悪逆王女と運命の花 其の弐
(な、なんなんですの……?)
リリアンヌは、驚いていた。
いや、彼女だけではないだろう。その場にいたほとんどの人間の目が、悲鳴の主の方を見ていた。
「セシルさん、あれって……?」
ブレッドがセシルに問いかける。
「……人攫い、だと思うわ。だけど、こんな白昼堂々するというのなら……」
本人の同意が無い、身売り。
セシルはそう続けた。
ティメイア王国は、治安が悪い国とされている。
その理由は、ティメイア王国では、身売りや人身売買に対する規制が、他国よりも緩い、ということだ。
それゆえ、遊郭や闇市で売られる遊女や奴隷が増え、貴族の愛玩具として扱われたり、金目当てに人が攫われ、その中で最も多い若い女性と子供が足りなくなり、子孫を残せなくなる、という事態が発生する。
だが、国はそれに対応しない。
いや、対応できない、といった方が正しい。
ティメイア王国は、四方八方を騎士国や大国に囲まれている。
しかも、豊かな資源を持っているためか、海を挟み、センティーガ王国などにも狙われる。
それでも、ティメイア王国が七百年という長い歴史を刻み込むことができたのは、魔術帝国の存在と、自国の資源を最大限に利用した、日用品を作成し、それを貿易していることだ。
ティメイア王国は魔術帝国の属国。およそ五百年前からその関係は続いており、「ウチに仕掛けてきたら帝国が敵になりますよー」という意思表示にもなっている。
魔術帝国は、魔術に長け、帝国の名に恥じない強力な武力と豊かな資源を併せ持つ国。
返り討ちにできたらいいが、それはほぼ不可能。
そのため、ティメイアは帝国への根回しと他国へのご機嫌取り――もとい貿易に忙しい。
浮いた国家予算は、ほぼそちらへ回っている。
自国のことに関しては、ほとんど王太子に任せているし、その王太子も婚約者が聖女に選ばれて頭の中お花畑状態。
手綱を握っている聖女も聖女で、あんなんが聖女でいいのか、というぐらいのほほんとしていて、世間知らず。
一部の正気を保っている(リリアンヌが思うに)貴族たちからは、リリアンヌが王にふさわしいのでは?という声も上がったぐらいだ。
以前、お茶会でそれを聞いた時は軽く笑って流したが、本気で考えたこともあった。
今では本気でそうした方がよかったのでは、と思っている。
(って。余計な話は良いんですわ!)
自分の心の中で脱線した話を打ち消し、リリアンヌは人攫いどもを観察する。
「あ、あれって、メイラちゃんじゃねぇか!」
そのとき、近くにいた男性がそう叫んだ。
「あ、ほんとだ!けど、あれって……メイラちゃんのお父さん⁉」
その隣にいた女の子がそう言い、リリアンヌたちはやっと状況をつかむことができた。
「親が、娘を闇市の奴隷商人に売っているのか……」
ジークが呟く。
だとしても、それは犯罪ではない。
「いやぁ~。ジッタさん。娘を高額で買っていただいて助かりましたよ!」
メイラの父が奴隷商人、ジッタに言う。
痩せこけ、汚れているが、メイラは可愛らしい顔立ちをしている。
これを娼館に売れば高値で売れるだろう。
腕に傷があるのが気がかりだが、一部の爺どもには高価格で売りさばけるのだ。
「フン。お前の隣町の娘のためだろう?お前もこの時点で犯罪の片棒を担いでいるのだぞ」
メイラの父は、メイラの母とは別にもう一人妻を持っていた。
これは、一夫一妻制のこの国では違法だ。
十分罪には問える。周りの野次馬たちも聞こえているのだろう。
だが、それでもそれを言ってこないのは、ジッタの屈強な戦士のごとくごつい体のお陰だ。
「じゃ、オレはもう闇市に帰る。こいつは連れていくぞ」
「えぇ!どうぞ!」
揉み手しながら応じるメイラの父を一瞥し、ジッタが闇市に帰ろうとしたそのとき。
「なにを、しているんですの?」
と。凛とした声が響いた。
わたしは、人攫いにあった。
お父さんもいたけど、たすけてくれなくて。
そんなわたしをたすけてくれたのが、きれいなおんなのひとだった。
「そのようなことをして、赦されるとでも思っているのですか?」
その人がことばを放った瞬間、そこらへんが一瞬で静かになった。
ざわざわと騒いでいた人たちも、しぃんと。
「わたくし、リリアンヌ・クレア・ティメイアは——貴方たちのしたことを、絶対に赦しませんわ」
それを聞いた瞬間、思い出した。お母さんが話してくれた物語を。
――あるところに、お姫様がおりました。
――そのお姫様は、とても勇敢で、優しく、悪いことを一切赦さない民に尽くすひとでした。
――あるとき、お姫様は町に出かけました。
――そこで、傷つけられた子供たちと出会いました。
――お姫様は言いました。
「わたしは、貴方たちのしたことを、絶対に赦さないわ――」
――と。お姫様は、その後、『聖女』さまになりました。めでたしめでたし。
その人の言葉を聞いて。
私の目から涙がこぼれた。
そして思った。
この人は、聖女さまだと。
ご読了有り難うございました。