信じていた王太子が、異常性癖に目覚めやがった
死神王弟と刻印天使の番外編。本作は、他国の物語です。本編の設定を知らずとも、読むことが出来ます。
ここは、とある大陸に存在する、火神という神様を信仰する雪国。その国の立派な王城内、寒椿を一輪飾った床の間がある茶室に、三名の美丈夫がいた。二名は床の間付近に正座しており、一名は炉の近くに鎮座していた。後者の、赤い目をした美丈夫が口を開く。
「俺、妹を監禁しちゃったわ」
軽い調子の一言に、床の間に最も近い美丈夫が、濃い緑色の抹茶を茶碗の中に吐き戻した。美丈夫、リカロットは、酷く噎せながら、茶碗の抹茶を練った赤い目の美丈夫を睨む。
「はぁぁ!? 昨日まで、優秀な王太子だったのに!?
急に、何、とち狂ったことを宣言してるんですか!? 」
「一目惚れしちゃったんだよ」
リカロットに睨まれた赤い目の青年、二十歳になったばかりの火神王国王太子、ユーファネスは、同い年の美丈夫達に悪びれもなく告げた。吐き出された抹茶を嫌そうに眺めていた美丈夫、ゾジーは、王太子の発言に眉をひそめる。
「……妹に、一目惚れ、ですか? 」
「まぁ、妹っていっても、半分しか血が繋がってないし。
女性として見るのもアリだろ」
意気揚々と告げるユーファネスを、リカロットが怒鳴りつけた。
「ナシに決まってんでしょうが! この馬鹿王子!
王女殿下をどこにやったんですか!? 」
「俺の寝室に、鎖で繋いでる」
「馬鹿野郎! 今すぐ解放してこい! 」
リカロットは身分差を忘れて、ユーファネスを叱りつける。だが、ユーファネスは飄々としていた。
「いや、逃げられたくないんだって」
「実の兄に監禁されたら、誰でも逃げるわ! 」
肩で息をするリカロットの隣で、ゾジーが遠い目をしていた。
「陛下は何て? 」
「『流石、余の子どもだ』って、言ってた」
「この国の王族は最低だー! 」
不敬罪とも取られかねない叫びを、リカロットは抑えることが出来なかった。元凶の王太子は、からからと笑う。
「落ち着けよ、リカ。まだ、何もしてないって」
「これから何かしますっていうのも駄目だろうが! 」
「うん。子作りする予定だ」
「ふざけんな! 妹を妊娠させようとする王太子がどこにいる! 」
「ここに」
「ふざけんなー! こんな王太子、認めてたまるか!! 」
愛称で呼ばれても、リカロットの憤怒は治まらない。ユーファネスは苦笑する。
「っても、今は、寝て起きたら、顔を見れるだけで幸せなんだよな」
「枯れてますね」
「理性が強いと言ってくれ」
ゾジーの冷ややかな相槌に、ユーファネスは笑顔で返した。その会話に、リカロットが肩を震わせた。
「本当に理性が強い奴は、妹を監禁しないんだよ!
ともかく! 我々に、王女殿下の状態を確認させてください!
それから! 殿下は相席しないでくださいよ! 」
「幼少から付き合いのあるお前らを信用していない訳ではないが、うちの可愛い妹と同じ部屋なのは、ちょっと……」
「女性を呼べるわけないでしょうが!
万が一、王族の醜聞が広まったら、どうするんですか!
殿下の好感度が、地に落ちますよ! 王太子の座を剥奪されたいんですか!?
