第2話 落ち着こう、いや無理だ
◇
ベンチに座ったのは、駅構内の片隅。
朝のラッシュを終えた人々が忙しなく行き交う中、場違いなほどピタリと動かない二人がそこにいた。
片方は学園一の美少女・天城レイナの見た目をした平凡男子。
もう片方は貧乏男子高校生・佐藤蓮の見た目をした財閥令嬢。
そしてその両者が、今現在……中身を交換していた。
「……ああ、ヤバい。これは夢じゃない。夢だったらもっとこう…ほっぺたとかも痛くないよな…?」
「ちょっと!私の顔を汚さないでよ!!」
「いちいちうるさいなあんた!もうちょっと静かにできないのか?!」
「こんな状況で静かにしてられるわけないでしょ!」
「…いや、それはそうなんだけれども」
ベンチに並んで座る“俺たち”は、それぞれの手でそれぞれの頭を抱えていた。
冷静になろうとするたびに、思考はジェットコースターのようにループし、余計に混乱する。
だって無理がある。
目の前にいるのは俺だ。正確には俺の身体だ。
でも中身は得体の知れない女子高生(?)で、喋り方がいちいち高飛車で、しかも自分の顔をガラス越しに眺めるたびに「ああもう、なんでこんな貧乏臭い顔面なのよ」とか言ってくる。
「顔面は俺のせいじゃねぇよ! 遺伝子の運営に言え!」
「あなたさっきから全部人のせいにしてるわよね?」
「してねーよ!っつーか、あんたはあんたで俺の顔バカにしすぎな!?」
「…だってどう考えてもこの顔、“底辺中の底辺レベル”じゃない…。こんなので人前を歩かなきゃいけないなんて…」
「おいおいおいおい、いくらなんでも失礼すぎじゃね!?」
「だいたい何このボサボサの頭は。身だしなみがなってなさすぎなのよ」
「うるせーな!急いでたんだよ」
「ちょっと!私の美しい顔でそんな汚い言葉を吐かないで!!」
レイナ(in俺)がバシッと俺(inレイナ)の膝を叩く。いや痛い、なんでそんなに力あるんだよ俺の体。
「……とにかく、整理しましょう。私たちは今「身体」が入れ替わっている。ぶつかった拍子に、“何かが”起きた」
「うん、そこまではわかる。完璧にわかる」
「そして問題は、どうやって戻るか」
「うん……。で、どうする?」
「それを考えるために、まずは落ち着いて情報をまとめる必要があるのよ」
「なるほど。OK、まとめよう。状況はこうだ」
佐藤蓮、朝寝坊→駅で全力ダッシュ→階段で金髪女子高生ギャルと激突→
\ドン!/
→\スカートの中から見える白い世界!!/
→\胸元に未知の感触!!/
→\俺じゃない俺が俺に怒鳴ってくる!!/
「まとめてないじゃない!」
「無理なんだって! こっちは今、自分の胸が物理的に存在してることに衝撃受けてんの!」
「そっちの感想は後にして! もっと頭を使いなさい!」
「いや、頭もパニックなんだけど!? ていうか、なんか寒い! スカートってこんなに通気性良いの!? 下が風の通り道なんだけど!!」
「それ、毎日こっちは我慢してんのよ!」
「えっ……マジで!? 毎日これで学校行ってんの!? 女子すごくない!? 修行僧!?」
「うるさい! そんなことは今どうでもいいから!」
「冷静だなおい!!!」
そうやって口論しながらも、俺たちはしばらくベンチに沈黙した。
……というか、なにもわからないのだ。
戻れる保証もなければ、病院に行っても「ストレス性幻覚ですね」とか言われて終わりそうだし、そもそも事情を説明できない。
「じゃあ、どうすんだ……?」
両者は頭を抱えつつ、やむなく「情報整理タイム」に入った。
沈黙はむしろ不安を増幅させる。だったらしゃべってしまったほうがいい。
そんな空気の中、先に口を開いたのは――俺だった。
「じゃあ……まあ、ひとまず自己紹介でもするか…?」
「…自己紹介ってなによ」
「だってお互いのことまだ何もわからないだろ??…その、もっと状況を整理するっていうかさ?」
そもそも今の状況がなんなのかもよくわかっていないのだが、互いに体が入れ替わっていることは事実。
この胸。この制服。
何度もあり得ないとは思ったが、見れば見るほど現実感が薄れていく。
