002_創作の迷路と鴎外の視線
2025年6月、私は小説を書き始めた。最初はただ書くことが楽しく、物語を生み出す行為そのものに胸を躍らせていた。文字を打ち込み、ページに物語を積み重ねていく時間は、私にとって世界から隔絶された静謐なひとときだった。しかし、書き進めるうちに、ふと疑問が頭をもたげた。私は何を描きたいのか。物語が伝えるべき「何か」は、私にとってどれほど重要なのか。テーマや社会性――これらを意識せずに書き進めることは、創作として軽薄ではないのか、と。
その問いは、日常の些細な時間にさえ私を捕らえた。カフェの窓越しに街を眺めながら、書きかけの文章を思い返す。そこには確かに登場人物がいて、物語が進行している。しかし、それらが社会や人間について何かを問いかけているだろうか。読み手の心に問いを投げかけ、時代や人々の営みを反映しているだろうか。自問自答の中で、私は創作の意義そのものを見つめ直すことになった。
私は思い出した。大学で受けた文学史の講義のことだ。教授は文豪たちの人生や思想を解説し、作品の背景と時代との関わりを丁寧に語った。森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介……彼らがどのように社会を、そして人間を見つめていたのかを、私は講義で学んだ。その時の感覚が、今の私の迷いを解く糸口になるかもしれないと感じた。
鴎外の本を手に取る。ページをめくると、プロットの指南や技巧の教えはほとんどなく、ただ文章の端々から思想がにじみ出ていた。彼にとって文学とは、人間の心理と社会の深層を洞察し、時代の鏡として物語を描く営みであった。個々の物語の楽しさだけではなく、作品を通して何を問いかけ、何を伝えるのか。そこに、文学の価値が宿ると鴎外は考えていた。
もし鴎外が現代の私の創作を見たら、何を思うだろう。即座に答えは浮かばない。しかし想像することで、私は自分自身の迷いに向き合った。彼ならきっと、物語が社会と人間に対してどのような問いを投げかけているのかをまず見定めるだろう。登場人物の行動や葛藤は、ただの物語の進行ではなく、現実の社会や人間心理を反映する鏡であるべきだと考えるはずだ。
私はページをめくるたびに、鴎外の思想を自分に重ねた。自分の小説は何を描こうとしているのか。社会の問題、人々の営み、価値観の衝突、あるいは普遍的な人間の心理――それらを物語の中で捉え、問いかけることはできているのか。答えはすぐには出ない。しかし、問い続けること自体が創作の意味を形作るのだと気づき始めた。
テーマや社会性への自覚は、創作を重くするどころか、物語に深みと強さを与える。登場人物の行動や物語の展開が、ただの表面的な娯楽で終わるのではなく、読者に思考の余地を残すようになる。鴎外の思想を借りて考えることで、私は自分の創作の方向性を少しずつ掴み始めた。数字や即時評価は存在しない世界で、物語そのものに問いを見出す感覚が、静かに心を満たす。
ある夜、机に向かい、ページに打ち込む手を止めて考えた。私は何のために書くのか。誰に向けて問いかけるのか。答えはまだ見えない。しかし、迷いの中で問い続けること、過去の文豪の思想を借りて現代の自分を省みること。それこそが、創作の本質に近づく道であることを、私は確かに感じた。
再びペンを取り、文字を紡ぎ始める。登場人物が動き、物語が進むたび、私はその背後にある問いを見つめる。テーマや社会性を意識しながら、物語の奥に潜む問いに向き合う。迷いながらも歩むこの創作の旅路は、鴎外の思想の残響とともに、私自身の物語へと続いていく。




