〈第三章〉 砂とオアシスと盗賊と姫君の国と神
ここは何処だろう。
分かっている『砂の上』だ。
ここ一週間は、ずっと歩き続けで、もう五日前に水は無くなった。
おそらく、もう死ぬのだろう。
私の体力も、もう限界だ。
私が死ねば、誰か、私の亡骸を見つけてくれるだろうか。
そんな事を考えていると、体の力が抜けた。
体中の力を合わせても重力に勝てなくなり、体が倒れる。
でも、不思議に痛みは感じ無かった。
きっと砂に埋もれたのだろう。
このまま砂に埋もれていくのも良いかも知れない。
そう思い始めたその時、何処か遠くで音がした。
「・・けて・・目をあけて・・」
いや、私はもう眠りたい。
そう思っても、声は止まない。
「目を開けて・・・目を開けて」
うるさいなぁ、もう。開ければ良いんでしょ。
渋々目を開く。
私は、砂に埋もれてなど居なかった。
声は、遠くから聞こえて居た訳では無かった。
私を支えて居たのは、流れるような銀髪の少年。
目が覚めたのは、まだ太陽が遠く彼方に浮かんでいる時間。
どんなに太陽が大きな星でも、まだここまで陽光は及ばない。
その為、この小麦色をした、テントの中は、うっすらと明かりがあるくらいだった。
瞼を開こうが開くまいが、大して明るさは変わらない。
夜と朝、狭間の時間帯だった。
ちょっと早いかなぁ・・・・
でも、もう一度眠る程の時間も無い。
結局あたしは、布団代わりの、枯葉色をした厚いコートを押しやり、ギイギイと苦しげな音を立てるベッドを抜け出した。
その瞬間、外のあまりの寒さに、身震いする。
「っ寒」
息を吸い込むようにそう言って、先程のコートをすくい上げ、身に纏った。
この寒さのお陰か、眠気は吹き飛び、頭がすっきりする。
あたしは、枕元に置いてあった、細い黒縁のメガネをかけ、手近に置いてある水差しから、白色の液体をカップに注いだ。
何日も経っていて、お世辞にも美味しいとは言えないが、山羊のミルクは、大事な栄養源だ。
特に、この『砂漠』では。
ここで育つ家畜と言えば、山羊とラクダ、それとステルコットぐらいだ。
ステルコットとは、この国の全盛期に造られた、戦闘用の人造生物。
見た目は馬だが、その額からは大きな黒角が生え、乾燥に強く、尻尾が異常に長い。
そして、体全体が、土色の鱗に覆われている。
だが、その戦闘生物も、国が滅んだ今は、ぜいぜい人々の移動手段となっていた。
いや、その方が良いのかも知れない。
ミルクを早々と飲み干し、あたしは、重い垂れ布を持ち上げてテントの外に出た。
時刻で言うと、午前3時程度だろうか、日のない外は、テントの中同様、薄暗い。
だが、外にはいつも通り、村の人々がほとんどいて、朝食を取ったり、山羊のミルクを絞ったりしている。
ただ、みんなは、あたしと違って、肌の色が褐色だった。
あたしは、この村に幼い頃に拾われた。
その為、この村の中で、肌の色が日焼けした小麦色で、髪の色が澄んだエンジェルブルーと言う、異様な取り合わせの人間は、あたし以外に居なかった。
そのため、目立つあたしを見ると、みんなが通りすがりに挨拶をしていってくれる。
いつも通り、村のみんなはあたしよりも早起きだ。
「やあ、スティちゃん、おはよう。今日は随分と早いねぇ。」
あたしがテントから出てくるのを見て、近くで山羊の乳搾りをしている『おじさん』が声をかけてくれる。
いつも、山羊のミルクを分けてくれるおじさんだ。
村ではみんな、支え合いながら暮らしている。
