眠らぬ街
フカフカのベッドに腰を下ろしているソフィーに、銀髪碧眼のチヨコも向かいに座るように椅子を動かして座る。念の為、変装は解かないでそのままで過ごすことになった。いつ誰が見ているか分からないし、気をつけて越したことはない。
「まず、今日の行動を振り返りましょう」
「はい。マダムと楽しいグリエルモ観光でしたね」
「……ええ…そうね」
おかしい…そんな予定じゃなかったんだけどな…とソフィーは早速反省した。クラウスが聞いたら身をよじって笑いそうだ。敵のマダムと仲良く観光してたなんて口が裂けても言えない。
ウォルドーフのマダムは浪費癖だ。
それから人に自分の豪華絢爛で美しい姿を見せるのが大好き。ついでに人一倍食欲旺盛だからどんなドレスだろうと彼女が着ると大抵クリスマスツリーみたいになる。とにかくデカくて派手。万年クリスマス。歩くイルミネーション。説明するのも面倒臭いがとりあえず、敢えて言うなら「ダイナミック」を地でいった人だと思えばいい。事実そんな感じ。
初対面でも直ぐに分かる。あ、あのマダムね、と。
そして彼女は今日も己を見せびらかすために街を闊歩していた。丁度ソフィーたちがグリエルモの関所で検閲を終えた頃のことだ。
「……迫力がありましたわね」
「ええ。圧巻でした」
チヨコがマダムと並ぶと本当に同じ人間なのかと疑いたくなるほどの身長差と体格差だった。なのに本人は物怖じせずにマダムに話しかけてグリエルモ観光に洒落込むんだからソフィーは呆れるしかない。お前そこまでやるか?守備範囲広過ぎない?
そんなわけで今日の昼間はひたすらチヨコの独壇場だった。口達者なチヨコにマダムはいつの間にかメロメロになってたし、なんも疑いもせずにチヨコに手を委ねていた。
それが、チヨコの思う壷だと知らずに。
「擬態魔法、便利ですわね」
「でしょう?マダムがあんな無防備に手を差し出して来た時はビックリしましたけど、お陰で複製出来ました」
「擬態魔法はまだ極一部しか知らない新魔法ですもの。不注意にもなりますわ」
ソフィーの指にはピッタリと薔薇の指輪が収まっている。それからチヨコの指輪と見比べて「本当にそっくりですわ…」と感嘆の声を漏らした。
ウォルドーフ一族は皆薔薇の指輪を身につけている。赤く光る宝石を大胆かつ贅沢に使った指輪はウォルドーフの栄華の象徴だ。
マダムと手を繋いだ時にそれとなく指輪に触って擬態魔法を発動したチヨコは二人分の指輪を作った。ついでにソフィーの指輪にGPS機能をつければ万全だ。
「この指輪、仰られた通りに作りましたけど何に使われるんですか?」
威を借るだのなんだのと言っていたが、正直ソフィーの狙いが分からない。
この指輪は「ウォルドーフ」の証であり、顔パスのようなものだ。これさえあればグリエルモの中だったらどこでも融通が利く。
つまり我が世の春を謳歌しているウォルドーフ一族の特権みたいなもので、いくら複製をしたところで一族の者じゃないソフィーとチヨコが持っても意味は無いのではとチヨコは不安になった。
「そうね。ウォルドーフはこの門外不出の指輪を徹底的に管理してますわ。過去に指輪を盗んだ泥棒が一族の手によって粛清されたときは王都でも話題にもなりましたし」
「あ、あの歌、盛ってるわけじゃないんですね」
「事実ですわ」
「うわぁ…」
——グリエルモで薔薇を見たら 回れ右
薔薇は痛いぞ 刺されるぞ
親が恋しかったら 跪け
命が惜しかったら ひれ伏せろ
茨で転ぶな よーいどん
薔薇から逃げろ 捕まるな
遅れたアイツは すってんてん
あしは釜茹で うでは磔
しんぞうは ズドンと一発
すってんころりん おさらばだ
武器屋の薔薇には 気をつけろ
——だってほら、相手は武器屋の薔薇だよ?
殺されないようにね。
…………パクってよかったのかな…これ
冷や汗が流れる。あれ?もしかして自分物凄いヤバいことをしてしまったのでは?大丈夫なのこれ?
