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握る拳と頑なな魔女

作者: 極月シンヤ


 これは、前作『力の矛先』と『私の考え、彼女の答え』の続きとなっています。(世界観的に。

 この話単品としても楽しめますが、前作を読むとさらに楽しめると思うので、良かったら前作もヨロシクお願いします。

「お前にだけは負けねぇ……」

 篠座瞬吾はその言葉を一人の男にぶつけ、さらにぶつけ返された。

がむしゃらに強さを求め続けた日々の結果を出す為に。

 空手道場を仕切っていた父から直々に教わった空手。成長するたびに褒めてくれる父。それが嬉しくて、俺は子供の頃からずっと強くなる為に努力をし続けた。

 学校内での素行や上級生への態度が原因で降りかかる火の粉。それも全て俺が身に付けた力で振り払った。

 そうやって毎日を武術と暴力の中で生きてきた。しかし、俺は結局その相手に勝つことができなかった。

 得られた物は敗北。そして失った物は俺の存在を支えていた家族との絆。

 同じ相手につけられた黒星二つを見て、俺は父にこれ以上強くなれないと判断されてしまう。

 すると瞬く間に父とは疎遠になり、それにともなって道場を経営していた家族とも距離が遠くなる。

 ――褒められる為だけに続けてきた空手。それなのに今は、『褒められる為』という目的は失われ、『身に付けた強さ』だけが残る。

 家族との絆も守れないような力。そんな物に何の意味があるのだろう?

 何かを守る為に必要な力。それを得る為にはどうすれば良いのだろう?

 長年の努力をしてきたからこそ分かる、強さの限界。この先、何を目指せばよいのか。どうすれば先が見えてくるのか。絶えず俺を悩ませる。

今はまだその問いに答えられる事ができず、たった一人でもがき苦しむことしかできない。

 ただ悩むだけで、体の脱力感、無気力感に溺れていった俺。そんな俺に一人の女の子が問いかける。

「――貴方は、一体何がしたいのですか?」



 ――体全体が痛い。頬、肩、腕に走っていた痛みはもう引きはじめているが、脇腹と右足太股には血液の脈動に合わせて鈍痛を発する。

 下には登校してきた大勢の学生達の声。日はまだそれほど高くは無いが、放つ光を遮られる事無く世界を照らす。

 緩やかな風が流れる中、篠座瞬吾は倒れたまま手足を投げ出しフェンスに背中を預けて体に走る痛みを噛み締める。

 先ほどまで居た不良達に殴られ、蹴られた箇所は痛むが手で押さえたりせずに受け入れる。掴みかかられ、地面に叩きつけられた為に土ぼこりにまみれ、皺の寄った制服も直そうとせずにただ目の前に立ちはだかる女の子を見上げる。

 透き通るような白い肌。風を纏ってなびく腰より下まである艶やかな黒髪。発展途上の女の子であるにも関わらず、メリハリの付いたしなやかな肢体と、わずかに細められた漆黒の瞳とがあいまって酷く妖艶。――それはまるで周りの男達を虜にする魔女であるかのよう。

 魔女――ではなく、佐伯みことは風になびく髪を片手で押さえて問いかける。

「貴方はいったい何がしたいのですか?」

 それは、初めて彼女と交わした言葉であり、それから会う度に毎回問い続けられているその言葉。

 静かで透き通るような声。人を馬鹿にしたような問いかけではあるが、その声色には見下すような口調は無く、侮蔑も含まれていない。

 真剣に疑問に思ったから、問いかけただけ。とでも言いたそうな真っ直ぐで澄み切った瞳。

「……別に、俺は何もやりたくねぇ。何もする気が起きねぇ。――この答えに満足したら、さっさとその物騒なモンしまえ。教師に見つかるとヤバイだろ?」

「――そうですね。防犯に使われているからといって、学校に持ってきても良い代物ではありませんからね」

 髪を押さえていた手、そしてもう片方の手、それぞれに握られた掌よりも少し大きな黒い物。頭はクワガタのはさみの様に分かれ、その先端には銀色に輝く突起が覗く。――まぁ、いわゆるスタンガン。

 複数のガラの悪い上級生、同級生に絡まれていた篠座を助けたのは、その二挺のスタンガンを持っていた佐伯。

 日常的にそれを所持している彼女は、何の躊躇も無くそれらを取り出し、青光りする雷光と空気を貫く放電音で不良達を威嚇し、逃走まで誘導した。


 ――不良達に殴りつけられている俺を佐伯が助けてくれるのは、今回が初めてではない。

 初めて声を掛けられて以降。不良達のサンドバックとなっている俺の前に高確率で佐伯が現れ、スタンガンを用いて不良達を追い払う。

 『何度彼女に助けられた?』と問われれば確実に両手の指は数えられないくらい助けられていると思う。だが、だからと言って俺が感謝するいわれは無い。

 逆に、俺は佐伯の事を不信に思っていた。

 何を思って俺に近づいてくるのかが分からない。俺を助けたからといって恩を押し付けている訳でも無い。何かの見返りを求めて行動している様子も無く、ただ意味があるのか無いのか分からないような質問をして立ち去るだけ。


 流れるように自然な動作で二挺のスタンガンを制服の内ポケットへとしまう佐伯を尻目に、ゆっくりと立ち上がり服に付いた土ぼこりを大雑把に払う。

 気付けば何かを求めるようにして、篠座を見上げる彼女の視線。

「――なんだ? 俺はお前に用はねぇぞ?」

 その視線がわずらわしく、誰に対してもそう接して居た様に、口から攻撃的な言葉が突いて出る。

 その言葉で大抵のヤツ等は眉を潜め、嫌悪感を示す。だが、俺に立ちはだかる彼女は、今まで接してきた人達が示す反応とは違っていた。

 心の中では魔女と呼びつつもそれに相応しくない澄んだ瞳。その瞳には恐れも、怯えも、怒りも、憎しみも――攻撃的な感情は一切含まれていない。

 ――だが、代わりにハッキリと浮かんでいたのは、深い悲しみ。

 それは、自分に対しての悲しみではなく、俺へと送られた悲しみ。哀れんでいる訳ではなく、同情しているという訳でも無い。言葉にするとしたら、彼女は俺のことを慈しんでいると言えばいいのか――

