20話 殺気と殺意のマリアージュによる大炎上
「疲れた……俺はもう疲れた……」
「お、お疲れ、さま……その、椥辻くん、大丈……ばなくないね……?」
帰りのホームルームを終え、ぐったりと机の上に突っ伏す誠に、戸惑いながらも労いの言葉をかける早苗。
朝のホームルームの時間ギリギリまで、“不攻不落の速水城塞"とナニがあったのかと尋問されたまでは良かったのだ。全然良くないが。
だが、それだけでは無かった。
周囲に対して多大なる誤解しか生まなかった誠と凪紗のやり取りは、瞬く間もない光の速さで学園中の全てが知るところになった。
曰く、『ついに“不攻不落の速水城塞"が陥落した』
また曰く、『椥辻誠と“不攻不落の速水城塞"は付き合っている』
さらに曰く、『椥辻誠にとって“不攻不落の速水城塞"はコーヒーより安い女』
これでもかと曰くと尾鰭の付きまくった、"勘違いも甚だしい限りなく真実に近い事実無根"の数々のせいで、今や誠は時の人である。
今日は教室を出た瞬間に、周囲の男子連中から殺気と殺意のマリアージュが醸し出す"死線“に曝され続け、移動教室以外で教室から出られたものではなかった。
「今朝のあのやり取りだけで、ここまでこうなるとは思わなかったなぁ……さすが、“不攻不落の速水城塞"」
最初に誠を尋問しようとした渉でさえ、今日の学園内の空気は異常だったと恐怖していた。
あくまでも曰くと尾鰭が付いた挙げ句本体から分離して好き勝手に動き回っているに過ぎないのだが、しばらくはこの学園で大炎上が止まらないだろう。
ここまでこうなった元凶の一人が何を言ってるんだこの野郎、と言う気力もない誠だが。
「あぁ……今日も香美屋のバイトに行かないと……」
いつまでもここでくたばっているわけにはいかないと、誠はのろのろと立ち上がる。
「い、委員会のみんなには、わたしの方から、誤解だよって言っておくね?」
「サッカー部の方も、俺から言い含めておくわ。部の中に何人か“城塞攻略希望者"がいるし、すぐ誤解だったって広まるだろ」
早苗と(罪滅ぼしのつもりか)渉が、火消しに回ると言ってくれるが、この大炎上ぶりではそうそうすぐには消えないだろう。
早くこの殺気と殺意に慣れなくては、と何だかおかしな方向にポジティブになりながらも、誠は重い身体を引き摺って香美屋へ向かうのだった。
どうにか学園から脱出し、香美屋に入るべく地下への入り口に入ろうとしたところで、つい昨日も見た、ベージュ色のふわふわした後ろ姿が見えた。
「(あれは……確か、新條さん)」
昨日に香美屋に面接に来ていた、新條結依。
今日の夕方から勤務に入ると言っていたが、だと言うのに何故店の地下階段の前で、何やらうろうろと右往左往している。
昨日は一人で香美屋に来ていたのだから、場所が分からないわけでは無いようだが。
ここは無難にバイト仲間として声をかけよう、と誠は自然体を装ってから。
「おはよう、新條さん」
「ふあぁっ!?」
なるべく普通に声をかけたつもりだったが、急に声をかけられたせいか、結依はすっとんきょうな声を上げて背伸びし、慌てて誠の方に振り返る。
「ご、ごめん、驚かすつもりは無かったんだけど」
「あ、あぁ、なぎ、椥辻……先輩でしたか」
ほふぅ、と胸を撫で下ろす結依。
「って言うかその制服、翠乃愛の」
誠は、結依の来ている制服が、早苗や凪紗と同じもの―一赤のリボンである辺り、一年生のようだ。
「は、はい……椥辻先輩って、翠乃愛の二年生だったんですね」
昨日に香美屋で顔を合わせた時、誠は私服同然の仕事着で、結依も私服だったので、お互いに同じ学園の生徒とは気付かなかった。
「まぁ、そう言う偶然もあるか」
何せ、友人に頼まれたバイト先が、あの"不攻不落の速水城塞"が足繁く通っている場所とは思わなかったのだから。
いつまでも店の前で立ち往生しても仕方ないと言うことで、誠が率先して地下階段を降りてみせ、その三歩後ろに結依も続く。
結依は今日が最初の勤務なので、マスターや誠の仕事ぶりを見学しつつ、常連客への挨拶も欠かさずに。
「(新條さん、人間関係が原因でバイトを転々としてるってマスターが言ってたけど……)」
誠はカップとソーサーを洗いながら、横目で結依を見やる。
マスターからの説明研修を受けている結依は、熱心にメモを取っている。
少し気弱そうとは言え礼儀正しく、物腰も柔らかいため、今の彼女を見て悪印象を抱く人間はごく少数だろう。
そんな“ごく少数"がいるアルバイト先を運悪く連続で引き当ててしまったのか、あるいは別の理由があるのか。
「(まぁ、マスターやここのお客さんも寛大な人が多いし、大丈夫だろ)」
少なくとも今の香美屋なら、人間関係でぎくしゃくすることもそうそう起こり得ないはずだ。
問題無さそうなら下手に気に掛ける必要も無いか、と誠は視線を自分の手元に戻す。
そうして緩やかに時間が流れた頃に、カランコロンとドアベルが来店を告げる。
「いらっしゃいませ。あ、速水先輩」
「どうも。ここ数日ぶりだね」
いつもの常連客の一人、凪紗がやって来た。
半ば専用席化してあるカウンターの一角の席に座ろうとした凪紗は、マスターの研修を受けている結依の姿を見かける。
「ん?あの娘は?」
「新しいアルバイトです。今日から入ったんですよ」
すると、マスターの方も凪紗の来店に気付いてそちらを向く。
「おぉ、速水ちゃん。いらっしゃい」
「ぁ、い、いらっしゃいませ」
一歩遅れて、結依もペコリとお辞儀。
「あ……」
すると結依は、凪紗の顔を見て、何かに気付いた。
「ん?新條ちゃん、速水ちゃんのこと知ってるのかい?」
顔見知りなのかとマスターは思ったようだが
「あー、ほら私、翠乃愛学園じゃちょっとした有名人みたいなものですから……」
見覚えくらいはあるかも、と凪紗は頷いた。
「あの……み、翠乃愛の、一年一組の、新條結依です。よろしくお願いします、速水先輩」
「ご丁寧にどうも。知ってるとは思うけど、三年三組の速水凪紗だよ。ここにはよく来るから、これからよろしくね」
「は、はいっ」
お互い自己紹介をして、無事に打ち解けたようだ。




