲み干したら告白しようと決めていたのだという事だった。わたしも角砂糖が溶ける前に告白しようとしていたのだと伝えると、彼は「どうりで沢山紅茶に砂糖を入れていると思った」と笑った。
わたしも「どうりで沢山コーヒーをおかわりしていると思った」と笑い返す。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お辞儀をし合うとなんだかおかしくなって、またわたし達は笑いあった。
そうして、わたし達は晴れて恋人同士になったのだ。
「ほぅ……」
緊張から開放されてわたしはやっとティーカップに口をつけると、甘すぎるダージリンティの味が口の中いっぱいに広がる。
「あまっ」
さすがに砂糖を入れ過ぎだった。
そう思いながらもわたしはティーカップの紅茶を飲み干すと、溶けずに残っていた角砂糖を最後に口に入れる。
ころころと舌の上で溶けていく角砂糖は幸せの味がした。