終わりの日にて〜とある少女と誇り高き竜のはなし〜
その日、竜は解放された。
遥か北の雪の大地。そこは白以外の色は許されない風さえ凍える場所。
そこで竜は自由になった。
竜の前には少女。
今まで竜を縛っていたもの。彼女は縄そのもの、そして彼女は今日自らそれを解いた。
なぜ?
自由になった竜の口から出た最初の言葉。その昔、全ての生物に恐れられた竜の王は少女に聞いた。
「なぜ自ら終わらせてしまう?なぜ戦おうとしない?」
少女は自分より遥かに大きな竜を見つめる。
出会い、そして今に至るまで。竜を駆り、数多の戦場を統べてきた日々。自分の答えはその駆け抜けて来た毎日を、忘れることの無い過去を全て否定していた。
「おそらく、私とあなたが本気を出せば悪くても引き分け。まず、負けるということはないでしょう」
でも、と言って少女は言葉を切った。
竜は静かに言葉を待った。
この少女に出会う前の自分が、今の自分を見たら何を思うのだろうか?
未だ夢に見る、出会いの日。あの死人のような目をした少女と、今目の前で死に行こうとする少女。
同一人物だと、いったい誰が信じられる?そして、自分もそれに促されるように変ってきた。
少女が微笑んだ。
まるで互いの考えていることがわかったかのように。もう終わりなのだと悟ったかのように。
「疲れちゃった」
そう嘯く少女。竜は小さ息を一つ吐き、どこまでも正直者だと呆れた。竜と少女の心をもっとも簡単に表した言葉は、認めたくないが他にはなかった。
少女が片手を前に出した。それは少女が竜に跨るための合図で、そして竜は逆らうことなく今まで通り首を地面に下ろした。が、少女は跨ることなくその手を竜の頭に置いた。掌より大きな目は閉じることなく少女を見つめる。
「これからあなたが戦うのはエサを取るときと、名誉を傷つけられたときだけ。それでもむしゃくしゃして、町や国の一つや二つ滅ぼそうとも私にはもう関係のないこと、だから好きにするといいわ」
人類の守護者と呼ばれる者には相応しくない言葉。それも本心。
竜は決めた。なんとなく、終わりの日にはこうしようと考えていた。他の者に手を下されるのは我慢できない。が、少女は頑として拒否するだろう。
前置きなどいらい。竜は自らの願いを少女に言った。
「我をこの地に封じて欲しい」
白い風が一層強くなった。
竜は首を持ち上げると両翼で風を隔てて少女を守る。
驚きのあまりただ見つめるだけの少女には、そんな竜の動きも目に入らない。どうして?そう聞くのが精一杯だった。
ほんの少しだけ、竜は考えた。いつか終わると知りながらも走り抜けた日々、そして辿り着いた今日。
「少々疲れた。故に少し眠りたい」
そして正直に答えた。
すぐには理解できなかった少女だが、それが考える必要もないほど簡単な答えだと気がつくと思わず俯いた。体は少し震え泣いているようにも見えたが、次に顔を上げると涙を浮かべるほどに笑っていた。
竜は目を閉じ少女の笑い声を聞いていた。互いにとって、満足できる結末になったと思う。腹いせに世界を滅ぼそうとするよりはずっといい。この世の果てとも言える白き大地、ここも最後にはふさわしい場所。考えてもこれ以上は無いように思えた。
少女の前に大きな氷の塊ができていた。中には竜が。雪に積もられその姿は半分も見えなくなっていた。
最高傑作だと少女は満足していた。人類史上もっとも強固な封印に違いないと思った。
「でも、きっといつか解ける」
少女は声に出して言った。自分に対してなのか、今は眠る竜に言ったのかはわからない。
封印が解ける、それが人の手によってなのか自然に解けてしまうかはわからない。が、できるならば人の手によるものであってほしいと少女は願う。そして目覚めた竜が最初に出会う人物、自分と竜が出会ったときのような出会いであればと思う。
風に混じり、音が微かに聞こえた。たくさんの雪を踏む音。百や二百ではない。
早いなー、と少女が苦笑する。さすが自分が指揮していた精鋭軍、相手が魔物だろうが同じ人間だろうが容赦ない。
彼らの存在も、少女が今日を迎えられた理由の一つだった。
目の前の巨大な氷の塊を、雪に覆われ姿の見えなくなった竜を少女はもう一度だけ見上げた。
そして、背を向ける。
目を閉じた少女がルーンを唱え自らの力を解放した。光が弾け、それまで猛っていた吹雪すらも威圧する。もちろん彼らも気づいたはず。
誰も殺すつもりはなかった。ただ、最後に自分の力を見せ付けてやろうと思っていた。理由は簡単、何も考えずに全ての力を出したことが今までになかったから。自分でもそれがどの程度になるかは分からなかった。自分がどれだけできるかという挑戦の気持ちが久しい。胸が高鳴った。
確実に近づいてくる足音に向かって少女は進んだ。もう待ってはいられなかった。
後の世界で、自分はどう思われるのだろうかと少女は思った。
世界を救った英雄か、世界を裏切った悪魔か。どちらにしろ、まさかこんなに満足できる最後だとは思われないだろう。力ある者の最後はいつだって悲劇。悲劇的に書かれた自分を見たら、あの竜だって声を出して笑うだろう。そう考えると少しだけ恥ずかしくなる少女だった。
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