その三 爺ちゃんの歯にかけて。〜先人の教え〜
「ただいま。」
ゼンが帰宅する。自転車がない為何時もより少し遅い帰宅だ。時間は3時を回ったところで食卓には書き置きがある。仕事をしている母からで冷蔵庫の中にチャーハンが入っているらしい。
「またチャーハンかよ。」
ゴソゴソと冷蔵庫を漁り麦茶とチャーハンを取り出す。
レンジでチャーハンを解凍していると、居間から声をかけられた。
「お~、善人帰ったか。」
祖父の勝である。暑がりな彼はまだ春先だと言うのに甚平で将棋を指している。
「お~、ただいま爺ちゃん。」何時もは元気よく返し、将棋を一戦交える物なのだが、生憎今日のゼンにそんな体力はない。HPは3なのである。まだギリギリ、嘘かも知れないと言う微かな希望にすがっている状態だ。
「何だ、元気ないじゃないか。何かあったのか?」この孫を赤子の頃から知る勝がその異変に気付かない訳もなく、心配そうに尋ねる。
「何でもないよ。」ぶっきら棒に答えただただレンジの中で回るチャーハンを見るその孫。部屋にはブーンと言う音だけがある。
それを見かねた勝は想定できる理由を投げつけた。
「おおかた田上のとこの啓介に彼女が出来た事で悩んどるんだろ?」
「なんで爺ちゃんまで知ってんだよ!」
チン!レンジの小気味いい音が木霊する中、孫のライフポイントは0になった。
黙々とチャーハンを食べ進めるゼン。そこには何の迷いもない。親友に抜け駆けされたとか、現在進行形で祖父に器が小さいと言われているとか、「橋本絶対E以上あるわ〜」とかはない。ただ目の前の食物を平らげる事に集中している。そこに善悪はなく、悲しみが減る事も増える事もなく、ただ人としての営みを全うす「お前も顔は悪くないんだから、ちょっと勇気を出して告白すれば彼女ぐらい出来るだろうに。」
ピクッと、ゼンのスプーンが止まる。
一口麦茶を飲んだ後、勝に問いかけた。
「ほんとか、爺ちゃん。俺にも彼女が出来るのか?」その声は弱々しく、震えている。
「あぁ、お爺ちゃんがお前の年の頃には彼女が3人もおって大変だったぞ。それにお前はお爺ちゃんよりも顔も性格も良いんだ。これで彼女が出来ないはずがない。」
「爺ちゃん……。」ゼンの声の震えが止まる。彼は自分を取り戻した。そうだ、爺ちゃんにも彼女が居たのだ。それに良く考えてみればスケチンより顔も性格も俺の方が良いじゃないか。体の底から自分を奮い立たせる言葉が溢れてくる。
「なら、やる事はわかってるな。本当はお前と将棋をしようと家に来たんだが、その時間は無いようだな。銀さんに相手になって貰うとするか。ほれっ、好きな女の子に良い所見せて、さっさと彼女作ってきなさい。」
居間から立ち上がり玄関に向かう祖父は、孫の知らない男の顔をしていた。
前歯が欠けているせいか、いつも少し情けなく見えるのに、今日は何故かやけに格好良く思えた。