閑話:ひねくれ者は気になる者
「お前さぁ。もーちょっと人付き合い良くした方がいいぜ」
「けっこう。一人で十分だよ」
古民家の庭。そこで喧嘩を吹っ掛け、しかし疲れ果てて倒れた俺の言葉に、そいつは不愛想で返す。息は切れているが、クリーンヒットさせれたことは、ただの一度もなかった。
ムカつく。これまで俺は口と拳で多くの奴を近くに置くことが出来た。腕っぷしに自信があり、さらにうまく相手を乗せることが出来れば、簡単に味方に置いておくことが出来る。不良も生徒会もわけない。学校の裏番は、俺だ。
だけど、こいつだけはそれができなかった。上げたり落したり、友好的に近づいたり言葉で持ち上げたり、その全部をのらりくらりと躱される。
ついには俺自身が禁じ手として封印してきた喧嘩でも、こいつには通用しなかった。のらりくらり、ふらふらと動いて、振う拳が全部躱される。敵わない。
だけど、思ったんだ。俺は、こいつを近くに置いておきたい。不良とかのトップの右腕。そういうのじゃなくて、何かをする時に一緒になってくれる相棒、パートナー。俺は、こいつをそういう風に置きたいんだ。
「弟には優しい家族想い。それはいいけどよ、身内ばっか気にしてると、世間が狭いぜ?」
「それなら、君にも言えるでしょ。もう少し家族のことを考えてみたらどう?」
そう言い返される。こいつの考え方は、俺とは違った。だから嬉しい。こいつには、俺にないもんがある。だから、俺の傍に置いておきたい。いや、居て欲しい。
「なぁ日下部。お前もさ、オカルト研究会に入ろうぜ。んで、俺と一緒に盛り立てんだよ」
「却下」
素気無く却下する日下部は、やっぱり見逃せない。
日下部と弟の状態を見たからには、余計にそう思った。
ならば、粘着してでもこいつを俺のコミュニティに入れるまでだ。そして、こいつの人付き合いの悪さを、俺が解決してやる。
入学から一年。四月も終わり。俺の計画は、今現在も進行中だ。
――――――――――――――――――
日下部は人付き合いが悪い。
基本必要最低限しか口にしないし、自分から雑談を持ちかけることもない。
そういう奴を見ると、俺はガンガン巻き込みたくなる。ちょうどいいパシリになるから……っと、こいつは昔の癖だ。だいいち、それ日下部に当てはめるのは当の昔に諦めている。
日下部はパシられる奴とは違う。独特の近寄りがたい雰囲気。なんにでも興味なしと主張する目。そっけない態度。パシリにしようとしても、のらりくらりと躱されるのがオチだった。
それにだ、こいつは突っ込むところが少ない。強いてあげるなら人付き合いの悪さだが、それはこいつが自分から率先してること。指摘したところで、小動もしない。
いや、もう一つコイツの苦手がある。なんでもそつなくこなし、苦手など一つも無さげな日下部。その欠点は、一年という期間をかけてコイツの傍に席を作った、クラスで俺だけが知り得た事。
「おい、なんだよその絵は」
「……うるさいな。東海林は口出ししないでよ」
日下部の唯一の欠点は、絵がどうしようもなく下手だ。幼稚園児、いや、赤ん坊並といっても決して誇張じゃない。
「なんで美術を選んだんだよお前」
「抽選で外れたの。それで、枠が余ってた美術に回された。踏んだり蹴ったりだ」
俺たちの通う伯幡高校は美術・音楽・書道の三つから一つを選択する。俺は最初から美術を選んでいたんだが、日下部はお察しの通りだ。去年の成績は大体中の上なこいつだが、今学期は美術だけ赤点を貰いそうだ。
「勘弁してほしいよ。とんだ巡り合わせだ」
「怪異に恨まれたんじゃねぇの?」
「縁起でもない。ま、ありえるけどさ」
日下部は霊感が強い。俺が欲しいくらい、常に怪異と隣り合わせの生活を送っている。
こいつの目線は、俺にはないものだ。
「あ……」
美術室を出て、一年の教室前の廊下の途中。日下部が足を止めた。窓を見つめ、じっと下を見下ろしている。
「どしたよ、なんかあったか?」
「……いや、どうってことないよ。ただの霊」
またか。
近くにいる怪異に気付いたんだろう。日下部の霊感は、一般的な霊感がある人より数倍は強い。校内に迷い込んできた浮遊霊の存在をピーンってキャッチしちまうんだ。その余りの正確さたるや、世間で知られる霊能者に肩を並べるくらい。
「どうってことなんかない! 十分なネタだろ! どこだ、どこにいんだよ?」
「はぁ……ほら、中庭の、あのデカい木、その真下さ」
日下部の示す場所をじっと見るが、ダメだった。俺には何にも見えない。ちっともさ。
「東海林には見えないでしょ。頑張ったって、後から霊感を強めるのはほぼ不可能だよ」
「なんだよ。そんな夢の無いこと言うなよな」
「事実は事実。それに、あれはただの浮遊霊だよ。相手したって面白くもなんともない。それより、早く行かないとパンが売り切れるんじゃない?」
「いや、パンよりも霊のが重要――」