あたしは、おじさんに会釈し、何も言わずに微笑み返して、足を止めずに目的の場所に向かった。
村の人と言っても、あたしを入れて合計30人足らずの小さな村だ。
しかも、その内あたし以外は、みんな、体が不自由か、お年寄りばかり。
そのため、あたしのこの村での仕事は、最も大切で、最も危険な仕事だった。
「モルニーおばさま。あたしの朝ご飯は出来てる?」
ちょうど七つのテントに囲まれた、小さな広場。
そこには、自分の3倍はある大きな鍋を、体全体でかき回している小さな老女の姿があった。
彼女は、この村の全員分の食料を管理する、村長的な人物で、みんなの母親の様な人。
もちろん、あたしにとっても、祖母の様な人だ。
あたしが声をかけると、顔も上げずに、鍋の中身をお皿に盛っていく。
「おお、スティ、今日はまた早いじゃないの、ねぇ?お前の分は、もちろん出来てるよ。全員分を
一緒に作るんだ。当たり前だろ」
口うるさくもそう言って、小さい身長を補う、木製の台からおり、あたしにお皿を手渡す。
この台が無ければ、鍋に高さが届かないのだ。
あたしは、そのお皿と、木製のスプーンを受け取り、スープを覗き込んだ。
白濁色をしたそれは、先程飲んだ、ミルクと同じ様な匂いがした。
「ありがとぉ。いただきまーす」
「それがあんたの最後の朝食にならない事を、あたしゃ、心から祈るよ。」
おばさんは、いつの間にか先程の鍋の前に戻り、鍋をかき回しながらそう言った。
珍しい事じゃない。いつも言っている事。
「大丈夫だって。それに、この仕事やんなきゃ、この村、終わりだよ」
「そうだけど、王族が滅んでからは、ここは国とも呼べない危険な場所なんだよ」
そう、彼女の言う通り、王族が滅びこの国が国と呼べなくなったのは、わずか15年前の事だった。
当時、この国には、一人の王と、その娘がいた。
その他に王族らしき王族はおらず、危険を指摘される事もあったが、特にそれが変わる事は無かった。
だが、ある日、大変な事が起こる。
王が、病で倒れたのだ。
医者からは、余命60日との宣告がなされ、それは全土に広がった。
もちろん、王室は大騒ぎになった。
王が死んでから、政治を行う者を決めなければならない。
なんと言っても、王の一人娘は、まだ3歳なのだから。
しかし、王は、次の政治を取り仕切る者を決めずに、亡くなった。
なので結局、女王補佐は、国民の投票で決めることになった。
だが、選挙の翌日、王の死以上に大変なことが起きた。
今度は肝心の女王が誘拐されたのだ。
このお陰で、いよいよ国は混乱に陥り、それに便乗するかの様に異国の盗賊が次々と入って来た。
それから15年。今では溢れんばかりだ。
そのお陰で、この村もオアシスの近くに無く、見つからないようにひっそりと移動しながら暮らしていた。
そして、あたしの仕事は『水くみ』
最も危険で、最も大事な仕事だ。
「大丈夫だっていつも言ってるでしょ。」
「ああ、そうだろうね。あんたがこの村に居てくれて、助かったよ。」
そう言いながらも、照れ隠しの様に、鍋をかき回している。
「お前さんがこの村に来て、もう十数年か・・・早いもんだねぇ」
あたしが見つけられたのは、小さなオアシスだった。
小さな箱に詰められた、小さなあたしを見つけてくれたのは、その頃の水くみ係。
当然、3歳程度たっだあたしに、記憶なんて無く、名前はその人が付けてくれた。
もう居ない、その人の娘さんの名前。
今となっては、その義父も亡き人になってしまった。
「そうだね、結構経ったかもね。」
そう言いながら、カラになったお皿を差し出す。
