その十六 ヒュンドコ茶釜。
「はっはっ。本当に一体何がどうなってんだよ!」走りながら山道を下る善人。
全力で駆けて来た為肺が痛むが、それ以上に痛む部分がある。
何故か心が酷く痛むのだ。
理由は既に分かっている。妖怪だが仲良くなった者を見殺しにしているのだ。良心が痛まない訳がない。
しかし何故こんなにも苦しいのだろう。勘違いしていたとは言っていたが、一度は見捨てられたのは事実で、しかも相手は今日あったばかりの妖怪だ。
見捨てる理由はあっても、助ける理由は人間としてない。敵対生物であるはずの妖怪に手助けする必要性は無いのだ。
だが、権兵衛は自分を友達だと言った。その一点だけでも助けるべきでは無いのか。
そんな考えがふとよぎるが、その当人が言っていた通り、自分が加勢しても何の意味も無いだろう。むしろ自分に気を取られて権兵衛が危険に陥る事になる。
そうだ、そうなのだ。何を迷っているのだ。今頃あいつなら上手くやっているだろう。妖怪なんだ、のらりくらりと何とかするのだろう。
善人はそう思う事にし走り続けると、当初の目的地であった大岩のある開けた場所に出た。どうやら先程襲われていた時に闇雲に走っていた為下っていると思っていたが、いつの間にか上に登ってしまっていたようだった。
突っ切ろうと、走るのを再開した瞬間、ある物が目に入った。それを見た善人に、一つの考えが浮かぶ。
「ゲホゲホッ、ゼンは上手く逃げてくれたかなぁ?」地に伏し、今にも目を閉じそうな権兵衛が呟く。体はボロボロで、あちこちから血が出ている。
善人を送り出してから二十数分。現在の自分にしてはよく頑張った方だろう。
礫しか使えない今の力で土蜘蛛相手にここまで時間を稼いだのだ。
遠くから土蜘蛛の近付いてくる音が聞こえてくるが、どうする事も出来ない。恐らくもう力が尽き果てているのだろう。
だが満足だ。ひょんな事から封印され、気が狂う程の年月を狭い茶釜の中で過ごし、耐えられない退屈さを呪う日々をあの人間は救ってくれたのだ。
更に勘違いからではあるが、一度は彼を見捨てた自分の身を案じ、共に戦うとまで言ってくれたのだ。
死が目前に迫るが、権兵衛の心音はいつもより安らかで、落ち着いていた。
「あぁ、どうせ死ぬならもう一回で良いから濃いお茶と餡子の付いた餅が食べたかったなぁ。」掠れた声を発し、目を閉じようとした時、予想外の出来事が起こった。
「ヒュン!!」
茶釜が。飛んできたのだ。
「ドコォッ!!」
それは真っ直ぐに土蜘蛛に当たり、今日初めてマトモな損傷を八本足の化け物に与えた。
どういう事かと必死の力で首を上げ、茶釜が飛んできた方向を凝視した。
金色の髪をして、木の棒を持った人間が走ってくる。
彼だ。彼が帰ってきた。いや、帰ってきてしまったのだ。自分が命と引き換えに逃がそうとしたのに。
その人間は脇目も振らず自分に向かって走ってくる。
「な、んで……。」蚊の鳴くようなか細い声で問いかける権兵衛。
その疑問を、金髪の人間が答えた。
左手には、大量の札を持っている。
「悪い、ゴン。恥かかせちまった。」
ホントだよ、ゼン。
妙な安心感に包まれて、権兵衛は意識を手放した。
「さぁ蜘蛛山くん、こっからは俺が相手だ。」