と言ったところで、俺の腹が力なく鳴った。くそ、間の悪い。
「ほらほら、つまらない浮遊霊相手にするよりも、お昼にしようよ」
「ちっ、分かったよ。でもさ、放課後になってもいるんだったら、ちょっと悩み聞いてやろうぜ。うまくすりゃ成仏させられたり……」
「簡単な悩みだったらね」
投げやりな日下部は窓から視線を外し、階段の方に向かっていく。だけど、
「あの……」
そのまま階段に向かいかけた足を止め、振り返る。一年生の女子だ。物言いたげに、俺たちを引き留める。
「日下部、待った」
「なに」
「なにって、声かけられて無視はないだろが」
「いや、面倒だし」
「まーそう言うなって」
日下部の肩を掴み、無理やり引き止める。こうでもしないと、日下部は本当に階段を下りてしまいそうだった。
「で、なにか?」
「あの、ひょっとして、あそこの幽霊、見えてます?」
その言葉に、俺は嬉しくなる。声をかけて来たから何かと思ったが、まさか怪異関係。それも、この発言だと彼女にも幽霊が見えている。
「おう。つっても、見えてるのはこっちだけどな」
日下部の肩を叩くと、日下部はあからさまに不機嫌な表情になった。
日下部は、根はいい奴だ。家では引き籠りの弟の面倒を一人で見てるらしいし、頼まれごとを断ることはない。付き合ってみれば、普段の不愛想な態度もだいぶ軽減される。俺の事も気にかけてくれる。ぶっちゃけ、高校の裏番にでもなろうかと画策していた俺が三年の先輩しかいなかったオカルト研究会を立て直し、友達づきあいを良くするよう心掛ける切っ掛けになったのも日下部だ。
ただ、日下部はどうにも知らない人に対して無関心だ。それどころか、こういった浮遊霊、人間霊に対してもそっけない態度だ。言ってしまえば、閉鎖的なんだ。自分のコミュニティ内だったら割と良く話すけど、全く知らないところには一切口出ししない。世渡りがいいとととても言えない。
案の定、女子生徒の方も日下部に対して少しやり辛そうな表情になった。
「あー、気にしないで。こいつはさ、ちょっと不愛想が過ぎるんだよ。根はいいんだぜ、根は」
「東海林。そういうのを一言多いって言うんだ。否定できないけど」
「だろ」
「はぁ……ごめんね。癖でさ。それであの幽霊が気になるの?」
日下部は俺に愚痴を吐き、しかし一転して感じのいい態度をとる。ここまで来るのに苦労したもんだ。入学当初の日下部は、本当に誰も寄せ付けない態度をビンビンに発していた。誰も関わろうとせず、クラスの中で完全な孤独を完成させてたんだ。
日下部が口を開き、その拍子に持っていたスケッチブックが床に落ちた。そして、運が良いのか悪いのか、下手くそな絵が公開される。
「…………」
二人の間に落ちる間。日下部にとっては非常に苦しいだろうな。他人とのかかわりを避けているといえど自身の絵の下手さを自覚し、それをかなり気にしているんだ。
だが、今回はそれが功を奏した。相手の一年生は、クスリと笑いを溢す。日下部にはバツが悪かっただろうが、会話をしやすくなったと言えよう。
「えっと……」
「これは忘れて。それよりも、あの幽霊の話」
日下部はさっさと話題を変えようとするが、慌ててスケッチブックを隠す。その所作は、以前の近寄るなオーラを発揮していた頃とは大違いで、ある種親しみ易さすら感じる。
こいつが大きく変わったのは、みはるの人形を見つけてもらった辺りだな。あのころから、日下部の人付き合いはだいぶ改善されている。何かあった、と見て間違いないだろう。
「はい……あの、この高校って、何かあったとか、後ろ暗いものがあったり……ああいうのを引き付けるんですか?」
「ないない。あれはね、近隣をふらついてた浮遊霊だよ。浮遊霊って、特定の場所に縛られてる訳じゃないからさ、あっちこっちに出て来るんだ。まぁ力も弱いし、自然と勝手に成仏するか、悪霊になるかのどっちかだから。気にしなくていいよ」
あっさりと日下部は言うが、女子生徒の方はまだ不安げだった。普段から見慣れてるってわけでもないのだろうか。
「気になる?」
「……昔はそうでもなかったんですけど、最近はどうして留まってるのかなって、気になって……」
「霊がこの世に居座る理由なんて千差万別だよ。一々気にしてたら、面倒くさいだけ。人間霊なんて相手するだけ時間の無駄、って思うけど」
そう言うが、日下部の目は心こkにあらず、みたいな感じだ。自分の言葉が自分の意志と一致しているのか分からない。そんな感じ。彼女の方も、日下部に同意しきれず複雑な感じだ。
「そう、ですよね。でも……」
彼女は、それでも気になって仕方ない様子で窓の外の幽霊がいる場所を見つめる。
「……あー分かった。あれは僕が話を聞いておくよ」
「それなら私も――」
「いいよ。こういうのは慣れてる人がやった方がいいし、って訳で東海林、どうせ来るなって言っても来るんでしょ」