おばさまは、それを受け取り、わきの台に重ねた。
「ごちそうさま。じゃあ、行って来るね。」
「気を付けて行って来るんだよ」
「は〜い!」
あたしはいつも通りの、ドラム缶の様なバケツを両手にもって、村を出た。
今食べた朝食が、『この村での』最後の朝食だった。
どこに目をやっても、文明の欠片も見あたらない、広大な砂の大地。
あたしの目に映ってくるのは、砂と、それに造られてる、大きな砂の山くらい。
そんな、人が住めそうにも無い中、両手に大きなバケツを抱え、走るように歩いていた。
「ふぁ〜ぁ」
大きな欠伸も、何処か彼方に吸い込まれて行くかのよう。
眠いなあぁ〜。
明るいときは、きれいなブルーの空も、今は半分暗く、半分赤く広がっている。
そんな中、聞こえてくるのはこの、分厚い枯葉色のコートが擦れる音と、何もはいていない裸足が、砂にめり込んでいく音ぐらい。
その音が繰り返されるたびに、当然、あたしは、目的地に近付いていった。
今、あたしのしている仕事、水くみは、村の中での、あたしの役目。
あたしは、この早朝からの仕事が、何となく好きだった。
あたしがこの仕事をしなければ、みんなの命が危ない。
その事で、遙か後方の村に住む、大好きな人達を守っているという実感があった。
そんなことを考えていると、すぐに、最寄りのオアシスにたどり着く。
砂の地に、突如出現した泉は、ようやく昇ってきた日の光をうけ、眩しく、うろこ模様を浮かばせていた。
周囲では、鮮やかな緑色の木々が、流れる風をうけ、ゆっくりとした時間を過ごしている。
砂漠で唯一、空気の綺麗な場所。
「きれい・・・」
それは、毎日来ているあたしから見ても、そう感じてしまう。
無意識の内に、感想が口から零れる。
小さい声だったが、ここでは、大きく聞こえた。
最近では、この国の治安は悪くなる一方で、盗賊が、それこそ数え切れない程、徘徊している。
それが、この仕事の危険な理由。
あたしは、慌てて周りを見回したけど、物音一つしない。
よかった。早く終わらせよっと。
静かに泉にかがみ込んで、両手で握られた2つのバケツをつける。
透明度が高く、冷たい水が、バケツへ流れ込み、渦を巻く。
輝く水面が波立ったかと思ったら、すぐ2つのバケツはいっぱいになった。
それを、また両手に抱え、立ち上がり、泉に背を向ける。
はやく帰らないと。
でも、水の加わったバケツの重みは、先程と比べモノにならないほど、あたしの腕に負担をかける。
はやくしないと、ヤツらが・・・
どんなに焦燥を感じても、それで速くなるワケでは無みたいで、急ごうとしても、
足は砂に絡まれて、なかなか言うことを聞かず、村までは、まだまだ。
もう、なんでこんなにっ・・・・
そんな時、柔らかい何かが触れた。
あたしの肩に。
「!」
『何かが触れた』肩に目を向けると、そこには『手』が。
もちろん、その後ろには人影が見えた。
盗賊だろうか。
この後起こることは容易に想像出来る。
恐怖から、目をきつく閉じた。
同時に、力の抜けた指から、重たいバケツが滑り出してしまう。
鈍い音を立て、それは、砂にめり込む。
中の水は、あたしの服を濡らし、足を撫でた。
あたし・・・殺される・・・
そう実感すると、1秒が、とても長く感じられた。
ありきたりな表現だけど、そうとしか言いようが無い。
きっと死ぬ時なんて、こんなモノなんだろうな。
だけど・・・
あれっ?
いつまで経っても、あたしの体に触れる物は何もない。
なぜ何も起きないの?
