第3話 その生理現象、持ち主の責任で!
「……とりあえず、ここに居座るのはやめましょう」
「そうだな……。人通りも多いし、ずっといると余計に目立つしな」
「それに――」
レイナ(in俺)が自分の制服のスカートを、ひらっとつまむ。
「――ここ風通しが良すぎて寒いのよ」
「いやそれは俺の方のセリフな!? つーか俺の体で寒がるな!」
「あなたの身体の保温性の低さに文句を言ってるのよ」
「俺の体は冷蔵庫じゃねぇ!」
そんなくだらない言い合いをしつつ、俺たちは駅の外へ足を向けた。
外は初夏。朝の光が照りつけ、歩道には通勤・通学の人波が途切れなく続いている。
俺(inレイナ)は足元のローファーとスカートにまだ慣れない。歩くたびに布がふわっと揺れて、すねに風が当たる感覚が落ち着かない。
一方でレイナ(in俺)は……俺の体を使ってぎこちなく歩いているが、…なんつーか歩き方が変だ。どこぞのファッションショーでも歩いてるかのような足取り。どう見ても足を交差させる位置がおかしい。
「あのさ、もうちょい男らしくできねーの??そんなモデルみたいな歩き方すんな!」
「うるさい!私にとってはこれが普通なの!いちいち文句言わないで」
歩道を抜け、商店街の入口に差し掛かる。
「で、落ち着ける場所って……どこにすんだ?」
「あなたの家は?」
「いや……やめたほうがいい。うち、汚いし」
「掃除してないの?」
「してるけど狭いし汚いし」
「……何のために掃除してるのよ」
「じゃあお前んち行こうぜ。どうせ豪邸なんだろ?」
「無理。あそこは使用人だらけだから、この姿で行ったら即つまみ出されるわよ」
「…まあ、それもそうか」
互いの家が即却下され、俺たちは立ち止まった。
周囲にはカフェ、ファストフード、漫画喫茶、そしてパチンコ屋。
……うん、最後のは論外だな。
「カフェとかどうだ?」
「うーん……でも、ここで二人並んで座ってたらどう見てもデートじゃない?」
「デートって……中身は俺とお前だぞ?」
「だから余計に嫌なのよ!!」
「お前、俺とデートするのがそんなに嫌か……?」
「嫌に決まってるでしょ!!!」
「そこまで全力で言われるとちょっと傷つくわ!!」
そうやってまたも口論になりかけたところで、俺はふと思い出した。
「そうだ、公園にしよう。駅からちょっと歩いたとこにある、小さめのやつ」
「……ふーん。静かならいいけど」
その後も道中、俺の歩き方(女の子としては大股すぎるらしい)をレイナに何度も注意され、逆に俺はレイナの歩き方(男でも女でも関係なく存在感ありすぎ)が気になって注意し返すという、無限ループが発生した。
やがて公園に到着。
噴水の音と遠くで遊ぶ子供たちの声。平日の午前中だからか人はまばらで、確かに落ち着けそうだった。
ベンチに腰掛けると、レイナ(in俺)が小さく息をついた。
「……ふぅ。やっと静かになったわ」
「こっちもやっと座れた……スカートって、座るのも気ぃ使うな」
「それが女のたしなみよ」
「俺に女子力求めんな!」
少しの沈黙。心地よい風が頬をなでた。
「……なぁ、さっきから考えてたんだけどさ」
「何?」
「もしかして、このまま戻れなかったらどうする?」
「……そんなこと考えないでくれる?」
レイナの声が、ほんの少しだけ小さくなった。
やっぱり俺と同じで、不安はあるらしい。
「でも、もしそうなったら……お前、俺の家で暮らすことになるんだぞ?」
「……汚部屋で?」
「汚部屋言うな! 掃除すりゃ綺麗になるし!」
「無理よ。私は最低でもウォークインクローゼット二つないと暮らせないわ」
「そんな豪邸一般家庭には存在しません。つーか俺がレイナの生活する方が地獄じゃん!これからまじでどうすんだよ。これじゃ学校にも行けねーしさぁ…」
「それは私だって同じよ」
「やっぱり入れ替わり解除が最優先だな……」
噴水の水音が響く中、俺たちは小さくうなずき合った。
「解除方法を探すのが第一。だけど、今すぐわかるわけじゃないし……」
「まぁな。ぶつかれば治る説もあるけど、さっき試して何も起きなかったしな…」
「二回目の激突はただの不審者ムーブだったわね……」
「俺は君の額の固さで脳震盪しかけたけどな」
「うるさいわね。で、他に――」
そこまで言いかけたところで、レイナが小さく眉をひそめた。
「……っ」
「ん? どうした?」
「……なんでもないわ」
言葉とは裏腹に、レイナの様子が妙だ。
足を組み替えたり、膝を揺らしたり、やたらと落ち着きがない。
「おい、落ち着きゼロか。虫でも這ってんのか?」
「ち、違うってば……!」
「違うって言いながら貧乏ゆすり全開だぞ」
「だーかーらっ! 違うの!!」
声が半オクターブ上がった瞬間、俺は気付いた。
「……あっ。お前、もしかして――」
「言うな!!!」
鬼の形相で俺を睨みつけるレイナ。
しかし、その頬はほんのり赤い。図星確定である。
「いや、でも生理現象はどうしようも――」
