第一話:ひねくれ者の僕と落ちこぼれな人形霊 その二
玄関を上がり、明かりのスイッチを入れると、真っ暗だった家屋に無機質な明かりが灯る。突然周りが明るくなったことに驚いたのか、様子を窺っていたメリーさんが飛び跳ねるほど驚く。
「靴は――あ、なかったんだ。そっちに居間があるから、上がってて」
恐る恐る、と言った様子で一歩一歩足を踏み出すメリーさん。その小さな足が踏み出される度に、廊下の床が「きぃ」と不気味に軋んだ。
メリーさんが携帯電話を握りしめながら居間に入って行ったのを見届け、僕は台所に入った。冷蔵庫を開けるとタッパーに詰め込まれたお惣菜がある。昨日、勢いで作ったから揚げと、油がもったいないからとコロッケを連続で揚げたのだ。どうにか油は消費したけど、結局食べきれず今日の昼食、そしてこれからの夜食になったのだ。
「米は……昨日の残りがあるか。サラダが欲しいかな」
冷蔵庫からキャベツを取りだし千切りにする。手間を駆ける余裕はない。家に帰った途端、押し寄せた空腹感に耐えられそうになかった。大き目のお皿に盛りつけ、和風ドレッシングをかければそれだけで完成、男の手抜き料理。折よくご飯と惣菜の温めも終了し、持てるだけ持って居間に運ぶ。
「ほったらかしててごめんね~。ま、ご飯でも食べながら」
メリーさんは今の真ん中のちゃぶ台の前にちょこんと座っていた。彼女は机に並べられた料理を興味有り気に眺めている。
「……あの、これ食べてもいいですか?」
「ん? あ、やっぱり君は食べれるんだね。うん、たくさんあるからどうぞ」
怪異だろうと食べ物は食べる。食べれない怪異や人間が食べれない物を食べる怪異も居るけど、生物に近い容姿の怪異は、大抵普通の食材も食べてくれるのだ。怪異は見えないけど確かに存在するんだ。
「僕もお腹減ってるからさ、とりあえずお腹満たしてから――」
そう言いながらから揚げに箸を伸ばした瞬間だ。
むんずと小さな手にから揚げが掴みとられ、そのまま精一杯開かれた小さな口に押し込んでいく。
「えっ?」
僕の驚嘆など、草が風に揺れる音としか捉えられなかっただろう。目の前の少女は小さな手で惣菜を掴み、無理やり口に押し込み、キャベツの千切りを素手で抓んで口にねじ込む。ご飯も例外なく、素手のままかっ込む勢いで平らげていく。
「あの、せめて箸使って……」
僕の声は全く届いていなかった。少女――メリーさんは一時、その姿に似つかぬ野獣のような食べっぷりを披露し、気付けば僕が取り皿にとっておいた物以外、ちゃぶ台の上の料理は全て消え失せていた。
「ごちそうさまでした」
「……すごい食べっぷりだね。もう少し落ち着いて食べても良かったんじゃないかなぁ」
「『出されたものに遠慮はするな』先輩の教えなのです!」
玄関先で泣き出していた姿は当の昔。食事を終えたメリーさんに、その面影は一切感じられない。すっかり気分がよくなったのか、メリーさんはニンマリとした笑顔に鼻息も追加してドヤ顔。これが知り合いだったなら、僕は容赦なく氷点下の眼差しを向けていただろう。
「あ、もしかしてあなたのご飯まで食べちゃったですか?」
「いや、それは大丈夫だけど」
「そ、そうですか。ふぅ~、安心で――ってうきゃー!?」
ほっとした表情を浮かべたのもつかの間、メリーさんは天にも届かんばかりの悲鳴を上げた。その視線は、僕の背後の押入れに向かっている。
押入れはほんのわずかほど隙間を作り、そこからどんよりとした視線が僕たちを覗き込んでいた。
「ああ、ごめん。僕の弟」
「お、おおお、弟ですかぁ!?」
「うん。引き籠りの弟。いつの間にか僕についてきちゃってて、一緒に住んでいるんだ。秋人。これ、今日のご飯」
そう言って取り皿に取っていたお惣菜と茶碗に盛ったご飯、それから箸を指し出すと、秋人は押入れから手だけ出し、夜食を受け取るとまた押入れに引き籠ってしまう。