 胸が締め付けられるような痛み。それは彼女に対して抱いてしまった罪悪感。

 体に付けられた傷の痛みを押しのけて襲うその痛みに一瞬顔が歪んでしまう。

 それを悟られたからか、会話が途絶えた事を理解したからか。

「……そうですか。それでは、また――」

 浮かべた表情を殺して静かに告げる佐伯。彼女は黒い髪をなびかせ、小さく一礼してから屋上の出口へときびすを返す。

 屋上から佐伯が姿を消した後も、篠座の視線は屋上の出口を射抜いていた。


 ――アイツに負ける前の俺なら、あんな感情が浮かぶ事は無かった。

 俺に対して悪意にしろ、情けにしろ、何らかの感情を浮かべたヤツは片っ端から敵対していた。

 男であるなら殴り飛ばし、女であるなら怒声で圧倒する。

 だが、今の俺はどうだろう?

 情けに近い感情を送る佐伯を前に、ただ心を痛めて言葉に詰まってしまう。

 肉体的にも精神的にも暴力を振るう事ができず、ただ罪悪感に苛まれるだけ。


 佐伯とのわずかな会話で突きつけられる、自分の弱くなった情けない姿。

 そんな思いを吐き捨てるように舌打ちし、力なくフェンスに背を預ける。

 優しく肌を撫でる風は何処か俺を哀れんでいるようで、無性に腹が立つ。――だが、それ以上にこんな些細な事にも怒りを覚える自分が一番腹立たしい。

「……本当に、俺は一体何がしたいんだろうな――」

 いつも彼女が問いかける事。俺自身ですら答えが出せずに問いかけたい事。

 だが、問いは口に出しても答えが返ってくるはずがない。ただ言葉は吹き抜ける風に溶けて消えるだけ。

 自分でも分かっている。この答えは誰かに求める物ではなく、自分自身が出さなければ意味がない事なのだと――



「……それで、なんでお前がここにいるんだ?」

 退屈極まりない午前中の授業を終え、やっとの思いで迎えた昼休み。

 いつもの様に、比較的静かな屋上で昼食を食べ、後の時間を昼寝の時間にしようと思っていたのだが――

 屋上に一つしかないベンチは既に先客が陣取り、掌サイズのテディベアが付いた学生鞄の中から弁当箱を取り出していた。

「なんでと言われましても……随分前から私はここで昼食を取って居ましたし、特に不思議がることは無いと思いますが――それより、隣に座りませんか?」

 ベンチの端に寄り、もう一人くらい座れるスペースを空ける佐伯だが、篠座は彼女を一瞥して他の場所は無いかと視線をさまよわせる。

「お前と昼飯が一緒なんてありえねぇよ。お前と同じベンチに座る位なら地面に座って食った方がマシだ」

 すぐにこの場から立ち去りたいと思ったが、人が来ない静かな場所なんて屋上以外思い当たらない。

 ここだけは特別で『昼休み屋上に行ったら篠座瞬吾にシメられる』と校内中に広まっている為全く人の出入りは無かった。――まぁ、例外が目の前に居るのだが。

 仕方なく、佐伯が座るベンチから一番離れた場所で陣取ろうと足を踏み出した瞬間――意味深げな佐伯の声が耳に飛び込んでくる。

「…………地面に座って、ですか――離れたところからコッソリと、チラリチラリと。私のスカートの中を覗こうと言う魂胆ですね?」

「――――――はぁ?」

 篠座は突拍子も無い彼女の言葉に思わず振り返る。

 振り返った先にはわずかに顔を上気させて呟く佐伯の顔。そして弁当箱を膝に載せたまま、膝より少し下まであるスカートの裾を伸ばして中を隠そうと身悶える姿。

「そのような視線を受けながら昼食など、私にはとても――ですが、今は人気の無い屋上に男と女二人きり。このような危険に満ち溢れたシチュエーション、何が起こってしまってもおかしくありません――よね?」

「何も起らねぇし、何も起こさねぇし、お前と一緒に起こす気もねぇし、第一危険なシチュエーションにすらなる事はねぇ!!」

 頬を赤らめ、上目遣いで同意を求める佐伯を思い切り否定。心から否定。ついつい声を荒げつつも否定。

 だが、その言葉を待っていましたとばかりに彼女の表情は一転して微笑みに変わる。

「それなら良いではありませんか。貴方が私の隣に座るのはやましい事を思い描いての事ではなく、私のわがままが生んだ成り行き上仕方のない事。そうなれば、一緒に昼食を取る事も仕方がなくなりますし、一言二言会話するのも仕方のない事。ここなら人が来る事はまずありませんし、人目を気にする事もないでしょう? ――ですが、貴方が女の子と二人っきりの時間を過ごせないほどウブな方なら、無理に引き止めませんが――」

 先ほどの恥じらいはどこへやら。彼女は余裕の笑みを浮かべながら、篠座を言葉で誘導していく。何処か最後の言葉が挑戦的な口調になっていたのは、聞き違いでは無いだろう。

 『私のわがままで』と相手に非がない事を始めに公言し、『昼食を取る事は仕方のない事』と諦めさせ、『貴方にデメリットが無い事』を提示。そして最後に『今立ち去ったら――』というこの話に乗らなければ何らかの汚点をつけると言う挑発染みた言葉と口調。