「な、なんでお嬢様はこれを複製しろと仰られたのですか?」
なんか嫌な予感がする。出来れば当たらないで欲しい。もしそうだとしたらこのお嬢様はどこまで怖いもの無しなんだと恐る恐るソフィーの顔を伺うと彼女はあっけからんと答えた。
「なんでって、そりゃあ貴女、パクる為ですわ。必要でしょう?密会に行く時に」
…………………
アンタも行くんかい。暗殺対象のくせに。
「……反王族派が集まると報告されている密会ですか?」
当たってしまった答えに半笑いを浮かべながら一応聞き返す。ソフィーから事前に官憲グリエルモ支部の報告書を見させてもらったけど、まさかソフィー自身が動く気だったなんて誰が思うだろうか。
「素敵な密会ですわよねぇ。ふふ、あんなに後生大事にしていたのに、反王族派のために指輪を用意するなんて、ウォルドーフも地に落ちましたわねぇ?」
キラリと若葉色の瞳を光らせて嘲笑うソフィーは悪役そのものだった。いつに増してノリノリでイキイキしてる。いいのかそれで。お姫様なのに。
しかしソフィーは楽しそうに話すには訳がある。
密会に参加するためには指輪は必要だ。
反王族派メンバーである証明はウォルドーフから直接貰った指輪を見せること。
だが、それはお抱え庭師だった血筋を誇るウォルドーフにとって赤の他人に己の家紋を預けると言っても過言ではない。
事実、そういう制約の下で結ばれた癒着なのだろう。
不振のウォルドーフとその一族に多額の借金を抱える反王族派貴族。
彼らは言わば共依存だ。借金を返済してくれないとウォルドーフは金に困るし、貴族は無心先に喘ぐ。
「多分、貴族の誰かが言ったんでしょうね。『ソフィーを殺せば金は戻ってくる』って」
「自分で自分の首締めてますよね、お嬢様」
ソフィーの行った税改革に不満を募らせた反王族派貴族は、ウォルドーフにソフィー暗殺を持ちかける。「ソフィーが死んだ後は自分たちも昇進するからウォルドーフを贔屓にしよう」などと甘い言葉を吐いて。
ウォルドーフも苦肉の末に貴族と手を結び、己の家紋である指輪を託す。彼ら一族にとって指輪を下げ渡すなど血判状も同然だ。
「何してるんですかお嬢様。お嬢様の政策がこんな面倒臭いことになってますよ」
「あら、いい事ではなくて?民は税に苦しまくていいし、貴族の給金のせいで予算が減ることも無くなりますわ。ああそれから獣を一掃出来ますわね。うふふふふふ」
「……はぁ」
密会メンバーに渡される指輪と同じものを複製して、侵入する。そこで決定的な証拠を掴んで反王族派諸共捕まえる。
そういう魂胆なのだ。このお姫様は。
「……言っておきますが、マダムはその密会をご存知ないようですよ。勿論、ウォルドーフが他人に指輪を与えていることも。何もかもです」
「そうでしょうね。近くで領土紛争が起こっても『庶民の小競り合いに武器を売っても損するだけだ』とふんぞり返っているような人ですもの」
グリエルモ観光は結構楽しかった。
箱庭という揶揄は間違っていなかったのだろう。マダムはグリエルモのありとあらゆることを知っていた。流石に下層街の区画までは行かなかったが、オススメのレストランや小洒落たブディック、年に数回やってくるキャバラン、珍しい布織物を扱う商店は王都でも見かけない貴重な体験だった。
「でもそれだけよ。あの方は贅に浸ることしか脳がないの。見識は広いのに勿体ないですわね」
「たしかに素晴らしい見識の持ち主でしたね。それに魔族とパーティーをしたと聞いた時はビックリしました」
「ああ、彼らは魔族と唯一交流する一族ですから。…でも社交が出来るのに、時事に疎いのは頂けませんわ。領土紛争はまさに魔族の残党が引き起こしていることですのに」
「あはは…魔族残党と地元民の領土紛争って割とどこにでも起きてるみたいですね。ソフィー様は何か対応策でもされましたか?」
「……いいえ……魔王が何か動きを見せない限り、人間も迂闊には対応できませんから」
ふぅ、憂えた顔でため息をつくソフィーを見てチヨコは思った。「あ、これそのうち押し付けられる仕事だな?」と。
魔王が世界征服を諦めた後も、何故か大陸に残った魔王残党は人間の領土を奪おうと時々紛争を起こす。魔王の意思があるのかないのか分からない現状、この残党共に正当防衛を見せても状況は悪化するだけだろう。
……やるとしたら、魔王との和平会談とかかなぁ。
暗黒大陸は秘境の地。優れた魔法使いや経験豊富な戦士でもたどり着くのに窮する場所だ。ソフィーのお抱え魔法使いたるチヨコはその最適人者だろう。実に嫌だ。チヨコはずっと王城でレディに囲まれていたい。誰が好き好んで魔王に会いに単身赴任しなければならないのだ。
いつか来る未来に遠い目になる。ヤダなぁ。すごいヤダなぁ。でもソフィーのお願いは断れないしなぁ。
「……ちょっと、貴女聞いていて?」
「…へぁ!?」
「……もう、集中なさいな」
「す、すみません」
「いいこと?明日、官憲の皆さんに会いに行くことにします」
「えっと、密会潜入のためですか?」
「ええ勿論よ。彼らは優秀だから既に手を回しているでしょうけど、打ち合わせは大事ですものね?」
「はい。レディ」
「ふふ、楽しみねぇ」
ソフィーはまるで恋する乙女のように頬を紅潮させて笑う。最愛の恋人とのデートを待ちわびる乙女のようだ。
なのに、なんでだろう。とっても愛らしいのに。いつもだったらすかさず口説くタイミングなのに。
…口が回らない。
「は、はははは…は……」
自分が殺されるかもしれない崖っぷちの状況を楽しんでいるソフィーに乾いた笑いしかでてこない。肝据わりすぎだろ。
それから話し合いもそこそこに、ソフィーたちは明日に備えて寝ることにした。主人をベッドに寝かせて、自分は長椅子に横になる。話し声の無くなった部屋は酷く静かで、外の街の喧騒が微睡む耳をくすぐる。
(夜でも賑やかなんだ。東京っぽい)
グリエルモの夜は明るく更けていく。
宿の部屋一つがようやっと眠りにつくころ、外はまだまだ賑やかで、他人の死なぞ知らぬ存ぜぬ様子で人々は今日も夜に酔う。
「ウィリー!お前家賃滞納してんのか!?何してんだ馬鹿野郎!」
「家賃…?何それ…?」
「……あああああ!!もう!!だからあれ程寮にしろって言ったのに!なんで勝手にローン組んでんだよ!しかも滞納してるし!アホ野郎!今日は俺の部屋に来い!!寝床くらいなら整えてやる!」
「よくわかんないけど、今日はふくぶちょーの奢り?」
「マジで分かってねぇなお前!!!」
…………グリエルモの夜は今日も明るく更けていく。