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週末の噴水広場

作者: 長串望

 この物語は、北アイルランドのThe Creativity Hubが製造・販売しているRory's Story Cubesという玩具を利用して書かれています。


 このストーリーキューブはポケットサイズの作話サイコロで、おとなもこどももおねーさんも、ひとりでも友達と一緒だって、想像力だけで楽しめる素敵な玩具です。

 この玩具を使えば、誰だってステキな作家になれますし、生まれてきた物語はどれもみんな間違いなしにステキな物語です。

 さあ、サイコロを振って、あなたの頭に詰め込んだガラクタや素敵な色々を遊ばせてみましょう!

 (パッケージ英文超意訳)


 遊び方は簡単。

 九つある六面サイコロの、その五十四面それぞれには数字の代わりにシンプルな絵が描いてあります。

 サイコロを振って出た面の絵を見て、プレイヤーは物語を紡ぐだけ。


 五十四面はそれぞれ、

 ・磁石 ・羊 ・錠前 ・火 ・足跡 ・四角にL(済)

 ・矢 ・電球 ・時計 ・ふきだし ・眠っている人 ・家(済)

 ・矢印 ・携帯電話 ・雷 ・天秤 ・宇宙人? ・ステッキ

 ・困った顔 ・クエスチョンマーク ・噴水 ・鍵 ・流れ星 ・テント

 ・魔法の杖 ・算盤 ・月 ・蜂 ・本 ・橋

 ・カード ・虹 ・塔 ・ピラミッド ・目 ・木

 ・仮面 ・パラシュート ・魚 ・鍵穴 ・花 ・八方矢印

 ・悪魔のような影 ・スカラベ ・亀 ・サイコロ ・掌 ・虫眼鏡

 ・懐中電灯 ・地球 ・笑顔 ・リンゴ ・ビル ・飛行機

 となっていますが、どれも想像の余地があり、自由に連想ができるのです。


 さて、本編で御座います。







九つの賽子、五十四の絵柄。

本日の絵柄は――、[噴水]







 週末の噴水広場は、何時も静かで平和だ。

 週末でなくったって、それが何曜日だって誰も気にしやしないんだから、代わり映えはしないが。

 単に、週末はデッキチェアに体を沈めて、のんびり小鳥の囀りに耳を傾けようって言う勝手な決まりを作ったから意識しているだけだ。

 なんせ毎日代わり映えのしない生活だから、せめて定期的に何かしようと決めておかないと、のんびりし疲れるんだ。スケジュールを全部きっちり決めておくと息苦しいが、ある程度指針があるって言うのは目的が出来ていい。月曜日はツナ・サンドを食べるとか、火曜日はバグ・パイプの練習をするとか、金曜日は一日のんびりするとかね。

 のんびりするったって、ちゃんと仕事はしている。

 噴水に溜まった木の葉をかき集めて捨てたり、水を噴き上げさせている、今まで扱ってきた中で最も簡単な機械の調子を見てやったり、広場の中を箒で掃いて回ったり、管理小屋の修繕をしたり、ま、最近はそんなところだ。昔はもうちょいちょい人の出入りがあったから、やることもあったんだが、最近はさっぱりと人気がなくなってしまった。

 こんなことなら管理人なんて如何にも暇そうな仕事を引き受けるんじゃなかったなとは思うが、おかげでやることがまったくないって状況ではなくなったし、やることが多すぎて死にそうってこともないわけだから、ちょっとの退屈は必要経費のうちかもしれない。


 俺が噴水広場を任されるようになったのは、つまりこの噴水広場の、正確には噴水の管理を任されるようになったのは、俺がそれまで勤めていた工場を定年で退職した翌年だった。

 別に大したこともない、遣り甲斐だってそんなにある仕事だったわけじゃあないが、それでも毎朝足繁く職場に通う必要もなくなってから一年経つ頃には、自分でもびっくりするくらい生活から張りって物が失われ、誘いをかけられたときは初めて釣り針を目にした魚みたいにあっさりと食いついていた。

 俺の新しい雇い主は、俺より二周りは若く見えたが、恐らくだが十倍もそれ以上も稼いでいるだろうというのは見ただけでわかった。単に金持ちってだけでなく、金を持っているのが当たり前で、それを如何運用していかなきゃならないかってのを毎日考えていそうなそういう雰囲気だったんだ。わかるかい。

