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第一章第一部

作者: 鳳 カゴメ

「もしもし、えっと…あの…となりの檻の人、聞こえますか?」

 彼女は石壁を精一杯叩いて、私にそう呼びかけた。今思えば、彼女は九歳児くらいの見た目で、声も姿から想像する通りの声色なのだ。その小さな手で、隣に響く音を出していたのだから、よほどの力で石壁を叩いていたに違いない。

 丁度、見張りがいない時だったので、幸い私は彼女の話に耳を傾けることが出来た。

「なに……?」

 その時私は、牢獄での疲れに蝕まれ、体力は削られ、精神的にも良くなかったので、トーンの低い声になった。ただ、声の主が、余りにも若い声色だったので、気にはなった。決して、興味がなかったとか、煩わしかったわけでは無い。

「突然、申し訳ありません。少し、お話しても良いですか?」

 牢獄に入れられていたのは、私たち二人だけだったので、話を聞く者は誰もいなかった。

 まだ私は、この時彼女が話しかけてきた理由を深く考えていなかったのである。例えば、誰かと久しぶりに会話ができるチャンスが巡ってきたとか……長らく独りで、誰とも会話していない状況では、衝動に駆られるのも理解できる。隣にはすぐ人がいるのだから、話しかけない方がおかしい。

 ん、とだけ音を出し、話を促す。私は石床に敷いてある藁にぐったりと寝そべり、聞く姿勢を取っていた。

 のほほんと、世間話をするつもりだったのである。


「一緒に脱獄しませんか?」

 彼女の話を端的にまとめたならこうなるだろう。脱獄という言葉に私は目を丸くし、頭の中で反芻した。そりゃあ私だって最初は驚いた。

 突然のお誘いに私は戸惑い、

「えっ……ぅん?」

 と、変な声を出してしまう始末。私はどう返答してよいのかわからなかった。だって、声色だけで察すると、どう考えたって子供なのだから。

「私が、あなたを檻から出すので、あなたが外まで連れて行ってくれませんか?」

 なるほど、どうやら本気らしい。確かに檻から出れば、ここから抜け出すのは簡単だった。

 しかし、檻はあいにく魔法の効果が反発する相性の悪いものだったので、非力な私ではピクリとも動かせなかったのである。

 だけど、聞こえてくるのは小さな子供の声だ。いかに、どうやっても、ただの子供が檻を壊せるわけがない……と、思ったところで、人間ではないという可能性に気付く。この声が、人間でなく、或いは魔族の類であるなら、檻を壊すなど造作もないことだろう。

「分かった、外に出れば私が魔法で逃げられる。あなたも一緒に連れて行ってあげればいい? 」

「はい。お願いします」

 深々とお辞儀する声が壁越しに聞こえる。

「じゃあ、お願いするね?」

 不安交じりにそう言ったが、期待はしていた。この檻から出られるなら何でも良いのだ。

「もちろんです、お任せください。それと、私はクーデリカです。呼び捨てにしてくれてかまいません。何しろ容姿が少しあれなので」

 クーデリカは、自信に満ちた声色でそう言った。

「私はローナ。よろしく。どうやって脱出するのか、方法を聞いても良い?」

 方法を聞いておかなければ、急な変化に対応できない。方法を知っておくことは大切だと……学園にいた頃にも誰かに言われた気がする。それが随分と前のことのように思えて仕方がない。

 学園時代に思いをはせ、主席を争う良きライバルだった友人の顔が頭に浮かびかかったところで、彼女から声がかかる。

「ローナさん、最初に言っておかなければならない事があります。私は脱出するチャンスを貴女に与えるだけです。それで脱出できるかどうかはあなたの技量次第。転移魔術を使えるのはこの場において貴女だけ。ついでに私のことも助けてほしい。私はそんな存在なのです」

 一転して厳粛な態度が感じ取れる声に、私の脳はすっかり元に戻った。私と変わらないくらいの大人びた雰囲気に、少したじろいでしまった。

 今の今まで子供の声だったのに、いきなり大人びた声になられては、どちらが素なのか分からなくなる。

 まあ、子供の声だったとしても、先ほどの会話から、大人びた口調であることは分かっていた。

おそらく、演技が抜けると、今の雰囲気になるのだろう。

「今、自由が利くのは私だけ。これが最後です、私が悪魔となるのは。これが、最後の、チャンスなのです。失敗したら、両者とも無事では済まない―――」

彼女は誰に言うわけでもなく、そう呟き、深呼吸をした。何かを起こすつもりらしい。

 私は黙っているしかなかった。

しばらくして、見回りの兵士が階段を下ってきた。音で察するに、何かを運んでくるようだった。それが何なのか、私には見当が付かなかった。兵士が柱の陰から垣間見えた瞬間に、大きな声が聞こえてきた。

「あ! 兵士さん! 朝ごはん、運んできてくれたの? ありがと!」

最初、私は誰の声なのかがわからなかった。だが、今この場にいる人物から考え、また聞こえてきた方向から考えて、おそらく彼女の声、クーデリカの声なのだが、どうもおかしい。

