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第三章 第四節「告白」

 2037年11月01日(日)


 星野新はフレンチレストラン『グリモワール サテライトシティ東京』にいた。『グリモワール』はオーシャンパラダイス号にも支店を持ち、フレンチの最高峰とうたわれていた。窓の外にはケヤキ並木が並び、電飾に彩られた街は幻想的だった。テーブルの向かいには瑞菜が座って、『牛フィレ肉とフォアグラのロッシーニ』を食べていた。シェフの説明では19世紀に活躍したイタリアの作曲家の名前をとったものだそうだ。牛のフィレ肉をソテーして、上にフォアグラをのせてあった。ぜいたくなほど大量のトリュフを使ったソースが添えられていた。フランス料理についてはまったく知識がない星野でも、目の前の料理がとても高価なのはわかった。

 シェフの説明では、フォアグラは動物虐待にあたることから2020年に飼育禁止になり、入手が困難な食材だった。トリュフについても地球温暖化による気象変動でほとんどとれなくなったそうだ。他にも多くの食材が入手が困難か、手に入っても高額すぎてお客に出せなくなった。偽物の食材で満足できない多くのシェフが仮想現実の世界に移住してきたそうだ。

 星野は瑞菜がおいしそうに食べている姿を見るのが好きだった。星野は上着のポケットの中に手を入れて、中の小さい箱を確認した。中にはダイヤモンドを乗せたプラチナの指輪が入っていた。星野のロードバイクをつくってくれた、山本三国さんに紹介してもらった職人さんに特別に依頼したものだった。星野はデザートを食べ終わったら瑞菜に指輪を渡そうと思っていた。

 瑞菜に知られないように、指輪のサイズをはかるのはとても大変だった。大学に遊びにきた飯塚に協力してもらい「ストローの包み紙占い」がはやっていると言って、ふざけたふりをして小指に巻いてもらった。後で飯塚の家で祝杯をあげた。占いを「不合理」だと言って信じない瑞菜に「当たるか当たらないかはやってみないとわからないだろう」と飯塚が説得している姿が面白かった。飯塚は瑞菜に指輪をあげても「ピアスが非合理だと言うくらいだから指の運動機能が損なわれるだけなのになんで人間は指輪をするの」とはめてくれないのではないかと指摘した。星野は急に心配になって飯塚とその答えを探すのに悪戦苦闘した。星野は思わず思い出し笑いをしてしまった。星野の顔を見て瑞菜がけげんそうな表情を浮かべた。

「星野さん。食べないの。さめちゃうよ」

星野は慌てて、「ごめん。気にしないで。さっ食べよう」と言って、ホークで肉を刺して口に頬張り、ワインで一気に流し込んだ。

 二人は食事を終えて海沿いの道を歩いた。街はすっかり冬の様相でコートを羽織っていても少し肌寒いくらいの温度だったが、ワインの酔いで火照った頬にあたる潮風が心地よかった。星野はポケットの中のものを渡すタイミングをうかがっていた。彼が意を決して話しかけようとしたその時、瑞菜が「星野さん」と呼んだ。

「なに?」

星野が短くたずねた。瑞菜は星野の顔を真正面から見据えて、

「私、星野さんと一緒にいるのが、その、とても幸せです」と告白した。

星野は彼女に先を越されて動揺した。瑞菜は続けた。

「でも、もう一緒にいられない。私の過去の記憶は・・・」

星野は彼女の話をさえぎって「過去なんて関係ないよ。未来が大切だと思う」と語り、ポケットの中に手を入れて、指輪の箱を取り出そうとした。

瑞菜は急に大きな声で「違うの」と言って彼から離れた。

「違うの」

彼女は彼に向きなおってもう一度言った。

「記憶がないんじゃなくて、私には最初から過去の記憶なんてなかったの。私は、私は・・・」

瑞菜は大粒の涙をポロポロと流すと、両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。星野は彼女にそっと近づいて肩にゆっくりと手をそえた。瑞菜は肩をふるわせながら顔をあげてから、立ちあがった。

「私の脳はどこにも存在しない。私は最初からこの世界の住人として生まれたの。私は人間じゃない。人間と一緒に過ごし、人間を理解するためにつくられた人工知能。『AI』なの。魂のないプログラム。それが私」

星野は余りのことにぼうぜんとして、なぐさめの言葉一つ浮かんでこなかった。

「サテライトシティ東京の量子コンピューター『アスカ』は、どうやったら人間を幸せにできるかを常に学習し、計算し続けた。それが彼女の唯一の存在理由だから。地上のすべての書籍を読み、すべての映像記録をみて考えたの。それでも人間の矛盾に満ちた思考を合理的に説明することができなかった。それで、遺伝子のレベルから計算し、人間とまったく同じ神経ネットワークを持った電脳を構築した。人と同じように考え、学び、成長するように。それが、ここにいる、私、香月瑞菜の正体。この涙も、息も、心臓の鼓動も。すべてをつくりだす私の脳はどこにもない」

瑞菜はひととおり語り、再び歩道に泣き崩れた。

「どうして私なの。私はみんなと同じ人間だと信じていたのに。いっそ、このまま記憶喪失の人間として生かしてくれれば良かったのに。私は星野さんが好き。好きなの。どうしょうもないくらい。今更、『AI』だと言われても自分ではこの気持ちを止められない」

 星野は彼女の突然の告白に動揺していた。彼女と出会ってからの思い出が頭を駆け巡った。「AI」、「生物とはいえないもの」、「人間じゃないもの」、「女性じゃないもの」、「香月瑞菜」。目の前で泣いている女の子の形をしたものは一体なにものなんだ。星野は彼女の語った現実を受け入れることができなかった。不意に浮かんだ言葉が口をついてでた。

「どうして僕なの。なんでこんな平凡な僕に」

瑞菜は下を向いたまま小さな声で言った。

「人が人を好きになるのに理由が必要ですか。ひとりにはなりたくない。ひとりが寂しいことを星野さんに出会って知ったから。ひとりになる苦しみから逃れられないなら、いっそ消えてしまいたい」

星野は彼女に答えられなかった。星野は自問した。

「僕と彼女の違いはなんだろう。脳だけになって生きている自分は人間と言いえるのだろうか。そもそも考えることしかできないものを生物と呼べるのだろうか。脳がただ情報を処理しているだけ。僕はここにいて、彼女もここにいる。仮想現実という夢の世界の住人として。同じじゃないか」

 瑞菜は思いっきり泣いて、気が済んだのか空を見あげた。冬の星座が夜空を彩っていた。

「ごめんなさい。自分のことばかりいって、星野さんを苦しめました」

星野はかがんで涙でぬれた彼女の顔を見た。大きな瞳が彼を見据えていた。

「自己中心的なのは人間の特権だから。もう苦しまないで」

星野は「瑞菜は人間だよ」という思いを込めて言った。星野はもう迷っていなかった。ポケットの中からケースを取り出し、ふたを開けて指輪をつまんで彼女の左手の薬指に通した。

「そばにいてください。僕の脳がくちるまで」

瑞菜は薬指の指輪を見つめてから「はい」と短く答えた。

 星野は飯塚と考えた指輪をつける答えを瑞菜に説明しなかった。彼女もその答えを必要としなかった。

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