顔面は顔面で超絶美少女だし、“俺”は“俺”ですげー眉間に皺寄せてるし…
「…じゃあ、まずは俺の自己紹介からな。えっと、俺の名前は佐藤蓮。17歳、高校2年。陽ノ坂高校ってとこに通ってる。男子校だ」
「……男子校」
「おう。で、家は母ちゃんと二人暮らし。父親は……まあ、いない」
「離婚でもしたの?」
「……まあ、そういう感じだな」
レイナ(中身)は俺の身体で腕を組み、やけに上から目線で相槌を打つ。こっちはただのプロフィール説明なんだが、その表情がやけに“面接官”感を出してきてムカつく。
「趣味は……安売りスーパーの閉店間際巡りと、100均DIY。それと節約術の研究」
「なんかこう……一気に生活感が安っぽくなったわね」
「安っぽいとか言うな! 生活の知恵だぞ!」
「特技は?」
「カップ麺を“店の味”っぽくリメイクするやつと……あと、炊飯器で一発おかず作り」
「……あら、それはちょっと興味あるわね」
「あ、食いついたな」
「だって、庶民の料理ってテレビでは見かけても実際に食べることはなかったもの」
……なんだこいつ。言葉の端々から漂うお嬢様フィルターがすげえ。
「じゃあ次はお前の番だな」
レイナ(中身)がゆっくりと足を組み替え、顎を少し上げる。もうその仕草からして“こちらがメインイベント”という雰囲気が漂っていた。
「天城レイナ。17歳、白百合女学院主席特待生」
「……主席? お前が?」
「何よその反応」
「いや、だって……あ、いや別に」
「言いたいことがあるなら言いなさい」
「……なんか、あんまり勉強してるイメージなかった」
「勉強なんて、一度で覚えればいいのよ。努力は効率よ」
……この自信、根拠どこから湧いてんだ。
「家は、天城グループの会長家。いわゆる財閥令嬢ってやつね」
「ざ、財閥……。っつーか、“天城グループ”ってあの!?
天城グループ――その名前は、庶民の俺でも耳にタコができるほど聞いたことがある。
国内の不動産、エネルギー、商社、ホテル、航空、金融……下手すりゃ俺の住んでるボロアパートの地面まで天城の持ち物かもしれないってレベルの巨大企業体。
テレビでは“日本経済の心臓”なんて呼ばれてて、ニュースの経済欄じゃ毎週のように役員会や海外進出の話題が出る。
街を歩けばデパートの屋上に「AMAGI」のロゴ、駅前のビルにも「AMAGI」、スーパーのレジ袋にまで小さく「Produced by AMAGI」って入ってたりする。
つまり、俺の日常生活のどこを切っても、血管みたいに天城の影が流れ込んでるってことだ。
そんなグループの会長令嬢……?
そりゃ態度もデカくなるわけだ。
「趣味はクラシックバレエと茶道、それから“人間観察日記”」
「最後のだけ趣味の方向性おかしくないか」
「観察記録よ」
「いや、どういう趣向だよそれ」
「特技は交渉、牽制、牽引、人格圧殺」
「最後だけ物騒すぎる!」
「事実よ」
マジで笑えない感じの自信だ。しかも俺の顔でそれ言うから、なんか余計に腹立つ。
「で……お前、学校じゃどんな感じなんだ?」
「どんな感じって?」
「周りの印象とか、そういうのだよ」
「そう、ね。あまり考えたことはないけれど、周りからは“氷の女王”って呼ばれてるわ」
「氷の女王!!?なんでそんなのがあだ名に……」
「生徒の大半が私の前では余計な口をきかないの。望む望まないに関わらず、そうなるもの」
「威圧感ハンパねえな」
「それに、パーティーや社交界にもよく顔を出すわ。外交官や大使館関係者、企業のCEOとも話すことがあるの」
「高校生の生活じゃねえ……」
俺は正直、ちょっと引いた。いや、すげえとは思うけど、生活レベルの差がここまで露骨だと笑えてきた。
「まあ……そういうわけで、私とあなたでは住む世界が違うのよ」
「いや、それはもう十分わかってる。俺は庶民界隈の最下層でひっそり生きてきたし」
「“最下層”って自分で言う?」
「事実だから」
ふーんと見下ろすように視線を落とした後、レイナが俺の顔――正確には“俺の体”で俺の顔――をじっと見つめた。
何かを言いたげだが、結局口を開かず軽くため息をつく。