なぜなら、それがまるで別人のような声色だったからだ。

私と会話していた時には、ローナと同年代程、つまり十七歳から二十歳程度という印象だった。しかし今は、まるで幼児………年齢的にはせいぜい十歳くらいではないだろうか。

その印象の差に、私は困惑していた。

「そうだ、朝飯の時間だ。そんなにはしゃぐな、いくら貴様が幼児であっても犯罪者なのだから、大人しくしていろ。…………ほら、貴様も受け取れ」

 兵士はそう言って、私に嘲笑の視線を与えてくる。私はそれを軽くあしらった。柵の間から放り込まれたのは、皮袋に入った水と、パンだった。パンは薄汚れたものだったが、この場で食事が許されている事実は、非常に珍しく思える。それは帝国の豊かさからか、油断からか。

今度、少し考えてみよう。

「あさごはん! もうクーデリカおなかすいた! 今なら、何でも、どれだけでも食べられそうだよ!」

 聞く人によっては、可愛らしい子供が朝にはしゃぎだす、実に微笑ましい家庭の一場面のような瞬間だった。ただそれは、この状況には余りにも似つかわしくない、まるで継ぎ接ぎの光景だった。

声の抑揚の高ぶりは、興奮しているようにも思える。私はこの状況にかなりの違和感を抱いた。また、同時に脳裏にこびりつく様な表現しがたい感覚が私を襲う。虫の知らせという表現が、この感覚においての正しい表現なのかは、私には分からないが、とにかく嫌な予感がした。

 兵士が朝食を置こうとクーデリカの鉄格子に近づいていく。その足音が響くたび、私は緊迫感に襲われた。

一体どうやって兵士を倒すのか、その疑問しか頭になかった。

「ねえ、兵士さん。ちょっとこっち見て!」

 その声が石壁に響き終えたとき、時が止まったようにあたりは静寂に包まれた。辛うじて、鉄格子の隙間から見ていた私は、その全く予想していなかった状況に、息を呑むことが出来た。

兵士の動きが止まっている。痙攣したように所々震え、声も出せないようだ。苦渋の面で兵士は恐怖する。

だが、魔術を使った気配は全く無い。

「……………頂きます」

 ささやく声でそう聞こえる。それは彼女のあの雰囲気の声、もしくはそれ以上の冷徹な何かである。

私からは彼女の姿は確認できないが、いきなり通路に黒い模様が広がった。

その模様は格子の隙間をすり抜け、兵士を覆うように零れた水銀の様に広がっていき、突如として彼の足元にかなり複雑な魔方陣が浮かび上がった。

私はその陣を見たことがなく、またそこで初めて私は僅かな魔力を感じ取った。

陣の浮かび上がった瞬間に、兵士が万物の法則を無視した動きで、何かに吸い込まれていった。例えるならそれは、ブラックホールのようなものの様に、表現しがたい動きだった。

突然の出来事に、私は理解できるはずもなかった。想像の遥か上をいく出来事だった。

ゆっくりとゆっくりと遅い動きで、兵士は飲み込まれていく。これが走馬灯であるかのように長く、時間をかけて。私の体の奥底にまで染み込むような違和感のヴェールを纏っていた。

 しかし実際には、片手で数えられる程度の時間しか過ぎていなかった。


 私たちは無事に兵士を倒した後、帝国の領地外に出た。

今、その身を追われるのはクーデリカであるので、少しでも身を隠すために森に潜る。徘徊する者がいる可能性は捨てきれないので、正しい判断だろう。

 一方で、私は脱獄に巻き込まれたわけで、帝国兵に追われる身かといえばそうでもない。罰金の手続きも済ませ、確認のために待っていただけで、私はあの後すぐに出られたのだ。だから、ひょいと抜け出してもそれほど問題にはならない。今回のことは不問になるのがオチだ。クーデリカがどれほどの時間を拘束されていたのかは知らないが、実は私は一日程度過ごしただけなのである。

 森を歩き始めてどれほど経ったか。太陽は丁度真上に、木の葉の隙間から差し込む日の光が、やけに眩しい。時折私たちを照らすそれは、天の光にも似ていた。

「これから、どこか行く当てはあるの?」

 脱獄を助けた手前、心配するのもやむなし、私はクーデリカに共に行動しないかと提案した。

「残念ながらありませんね、でも大丈夫ですよ。見たでしょう? アレ。私は独りでやっていけますから」

 えへへ、と。その言葉を笑顔で言い切った彼女の、なんと儚い事か。

私は固まった。その言葉に対して、賭ける言葉が瞬時には見つからなかった。抜け落ちたと言っても良い。

そこにはどんな感情があるのだろう。寂しさ、苦しみ、諦め――――気を抜けば、涙が零れるくらいに塞ぎ込んで、他人に迷惑を掛けまいとするその心は、何よりも脆かった。

 私が彼女の歩んできた人生を知らないし、彼女も私を知らないだろう。

それでも、助けたいと思った。

彼女が、昔の私に、どことなく似ていたから。

だから―――

「ねえ、やっぱり一緒に来ない?」

 だから、私はこの選択が間違いだなんて、絶対に思わない。


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