もしかすると、あたしはもう死んでしまったのだろうか。
その時、予想してたより、遙かに幼い声が、あたしの鼓膜を叩く。
「あのぉ・・・お水、こぼれました・・・ょ・・」
「っえ?」
目を開くと、そこには、銀髪の男の子が、困惑した様子で立っていた。
「お水・・・こぼれましたよ」
あたしが、聞き返したかと思ったのだろうか、さっきより、はっきりした声で少年が言う。
誰だろうか・・・
一応、この年なのだ、盗賊などでは無いだろう。
助かった・・・まあ別に命の危機にさらされていた訳では無かったけど。
「どうしたんですか?」
その間も、少年は、心配そうにあたしの事を見上げている。
この子、何処から来たんだろう。
あらぬ方向へ跳ね回っている、綺麗な銀髪、白い肌、淡いグレーの瞳。
見たこと無い子だ。
しかも、周囲には、全く人気の無かったハズ。
少なくとも、あたしは何も感じなかった。
「よかった、地元の人に会えて。」
少年は、唐突にそう言って、胸をなで下ろし、すぐ側のオアシスを指さした。
何の事だろうか?
訳の分からないあたしを置いて、少年は後を続ける。
「ここの水って飲めるんですか?」
それは、あまりにも間抜けた質問だった。
この、透き通る様に透明で、陽光をいくつも乱反射させているこの、生命の水が飲めないのならば、あたし達はどうやって生きていけばいいのだろう。
これで少なくとも、この国の人間では無い事が明らかとなった。
「うん。もちろん飲めるよ。」
だが、少年は動かない。
もう飲んだあとだったのだろうか。
まあ、そんなことはどうだっていい。
「ねぇ、キミは、何でこんな所に居るの?お父さんかお母さんは?」
少年の目線にあうように、足を折り曲げ、しゃがみ込む。
「お父さん?・・・・」
少年は、困惑げにそう呟くだけ。
その後はあたしの目をじっと見つめてきた。
「お父さん居ないの?じゃあ、どうやってここに来たの?」
「すいません・・・・・・・・・ここは何処ですか?」
随分しっかりした口調だけど・・・・言ってることが・・・
「・・・・・・・・・・・分からないの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・ハイ」
「むっう゛ぐ・・・・重いです・・ね・・」
「だから、さっきから重いって言ってるでしょ。あたしが持つわ」
両手で、1つのバケツを抱える男の子に、手を差し出す。
毎日の鍛錬のお陰か、風呂の4分の1ほどが入る、特大のバケツは、あたしの片腕を患わせる程度。
でも、少年はわたそうとしない。
「だ、大丈夫です。スティさんは、女の人なんですから、ぼくが、頑張ら・ないと・」
「女の人って・・・・キミこそ、あたしより年下なんだから・・まあ良いわ。頑張って」
言い忘れたけど、あたしの名前は『スティ』
特に意味も無い名前だけど、捨てられたあたしを、拾って育ててくれた人が付けてくれた名だ。
今は居ないが・・・
そう言えば、まだこの子の名前、聞いてなかったな。
「大丈夫です!!それに、力が付いてきたのかな?だんだん軽く感じてきました。」
無垢な笑顔で嬉しそうに微笑んでいる少年には悪いが、別に力が付いた訳では無い。
男の子の通った道は、貴重な水でびしょびしょだ。
彼の腕にあるバケツの中は、ほとんど干上がってしまっていた。
「たいへんですね。砂漠。毎日なんでしょう?水くみ。」
少年は、相変わらず陽気な口調で語りかけてくる。
盗賊が居るかもしないので、あまり喋ったりはしたくないが、村の近くだし、良いだろう。