 最後の言葉を聴かなければ容赦なく立ち去っていたが、彼女の傍若無人な言葉の羅列に抗う気力も無く、溜息交じりでベンチに腰を下ろす。

 ベンチの両端。わずかではあるが距離を取って、今日の昼食、購買で買ってきたパンの封を切る。

 何気なく向けた視線の先。佐伯は弁当箱を開けようともせず、こちらに向かって嬉しそうに微笑んでいた。

 その表情を見た瞬間、なんだか完全に丸め込まれて敗北したような気がして、一矢報いようと彼女に意地の悪い笑みを向ける。

「近づくのは勝手だが、そうやって俺に関わってるとロクな事ねぇぞ?」

 その言葉に彼女は目を丸くして驚きの表情を隠せない。だが、すぐさま柔らかな微笑みを取り戻す。

「そうですね。もし私がロクな事に巻き込まれてしまったら、すぐに助けに来てくださいね?」

 篠座の言葉を気に留める事もなくサラッと受け流す佐伯。

 彼女はそれで会話は終わりとばかりに弁当箱を開いて箸を動かす。


 ――やはりコイツは魔女だ。自分の言葉と身なりで相手を惑わせ誘導し、相手の言葉には耳を傾ける事無く自分の意思をまったく曲げない。

 もしも、本当にロクな事に巻き込まれたとしても、彼女が持つ二挺のスタンガンで道を切り開いて行けそう。

 それを実践できる彼女の話術、魅力、武力に俺は今一度彼女に対する認識を改める。――普通の人間のように、微笑み、驚き、恥らったとしても、佐伯みことは、やはり魔女だ。


 会話も終わり、買ってきた惣菜パンをかじり始めたときにようやく気付く。

 隣に座る佐伯が今見せてくれた様々な表情は、これまでに出さなかった一面である事に。

 俺を助けてくれた時の彼女。助けた後立ち去る際の彼女。そして、俺へ問いを投げかける時の彼女――それらはお世辞にも明るい表情ではなかったと思う。

 彼女の楽しそうな表情。そんな新しい一面に気付けた瞬間。だが、それと同時に自分の退化を自覚した瞬間でもあった。

 『相手の新しい一面を見つけた』と言えば聞こえが良いが、これは『相手の顔色を窺っている』と言う事では無いだろうか?

 今までの俺は『気に触ったら殴る』――究極に短絡的ではあるが、相手の顔色を窺うほど弱くなかった気がする。

そもそも、前の俺であったら一緒にこうして昼食を共にする事なんて考えられない。きっと『邪魔だ、どけ』と口が出た後、手が出るか足が出て一人でこのパンをかじって居たと思う。

 その光景を浮かべると、酷く孤独で寂しいような――

 篠座は、その思いを振り払うように考える事を打ち切り手の中にあるパンに集中する。

 考えれば考えるほど気持ちが落ち込んでいく。力が弱くなってしまったのは認めたとしても、気持ちまで弱くなるのはダメだ。せめて気持ちだけでも強く持たなければ――


「それでは、私はこれで失礼させてもらいますね?」

 いつの間にか昼食を終えていた佐伯は、弁当箱を丁寧にハンカチで包み鞄の中へしまう。

 昼食を食べた後も何だかんだと言って、午後の授業が始まるまで居るのかと思っていたから少し拍子抜けしてしまう。

 学生鞄を手に、立ち上がろうと腰を浮かしかけた彼女。だが、何を思い留まったのか彼女はコチラに振り向く。

「先ほど私が言った事、本当ですから覚えておいて下さいね?」

 ふざけている様子は無く、瞳は真っ直ぐ篠座の瞳を射る。彼女の瞳は澄みきっていたが、彼女の眼差しには力強い何かがこもっていた。

 そんな思案は置き去りに。今度は留まる事無く立ち上がり、長い髪をなびかせながら振り返る。

「――私にロクな事が起きた時、貴方なら絶対助けに来てくれると信じています。これは、私の本心。嘘でもなんでもない本当の思いですから……」

 佐伯の強い思いがこめられた言葉。それだけを言い残し屋上から姿を消す。

 そして篠座はその言葉に戸惑い、パンを握ったまま呆然としてしまう。

 満足に言葉を交わしていないはずの相手。そんな相手から紡がれた『信じています』という言葉。だが、その言葉に偽りは無く込められた思いは本心。

 彼女の言葉を上手く受け止めることが出来ず、戸惑うばかりの俺。

結局俺は昼食を取る余裕も無く、予鈴が鳴るまで思案する事に没頭していた。



 午後の授業が始まった後も、先生の話など全く聞かずに佐伯の事を考えていた。

 どういうつもりで『信じる』なんて言ったのか。そう言い放った彼女に、どう接すれば良いのか。なんと言えば良いのか。やはり、彼女に直接問いただした方が良いのだろうか。

 彼女に信じると言われたから、俺も彼女を信じる。何て事を言えるほど俺は単純な頭をしていない。

彼女の事を何も知らない――いや、知ろうとしなかった俺に、そんな言葉は重すぎる。


 答えの出ない思案に溺れる篠座の前に、一枚の紙が舞い込んだ。

 生徒玄関にある下駄箱の中に入っていた手紙。ノートの一ページを切り取った紙に、乱雑な字と見るからに物騒な文章。

『放課後の第二体育館倉庫。そこでお前と仲の良いゲストを向かえて待っている。間違っても、逃げるんじゃねぇぞ――』

 指定場所は、ほとんど使われる事なく校舎の隅で身を潜めるように建っている第二体育館倉庫。校舎等に太陽光が遮られ、一日の大半が影に覆われているその場所は人気が少なく、不良達にとって都合の良い巣窟となっていた。

 足を運べばタダで帰ってこられるかは分からない。そんな場所への招待状。そして、『お前と仲の良いゲスト』という文面――篠座の心当たりのある人物なんて一人しか思い浮かばなかった。

