第7話 オーバースペックすぎません?
瑞希の膝が芝生を押す音だけがやけに耳に残っていた。
レイナ(蓮)は、口を半開きにしたまま完全にフリーズしている。
(……なにこれ。なに、この殺意MAXの使用人。いや、護衛? いやいや、護衛ってレベルじゃないでしょこれ。
むしろ敵の方が被害届出すやつじゃん……!)
脳内で、さっきの光景をスロー再生する。
木刀を構える→踏み込み→視界から消える→ドゴォッ→蓮が地面に転がる――このわずか数秒。
護衛って、もっとこう…盾になるとか、身を挺して守るとか、そういう方向性じゃないの?
なんで「まず殴る」なんだよ。
(……いや待て、今はツッコミしてる場合じゃない。“俺”の身体が……!)
視線を芝生に移すと、そこには口を半開きにして星でも見てるかのような蓮の姿。
両手はだらんと広げ、片足は妙な角度で曲がっている。
遠くでセミが「ミィィィィィ……」と鳴いているのが妙に不吉に感じられた。
「お、お嬢様……?」
瑞希の声に、レイナ(蓮)はビクッと肩を跳ねさせた。
慌ててお嬢様っぽく背筋を伸ばす。
「あ、ああ……ええと……ご苦労様、瑞希」
「脅威は完全に排除いたしました」
そう言って胸を張る瑞希。
その目は、さっきまで木刀を振り下ろしていた人間とは思えないほど澄んでいた。
(いや“排除”って……! どう考えても排除する必要性なんてなかっただろ…!)
レイナ(蓮)は頭を抱えたくなる衝動を抑えつつ、口角を必死に上げる。
今ここでちゃんと説明しないと俺の体が完全にあの世行きになってしまう可能性がある。
…でも、それはそれでタイミング的に最悪な気がする…
コイツは今自らの手で“ご主人様”を華麗にノックアウトしてしまったわけだ。
その事実を知ってしまったら、コイツはショックのあまり気が狂ってしまうんじゃないか…?
まともに会話ができるような感じじゃなさそうだし、下手な説明は周りへの被害を増大させかねない。
(くっ……なんとかして演じるしかない……!)
「そ、その……瑞希。彼は、その……」
「お嬢様。どうか動揺なされないよう。私が到着した以上はどんな脅威もこの手で排除してみせますので」
(ダメだコイツ。目的が“排除するかしないか”の二択しかない)
「は、排除するとか、そういう問題じゃなくてだな……」
「それに、この者が目を覚ませば、またお嬢様に危害を加える可能性が――」
「いやいやいや! 加えないから!! むしろ、私に危害を加えるのはあんたの方だから!!」
思わず素が出た。
慌てて咳払いし、「おほほ」とそれっぽく笑う。
「……お嬢様?」
「な、なんでもないわ。とにかく、彼に危害を加えるのはこれ以上やめてちょうだい。
ほら……えっと、彼は……その……私の……知人? 的な?」
自分でも語尾が疑問形になっているのがわかる。
しかし瑞希はジト目で倒れている蓮を見下ろし、木刀の柄を軽く叩いた。
そして――信じられないものを見るような顔で口を開く。
「……知人、ですか?」
その声色は、まるで「冷蔵庫を開けたら中にサボテンが入ってた」ぐらいの意外さを含んでいた。
だがその次の一言が、俺――いや、レイナ(蓮)の心に致命傷を与える。
「……あんな取り柄もなさそうな男が、ですか?」
(うっわああああああああああああッ!!)
心の中で、俺は全力でちゃぶ台をひっくり返した。
何だその言い草!? “あんな”ってなんだ、“取り柄もなさそう”ってなんだ!?
お前、今しがた俺の身体を全力でノックアウトしといて、その言葉の木刀まで振り下ろす気か!?
もう一撃で成仏するぞ俺!!
しかし、ここで本気でキレたら即刻“脅威”認定再び→二度目の地面ダイブ→芝生とキス、という最悪のルートが待っている。
俺はお嬢様スマイルをこれでもかと引きつらせ、声もワントーン高くする。
「……ええ、そうよ。彼は――その……物静かで、ちょっと不器用だけれど、悪い人ではないの」
「……そうは見えません」
「見た目で判断しないの!」
瑞希は木刀の柄を、コツン……コツン……と指先で叩きながら、転がる“俺”を見下ろす。
その目は完全に「この粗大ゴミ、本当に処分しなくていいんですか?」と言っていた。
(頼むからやめろその目ぇ! もうHP残り3なんだ俺は!)
俺はさらに畳みかける。
「ほら、危害を加えるようなタイプじゃないの。むしろ――」
「むしろ?」
「……むしろ、あなたの方が危害を加えてるわ」
言った瞬間、瑞希の眉がぴくりと動いた。やべ、言いすぎたか?
だが彼女は何も言わず、ただ小さく息を吐くと、再び“俺”と“お嬢様”を交互に見比べる。
その間、俺は心の中で必死に呪文を唱えていた。
(脅威じゃない……ただの人畜無害な庶民……筋肉で殴る価値ゼロの一般人……)
数秒後、瑞希はようやく木刀を下ろし、わずかに間合いを取った。
俺は小さく安堵の息を吐く。
(ふぅ……とりあえず、今はこれで乗り切った……か?)
だが次の瞬間、瑞希はさらっと爆弾を投下した。
「ですがお嬢様、念のため、この者は私の監視下に置かせていただきます」
「ええぇぇぇぇ!?!?」
あまりの提案に、思わず素の悲鳴が飛び出す。
監視って、それもう完全に二十四時間“護衛”じゃなく“見張り”じゃないか。
そんなことをされたら、入れ替わってることがバレるのは時間の問題だ。
「だ、だめよ瑞希! 監視なんて必要ないわ! それよりも――あの、その……とにかく彼は私の大切な……えっと……」
「……大切な?」
「……か、家庭教師よ!!」
瞬間的にひねり出した苦し紛れの設定。
蓮が倒れている姿からは到底想像できないが、とにかく押し通すしかない。
瑞希は再びジト目を向けたが、しばし沈黙した後、小さく頷いた。
「……承知しました。ですが、何かあれば即座に制圧いたします」
(……あぁ、これ絶対またやられるやつだ)
レイナ(蓮)は内心で頭を抱えながら、倒れている蓮を見やった。
その顔は、まだ夢の中を漂っているように無防備だ。
(とりあえず……生きててよかった……いや、よかったのかこれ?)
胸の奥で複雑な感情がぐるぐると渦を巻いていた。