 俺は何も、自分から脚を棒みたいにしてまで歩き回って仕事探しなんかしていなかった。

 むしろちっぽけな庭先の手製のデッキチェアにのんびり体を沈めて、日がな一日本を読んだりコーヒーを啜ったりしながら、たまに顔を出す隣人や顔馴染みに、何かあったら何でも言うといい、どうせ暇なんだから、何でも手伝ってあげるよ、というようなことを仄めかすだけで、いたって悠々自適に過ごしてたもんさ。

 だからどうやって退屈を潰そうかってパイプをふかしてた昼下がりに、随分前に出て行った息子よりも若そうな男が、前の会社の社長だって持ってないような高級な車に乗ってやってきて、しかも俺に仕事を任せたいなんていってきたときは悪戯か何かかと思ったね。

 勿論、それはどんな悪ふざけでもなかった。わざわざ田舎に引きこもった老人をからかうために時間を割くほど、新しい雇い主様は暇でも物好きでもなかった。ちょっと考える時間がほしくてスケジュールをたずねたら、驚いたね、世の中には本当に分刻みで働かなきゃいけない人種がいるんだ。晩飯まで自由に出来ないってのはそれは可愛そうだったね。

 こんな爺にその貴重な時間を割かせたのも悪かったし、何よりこの一年で退屈という退屈を味わうという贅沢はすっかり楽しみ終えていたから、なんにせよまた働いてみるのも悪くはないと思ったんだ。

 その場で返事を済ませて、翌週には家も引き払ってここの管理小屋に住み着くことになった。男やもめでもちょいと手狭だけど、何にでもすぐ手が届くってのは悪くなかった。

 仕事って行っても大したことはない。

 手をつけるところのないくらい綺麗に整えられた噴水を、どう管理したらいいかってのは悩まなくてもよかった。別に手を加えるまでもなく、噴水を汚すようなものは木の葉くらいしかなかったことだし、噴水の機構は子供の玩具みたいに簡単だった。要するに管理って言うより見張り番がほしかったんだな。

 別に誰が見てるわけでもないのに俺が馬鹿みたいにまじめに毎日毎日管理人なんて退屈な仕事をしているのを、けどどっかから見てたんだろうな。

 雇い主はあるとき管理人小屋を訪れて、俺に本当のことについて語ったよ。つまり、彼が本当のことだって頭から信じきっていて、用心深く誰にも話さないようにしていたことをだ。

 なんでもある日、夢の中で偉い坊さんだか大天使様だか忘れっちまったが、なにやら神々しいものにお告げを受けて、この場所に湧き水が湧いて、それには永遠に滅びを避ける加護が与えられているから、相応しいものがこの加護を得られるように護るよう言われたそうだ。

 信心深くて、かつ信仰の厚い人間がこれを聞いたならよかったんだが、雇い主はどうも湧き水を見つけて信じるには信じたそうだが、これを利用することを考えたんだそうだ。

 ――不老不死だ、わかるかい?

 奴さんは目をぎらつかせてそう言ったね。

 つまり、そうさ。その不老不死だかなんだかを信じて、見目麗しく整備して噴水に仕立てた挙句、その水を売って儲けてたんだな。

 すっかり呆れちまったが、ま、雇い主が何を考えていようと、俺が噴水を管理して、それで給料を貰うって言う関係が変わるわけじゃない。それに俺が老後をボケずに過ごすっていう生活も。

 雇い主は、俺が約束を護り、仕事を果たしてくれる誠実な人間だから信用して雇ったのだと猫なで声で言ったが、まあ、俺にだってわかってる。要するに、俺がこんな与太話を信じきるほどロマンチストじゃあなくて、老後を程よい刺激の中過ごしたいって言う欲のない爺で、ついでに言やあ不老不死の水を謳って儲けようって言う学もなければ、売り飛ばすコネもない孤独な老人だったから雇ったんだろう。