 佐伯みこと――今日昼食を共にし、何度と無く不良達と俺の間に割って入った人物。スタンガンで相手を撃退した経験もある為、不良達に目を付けられていたとしても不思議じゃない。


 放課後になったばかりで夕暮れ時にはまだ早い。部活動で活気づく中、篠座は自分宛に送られた紙切れを手に生徒玄関を出る。

 不良達からの招待状。相手にする人数が何人いるにせよ、目標を失う前の俺なら迷わず受けただろう。そして、目標を失った昨日までの俺なら、間違いなく無視して帰宅していただろう。

 だが、目標を失っていても、昨日と今では状況が違っている。

 今日、佐伯と会話し、一方的にだが信じられてしまっている。不良達に取り囲まれて窮地に立たされていたとしても、俺が助けに来ると思っているかもしれない。

「……まぁ、アイツの事だから不良達に囲まれる前にスタンガンで全員片付けちまいそうだがな」

 苦し紛れに出た言葉に、思わず苦笑いしてしまう。

 ――俺が出て行く前に、全てが終わっている。佐伯一人が不良学生数人を全てを片付け、俺の心配も無駄に終わってめでたしめでたし。

 即席で作った冗談にしてみれば、まぁまぁな気がする。少し都合が良すぎるかもしれないが、ありえない話でもないだろう――

 手の中にあった招待状を握り潰し、小さく丸めて無造作に放り投げる。

 きっと佐伯も大丈夫。家にこのまま帰っても大丈夫。学校に心残りなんてなにも無い。

 現実逃避染みた思い。だが、その都合の良い思いは不意に打ち砕かれて俺は目の前の光景に呆然と立ち尽くす。


 ――篠座の視界に、複数のガラの悪い男達が入る。そして、その取り巻きの中心には顔をうつむかせた佐伯みことの姿が――


 佐伯が不良達と共に向かう先は間違いなく第二体育館倉庫。

 落胆に染まった彼女の表情からして、今から不良達を叩きのめしに行くって顔じゃなかった。どちらかと言えば、既に敗北を突きつけられているかのよう。

 血の気が引いたのか、指先、足先が徐々にと冷たくなっていく。先ほどまで頭の中を締めていた楽観的な考えは打ち消され、自分の行動が問われる。


 ――佐伯は不良達に捕まった。不良達の挑戦状を見る限り、俺が助けに行かないといけないような雰囲気が漂っていた。……だが、中途半端な力しか持たない俺が出て行ったところでなんになる? また何も出来ずに、何も解決できずに、何も守れずに、負けて地を這うだけじゃないのか? そんな事なら、今見た事は無かった事にして帰った方が――


 そう。不良達に捕まっているのは、俺の友達でも親友でも家族でもなんでもない。ただ、今日成り行きで一緒に食事をし、あっちから勝手に俺に関わってくる変わったヤツ。そんなヤツが捕まっていても、普通なら知らん顔して帰るだろう。帰ったって恨まれる筋合いは無いし、恨まれても別に困らない。

 だが、彼女の放った言葉が篠座の心を縛り付ける。

『――貴方なら絶対助けに来てくれると信じています』

 一人の男を信じる彼女。そんな彼女の心中が篠座の心中と交差する。

 俺は父に懐き、父の言葉を信じて今まで空手を続けてきた。だが、俺にその才能がないと知った途端、見捨ててしまう父。

 その時俺は父に裏切られたような気がした。これまで父を信じて頑張ってきた俺。だが俺に才能が無いと分かると、今まで受けてきた愛情は途絶え、交わす言葉もなくなってしまう。

 そんな父が許せなかった。実の息子を簡単に見捨ててしまう父の軽薄さを、心底恨んだ。

だが、気付けば父と同じ道を歩こうとしている息子。

 動機が分からないにしろ、俺の事を心の底から信じていると告げた佐伯を、見てみぬ振りして立ち去ろうとしているのだ。――それは、簡単に実の息子を見捨てた父と同じではないのか? そんな事、許されるのか?

 ――許される、許されないじゃない。俺は、そんな感情を許したくない。信頼を裏切られたから分かる、裏切られる辛さ。そんな辛さを俺が与えたくない!


 心の中で問いかけられる。

 本当に関係が無いに等しい他人を助けに行くのか? 一番守りたかった父との信頼も守れない自分の力で何ができる? 手紙を見なかった、不良達も佐伯みことも見なかったって事にすれば丸く収まるだろう?

 弱気にさせる誘惑などにもう惑わされない。振り返らない。

 篠座はそんな気持ちを一蹴し、新たに秘めた決意に身を任せる。

 黒星を二つ付けられ、空手から身を引いてから約一ヶ月。その間使われていなかった、心のスイッチが乾いた音と共にONになる。

 体の血が沸いているかのように熱くなり、心音が耳に付くほど高鳴り始める。それに呼応して高揚していく篠座の心。

 気持ちを固めたならば、もう何も考えない。ただ目標を達成する為だけに行動し、迷う事無く突き進むだけ。

 押さえきれない気持ちが弾け、俺は全力で地を駆ける。今まで無気力であった自分と決別する為に。そして、相手を裏切りたくないという思いを貫く為に――



 ――息が苦しい。呼吸が荒い。心臓の脈動も耳障りなくらいにやかましい。

 だけど、地を蹴る力は緩めない。緩めるどころかより強く蹴り、より速く駆ける。

 ――不良達が視覚に入る。敵の数は四人。そして助け出すべき佐伯の姿は、その不良達に囲まれている。

 久しぶりに握る拳。力加減なんて出来そうにもない。いや、する必要は無い。ただ、俺は目標に向かって振り被る。息を深く吸い込み、地を力強く踏みしめての一喝――

「――てめぇら、そこをどきやがれぇ!」

 太陽の光から逃れた影の世界――生徒玄関から少し脇に入った人目に付かない場所で、篠座の雄叫びが響き渡る――

 篠座の怒声に身を震わせた一人を、全身全霊を込めて打ち出された拳が襲う。

 引き絞られた拳は螺旋を纏って相手の脇腹に突き刺さる。

手ごたえは十分。……次の獲物は――

 同体格ほどの男を軽々と撃ち払った篠座。だが、倒した相手を最後まで見届ける必要なんて無い――相手は四人。この奇襲でコイツ等を一蹴しなければマズイ。仲間を呼ばれるのは勿論の事、取り囲まれてしまうのもできる限り避けたい――