「当たり前だろ」
幽霊関係の話題を解決することは、オカルト研究会の活動内容で最も大きな事。日下部が一緒だとそれも数倍は捗るし、ついて行かない理由がない。
「どーせ大したことないけどね。人間霊相手は面白みがないから」
「そーゆーなって」
「あの――」
ついて行こうとする女子生徒の言葉を振り切る様に、日下部はさっさと廊下を早歩きで行ってしまった。
「あー……」
相変わらずの不愛想。頼まれて、応じるくらいにはなったが、それでも人付き合いを避ける性格は相変わらずだ。
ホントはさ、心配なんだよ。あーやって人付き合いを避けて、家にいる弟ばかりかまう。ブラコンが過ぎるってのもあるけどさ、あれじゃ弟に縛られてるようなもんだ。いや、一回見たことあるから、あれは弟の方も日下部を縛ってる。兄弟共々、相手を縛っちゃって内向的に行き過ぎてんだ。
「わりぃな。放課後に顛末教えるからさ、オカルト研究会の部室に来てくれよ。あ、俺は部長の東海林」
さっさと日下部を追いかけないといけない。だけど、あいつがあれほどの不愛想だから、俺が周囲を固めてやらないといけないんだよな。あいつが、抜け出せた時のためにさ。
軽く挨拶を済ませ、俺も日下部を追いかけた。
放課後。例の女子生徒はオカルト研究室の部室に来てくれた。よほど気になってたんだな。日下部は「ホントに来たよ」と若干呆れ気味な声を洩らす。
「あの、それで幽霊はどうなりました?」
「成仏したよ。ただ単に自分が死んだ自覚がなかっただけだから、それを教えて証拠に東海林をすり抜けさせたら、納得して消えてった」
「そう、ですか」
すり抜けられた感覚は、俺には皆無だったんだがな。
女子生徒はほっと安心したように息を吐いた。
「そんなに見えることが嫌?」
「昔から、見えるんです。いつもは気にしないようにしてるんですけど、あの幽霊は私が登校してる時からついて来てましたし……つい気になっちゃって……」
件の幽霊は誰にも視線を合わせてもらえないことが気がかりで、偶然目があった彼女について来たらしい。ただ、校舎に入るのは憚られ、中庭から見上げてたとか。中庭に入るのも十分憚られることだと思うが。
「気にしないでいいと思うよ。興味無いものに意識割いてても仕方ないし」
言葉を切ると、日下部は鞄を持った。もう帰るつもりだ。すると、女子生徒の方は物言いたげに腰を浮かせ、しかし言えずにとどまった。
惜しいな。
たぶんだが、この女子生徒は見えるけど慣れていない。会った時の暗い表情といい、怪異関係の話が出来る人がいなくて、ずっと溜め込んでたとか、もっと色々悩みがあるとか、そういうのではないのか?
今日わざわざ来たのも、溜まっていた疑問や悩みを解消するため。
なら、
「なぁ日下部。ちょっと待てよ」
「なに?」
「いやな、せっかくだからお前がこれまでに会った怪異の話とか、してやったら?」
日下部はあからさまに嫌そうに「何で?」と視線で訴える。「東海林がやればいいじゃん」とでも言いそうだが、その前に先手を打つ。
「俺は、ほら霊感がないからな。生の体験を話してやったらどうよ」
「見返りは」
「オカ研部員が一人増える」
「『僕への』、見返りは」
「……コンビニでなんか驕るから」
「ま、いいか」
鞄を机の上に放り、日下部はもう一度席に着いた。すかさず俺は部室に備えておいたコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、二人に出す。
「なんか東海林の強引な感じだけど、いいの?」
「はい! 霊感持っている人、他に会ったことないので、お願いします」
仕方ない、と言った表情で日下部は自分の怪異関係の話を始める。日下部はこういう積極性が強い奴に弱い。押されると仕方ないって感じで懐を広げてくれるんだ。ガードは堅いが、内に入り込んでしまえば脆いもんだ。
「あ、名前訊き忘れてたけど」
「池口です」
「じゃ、池口さんね。えっと……」
いい傾向だと思う。日下部と親しく話せる奴が増えれば、日下部の人付き合いの悪さが改善される。そうすれば、日下部と俺の友人としての距離は縮まるだろう。
池口さんには、このまま日下部の少ない友人になってくれればいい。さらに言えば、そのまま池口さんがオカ研に入ってくれればもっといい。
敷居が低くなれば、日下部がオカ研に入る可能性が高くなる。日下部を俺の傍に置く計画は、着実に進行する。
機嫌のよくなった俺は、コーヒーに合わせるお菓子を買いに、こっそり部室を出た。
結論から言えば、池口さんはオカ研に入部しなかった。だが、偶にお日下部と池口さんが姿を見かけるようになったのは進歩だ。その変化は些細なものだが、確実な変化だ。
しかし、日下部は相変わらず一人でぼんやりと過ごしてる。この調子だと俺の目論見が達成できるのは、もう少し先の話だろうな。