「ええ、まあ・・・・・・って、そんなことはいいの。キミ、本当に何も思い出せない?名前は?住所は?血液型は?」
「いえ、全く・・・・・」
そう言って、首を左右に振る。
『キオクソウシツ』か・・・・・・・
「実はね・・・・」
「ハイ?」
途中で途切れたあたしの言葉に、少年が顔を上げた。
どうしよう・・・話してしまおうか・・・・
一瞬、そう迷ったが、少年の姿を見ている内に、言わなければいけない、と言う気持ちになってきた。
「あたしも、お父さんの事や、お母さんの事は分からないんだ。小さい頃に捨てられて。だから、キミの気持ちもちょっと分かるよ」
さっき、会ったばかりなのに・・・・・
おそらく、自分の過去と、目の前の少年が重なって見えたのだろう。
会って、10分と経っていないのに、親身になって考えている。
なにも分からないあたしを、あの村の人達は救ってくれた。
そして、今はあたしも、あの村の村人だ。
みんなも、歓迎してくれるだろう。
「ねぇキミ、記憶が戻るまで、あたしの所に来る?」
どうせ、放って置くわけにも行かない。
「い、良いんですか?だってぼく、何処の国の人かも知れないのに・・・」
少年が、驚いた様に身を乗り出す。
その拍子に、バケツに残っていた、最後の水がこぼれ落ちるが、気付いていないよう。
「良いけど、条件。毎朝、あたしと一緒に水くみね。もちろん、こぼしたらやり直しよ。」
指を差しながらそう言うと、少年は、慌ててバケツの中をのぞき込む。
当然だが、水は滴る程しか無い。
バケツから上がった少年の顔には、苦笑いが浮かんでいた。
30分は歩いた。
村までは、もう少しだ。
「じゃあ、どうする?やっぱり村に行く?」
「ええ・・・・もし本当によろしければ」
少年は、相変わらず改まった口調で、申し訳無さそうに言った。
「そんなこと気にしなくて良いの。キミが来たければ・・・・・・何か、『キミ』って言ったらへんね・・・」
会ったときから、ずっとそう呼んできて、いつの間にか、それが名前の様な気がしてきてさえいる。
でも、このままでは、少々まずいだろう。
この際、あたしが名前決めちゃおうかな〜
そう思って、あたしは、名前を考え始めた。
男の子の名前は難しいな・・・・・・う゛〜ん・・・・
けど、意味は無かった。
「・・・実は、名前だけは今思い出せました」
別世界に居たあたしの脳に、その声が響き渡る。
まるで、あたしの考えを呼んだような台詞。
残念だけど、それなら仕方がない。
「良かったね。・・・で、名前はなんて言うの?」
本当に記憶喪失なのかなぁ、と思いながらも、少年に微笑みかけながら、そう言った。
すると少年は、不安げに言った。
「ぼくの名前は・・・・たぶん・・・『アルク』です」
聞き慣れ無い名前だ。
まあ、あたしもそんなにたくさんの名前を聞いたことがある訳じゃ無いけど・・・
「あるく?この国では無い名前ね・・・やっぱり外国の人か・・・じゃあ、アルク君の手がかりは、それだけか・・・・」
正直、それだけで何か分かるとは、到底思えない。
それでも、小さな男の子を不安がらせるのは、気が引けた。
「う〜ん、そうだなぁ・・・アルクって名前、珍しいし、何か意味があるかも知れないよ。・・分かる?」
「っえ、意味ですか?・・・すいません、全然見当もつきません」
当然と言えば当然だろう。
余計がっかりさせたかな・・・
まあ、今更そんなこと考えても意味は無い。
その時、うつむき歩きながら、考えるあたしに、アルクが声をかける。
「ところで、スティさんの名前には、何か意味があるんですか?」