 篠座とは違い、呆然と仲間の倒れる様を見届ける不良達。

 棒立ちとなっていた手近な男を標的とし、距離を目算――相手との距離約二歩、わずかに距離が遠い。

 視線だけが篠座を捕らえるが、もう遅い。俺はもう既に半歩を踏み出し、相手は既に間合いの中。

 半歩踏み出された足を軸とし、遅れて地を蹴る足を鞭のようにしならせる。

 しならせた足は風を切って勢い良く跳ね上がる。跳ね上がった足は容赦なく相手の側頭部に食らい付き、相手の意識を一瞬で刈り取る。

 ――放たれた蹴りと、地に伏せる二人の不良。

 事が起きてから数秒。やっと自分達の置かれた状況を把握した残りの二人が、弾かれたように篠座へと飛びかかる。

 振り被る拳、地を蹴り駆ける速度――その他どれを取っても遅すぎる。

 回し蹴りの回転をそのまま拳に乗せ、篠座は振り返りざまに裏拳を放ち、易々と一人をなぎ倒して昏倒させる。

 そして、残った相手は不良一人。

 だが、そいつの瞳に戦意は宿っておらず、目の前に立ちはだかる敵を恐れる敗者の目。

 篠座は睨みを利かせたまま、この場を立ち去るよう顎で出口を指す。

 すると、よろめきながらも脱兎の如く逃げ出す男。――見るからに情けない姿だったが、追撃はしない。別に不良達全員を潰すつもりで拳を振るった訳では無いから。


 篠座は荒い呼吸を沈める為に一度深く深呼吸。そして、不良達を追い払った今でも呆然と立ち尽くしている佐伯みことに向き直る。

「よぉ、俺の言ったとおり、関わるとロクな事に巻き込まれねぇだろ? ……これ以上面倒事に巻き込まれたくねぇなら、さっさと逃げるぞ」

 今逃げていった男が、仲間を引き連れて戻ってこない訳がない。この場所から呼び出された倉庫まではそう遠くはない。

 一刻も早く立ち去りたいのだが、肝心の佐伯が動こうとはしない。

 不良達から解放された事に安堵している訳でなく、不良達を目の前で一蹴した事を驚いている訳でも無い。なにか困惑しているような、この先どうすれば良いのか戸惑っているかのよう。

 だが、この際その解答を待っている訳にはいかない。身の危険が迫っているのだ。助け出せたのに、その機会を逃して二人とも不良達に袋叩きに合うなんて笑い話にもなりはしない。

 篠座はなりふり構っていられず、戸惑っている佐伯の手を掴みこの場を立ち去ろうと手を引く。

「――少し、待ってくださいッ!」

 切迫した声。篠座に引かれる腕に力を込めてその場に踏みとどまろうとする佐伯。悲鳴にも似たその必死な声色に、篠座は思わず足を止めて振り返る。

「おい、このままじゃさっきの奴等に仲間を呼ばれちまう。だからさっさとここから――」

 篠座が最後まで言い切る前に、長い髪を振り乱して拒否する佐伯。――どうしても立ち去りたくないと、頑なに踏みとどまる彼女。

 顔を上げた彼女と視線が交じり合う。

 先ほどの戸惑っていた雰囲気は微塵も感じられぬ、強い意志を帯びた瞳。ここで立ち止まるには何か理由があることを確信させるような強い思い。覚悟を決めているかのような鋭い視線。

 遠くから、何人もの足音がコチラへ向いて近づいてくる。それにともなって、男達の怒声や奮起する声が聞こえてくるので、例の不良達で間違いは無いだろう。

 今一度、俺は佐伯に向かって視線だけで問う。――本当にこれで良いのか?

 返事は力強い頷き。そして彼女は足音がする方向へと振り返り、俺から背を向け小さく呟く。

「これで、良いのです。――貴方に嘘をつきたくありませんから」

 その声色は力強い頷きとは裏腹に、心もとないくらいに弱々しい。何かを諦めるような、何かを吹っ切るような、俺の心を乱すようなそんな呟き。

 その呟きを皮切りに、大勢の不良達がなだれ込む。

 ワックスで固められた髪、派手に染められた髪の毛、耳、鼻、口に開けられたピアスに、上着もワイシャツも全てのボタンを外しただらしない服装。――全員に目を向けるが、バットやナイフ等の凶器は誰も握っていないようだから一安心。

 そいつ等は篠座から出口を奪うようにして取り囲む。人数は大体十数人。何となく見た事あるような奴も居ないではないが、この際は関係ないだろう。

 髪型服装は個々人違いがあるが、目つきだけは統率が取れたかのように同一。

 ――どいつもこいつも、人を見下したような気に食わない目。

「おいおいマジか!? ホントに居やがるぜ、篠座瞬吾がよぉ! ギャハハハ、バッカじゃねぇのかお前?」

 一際テンションの高い男が不良達を押しのけて前に出てくる。

 黒人のように黒い肌、金色に染められ、ライオンのように立てられた髪、そして、何よりもその人を馬鹿にしたような口調。

 いつも篠座を目の敵にし、そのくせ自分が直接手を下さず手下を使って喧嘩をしている卑怯者。――最上級生で、教員全員の頭を悩ます一番の不良生徒。

 そいつが視界に入った途端、緊張感も危機感も霧散してしまう。体全体を包むのは、途方もない脱力感だけ。

 相手をするのも馬鹿馬鹿しいと、篠座は囲む不良達を一瞥。十数人ならば、女の子一人を抱えて一点突破後逃走するのも容易いだろう。どうせこいつ等はニコチン依存症ばかり。人一人を抱えて走っても、体力面で劣る気はしない。

