私が探偵を始めた理由
クライアントを見送り、部屋に戻ると佳奈子がコーヒーカップを片付けているところだった。彼女には来客の応対や経理にスケジュールの管理など、この事務所の雑事全てを引き受けてもらっている。
「どう、難しそう?」
空になったカップが2セット載ったトレイを手に彼女が聞いた。黒いスクエアフレームのメガネの奥で挑発的に瞳が輝いている。俺は彼女の手から布巾を取るとテーブルを拭きながら答える。
「難しい仕事だろうな。普通の探偵にはね。だが、俺にはこの能力があるから」
彼女はフフフと笑いながら給湯室兼控室へと消えた。とは言ってもここには応接室の他にはそこしか部屋が無いのだが。
俺は探偵を生業としている。それも人探しを専門とする探偵だ。俺をこの仕事に就くように勧めたのは佳奈子だった。彼女とは小学校以来の付き合いだ。正確には小学生だった数年間に同級生で、卒業後には疎遠になっていたのだが数年前にばったりと再会をした。
その頃、俺は牛丼屋でバイトをしていた。その店に客として彼女がやって来たのだ。初めに気がついたのは彼女の方だった。上場企業の社長秘書室に勤めていると話す彼女はきっちりとしたスーツに身を包んでいた。その姿は今とさほど変わってはいないのだが、あえて変化点を挙げるとすれば今ではメガネのフレームが細く、吊り上って攻撃的な印象の物になったのと、スーツの胸元が開放的になり、網タイツの目が粗くなったくらいか。そうして再会した俺たちは懐かしさに盛り上がり、後日めしでも一緒にという約束を交わした。
慣れぬ高級レストランに、場違いな心持ちで落ち着かない俺の気も知らず、佳奈子は牛丼屋での様子と同様にひとり盛り上り、まくし立てるように話し続けていた。
「そういえばヨースケ、あの能力はどうなった?」
「能力? なんだっけ?」
俺は水をがぶ飲みしながら答える。水のお代わりを頼んでもいいのだろうか、などと考えながら。
「ほら、あんた記憶力が凄かったじゃない。人の顔を一度見たら絶対に忘れないって」
「ああ、そういえばあったけな。まあ、今でもあるんじゃないか、クソの役にも立たないけど。牛丼屋でお馴染みさんの顔を覚えていたって、むしろ嫌がられるのが落ちだしなあ」
「変わってないのねえ。その向上心の無さ」
彼女は『ナントカカントカ』と、舌を噛みそうなこ難しい名前が付いたサラダをフォークで突くと葉っぱを口に放り込み、しかめっ面で首を振った。うちの店で出すサラダの数倍の値段がする上にドレッシングがしみったれた量しかかかっていない。うちの店ではドレッシングはかけ放題なのに。
「そんなこと言ったって……」
俺は反論をしようとしたが向上心が欠けているのは事実であったし、なによりそれにより現在お互いが置かれている立場の差を思うとぐうの音も出ず言葉を継ぐことは出来なかった。そんな俺の姿を、持ち上げたワイングラス越しに眺めながらニヤリと笑みを浮かべて彼女は言った。
「ねえ、あんたにその気があるのなら私に面白いアイディアがあるんだけど、どう?」
そうして俺は佳奈子の提案に従い探偵業を始めることになった。彼女は事業を始めるにあたり必要な手続きをテキパキとこなしていった。会社ではさぞや優秀な秘書であったのだろう、その働きぶりと顔の広さをいかしてコネを構築していく様に、俺はただ驚き、あんぐりと口を開け呆けているばかりだった。
そればかりか彼女は会社を辞め、サポートとして事務所で働くと決めてしまったのだ。もはや俺に決定権は露ほども与えられておらず、首を縦に振るしかない。俺たちは人探し専門の探偵事務所を始めた。
世の中に探偵会社は腐るほどにあり、そこに持ち込まれる依頼のほとんどは浮気調査の類である。人探しだけで食っていけるとは普通は思わないだろう。だが、専門にはそれ故の強みがあり、また佳奈子が構築したコネが強力なもので依頼はそこそこに、まあ贅沢をしなければやっていけるくらいには持ち込まれた。そして彼女の思惑が的中し、俺の能力は人探しにおいて絶大な力を発揮し、依頼は面白いように解決をしていった。そうすれば噂が広がり新たな依頼が舞い込んでくる。歯車が噛みあい、依頼は途切れることなく、事務所の経営は順風満帆といったところだった。俺は生まれて初めて自信というものを所持するに至った。今では高級レストランで憶することもないだろう。もっとも、そんな店に行こうとしたら佳奈子が鬼のような形相で睨みつけてくるから実行はしないが。
テーブルを拭いた布巾を給湯室謙控室に持って行こうとしたそのとき、電話が鳴った。
「ごめん、出てくれる」
給湯室謙控室で佳奈子が声を上げる。俺は受話器を耳に当てた。
「芽森探偵事務所です」
意識的に少し声のトーンを低くする。受話器から聞こえてきたのは若くもないが歳でもない、といった位の女性の声だった。