「っへ?」
予期せぬ問いに、妙な声を上げてしまった。
「あ、あたしの名前?」
数歩後ろを歩んでいるアルクを振り返ると、アルクは何も言わずに頷いた。
「あたしの名前は・・・」
その時だった。
今まで、果てしなく静かだった砂漠に、巨大な炸裂音が轟く。
それに続くかのように、細かく、鈍い音が連続した。
「え、何?」
これは、何処かで聞いたことがある。
あれは確か・・・・・・・
「銃声だ!」
あたしが言ったのでは無い。
隣にいるアルクが、カラのバケツを放り投げ、音のする方向に走って行く。
銀の髪が流れるように進んでいく、あの方向は・・・・・
村があるハズ。
それに気が付いた瞬間、あたしのバケツも、盛大に水を散らしなが宙を舞っていた。
流石に、約1キロメートルの距離をいっきに走るのはきつかった。
だが、いつの間にか、あたしは、村に入っていた。
いや、かつて、そうだった場所に・・・。
「酷いですね」
あたしの隣には、アルクの姿があった。
口も利けないあたしよりも、ずっと落ち着いている。
この、悲鳴も尽きた死の風景を前にしても、なお。
今、ここは村と呼べる場所では無い。
朝にはあった、村人の姿どころか、山羊の姿の見あたらない。
しかも、それだけでは無い。
周囲にあるテントは、未だにオレンジ色の炎を上げていた。
あたしの周りに散乱しているのは、朱く濡れた肉片。
それの皮膚の部分は、どう見ても褐色だった。
間違い無く、今まで十数年間を一緒に過ごして来た、村の人々の無惨な姿。
おばさん達は、もう殺されていた。
あまりに唐突過ぎて、実感があまり湧かなかったが、それだけは理解できた。
(ど、どうして・・・・・・・・)
体中の力が抜ける。
今にも、倒れそうだ。
だが、倒れる訳にはいかなかった。
あたし達の目の前に居るのは、十数頭のステルコットと、それにまたがる、十数人の盗賊らしき男達の姿だった。
「や〜あ、お前達はここの村人か?いや、『元』村人かぁ。ぃや〜ついさっきの事なんだけど、最近物忘れが激しくてな〜」
盗賊の中の一人が、ステルコットにまたがったまま、こっちへ来る。
その手に握られた、かなり大きめの銃が、熱い太陽の光を受け、異様な程、黒光りしていた。
ただその銃は、あたしとアルクへ口を向け、今にも村人を死へ追いやった鉛塊を吐き出しそうだ。
あたしも、みんなの様に殺される。
だが、あのみんなの変わり果てた姿を見る限りでは、一瞬で済む程の破壊力がありそうだ。
そう思って、あたしは覚悟を決めた、が。
「やめろ、折角生きてるんだ。殺しては可哀想だろう。」
男の後方から、どうやらリーダー格の男が静かに言った。
「・・・・・・・・・っ分かりましたよ」
銃を構えた男は、リーダーの言葉に渋々頷いて、ゆっくり下がって行った。
それと入れ違いに、次はリーダーらしき男が、寄ってくる。
武器は持っていないが、何処か、人を何人も殺してきたようなオーラを漂わせる、そんな男だった。
「しかも、この女、かなりの上玉だ。」
男が、あたしを見ながら、顔をゆるませた。
だが、鋭い目だけは、あたしをずっと睨んだまま。
「結局それですかぁ〜!!」
「じゃあ、そのガキはいりませんよね!!じゃあ、俺が」
「は、オメェはさっき残りの水、全部飲んだろうが!」
たちまち、辺りが騒がしくなっていく。
だが、それも一瞬だった。
「黙れ」
そう大きな声では無いのに、すぐ男達は口を閉じる。
それを満足そうに見やって、リーダーの男が、今度はあたしの隣に居る、アルクの方へ向かって行く。