「そんな周りを見たって逃げられやしねぇよ! 今日のおめぇは俺たちのサンドバックだ。骨の二、三本で済みますようにって泣いてカミサマにお願いしておくんだな! そうすれば、俺達の気が変わるかもしれねぇぞ? ほら、膝付いて泣いて叫んでみろよぉ!」

 一人が吐き出す不快な罵声を浴びながら、篠座はそれとなく隣で黙り込む佐伯の様子を伺う。


 ――一瞬、自分の目を疑ってしまう。

 周りの全てを恐れるように両手で肩を抱き、小刻みに震える佐伯。小さな唇は生気が奪われたように血の気が引いて僅かに青く、顔色も見るからに悪い。

 丸まった小さな背は、不良達を昏倒させていった少女とは似ても似つかず、まるで別人。


「――まぁ、それもぜぇ〜〜〜んぶ、そこに居る佐伯みことちゃんのお陰なんだけどなぁ」

 突然佐伯に向けられた言葉の矛先。彼女は誰かに言い咎められているように、体を寄り一層震わせ瞳が虚ろになる。

 だがそんな彼女の異変よりも、俺の頭に引っかかる不良の言葉。

 ――佐伯みことちゃんのお陰――

 ズキリッと心が軋む。男の言葉を理解した瞬間、心がざわつき言いようの無い不安感が襲い掛かる。

 そして、頭をよぎる最悪の結末。

 それを否定したいが為に、自分を『信じる』と言った彼女に疑心を抱きたくないが為に、頭を振る。

「いいねぇその不安に駆られた表情。まぁ、真相を言っちまうとだな、お前が俺達に取り囲まれたこの状況、それは――」

 聞きたくないと叫びたい。答えを保留にしたままこの場から立ち去りたい――だが、容赦なく紡がれる真実は篠座の鼓膜を打ち、心を揺るがす。

「――そこに居るみことちゃんが協力してくれたからだよ。まぁ、要するにその子にハメられたってワケだ」

 不良の言葉が真実なのか問いかけようと、隣に立つ少女の方へ振り向く。

 だが彼女は両腕で自身の体を抱いたままピクリとも動かない。不良の言葉に反論しない。彼女の瞳は漆黒の髪に覆われたまま。

 ハメられた。乗せられた。騙された。あざむかれた。おとしめられた。

 ――結局、俺は佐伯みことに裏切られた。

 足元に力がこめられず、そのまま膝をついて視線を落とす。

 視線が虚ろになり、また人に裏切られたという事実に打ちのめされる。

 『――貴方なら絶対助けに来てくれると信じています』

 ――ハハハ、そんな口車に乗せられて、罠とは知らずに助けに来て。言葉なんて不確定なものを信じて、結局裏切られて。実の父親に裏切られているってのに、他人を信じて同じ結果。――俺って本当に、馬鹿だ。

 周りの奴等を蹴散らす元気も無い。体が重いし、力も入らない。だんだんと視界もぼやけて前が見えなくなっていく。

 そんな霞がかった視界の淵で、男が拳を振り上げて走ってくるのが映る。

 ――ぁ、きっとコイツに殴られる。今体を伏せれば避けられるけど……まぁ、良いか――

 これから起こる事、身に降りかかることにすら無頓着になってしまう篠座の思考。

 それを奮い起こすかのように、視界の中に青白く光る線が横一文字に軌跡を描く。それに伴って耳に叩き付けられる、連続して何かが弾けるような音――

「――がああああぁぁぁああぁぁぁ!!」

 直後連なる野太い絶叫。悲鳴を上げる男は手首を押さえて地を転げ、痛みにもがき呼吸を荒げる。

 周りを囲っていた不良達が一斉にどよめく。

 俺自身も今の瞬間に何が起こったのか理解できず、辺りを見回し――

「おい、佐伯ぃ! 俺たちの仲間になるって話はどうした。今更そいつを庇うたぁ一体どういうつもりだ!?」

 叫ぶ不良が見据える先――篠座の視線の先にはスタンガンを両手に携えた彼女の姿。

 先ほど見せていた怯えの入り混じった表情は消え失せ、堂々と飄々と声を荒げる不良と向かい合う佐伯。

「……私は、貴方達の仲間になるといった覚えはありません。協力をするとは言いましたが、それも彼をこの場へ連れて行くまでの話。もう、私と貴方達は仲間でも味方でもありません――」

 淡々と言い放つ佐伯。それに動じたのか、たじろぎ一歩退く不良達。

 そんな光景を呆然と眺める篠座の方へと振り返る佐伯。

 彼女は俺から一歩引いた所で膝をつき、目を伏せわずかに頭を下げる。

「――すみませんでした。私の願いに答えて下さった貴方を踏みにじってしまいました。私の勝手な思いで貴方を裏切り、苦しめてしまいました」

 顔を上げ、力なく揺れる瞳。嘆き、悲しみ、後悔に彩られた瞳。

 その姿は、いつも大人びて見える彼女が見せた、歳相応の表情。

「ですが、これだけは信じて欲しいのです――裏切った私が言うのも、むしの良い話ですけれど」

 彼女はほんの少し笑みを浮かべて立ち上がり、身を翻して背を見せる。

「私は、貴方を元気付けてあげたかっただけなのです。いつも暗い表情をしている貴方に笑顔を。何もかも無気力な貴方に活力をあげたかった。ですけど、私はあまり人と話した事がありません。何度も話す機会はありましたが、結局私は何もできないまま。ですから、私は思いきって今回の事を企てました――」