……第一、殿下がいたら、王女殿下の本音が聞けません。
扉の前で聞き耳でも立ててください」
「おう、分かった」
あっさり了承したユーファネスに、リカロットは口をつぐむ。憤怒の勢いで宣ったこととはいえ、今まで信じていた王太子の聞き耳なぞ、見たくないものである。震えるリカロットの肩を、ゾジーが叩いた。
「恨むなら、自分の発言を恨めよ」
「あぁ。俺は、今、盛大に悔いている」
粉雪が、はらりと舞う、寒い外廊下を駆け抜けたリカロットとゾジーは、獅子が描かれた絢爛豪華な襖の向こう側に安堵した。
「良かった! 情事の跡が無くて、本当に良かった! 」
「うわ、えぐっ。本当に女の子を鎖で繋いでいるよ、うちの殿下」
襖の向こう側にいたのは、やせ細った少女だった。ヌイという、ユーファネスの異母妹である。年齢は、ユーファネスの五つ下。ヌイは、虚ろな目で、リカロットとゾジーを眺めていた。視線に気が付いたリカロットとゾジーは、素早く膝をついた。代表して、リカロットが口を開く。
「っと、失礼した。俺は、宰相の孫、十二獣名族、本家筋、リカロット・ボワイルドと申します」
「同じく、十二獣名族、本家筋、ゾジー・ドックモンと申します」
「先ほどの無礼を、お許しください、王女殿下」
両名は、深々と頭を垂れる。だが、一向に返答がない。リカロットの背に、冷たい汗が流れる。
(あれ、全く喋らないぞ!? 既に、心に傷を!? )
実の兄に鎖で繋がれた少女を想うあまり、リカロットは言葉が出ない。彼の代わりに、ゾジーが淡々と尋ねた。
「……殿下。単刀直入に伺います。
貴女の兄君、ユーファネス殿下のことを、どのように認識していますか? 」
兄の名前に、ヌイの瞳が微かに揺れた。ヌイは細々と言葉を紡いだ。
「……良い方、なのでしょうね。
忌み子のヌイに、優しくして下さるから」
忌み子、という単語に、ゾジーは溜息を我慢した。忌み子とは、神の証を持たずに生まれてきた王族に付けられる蔑称である。火神王国では、忌み子であっても、王族として扱っている。だが、他国では、忌み子と判明した時点で、王族の席を廃される程、世界中で嫌われている存在だ。勿論、火神王国内とて、完全に差別がないとは言い切れない。ゾジーは、あくまで無感情に問う。
「では、兄君に望むことは何ですか? 」
「一生、守ってくれるって言ってくれました。
その約束が続けば、何も……」
瞬間、豪華な襖が、勢いよく押し倒された。
「ヌイ! 俺が一生守ってやるからな! 」
何の前触れもなく現れたユーファネスに、リカロットが怒鳴る。
「ちょ、まだ来るなよ!?
滅茶苦茶いい話っぽいけど、何も解決してませんからね!? 」
騒ぎ立てるリカロットと、襖を破壊したユーファネスに呆れつつ、ゾジーはヌイに問い続けた。
「ぶっちゃけ、うちの殿下、あなたに子どもを産ませる気満々ですけど、どう思いますか? 」
「……嫌です」
「何で!? 」
この世の終わりのような顔をするユーファネスの頭を、リカロットは問答無用で引っ叩いた。最早、リカロットに遠慮はない。
「当たり前でしょうが! 実の兄に、女性として見られているだけで、死にたくなりますよ! 」
だが、リカロットの懸念は杞憂であった。ヌイは、ぽつりと呟く。
「ユーファネス殿下の愛が、ヌイに向かわなくなったら、
……ヌイは死んでしまいます」
室内が、しんと静まり返った。直後、ユーファネスがヌイを抱きしめる。
「安心しろ、ヌイ! 俺はヌイだけを愛し続けるぞ!
ヌイが欲しくないなら、俺もヌイの子を欲しがらない! 」
構図だけなら、美しき兄妹愛である。ゾジーは、冷めきった表情で、リカロットを振り返った。
「……これ、解決したよな? 」
「……まぁ、クズ野郎から外れた、かも。
溺愛なら、兄妹の範疇だよな! うん! 」
リカロットは、この兄妹に対して深く考えることを放棄した。そんな苦労を知る由もないユーファネスは、満面の笑みで愛する妹の鎖に手を伸ばす。
「じゃあ、鎖は外そうな? ヌイの足首が傷になってなくて良かった」
「……」
「ヌイ? どうした? 」
ユーファネスは、ヌイの顔を覗き込んだ。ヌイは、ぼんやりとした面持ちで、鎖から解放された足首をなぞる。
「ヌイは、殿下の所有物を示す証が欲しいです」
「……噛むか」
「首飾り! 首飾りにしましょうか! 殿下の瞳の色の宝石で! 」
不穏な気配を察知したリカロットが、すぐさま言葉を遮った。ユーファネスは、嬉しそうに微笑む。
「おぉ、名案だ。俺とヌイの名前も刻んでもらおうなぁ」
「……はい、ありがとうございます、殿下」
「ヌイ。俺の事は、お兄様と呼びなさい」
「お兄、様、? 」
「おう、上出来だ。可愛いぞ、俺のヌイ」
ユーファネスは、慈しむように、ヌイの頭を撫でる。優しい手に、ヌイは感情を見せることなく、されるがままであった。歪な兄妹愛。それを解消出来る者は、この世界には誰もいない。
この兄妹愛は、太陽王子と呼称されるユーファネスが、後に、鮮血王子と呼称される、きっかけであった。