それでも、アルクは、顔色一つ変えずに、微動もしない。
ただ、目は、じっと男を見据えている。
その目は、たとえて言うならば、怒りに満ち覆われていた。
「やあ、坊や。俺は、ローデン・ハバード。殺されるのに、相手の名前の知らないのは、ちょっと可哀想だからな。」
そう言って、ベルトの間がら、小型の回転拳銃を取り出す。
銀色の輝きを放つ短い銃身は、皮肉にも、彼の髪と同調した色をしていた。
「坊や。坊やと、彼女を見ていて思ったんだが、肌の色がいやに白いな。もしかしてここの国の人間じゃ無いのか?」
出来る限りに親切そうにそう言ったが、相変わらず銃口は、アルクの額に当てられたまま。
それでも、アルクは、信じられないほど動じない。
まるで、像にでもなったようだった。
「もしそうだとしたら、どうするんですか?」
「ファオイの人間か?」
『ファオイ』とは、ここ、『サイル国』の隣国で、豊富な資源に、強大な軍事力を誇る大国だった。
でも、なぜそんな事を聞くのだろうか・・・
「いいえ。違いますよ」
アルクがその問いに即答する。
記憶は、無いのでは無かったのか。
だが、今はそんなことはどうでも良い。
あたしの知らぬ間に、話は進んでいた。
「そうか・・・・・・・・さあ、何か言い残すことは無いかい?」
そう言いながらも、アルクの額にある銃の撃鉄を起こす。
それでも、少年は動かない。何も言わない。
あたしに、助けを求めもしなかった。
助けようとしても、体が動かない。
あたしの体は、震えによって支配されていた。
数歩ほど先に居る少年は、あたしの事を恨んでいるだろうか・・・
あたしが連れて来なければ良かったのに・・・
「さあ、最後なんだから、何か言ってみてよ。死ぬ前の気持ちぐらい、教えよぉぜ」
(本当にごめんなさい。)
心の中で、都合良くそう謝った時、少年がとうとう口を開く。
ただ、その言葉は、その場に居合わせた誰もが予想しない言葉だった。
「スティさん・・・・下がってて下さい。」
刹那、銀色の銃口から発された、炸裂音が周囲に木霊した。
鉛の塊が、少年の銀の髪に吸い込まれ、消えていった。
そして、少年の頭蓋骨は砕かれ、脳は破壊されて、少年の体からは、頭部が消え去っている。
ハズだった。
だが、実際のところ、少年の額には傷一つ無く、先程と変わりない悲しい表情をしていた。
ただ、変化と言えば、一つだけあった。
「ッグァ、な、何だ?」
銃を構えていた男が、3メートル程、吹き飛び、腹部を押さえ込んでいる。
そこからは、両掌で押さえられなかった、朱い血が滴っていた。
一体、なにが起きたのだろうか。
「なんだ、何が起きた!?」
「あいつ、どうして・・」
周りの盗賊達が騒ぎ出す。
どうやら、みんなあたしと同じ事を思っているようだ。
「て、テメェ、何を使いやがった?俺の銃弾が俺の腹を突き抜けていきやがった・・」
腹部を押さえ、男が立ち上がる。
どうやら、今の言葉では、男は自らの銃弾に撃たれたらしい。
今や、その場の全員の視線は、アルクに注がれていた。
「お前、何だ!?」
男の質問に、アルクがは、丁寧に答えた。
「僕は、君たちの父だよ。きっと、一度は気になった事があるだろう?君たちには、お父さんが居る。そのお父さんにも、そのまたお父さんにも、同じように、ね。そうしていけば、何時かたどり着くだろう?全てを創りだした、全ての父なる存在に。それが、僕。僕の名は、『創世神・アルク』」
長い文章を、少年が、つらつらと、読み終わる。
何を言って居るのだろう?
全ての父、とはどういう事だ?