「だから言うなって言ってるでしょ! この話題は完全封鎖!!」
「おいおい、今のお前は“俺の体”なんだぞ? そっちの事情はそっちで――」
「だから嫌なのよ!! なんで私が! なんで私があなたの身体でそんなことしなきゃならないのよ!!」
両手を広げて全力拒否ポーズ。
その動きで俺のジャージ(正確には俺の制服のズボン)がパタパタ揺れる。
「でも限界来たらどうすんだよ。物理的に我慢できなくなったら――」
「限界なんて来ない! 意志の力で封印するわ!」
「いやいやいや、意志の力で膀胱コントロールできるやつ、地球上に存在しねぇから」
「じゃあ今すぐ戻す! 頭突きで強制的に!!」
レイナはそう叫ぶと、ガバッと身を乗り出し、俺の両肩をがっしり掴んだ。
「ちょ、おま――」
「逃げるな! 今ここで終わらせるのよ!!」
瞳が本気だ。
いや、本気っていうか、切羽詰まった人間特有の追い詰められ感がすごい。
「ちょちょちょ、やめろ! 人前だぞ!? あの親子めっちゃこっち見てるぞ!?」
「関係ない!! 頭をぶつければ元に戻るのよ!!」
「そんな漫画みたいな回復方法があるか!」
「あるかもしれないでしょ!! もう他に選択肢がないのよ!!」
「選択肢はある! 普通にトイレ行けばいい!」
「絶対イヤ!!」
即答。即拒否。
この人のプライドは、地球のマントルよりも硬いらしい。
とはいえ、俺の体にそんな無茶な我慢をさせられるのも、正直たまったもんじゃない。
このままじゃ“俺の肉体”が被害を受ける。肉体の所有者としては、なんとしても阻止したい。
「……いいか、これはな。俺の体の尊厳のためでもあるんだ」
「知ったことじゃない!」
「いや、知れよ!? マジで後でツケはそっちに回るぞ!?」
「そんなツケいらない! 私、絶対に男子トイレなんか入らないから!!」
「じゃあ女子トイレ行けばいいだろ、見た目は女子なんだから!」
「見た目がどうでも、中身はあなたでしょ!? 私の精神が死ぬ!!」
……ああもう、ややこしい。
見た目基準か中身基準かで揉めるこの感じ、国際会議みたいだな。
「よし、わかった。じゃああれだ、公園の奥の多目的トイレ行け。性別関係ないやつ」
「……多目的……?」
「そう。誰でもOKなやつ。バリアフリーだし、中で一人になれる。精神的ダメージも少ない」
「……いや、そういう問題じゃないのよ」
「ん?」
「だって……その……今の私はあなたの身体なわけでしょ?」
「まあ、そうだな」
「ってことは、トイレ行くってことは……その……」
レイナが目を逸らす。
普段は強気なくせに、急に言葉を濁すあたりが妙にリアルだ。
「……アレを見ることになるじゃない」
「ああ……」
「私、生まれてこのかた男のアレなんて見たことないのよ! だいたいどうやって扱うのかもわからないし!!」
その言葉に、俺は一瞬返事を失った。
たしかに、女子からしたら未知の領域だ。
しかも自分の意思とは関係なく、いきなり実物が自分の体についてくるわけだし。
「……まぁ、その……うん、扱いって言っても……だな……」
「なによ」
「いや、その……説明しようにも……言葉選びが……難しい……」
俺は頭を抱える。
正直に説明しようとすればするほど、セクハラ感が跳ね上がる地雷原。
しかも相手は中身が令嬢という、絶対に爆発させてはいけない高圧タンク。
「だ、だいたい、普通に用を足すだけならそんなにテクニックとかいらねぇから……!」
「テクニックって言った時点でなんかいやらしいじゃない!!」
「いや、いやらしくないって! 物理的な意味のテクニックだから!」
「余計に怪しいのよ!」
レイナは俺を睨むが、その足はさらにモゾモゾと落ち着きがない。
時間の猶予が減っていくのを、俺は肌で感じた。
「……ほら、だんだん限界近づいてるだろ。やるしかないって」
「……っ……でも……!」
「いいか、コツは……えーっと……あー……」
「なによ」
「……“とにかく距離感と角度を意識しろ”」
「意味がわからないわ!!」
「俺もこれ以上説明できねぇよ!!」
頭の中では「ホースの取り扱い説明書」的な比喩が浮かんだが、言った瞬間ぶん殴られる未来しか見えなかったので、必死に飲み込む。
「だ、大丈夫だ。最悪、閉め切って誰も見てないし……こう……自分の体なんだから……」
「だからそれが嫌だって言ってるのよ!!!」
レイナの声が公園に響く。
遠くで遊んでいた子供が、こっちをじっと見て首をかしげている。
「……じゃあどうすんだよ。現実的に考えて、避けて通れないんだぞ」
「…………」
レイナは、ぐっと唇を噛み、視線を落とした。
そして――小さく呟いた。
「……少しだけ、勇気を出すわ」
「お、おう……」
「でも! あなたは外で待ってなさい! アドバイスも禁止! 何も聞かない! 絶対!!」
「はいはい……」
こうして俺は、多目的トイレの前までレイナを案内する羽目になった。
背中に漂う「未知への恐怖」と「決死の覚悟」が、妙に笑いをこらえさせるのだった。




