31話 事を成すには時が要る
まずは部屋から掃除道具や関連消耗品を引っ張りだすところから始まった。
凪紗には必要不要なものの仕分けをしてもらう傍らで、誠は一心不乱に彼女の部屋を片付けては掃除していく。
そうして二時間が経ち――19時頃になり、もう辺りもとっくに暗くなった頃になって。
「状況終了」
フゥ、と誠は一息ついた。
「すごい……まるで私の部屋じゃないみたい」
汚部屋同然だった部屋は、まるで引っ越してきてばかりのようになっていた。
「時間無かったんで、かなり突貫作業でやりましたけど、二時間前よりは大分マシでしょう」
「これでも"マシ”なの?」
「本当ならあと三時間は使って、もっと掃除道具なんかも充実させたいところでしたけど」
「さ、さんじかん……」
「清掃業のバイトとかも経験あるんで、これくらいはまぁ」
万全の態勢で本気出したらこの部屋どうなっちゃうの、と凪紗はこの女子力フルスペック男子の底の見えなさに戦慄する。
「さて、掃除も済んだところでお暇させていただきますか……」
そう言って、脱いでいた上着を手に取ろうとした誠だったが、「待って」と凪紗は呼び止めた。
「今日の晩ごはん、出前取るよ。私が奢るから」
「え?」
「ここまでしてもらっといて、何もしないのはさすがに。と言うか奢らせてくださいお願いします」
手を合わせて頭まで下げる凪紗。
「は、はぁ、まぁそうまで頭下げられたら。出前って取るのすごい久しぶりなんで、最近のはどうなってるんですか?」
「『YouberEats』のアプリから色々選べるよ」
凪紗はスマートフォンを手に取り、宅配アプリを開いてみせる。
「おぉ、スーパーとかコンビニとかからも選べるんですね」
「椥辻くんは、何が食べたい?君の好きでいいよ」
「俺が選んでいいんですか?じゃぁ、お言葉に甘えて……」
どれにするか少しだけ迷った末、銘店チェーンのラーメンを注文、凪紗の電子マネーで支払われ、ほどなくして宅配ドライバーからラーメンが届けられた。
はふはふずるずるとそれを啜る中。
「なんか、不思議だなぁ」
ふと、凪紗がそう呟いた。
「不思議?何がですか?」
何を不思議に思ったのか、誠は訊き返す。
「正直言うとね、私ってこれまでがこれまでだから、「男子なんてみんな同じ」って思ってたんだよね」
「はぁ」
凪紗のその気持ちは、誠にも分からないでもなかった。
学園では常日頃から"城塞攻略者”に付きまとわれて、学園の外でもストーカーの被害に遭いかけたりすれば、そのような偏見を持つのも已む無しだろう。
「そんな私が、男の子を何度も自分の部屋に招き入れて、しかもその内二回は食事も一緒にしてる。ちょっと前の私からしたら、信じられないし、有り得ないことだよね」
「俺も正直、"不攻不落の速水城塞”と食事どころか、こうして面と向かって話すことさえ出来ないだろうなって、思ってました」
ほんの数週間前まで、"不攻不落の速水城塞”は高嶺の花で、遠目から見ているだけで十分だったのに。
すると、凪紗は不愉快そうに目を細めた。
「……ねぇ、その速水城塞って言うのやめて。他の男子からはともかく、君からもそう言われるのは、なんか嫌だ」
「す、すみません」
いつの間にかこんなにも距離が縮まっていた。
「なんでだろうね、君には速水城塞としてじゃなくて、ちゃんと"私“として見てほしいって言うのかな」
「え、えぇと……それはつまり?」
「うーん、私にもよく分かんない」
凪紗も誠も、それを上手く言語化出来ない。
でもね、と凪紗は不快さを消して。
「椥辻くんとこうしているのは全然嫌じゃないし、むしろ嬉しい。ずっとこうしてたいなって思うくらい」
自然な笑みを浮かべる凪紗。
「ッ」
それに思わず見惚れてしまった誠は、手から箸をこぼし、カツカツツンとテーブルに落としてしまう。
「どうしたの?」
「あ、ゃ、なんでもないです」
慌てて箸を拾い直す誠に、凪紗はきょとんと目を丸くするばかり。
「(最近ちょっとずつ見慣れてきたとは言え、この笑顔は不意打ち過ぎる……っ!)」
内心の動揺を誤魔化すように「あぁそうです」と声を上げて、鞄のファスナーを開ける。
「これ、台本です。返すの忘れててすみません」
取り出したのは、今日の昼休みで凪紗が中庭に落としていった、演劇の台本。
しかし、当の凪紗は少し気まずそうに。
「あー……その、良かったら持ってていいよ?」
「え?でもこれが無いと困るんじゃ?」
「私、台本の内容全部覚えてるけど、念のためってことで他の人が台本コピーしてくれたの。だから、返さなくてもあんまり困らないんだ」
「そ、そうでしたか」
なら自分は今日は先輩の自宅を掃除して、ラーメンをご馳走になっただけか、と誠はなんとなく骨折り損感を覚えたが、
こうして凪紗との距離が縮まったのだから損ではないだろうと納得出来た。
ラーメンも食べ終えたところで、時刻は20時頃。結局今日も香美屋のバイトとそう変わらない時間になってしまった。
「じゃぁ先輩、そろそろお暇させていただきますね。ラーメン、ごちそうさまでした」
「いいよ、気にしないで。これくらいしか出来ること無いし。また学園……で、会うのはまずいから、香美屋でかな」
「そうですね、また香美屋で」
凪紗に見送られて、誠は足早にスーパーへ向かう。今日の夕食ではなく、明日の朝食と弁当の食材を買い込みに行くのだ。
「(あ、そう言えば先輩の"お礼”って……ラーメンのことじゃないよな?)」
ラーメンを奢ったのは、掃除をしてくれたことへの労いであり、それ以前のお礼とはまた別だろう。
あまり期待しすぎてもよくないな、と誠は"お礼”のことを意識から外した。