 顔だけを振り向かせ、彼女なりに真実を語り始める。自分がどんな事を思い、どんな事を考えていたのかを。

「貴方には『相手を思いやる心』と、『目標を持ったなら何でも出来る実力』があると言う事を知って貰うための企て。貴方はその企てに乗り、ほんのわずかな原動力、私なんかの『信じる』という言葉一つで私を『思いやって』助けに、この方達の仲間四人を『貴方の実力で』一蹴してくださいました――最終的に、肝心の私が貴方を騙す役になっているのですから、この企ては元から破綻していたようですけどね」

 自身の失敗を隠すように笑おうとする佐伯。だが、笑みは笑みとして成り立っておらず、今にも崩れて消え去りそう。瞳は潤み、目元にはすでに薄っすらと涙が溜まり始めていた。

「これは私からのお願いです。そうして一人縮こまらずに『貴方が一体何をしたいのか』と言う原動力を見つけて、蹲らず、立ち止まらず、自分の世界から飛び出して下さい」

 佐伯は上ずりかけた声を飲み込み、篠座との視線を切る。

 向けられた背中。その背は逞しくもあり、自身の持つ弱さを隠すために大きく見せているようでもあった。


 ――会う度に問われていた言葉の意味を彼女は語ってくれた。彼女がどれだけ俺の事を考え、悩み、思いやっていたのかを。

 わずかな関わりの中で俺が持つ長所を捕らえ、それを気付かせようとしてくれた。

 それを気付かせる過程は強引で、突拍子もなく、後先を考えていない、企てと言うには拙いものであった。だが、なんてことは無い。

 彼女は真剣に俺の事を考え、俺の為にと思って行動してくれたのだ。その根源は変わりない。

 もしも俺を本気でハメようとしての行動ならば、不良達を裏切って今更俺の味方になるはずが無いし、意味も無い。それに、不良達の反応を見てもこれが芝居だとは到底思えない。

 これが芝居では無いにしても、彼女はここまで悪役に徹する必要は無かった。

 不良達四人を追い払い、佐伯を助け出した時。そのまま俺と一緒に逃げていればこんな酷い状況にはならなかったはずだ。

 でも彼女は、『俺に嘘を付きたくない』と言うちっぽけな事にこだわって、完全な悪役を演じる事になってしまったのだ。

 彼女がもっと落ち着いて、時間をかけて考えていればもっと上手い過程を進む事が出来ただろう。だけど彼女は、早く俺を元気付けようと、その事で頭が一杯になって、焦って、先走って、結局こんな状況に陥ってしまった。

 こうやってでしか俺に伝えられないと信じ込んでいた。

 そう、なんてことは無い。佐伯みことは、相手に上手く思いを伝えられない、とてつもなく不器用な女の子だった。ただ、それだけの話――


「待っていて下さってありがとうございます。それでは、始めましょうか。私が犯した罪を償う為の、全てを清算する為の戦いを――」

 目の前で佐伯は軽く腰を落としてスタンガンを握り直す。ガラリと彼女を纏っていた空気が変わり、張り詰め息苦しい雰囲気が漂う。

 それに反応してか周りの不良達も身構え、リーダーが放つ開戦の合図を待ち、声を潜める。

 静まり返り、無音となる瞬間。嵐の前の静けさ。何かの切っ掛けで事が起る。そんな緊張の糸がこの場にいた全員を絡め取る。

 ――まだ誰も動かない。……なら、俺の用事を済ませてしまおうか――

「……佐伯みことおぉぉぉおおぉぉ!!」

 肺に溜められた空気を全て使い切るほどの雄叫び。俺の声はこの場にいた全員の視線を集め、戦闘態勢に入っていた佐伯をも振り向かせる。

 篠座はゆっくりと立ち上がり、呆然と振り返ったままの佐伯に人差し指を突きつける。

「――てめぇは魔女だ! 俺だけじゃねぇ、周りの不良ども全員を自分の魅力で手玉にとる。それを利用して自分の計画を実行しやがった、正真正銘の魔女だ! しかも最後には用済みとばかりに全員を敵に回す。敵になった相手が大勢の不良だとしても屈しねぇ、その憮然として飄々とした態度、魔女以外のなんでもねぇ!」