あたしには、訳も分からない。
それは、みな同じだった。
「何の話だ?」
「知るかよ」
「やべえんじゃないのか。殺したら?」
「いや、リーダーが・・・」
一瞬にして、男に視線が集まる。
それを鬱陶しげに手で払い、男は言った。
「殺・・せ」
指示が下ると、盗賊達は、一斉に銃器を構え、少年に向ける。
「やれやれ」
無数の銃は、少年めがけて、銃火を吐き出した。
いくつもの弾丸が地面に着弾し、金色の砂が舞い上がる。
そんな砂に包まれ、少年の姿は見えなくなったが、それでも止まることはない。
この砂煙の中で、少年はどうなってしまったのだろうか。
連続する銃声で、耳が痛くなる。
もう限界だ。
その時、ようやく銃声が、止んだ。
「ど、どうなってるんだ!?」
盗賊の一人が、声を上げた。
あたしは、恐る恐る、顔を上げて、目を開く。
そこに展開しているのは、信じられない光景。
「な、何・・・・?」
横、縦幅、約3メートル。
金色の太陽の光を、黒銀に反射する巨大な板には、先程の銃弾と思われる物が、いくつも埋まっていた。
もちろん、先程まで、こんな物がここにあったハズも無い。
この、巨大な鉄板の様な物は、何処から出現したのだろうか。
少年は、何処に行ったのだろうか。
下方の問いに関しては、すぐに答えが来た。
「やれやれ、そんな物では、ぼくは殺せませんよ。仮に当たったとしてもね。」
鉄板の後方から、声がして、少年が現れた。
その、白い端正な顔には、傷どころか、汚れもない。
そんなアルクを見た途端、盗賊達は一斉に、お遊びに全弾撃ち尽くしてしまった銃器の再装填に慌てて取りかかる。
その間にアルクは、一歩一歩、男達に近づいていた。
「あなた達は、殺しすぎだ。可哀想だけど、このままにも、してあげられない。君たちの事は、ちゃんと面倒見てくれるよ。」
そう言って、アルクは、飛び跳ねている銀髪を、手で軽く梳いた。
その手が銀の流れから抜けるまでの間に、少年は、ある一単語を口にした。
「・・・・・・・・・・『覚醒』・・・・・」
それと共に、辺りを、純白の輝きが覆う。
明るい。眩しい。何も見えない。
白。
どの位経っただろうか。
もう開けて良いだろうと、ゆっくり目を開く。
そこに、おそらく光源だった少年の姿は無かった。
『少年の姿』は・・・・・
「もう、これ以上、私に手間を掛けさせるな。10秒待ってやる。・・神に祈れ。・・・『1』。」
先程までアルクが立っていた、その場所に居たのは、20歳前ぐらいの青年。
身長は、190弱、かなり高い。
髪は銀色で、腰の辺りまで伸び、まるで紡いだばかりの絹の様に滑らかに垂れていた。
服装の方は、首まで詰まった黒服、と、先程のアルクと同じ物。
と言うことは・・・・
(まさか・・・)
本当に神なのだろうか。
さっきまで、バケツもろくに持てなかった少年が。
「・・・『9』・・・『10』・・・終わりだ。心の用意は」
「は、神だ?クソ野郎が、どんな技術使ったがは知らねぇが、脳天ぶち込まれて死なねぇわけねぇだろうが!!」
さっきから腹部を押さえ込んでいた、リーダーの男が、叫びながら、銀の回転拳銃の引き金を引く。
その言葉通り、完全に不意を付いたその攻撃は、『神』の頭部を捕らえて、貫通した。
したハズだ。
「悪いが、私は、もう説明を繰り返すつもりは無い。」
額に穴を開け、そこから紅い血を流しながらも、アルクだった人物は倒れる気配すらない。
それを見て、あたしだけで無く、盗賊達、そのリーダーさえ、金縛りにあったかのように動けなくなった。
「せめて、楽に逝け。・・・・・『神器・創造杖』」
先程の、『覚醒』と同じく、何処か力のこもった・・・・・神の声。
同時に現れた、黄金に輝く2メートル程の妙な形の杖は、彼の右手の中。
様々な形のリングが、様々な方向へ、金の光を反射している。
あたしは、今気付いたが、今の彼は、アルクの面影を全く残していない、違う点が一つだけあった。
アルクは、眼がグレーだったのに対して、今の彼の瞳は、何よりも深い、漆黒。
その瞳が、映し出すのは、男達の『死』
巨大な地響きに合わせ、黒い砂煙と、赤黒い血飛沫が、綺麗な蒼い空に舞う。
それは、まるで、砂の大地の怒りの様だった。