 別にだからといって拗ねることはない。事実だし、それで怒ってこんな程よく理想的な老後生活を捨てるほど馬鹿じゃあない。

 夢見がちな若者の妄想を適当に支えてやって、自分はどっかり腰をすえてのんびりやれるんだから、悪いことじゃない。


 勿論、完全に退屈なだけののんびり気楽な職場というわけでもなかった。

 雇い主や、その部下らしいのが定期的に様子を伺いに来たり、水をたっぷりとポリタンクにつめて持っていく以外に、時折だが、噴水の水を採ろうとやってくる余所者もいて、そういうのを追っ払うのも俺の仕事だった。

 ここは個人の私有地で、勝手に入ってきてもらっちゃ困るんだ、というようなことを俺が好々爺然とした態度で丁寧にお引取り願うと、極々少数はそれで素直に帰ってくれ、残りはそうもいかなかった。

 ちょっと写真が採りたくて、とか、はっきりと、水を採りたいんだ、とか言葉で言ってくる奴らはまだ大人しいほうで、俺が爺だからって暴力に訴えるのもいた。

 不老不死の水なんて与太話に、よくまあそこまで本気になれるものだと、俺は毎度この暇人たちに感心したものだが、それで仕事をしないってわけにも行かないし、暴力を振るわれて黙ってたんじゃたまったもんじゃない。

 俺はティーンエイジャーの頃から工場勤めで、そりゃ必要だからある程度の知識は持っているにせよ、ずっと現場で機械弄りばかりしていたもんだから手先はともかく、人とお喋りしたり適当にうまくかわしたりってのは苦手で、拳で語りかけてきた奴相手にはちょいと不器用な方法でしか対応できないんだ。

 つまりちょっと強めにひねってやって、たたんじまって敷地外に放り出すくらいのことしかね。

 俺の顔に深く刻まれたしわだとか、短く刈った胡麻塩の髪なんかを見て、連中は俺を簡単にどうにかできる爺だと思うようなのだが、ついこの間まで工場で重たい機械ども相手に格闘していた男が骨と皮の干物だなんてどうして思えるだろうか?

 喧嘩なんてのはガキの時分にした以来だったが、たまに一人、二人来るくらいの馬鹿者を相手に遊ぶのはなかなかどうしていい運動不足解消だった。拳をいためるのが嫌だったから丈夫な杖を購入して以来、この仕事は随分楽になった。工場時代、上司がしょっちゅうゴルフ遊びに行くのを馬鹿馬鹿しいと思っていたが、なるほどなかなか爽快な遊びだ。

 こんなことで、俺が暴力好きな乱暴者だと思ってもらっちゃ困る。そりゃ確かにすかっとしたし、いい運動だったが、俺は自分から殴りに行ったり必要以上にぶちのめしたこともない。いつもきちんと言葉で追い返そうと努力したし、必要であれば手当てまでしてやった。

 まあ………最近めっきり人が来なくなったのは、もしかしたらちょっぴり暴れすぎたせいかなと思うこともあるが、恐れて来なくなって、殴らなくて済むならそれに越したことはない。


 しかしそれにしたって、会社の人間まで来なくなることはないと思う。

 雇い主が来ないのは忙しいからだとして、今じゃその遣いもぜんぜん来なくなった。水汲みにだって来やしない。毎週末には来ていたのに、お蔭様で話し相手もなくなっちまった。小鳥の囀りは聞いている分にはいいものだが、いかんせんお喋りには向かない。

 どのくらい顔を見ていないのかはちょっと覚えていないが、随分長いこと来ていないのは確かだ。

 もしかするといい加減、ここの水が不老不死の効果なんか全然ないじゃないかってクレームでも出て、プロジェクトは凍結、安月給の管理人はそのまま保留とでもなったのだろうか。ま、あんな馬鹿馬鹿しい話に大の大人がこぞって熱くなるなんてのは馬鹿げた話だし、そんな与太話はなくなったほうがいいだろう。俺の職場は出来ればこのままとっておいてほしいがね。


 そういえば、会社の人間が来ないせいで、楽しみにしていた新聞の配達も止まっているんだった。最後に読んだのは何時だったろうか。だいぶ前だ。内容なんてどうせ大したこともないし、広告を見たって噴水広場から出ることのない俺には欲しい物なんて対して有りはしないのだから、暇つぶしの読み物でしかないのだが。

