3話 穴場の喫茶店は先輩の憩いの場所
「あれ?君と私ってどこかで会ったっけ?」
驚く誠を見て、初対面では無かったのかと小首を傾げる凪紗。
「え、あぁすいません。俺が一方的に先輩の名前を知っていたってだけですから」
学園一の美少女とこんなところで遭遇するとは思わず、誠は自分の心臓が早鐘を鳴らしているのを自覚する。
「そうなの?それで、君はこんなところでどうしたの、迷子?」
そんな内心で動揺している誠の心情など知らず、凪紗は何を困っているのかと本題に乗り出す。
「えーとですね、この辺にある、香美屋って喫茶店ってどこか知ってますか?」
スマートフォンを差し出して、ホームページのマップを見せる誠。
それを見た凪紗は「あぁ」とすぐに頷き――何故か少しだけ迷うような仕草をしたあと、
「……ここだよ」
誠の背後ーーちょうど死角に当たる位置に、古ぼけた『香美屋』と描かれた看板と、その下に続く地下階段を指した。
「あっ、ここか!?」
全然気付かなかったぞ、と誠はその年季の入った看板を凝視する。
「あぁでも、見つかって良かった。助かりました、速水先輩」
「気にしないでいいよ。私もここに来るつもりだったし」
「速水先輩も、ですか?」
意外と言えば意外だった。
誠の中の凪紗のイメージでは、こういった古風な喫茶店と結び付かなかったのだ。
すると、凪紗は不満そうに目を細める。
見知らぬ男子と「気が合う」みたいに思われるのは不快だったかと思った誠だったが、
「……さっきから私を名字で呼んでくれてるけど、君の名前は教えてくれないの?」
単に相手の名前を知らないことへの不満だった。
「あ、ごめんなさい。俺、ニ年二組の、椥辻誠って言います」
「知ってると思うけど、三年三組の、速水凪紗だよ」
お互いに名乗ったところで、目的地は同じと言うことで、香美屋へ続く地下階段を降りていく。
階段を降りてすぐのところに、確かにその喫茶店ーー香美屋はあった。
カランコロン、と言うドアベルの音と、店内に流れる物静かなクラシック音楽が迎えるそこは、こじんまりとした店構え。
建てられてからそれなりの年月は経っているようで、古き良き雰囲気を持つ。
「おぉ、速水ちゃん。いらっしゃい」
来店に気づいたか、カウンターの向こう側にいる壮年のマスターが声をかけてきた。
「どうもです」
会釈する凪紗。顔と名前を覚えられている辺り、常連客のようだ。
すると、マスターの視線が誠に向けられると、何か的を射たように頷いた。
「今日は彼氏さんを連れてきたのかい?」
「彼氏?私そんなのいませんけど」
マスターの邪推もなんのその。
しかも何事もなかったかのようにカウンター席に着き、「あ、私いつもので」勝手知ったる風にオーダーしている。どうやらそれなりにここへ足繁く通っているようだ。
恋愛に興味ないんだからそう思うのも当たり前か、と誠は自分から要件を話し始める。
「初めまして。岡崎渉君からご紹介に預かりました、今日からここでお世話になります、椥辻誠と申します」
「お?あぁ、渉君が言ってた、新しいアルバイトだね?」
「はい。でもちょっとこの店の場所が分からなくて、迷ってたところを速水先輩に連れてきてもらいました」
「……そうなのかい?分かりにくい場所ですまんねぇ」
駅からの距離はさほど離れていないので、立地そのものは悪くないとは言え、このセンター街の入り組んだ奥の、しかも地下にあるのだ。表看板も古ぼけて目立たないのもある。
「アルバイト?君、ここで働くの?」
ふと、横から話を聞いていた凪紗は、今日からここで働くのかと訊ねる。
「あ、はい、そうです」
律儀に受け答えるまを前に、凪紗はあまり興味無さげ――どこか訝しげに「ふーん……」とお冷やを傾ける。
マスターはスラックスのポケットからスマートフォンを取り出し、何かを確認している。
「ふむ。椥辻君は、短期のアルバイトをいくつもこなしている、と渉君からは聞いているよ。飲食店での勤務経験もあるそうだね?」
「はい、調理補助や、店内の清掃、洗い物、接客……大体のことなら出来ると思います」
図らずも面接のような形でマスターの質問に答える誠。
「おっと、面接の前にちょっとだけ待っててくれよ。速水ちゃんのコーヒーだけ淹れてからな」
誠の面接を始める前に、マスターは凪紗のオーダーを先に用意すると言って、豆を挽き始める。
手間暇をかけてしっかりと焙煎された、香り高いブレンドコーヒーがカップに注がれ、ソーサーと共に凪紗の手元にことりと置かれる。
「はいよ、お待ち遠さん」
「ありがとうございます、いただきます」
凪紗は早速コーヒーにシュガーとフレッシュを入れてかき混ぜ、一口啜ろうとして、
「あふっ……」
と慌ててカップを唇から離し、お冷やを口にする。
その様子を横目で見ていた誠は、速水凪紗と言う先輩に対する印象が変わっていた。
他者との馴れ合いを嫌い、我が道を往く孤高のテニスプレーヤー。
それが誠の中で凪紗に抱いていた勝手なイメージだったが、隠れた穴場の喫茶店に人知れず通い、淹れたてのコーヒーに火傷しそうになる彼女は、
「(意外、だな……)」
ふと、そう思ってしまった。
凪紗のコーヒーを淹れ終えてから本格的な面接に移り、もういくつかの質疑応答に答えたところで、マスターは大きく頷いた。
「よろしい、採用しよう」
「あっ、ありがとうございます」
面接に無事合格し、礼儀正しく頭を下げて感謝を示す誠。
「それじゃぁ、一応明日から入ってもらうってことで、大丈夫かな?」
「はい。基本的に毎日入れますけど、テスト期間中とかはお休みにしてほしいんですが……」
「それはもちろん。テスト期間じゃなくても、都合が悪い日があったら、早めに連絡を入れてくれると助かるよ」
もう一言二言、必要事項やシフトを確認してから、明日から勤務に入ると言う形で、今日のところは帰宅だ。