「あの……人から聞いて電話をさせていただいたのですが……人探しを専門にやっておられるとか」
「はい、うちではそのように人探し専門でやっております」
「では、お願いしたいのですが……」
「ありがとうございます。では、まずこちらにご足労をお願いしたいのですが、日時は…えっと」
壁に貼ってあるカレンダーでスケジュールを確認する。
「そうですね、明後日の……昼過ぎ、1時ではいかがでしょう?」
「明後日……はい、大丈夫です。1時ですね」
「こちらの場所はご存知でしょうか?」
「はい、それも大丈夫です。それで……少しばかり問題があるのですが……」
「ん、問題ですか? では、それはお会いした時に伺うことにしましょう。それではお待ちしております」
「分かりました。明後日の1時に、よろしくお願いします。では失礼します」
俺は給湯室謙控室で身なりを整えながら応接室から聞こえてくる佳奈子とクライアントとの会話に聞き耳を立てていた。先ほどソファーに座ろうとする姿をちらりと覗き見たが、電話で聞いた声の通り見た目三十半ばで地味な印象のする女だった。だが、その身に着けている服やバッグなどは高級品であった。ずいぶんと思い悩んでいたのだろう、やつれて顔色も悪く、実際の年齢よりも老けた感じにも見える。
「そろそろ先生がいらっしゃいますので」
微妙に声を張った佳奈子の言葉を合図に、俺はネクタイの位置を確かめると応接室に入った。ごく自然に、お客様がそこに居るとは気がつかなかった、という感じで窓際に据えたデスクまで歩いて行き、そこで初めてお客様の存在に気がついたという体を演じるのがコツだ。もちろん、これも佳奈子の指導による。
席を立った佳奈子と入れ替わりにソファーに座り、挨拶をする。
「いらっしゃいませ。所長の芽森です」
「仁多と申します。よろしくお願いします」
「ずいぶんとお困りのご様子ですが、どうぞ大船に乗ったつもりでお任せください」
「人探しにかけては先生の右に出るものはおりませんから。今までも多くの難事件を解決してお客様からお褒めの言葉をいただいております」
佳奈子がコーヒーをテーブルに置きながら、俺の台詞を裏付けるべく援護射撃を行う。コーヒーはインスタントだから引っ込んだと思ったらすぐに持ってこれるのだ。
「ありがとうございます。でも、お電話でもお話ししましたが少し問題がありまして……」
「ああ、そうでしたね。で、その問題とは?」
「あの……じつは……」
「なんでも遠慮なく仰ってくださいね」と佳奈子。
「じつは……その……犬なんです」
「はあ?」と俺は言いたかったが、実際に声に出したのは佳奈子だった。
「犬なんです、探していただきたいのは。どうしても見つけていただきたいのです。無理でしょうか?」
「犬……かあ」
そう呟きながら俺は佳奈子を見た。彼女はポーカーフェイスを決め込んではいるが、付き合いの長い俺にはその表情に動揺か困惑か、そのようなモノが潜んでいることが分かる。彼女は努めて事務的に俺に聞いた。
「犬は、大丈夫なんですか、せんせい?」
声色に脅迫めいたものを感じる。
「犬ねえ」
正直な話、俺の記憶の能力が発揮されるのは人の顔だけであり、その他の生き物にはまるで歯が立たなかった。生き物にあまり興味がなかったのがその理由であろう。高校生の時分に少し好意を持った女の子がいて、その子が飼っていた猫を覚えようとしたが無駄な努力に終わったのだ。俺には、とら猫はどれも同じに見えた。なんて答えたものかと思案をしていると、クライアントが言った。
「でも、こちらを紹介してくれた知人が言うには、きっと大丈夫だから、と」
「ほう、それはまたいったい」
「こちらを見ていただければ」
クライアントが差し出したのは一枚の写真だった。そこには犬の姿が写っていた。おそらく行方不明になっている犬だろう。その写真を受け取り、じっと眺めた俺はそれを佳奈子に渡した。彼女もそれを見つめていたが、ぷるぷると肩を震わせ必死でこらえているのがはっきりと分かる。
「あ、大丈夫です。分かってますから。ご遠慮なく。友人にも日頃からよく言われていて慣れてますので。ですから、こちらにお願いすれば見つかるんじゃないかと友人が申しまして」
クライアントは悲しいような、照れくさいような表情をして静かに語った。俺は佳奈子と視線を交わし、軽くうなずくとクライアントに言った。
「分かりました。これならば大丈夫でしょう。ご安心ください、きっと探し出してご覧に入れます。では、料金の説明をさせていただきますが……」
クライアントの表情がぱあっと明るくなる。俺は佳奈子に料金表のファイルを持ってくるように頼んだ。
それにしても、昔の人は上手いことを言ったものだと俺は考えていた。ペットは飼い主に似る、とは。




