11話 親身になってくれる隣人は大事にすべきである
通常授業をこなしつつ、文化祭の準備を進めていく中で。
三年三組――凪紗のクラスでは、演し物である演劇の準備は順調に進みつつあった。
「うーわ、なんか私の台詞多いぃ……」
脚本担当の生徒から仮台本のコピーを受け取った凪紗は、自分の台詞の多さを見て露骨に顔をしかめた。
「主演なんだから仕方無いでしょ。今さらになって文句言わないの。恨むなら自分のモテさを恨みなさい」
その凪紗を窘めるのは、クラスメートの女子――凪紗と同じ女子テニス部の元部長『柿原梨央』だ。
凪紗に次ぐ実力者であり、女子テニス部の双璧として切磋琢磨し合い、親友にしてライバルと言う立ち位置にいるが故に、凪紗が"不攻不落の速水城塞"を演じなくてもいい数少ない存在。
「自分に恨んでもしょうがないよ……あぁもぉ、憂鬱ぅ」
不貞腐れる凪紗に、何か話題を変えるべきかと梨央は思案し、
「そう言えば凪紗、最近は大丈夫?」
「んん?大丈夫ってなにが?」
何が大丈夫なのかと訊ね返す凪紗に、梨央は気遣わし気な顔をする。
「ほら、前に……喫茶店のバイトに待ち伏せされたって話してたでしょ?あれから何かされてないかって」
聞かれた凪紗は、「あーそれね」と溜め息混じりに頷いた。
「大丈夫だよ梨央。今のところ、そう言うのには遭ってないから」
「ならいいけど……本当に困ったらいつでも相談しなさいよ?」
「うん、そうするよ。……と言うかそう言う相談は、親以外には梨央くらいにしか言えないけど」
学園内では基本的にいつも"不攻不落の速水城塞"でいなければならない凪紗にとって、梨央のように取り繕わなくて良い存在は数少なく貴重だ。
「それに今の喫茶店のバイトくんは、真面目で紳士的だから、安心出来るし」
バイトくん、と言うのはもちろん、一個下で同じ学園の後輩である誠のことだ。
「真面目で紳士的、ねぇ……油断したらダメよ凪紗、そう言うのに限って虎視眈々と隙を窺ってるんだから」
一度とは言え、親友が待ち伏せに遭ったと知った時には、本人以上に梨央が怒ったものだ。
以来、梨央にとって『凪紗に関わる、関わろうとする男子は大体疑わしい』と言う悲しい偏見を生んでしまったわけだが。
「そう言う雰囲気も無さそうだけどね……まぁ、気を付けておくよ」
「……いくら学園内じゃ落ち着けないからって喫茶店に入り浸るのは構わないけど、生活費の使いすぎにも気を付けなさいよ」
「まるでお母さん……いや、おかんだね」
それより台本覚えないと、と凪紗は辟易としながら台本に目を通していく。
「へくしっ」
ちょうどほぼ真上――二年二組の教室でお化け屋敷の舞台を製作している最中、誠はくしゃみをした。
「お?どうした誠、誰かに噂でもされたか」
誠と同じく、和風のお化け屋敷の舞台――ハリボテの墓標の製作に取り掛かっている渉は、前触れなくくしゃみをした誠を、「誰かに噂された」と読み取った。
「そうかも」
今のくしゃみで鼻水が出そうになったので、誠はポケットからティッシュを取り出し、ずひーと鼻を鳴らす。
「ポケットにティッシュ常備してるとか、女子力高過ぎんだろ」
「それは女子力関係ないと思うけどな……」
鼻水まみれになったティッシュを丸めてゴミ箱に放り込んで。
「岡崎ー、ちょっとこっち確認してくれー」
他の男子から呼ばれた渉は「あいよー」と返事をして、誠に向き直って軽く会釈する。
「悪ぃ、ちょっと任せるわ」
「うん、任された」
頷き返して、渉が別の担当の所へ行くのを見送って、スマートフォンの検索画像を片手に、本物に近付けるように絵の具で塗装していく。
「椥辻くん、お疲れさま」
そこへ、渉と入れ替わるように早苗がやって来た。
「一ノ瀬さんもお疲れさん。衣装の方は順調?」
「うん、いい感じだよ」
早苗が担当しているのは衣装だ。
彼女が指す視線を追うと、喪服や着流しに赤黒い飛沫や手形がべったりと付けられており、なかなかリアルな血色をしている。
「こうして作ってる内は楽しいけど、いざあれを着ようってなると、なかなか勇気がいると思うんだよね……」
なまはげや、ろくろ首、落武者、閻魔大王と言った、和風のお化け屋敷の定番キャラの衣装やオプションが、いつもの教室の片隅に並んでいるのはなかなかシュールな光景だろう。
「わたし、裏方とか広報役で良かったよ。あんな怖そうなのと暗い部屋で一緒に並んでたら、夜中にお手洗い行けなくなっちゃいそう」
「怖がらせる側も命懸けになりそうだな……」
恐怖のあまり気絶する人も出るんじゃないか、と本気で心配し始める誠。
それはともかくとして、二年二組のお化け屋敷の準備は順調そのものだった。
放課後になれば、誠は香美屋へ働きに行く。
その道中で、曇っていた空が暗くなりつつあるのを見上げる。
「雨降りそうだな」
少し早い夕立ちかもしれない、と誠は少し足を速めた。
誠の鞄の中に折り畳み傘を仕込んでいるから、雨が降ってきても問題ないのだが、濡れないに越したことはない。
幸いにも降ってこられる前に香美屋に着いたので、マスターに挨拶を交わし、上着を脱いでエプロンを着けてすぐに表に出る。
「椥辻君、今日は夕方から降るようだけど、傘は大丈夫かな?」
「はい、折り畳み傘持ってるんで」
「ならよかった。そろそろ降りそうらしいから、この後は暇になりそうだよ」
常連客の何人かも、雨が降る前に退散しつつあり、今の店内はがらんどうそのものだ。
せっかく暇なら、マスターにコーヒーの淹れ方を教えてもらおうかと思った誠だったが、
不意にドアベルが鳴った。
「はぁー、ふぅー……マスター、椥辻くん、どうもです」
少し呼吸を荒くして、凪紗が入店してきた。
「おぉ、速水ちゃんいらっしゃい」
「速水先輩、いらっしゃいませ。もしかして外、降ってます?」
「そう、ちょっと急がなきゃいけないかなーって思った瞬間に降ってきちゃって」
いつものカウンター席――ほぼ凪紗専用席と化しているそこ――に座った。




