5話 信用と信頼は名前よりも実を取る
香美屋での面接に受かった翌日。
「いやー、入ってくれてありがとな誠。叔父さん、喜んでたぞ」
教室に入って、誠、渉、早苗の三人で集まって開口一番に、渉がそう言った。
「って言っても、まだ今日から入るところだから、喜んでくれたことと釣り合った仕事が出来るかはまだ分からないけどな」
期待されているのは分かるけど、と誠は苦笑する。
「そう?椥辻くんって、割りとバランスタイプって言うかオールラウンダーだし、何でも出来るって感じだし」
横合いから早苗も誠について口を挟んでくる。
「何でも出来るわけじゃないって。仕事の覚えは早い方だとは言われるけど」
それは、誠自身がこれまでに幾度かの短期バイトの経験に基づいた、自己分析だった。
特段手先が器用と言うわけでもなし、記憶力や社交性もせいぜい人並みよりほんの少し優れているかどうかのレベル、誤差の範疇だろう、と誠は思っている。
けれど反面、苦手意識のある事がほとんど無く、「これが苦手で上手く出来ない」と言うこともあまり無い。
器用貧乏、と言ってしまえばそれまでだが、粗雑・劣悪が目立たないと言うのは、存外稀有な存在だったりする。
――誠本人にその自覚が無いことを除けば、だが。
「誠なら大丈夫だろ、仕事もすぐに任せてもらえるようになるって」
「あんまり期待されても困るんだけど……まぁ、出来る限りのことはやるつもりだ」
気負わない程度に意志を示し、それと同時に、
「(速水先輩があの店によく通ってるってことは、黙っておかなきゃな)」
せっかくの彼女の憩いの場だ、邪魔してはならないだろう、と誠は口を固くすると決意する。
放課後、誠は早速香美屋に向かい、ドアベルを開け鳴らす。
「おはようございます」
「はいいらっしゃ……っと、椥辻君だね」
調理片手に、マスターも挨拶を返す。
「今日からよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。それじゃぁ、こっちに回ってきて、奥の部屋にエプロンがあるから、それを着けてから入って来てね」
「あ、自分のエプロン、持ってきてます」
「おっ、意識高いな?やる気満々なのはいいことだ」
マスターに促されて、誠はカウンターの中に回り込み、奥の部屋に入る。
制服の上着を脱ぎ、代わりに昨夜に用意していたエプロンを着けてからカウンター中に戻る。
戻ってくると同時に店内の様子を一瞥して、
「(今日は速水先輩、来てないか……まぁ、さすがに毎日は来れないよな)」
コーヒー一杯も決して安いものではない、むしろ学生の財布事情も考慮すれば、自前の収入がある者でも高いと感じるだろう。
それを毎日ともなれば、けっこうな金額になるのだから、やはり頻度は一週間に一度くらいだろうか。
それはそれとして意識を切り替えて、マスターからの話をよく聞き、備品や食材の保管場所を覚え、注文を受けた場合は、今日のところはマスターの焙煎や調理を見学しつつ、お客に声をかけられたら挨拶をして。
ラストオーダーを終え、最後のお客が退店するのを見送ると、店の札を『CLOSED』に引っくり返して、それから店内の清掃や洗い物だ。
マスターの指示をよく聞き、的確にテキパキと動けば、時刻は二十時前。
「床の掃除、終わりました」
モップを清掃用具の置き場所に戻して、誠はキッチン周りを掃除していたマスターに、床掃除終了を報告する。
「おぉー、ありがとう。さすが、色んなバイトをしてきたからか、素早いし、丁寧にやってくれたね」
うむうむ、とマスターは誠がモップ掛けした床を見通す。
「まぁ、どこのバイトでも掃除は基本ですし」
接客でも作業でも、人のいる場所は必ず掃除が必要ですから、と誠は頷く。
「ははぁ、今時珍しいくらいしっかりしてるねぇ。前のバイト君にも見習わせたいくらいだ」
「前のバイトさんって、確か急に辞めてしまったんですよね?」
前任者がどのような人物だったかを訊ねつつ、マスターのキッチン周りの後片付けを手伝おうとする誠。
言われずとも自ら何か手伝おうとするその姿勢に、マスターは誠への評価を上方修正しつつ。
「愚痴を言うようで悪いんだけどねぇ……面接を受けた時は、ちょっとガラは悪いけどやる気があると思って採用したんだよ」
個人名は伏せつつ、その日に何が起きて、その後どうなったのかのおよそを話すマスターに、誠は「なんですかそりゃ」と嘆息をついた。
「出禁にされて当然でしょ、そんなの」
「まぁそうだろうねぇ。その粘着されていた人も、それから何かされたってことは無いらしいから大丈夫なんだけど」
まぁそれはそれとして、とマスターは話を切り上げ、後片付けを完了させると。
「よし。お疲れさん、椥辻君」
「あ、はい、お疲れ様でした」
本日の業務はこれにて無事終了。
「いやぁ、助かったよ。椥辻君はこっちが何か言わなくても、掃除とか片付けとか率先してくれるから大助かりだ、ありがとうね」
「いえいえ、これくらいは」
「今のところは週三、四で、土日は朝から入れると昨日に言ってくれたけど、無理はしないくらいには頼むよ。椥辻君は、学生一人暮らしで大変だろうに」
「何かあればすぐに連絡は入れますから。一人暮らしも、慣れてますし」
一年半も過ごせば自然と慣れますよ、と誠はマスターに一礼してからカウンター奥の部屋に入り、エプロンを脱いで制服の上着を羽織って、荷物を纏めてからカウンターに出る。
「それじゃぁマスター、お疲れ様でした」
「うん、お疲れ様。また明日は、朝からだったね」
「はい、朝の八時にですね」
帰り際にお疲れ様でしたを交わし合ってから、誠は香美屋の戸を潜り、階段を上がる。