49話 お互いを下の名前で呼び合おう作戦
「おぉ……これはなんとも美味しそうなカレー」
凪紗は目を"しいたけ“にして、出来立てのカレーライスに目を見張る。
「そんな凝ってないですし、普通に作っただけですよ」
「普通に作ることさえ出来ない私にとっては十分美味しそうだから、問題なし」
「そんじゃ、食べましょうか」
いただきます。
まずは一口。
「はむ……ん~、美味しい」
「良かったです。カレー作るのは割りと得意な方ですけど、速水先輩の口に合うかどうかはちょっと不安でしたから」
「その場合は私の口の方から合わせるから、大丈夫だよ」
「いや、それはどうなんでしょう……」
しばらく食を進めたところで、ふと凪紗の手が止まった。
「どうしました?先輩」
「椥辻くん。今、私は天才になったかもしれない」
「んん?」
突然何を言い出したんだこの先輩は、と思いはしてもそっと胸の内に押し止める誠。
「私は君のことを、「椥辻くん」と呼んでます」
「そうですね」
「君は私のことを、「速水先輩」と呼んでます」
「そうですね?」
そこから何があるのかと言うと。
「これ、あんまり恋人同士っぽくなくない……?」
「あー……まぁ、確かに。よく、恋人同士になったら、下の名前とかで呼び合ってますけど」
「うん。その説に倣って、私達も下の名前で呼び合うべきではないかと、私は思ったのです」
むふん、と顔をドヤらせる凪紗。
「えーと……無理して下の名前で呼び合わなくてもいいのでは?」
名字で呼び合おうが、下の名前で呼び合おうが、二人の関係は変わらないのだから、と誠は言うものの、当の凪紗は不満そうだ。
「そんなのやだ。せっかく君と恋人同士になって、同じ釜の飯まで食べてるんだから、もっと恋人らしいことがしたいの」
「同じ釜の飯て。微妙に生々しいことを言わんでください」
「と言うわけで、まずは言い出しっぺの私からだね」
誠のツッコミも意味を為さないままに、凪紗案の『お互いを下の名前で呼び合おう作戦』が実行されてしまった。
「えーと、椥辻誠、だから……、………………」
誠、と言うだけのはずなのに、何故か固まってしまう凪紗。
「ま、ま、まこ、ま……、………………」
言おうとしても、顔を真っ赤にしながら、しおしおと縮こまってしまう。
「先輩、俺は『眞子』じゃないですよ」
「わわ、分かってるっ。分かってる、けど、その……な、なんでだろ、ちょ、ちょっと待って」
食べかけのカレーを掻き込んで、サラダも頬張って、水で流し込んで、深呼吸してから。
「ま……誠……」
「ッッッッッ……」
それは、絶大な破壊力を以て誠の精神を激しく揺さぶる。
「よ、よしっ、私は言えた。次は椥つ……じゃなくて、まこ、誠の、番だね」
「わ、分かりました」
今度は誠が深呼吸をしてから。
「凪紗先輩」
こちら特に詰まることもなくすんなりと言えた、かに思われたが、凪紗はやはり微妙に不満そうな顔をする。
「……"先輩“が付いてる。ワンモア」
「いやでも、先輩は先輩ですし」
「敬語もいらない。ワンモア」
「さすがにそれはちょっと……」
「ワ ン モ ア」
どうあがいても、誠にとって凪紗は一個上の先輩。生まれた年月のタイミングばかりはどうしよもない。
「……じゃぁ、とりあえずは先輩付けと敬語でもいいけど。呼び捨てで呼ぶ練習もしよう」
「そ、そんな練習いりますか?」
「さん、ハイッ」
「そ、その、」
「さん、ハイッ」
「凪、紗」
「ぶぷぅぉッ!?」
お望み通り名前で呼び捨てにした誠だが、対する凪紗は何故か真っ赤になりながら咳き込んだ。
「げほっ、げほっ、ごほっ……ふ、不意打ちとは、なかなかやるね……」
「なんでしてもいない不意打ちに一本取られてるんですか……」
ひとまず『お互いを下の名前で呼び合おう作戦』は、これにて完遂だ。
二人の合作カレーライスも食べ終えて、洗い物も済ませてから、誠はそろそろお暇だ。
「じゃぁ速水……じゃなくて、凪紗先輩。お邪魔しました」
「うん、今日はありがとう。また、デートしようね。……誠」
「っ、は、はいっ。では、また明日、学園で……じゃなくて、香美屋で、ですね」
「そうそう、私達二人の関係は、学園では内緒だったね」
明日からまた、いつも通りの学園生活が始まる。
学園内ではただの顔見知り同士、「"不攻不落の速水城塞“」と「椥辻くん」だ。
そして、明日の放課後の香美屋で、マスターに"お付き合いしている“を報告し、結依にも誠から改めて伝える必要がある。
「おやすみなさい、凪紗先輩」
「またね、誠」
誠を見送ってから、凪紗は手荷物を片付けようとして、ラッピングされた袋――誠からの初デートのプレゼントが目についた。
「……プレゼントしてもらったんだっけ」
丁寧に封を開ければ、コウテイペンギンの赤ちゃんのぬいぐるみ。
するりと袋から出して、袋は綺麗に畳んで引き出しの中にしまって、ぬいぐるみを胸に抱きながらベッドへぽふりと寝転がる。
「えへへ……」
にやける。にやけてしまう。
しばらくぬいぐるみにもふもふと頬擦りを繰り返す凪紗だったが、不意に顔を離して腹の下辺りに下ろす。
「(私と誠の関係、いつまで隠せばいいんだろう)」
ふと、そう思ってしまった。
一部には知られているとは言え、学園内ではお付き合いしていることを隠さなくてはならない。
けれど、それはいつまでのことなのか。
仮にバレてしまったらいっそのこと開き直ればいいかもしれないが、もしずっとバレないままだったら……
「(私が卒業するまで、かな……)」
しかし、卒業してしまった後は、凪紗は大学生になってしまい、今以上に誠との時間が取れなくなってしまう。
今の学園でも恋人らしいことをしたい、と言う気持ちはあるが、誠に迷惑をかけたくもない。
自分と彼の学年が違うことを、これほど怨めしく思ったことはない。
「好きだよ、誠……」
今ここにいない彼の代わりに、ぬいぐるみに伝えるように、ぎゅっと抱きしめた。