 常日頃、彼女を見ていて思っていた事。少なからず彼女は傷つくだろう――と思う。だからあえて言う。俺が受けたショックはこんなもんじゃない。

 言い放った言葉を受け、呆然とする佐伯。周りの不良達も目を丸くして呆然としている。そんな中、俺は胸を張って彼女に告げる。

「……俺はてめぇに暴言を吐いた。そんで、てめぇは俺を裏切った。――互いが互いを侮辱しあった。だから、てめぇが何を言おうがこれでチャラだ」

「――あ、貴方は何を言い出すのですか? その程度の罵倒では、私の気が――」

 篠座の言葉で我に返った佐伯は、驚きのあまり言葉を詰まらせる。

 この状況について行けず、焦っているのがありありと分かる彼女の不平不満に満ちた顔。

 少し突けばそんな表情を覗かせる佐伯。今まで見せる事は無かったが、本当は喜怒哀楽の情緒に富んでいるのかもしれない。

 このままでは、不良達を無視して二人の口論に発展しかねない。

 まぁ、それはそれで面白くなりそうだが、とりあえずは目先の事だ。

「わぁ〜かったから、文句、異義は後にしろ! 今はコイツ等蹴散らすのが先決だ。じゃねぇとロクに話もできやしねぇ」

 そんな言葉では納得行かないと、険しい表情のままの佐伯。だが、一応は篠座の意見に同意したのか、頬を膨らませて口を引き結んでくれる。

 篠座はそんな不満オーラを纏った彼女と肩を並べ、取り囲む不良達を見回す。

 一人で相手をするには多すぎる。せいぜい相手の半分も蹴散らせるかどうか。もしかするとそれすら危ういかもしれない、負け戦。


「だから、俺とお前の『二人で』蹴散らすぞ――」


 ――一人なら無理だろう。俺一人の力なんてちっぽけな物。守りたかった父との絆一つ守れないのだから、ちっぽけ以外の何者でもない。

 だが、今は一人では無い。肩を並べられる人が居る。背中を預けられる人が居る。後先考えない行動で、俺の信頼を掴み取った人がそばに居る。

 俺一人の力では役不足かもしれないが、彼女の持つ力と合わされば、きっと――

 膨れっ面だった佐伯。だが、篠座の言葉に目を丸くした後、視線を細めて薄く笑みが浮かぶ。

「……私と貴方で、ですか――それは構いませんが、足手まといにだけはならないで下さいね?」

 皮肉交じりのその言葉。相手を惑わすような口調は、正に魔女。

 だがそんな口調と態度とは裏腹に、彼女はなんの躊躇いも無く俺に背を預けてくれる。――口では言わないが、ちゃんと伝わってくる彼女の思い。

 ――貴方の背中は私に任せて。私の背中は貴方に任せる――

 そんな思いが胸に響き、腕に、足に、体全体に力がこもる。彼女の思いに答えようと、気持ちが先走って鼓動が高まる。

 血潮の脈動が鼓膜を打つ。押さえきれない激情は身を震わせ、声となる。

「――そういう訳だ、てめぇら全員掛かってきやがれ!」

 大勢の敵に向かって放たれた咆哮は、それを押し流すほどの怒号によって反される。

 だが、それに怯えることは無い。何故なら、背中には頼もしい相棒と呼ぶべき少女が居てくれるのだから。



「……貴方は、私以上の馬鹿なのかもしれませんね」

 日も落ち始めた夕暮れ時。元々日陰であったこの場所は適度に涼しい。

 寝そべった背や腕、足にヒンヤリと冷たく心地よいコンクリートの感触が伝わる。乱闘の末に火照った体には心地よく、高ぶっていた気持ちも落ち着きを取り戻す。

 ――十数人対二人。多勢に無勢の中、俺たちは見事に不良達を追い払った。ここまで派手に喧嘩をやらかしたのは初めてであったが、篠座には一片の後悔も無かった。

 見上げた先には、呆れた表情で俺の顔を覗きこむ佐伯の姿。少々の疲労が顔に滲んでは居たが、見える範囲では怪我は無く一安心。

「本当に貴方は馬鹿です――私に傷を負わせないように、体を張って庇うなんて……それでは、私はただの足手まといではありませんか」

 篠座の行動を責めるような口調。だが彼女の瞳に帯びて居たのは、自分の無力さに対する悔しさ。

「お前は無力なんかじゃねぇよ。ましてや、足手まといだなんて俺は絶対に言わねぇし、思わねぇ」

 彼女の代わりに受けた傷、自分に向かって振るわれた不良達の打撃がまだ効いているらしい。所々傷んだが、痣が残る程度で全て軽症だろう。

 痛みを堪えてそう口走ったのは、一緒になって戦ってくれた彼女の顔色をうかがっている訳では無い。

 素直な気持ちを、そのまま言葉にしているだけ。言うつもりも無かった言葉だが、疲れていた事もあってたまたま口を滑らせただけ。

「お前が俺の事を考えてくれたから、今の俺が在る。俺をここまで導いてくれたのは、全部お前だ。お前を庇ったのも、『傷つかせたくない、守りたい』って俺の独りよがりだ。気にするこたぁねぇよ」


 ――そう、俺は彼女の事を自分の力で守りたかった。

 父との絆は守れなかったが、生まれたばかりの彼女との絆だけは、俺の事を信じてくれる思いだけは守りたかった。その思いが彼女を庇うという行動に変わっただけ――


 彼女は寝転がる俺に手を差し伸べて体を起こさせてくれる。

 だが、体を動かした時に走る全身の痛み。思っていた以上に体は負傷しているようで、思わずその痛みに顔を歪めてしまう。

 そんな俺を気遣ってか、佐伯はゆっくり労わるように肩を貸して立ち上がらせてくれる。

 女の子の肩を借りて歩く俺。恥ずかしさ余って遠慮しようとするが、佐伯は頑なに首を振り、ゆっくりとした歩調を止めることは無い。

「私にはこうして貴方を保健室まで連れて行くことしか出来ません……ですから、これくらいの事はさせてください。お願いします」

 そんな彼女の優しさに甘えてしまう俺。そんな自分を情けないと思いつつも、肩を借りている女の子がとても頼もしく思えてしまう。

「――篠座さん、『今から何かをしろ』と言われたら貴方は一体何をしますか?」

 それは、彼女と出会ってから問われ続けてきた物。俺がいつも答えを先送りにして、引き伸ばし続けてきた問いかけ。

 だが、今の俺は焦る事無く悩む事も無い。心はいたって平静。いたって穏やか。

「そうだな――」

 影に覆われた世界から、オレンジ色の光に染められた世界に出る。

 影から光へ世界が変わったように、昨日と今日で自分の世界が変わっていた。

 俺の作り上げたモノクロの世界に土足で踏み込み、色鮮やかに塗り替えて行った佐伯。新しく守りたいと思える絆を作ってくれた女の子。俺の中の可能性を見出してくれた彼女。だから俺は誇らしげに彼女に告げる――

「お前と二人で、これから何をしたいのかを考えてぇ――」


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