 しかし思い出すと思い出すで、あの安っぽい灰色の紙に安っぽいインクで印字された胡散臭い記事が懐かしく思えてきて、俺はデッキチェアから身を起こして管理小屋をひっくり返し始めた。

 折角の休日が潰れちまった様な思いだが、どうせ何曜日でも暇なことに代わりはないのだ。構いやしない。

 三十分ほど手狭な小屋をあさって、ようやくクッションの下に敷かれていた古新聞を取り出せた。ぺちゃんこになったそいつをがさがさと広げ、細かい文字に顔を寄せて記事を読み返してみる。どうせ隅から隅まで一度は読んでいるのだから、読み返すうちにいろいろと思い出すだろう。

 まず後ろのほうの広告記事のあたりにざらっと目を通して、面白そうなのを探してみる。新聞を隅々まで読むときは、広告は先にしたほうがいいってのが俺の持論だ。後に回すと飽きるからな。

 ありきたりな広告を斜め読みしていくと、気になるのがあった。

「紙媒体の書籍100冊ばかりだって?」

 しかも随分安い。一冊あたりこの新聞より安いんじゃないか。こんな叩き売りに気付かないなんて俺はどうかしてたんだろうか。管理小屋の本なんてもうすっかり読み終えて何週目かに入ってしまっている。新しい本がほしかったところだ。現金一括払いで、出来るだけ早く、とそう書いてあった。俺はちょっとした期待をこめて書いてある電話番号にかけてみたが、生憎繋がらなかった。さすがに古新聞の広告じゃあ、とっくに期限切れか。

 ひっくり返して読んでみた一面記事には大規模移民船団についての記事が書かれていた。そうそう、なんとかいう大出力のエンジンが完成したとかで、ようやく目処がついたと書いてあった。俺が現役でいた頃のエンジンよりも随分優秀で、しかもずっと小型らしい。俺が働いていた頃は数人ばかり乗せた多段式ロケットがお隣の惑星まで調査に行って帰るくらいがやっとだったが、こいつはずっと遠くの恒星まで飛んでいくための船で、何千万人と乗せてほかの惑星を開拓するためのものなんだそうだ。

 技術の発展というのは恐ろしい速さで進むものだ。なんでも地球環境が悪化して資源が足りなくなったから、他所へ移住して活路を見出そうって計画らしく、なるほど必要は成功の母だ。もっとも、そんなに必死にならないでも、地球って奴は偉大なもので、人間がちょっとやんちゃするくらいは受け止めて、立て直してくれるものだと俺は思っている。この噴水広場の穏やかな自然なんて何年も変わりやしないのだ。


 古新聞の記事はどれも大げさなことばかり書いてあって、大した収穫はなかったが、しかし久しぶりに新聞の細かい文字を追ってみると、随分と目が疲れてしまった。

 外を見ると日は暮れ、星星が空に輝いていた。時計は七時半。

 俺はなんとか足元まであるちっぽけなベッドに横たわって、目を閉じた。

 まだ早いかもしれないが、今日はもう休んでしまおう。

 どうせ週末の噴水広場には誰も来ないのだ。

 窓の外では、月を見なくなって久しい星空が、美しく輝いていた。



Once Upon a Time...3 "The Fountain at (week)end." closed.








あとがき


 皆様よい週末をお送りですか?

 習作三作目のお題は「噴水」の絵でした。

 噴水には、公園なんかに設置してあるあの人工的に水を噴き上げさせる機構のほかに、英単語Fountainには湧き水、転じて死・誕生・予知・英知などの象徴としての意味合いや、何かの起源という意味で用いられたりします。

 今回は噴水のある広場の日常を、のんびりと回想にふける老人の語りに任せて広げもせず畳みました。


 内容はご想像にお任せするとして、書き口は海外SFの翻訳を意識して書いています。

 影響されやすい私ですが、模倣も仕切れないところが弱いところです。

 模倣の果てに自分らしさを見つけられるといいんですが。

 結局書きやすい形というのを模索していくと、中身が進まないのが困り者。

 早くまともにものが書けるようになりたいけれど、それまで地球は持ってくれるのか。その前に私の寿命は持ってくれるのか。


 それではまた、次の機会にでも。

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