「あ、あああ、あの、弟さんは、学校とか行ってないのですか?」
「うん。引き籠りだからね。勉強は僕が教えているんだ」
メリーさんはさっきまでの衝撃が薄れないのか、ぱくぱくと口を金魚の様に口を開閉させていた。
久しぶりに嵐の様だった食事を終え、急須から注いだお茶で一服する。これだけでも、だいぶ気持ちが落ち着くはずだ。
「それじゃ、そろそろ本題に入ろうか。急に泣き出しちゃったけど、よかったら話してくれないかな。やっぱり僕が君を驚かしちゃったからかな」
「いいえ、違うです」
メリーさんは俯き加減になり、少し言い淀んでから、思い切って口を開いた。
「わたしは……メリーさんです」
「うん、そうだね」
「知ってるんですか!?」
「そりゃまぁ、都市伝説で結構有名、メジャーな部類だからね」
『メリーさんの電話』
ある日、ある少女が引っ越す際に古くなった外国製の人形を捨ててしまった。
その人形の名は、メリーさん。
無事に引っ越しが終わった日の夜。少女は引っ越し疲れの所為か、早々に眠りに落ちてしまった。
しかし、真夜中だと言うに、少女の家に電話がかかってきた。少女は無視を決め込んでいたが、諦めることなく鳴り響くコール音に根負けし、受話器を持ち上げた。
「あたしメリーさん、今ゴミ捨て場に居るの」
恐ろしくなった少女はすぐに電話を切った。ベッドに戻ろうとしたが、再び電話がかかってくる。
「あたしメリーさん。今、タバコ屋さんの角に居るの」
その後もメリーさんからの電話は何度もかかってくる。しかも、メリーさんは少しずつ少女の家に近づいていた。
そしてついに「あたしメリーさん。今あなたの家の前にいるの」という電話が。
少女は意を決して玄関のドアを思いきり開いた。しかし、誰もいない。「なんだ、ただのいたずらか」そう思い、安心した直後、再び電話が。もういたずらと解っている少女は何の気もなしに電話に出て、
「あたしメリーさん。今、アナタのウシロニイルノ」
これが、僕の知る都市伝説『メリーさんの電話』だ。
要するに、捨てられた恨みを元の持ち主にぶつける人形の怨念、と言ったところ。元々意志のない存在に意識が宿って怪異が生まれるのは、昔ならよくある話だ。有名どころで言ったら、一反木綿なんかが代表にあげられる。あれは諸説あるけど、現象をそのまま捉えれば、意志を宿した布、みたいなものだろう。
現在ではインターネットでいろんな都市伝説が飛び交っている。くねくね、ことりばこ、八尺様。これら有名な怪談サイト発祥の物や、テケテケ、こっくりさん、口裂け女、みたいな正直僕も発祥を知らないような昔からある都市伝説もあったりする。
メリーさんは後者に当たり、割と昔からその話題を聞く。まぁ、悪ふざけでコメディー調に脚色された話が多くあったりするけど。
「あきさめさんは詳しいみたいですね。その通りです。で、わたしもメリーさんとして、元の持ち主に復讐しようと思ってるんです。……あんにゃろ、こんな可愛いわたしを捨てるって、脳みそ腐ってますよ」
「…………そう」
笑顔で復讐してやるなどと言ったうえ、メリーさんは黒い顔で何事かと呟く。
「だけど、思い出せないんです。前の持ち主が誰だったのか。復讐を果たした先輩のメリーさんにも協力してもらったんですけど、見つからなくて……それに、わたし、ドジでぇ……あてずっぽうにいろんな人を脅かそうとしたんですよ。でも、全部失敗しちゃって……」
「失敗、ねぇ」
「みんないじわるなんですよ。後ろに回れるって思ったら、みんな壁を背にしてるからわたしが壁に入ってしまいますし、そもそも玄関を開けてもらえなかったり……こんな幼気ない少女をいじめるって、人間は悪魔ですよ悪魔。本物の悪魔の方がまだ優しいくらいです。あいつら、約束はいちよう守りますし。人間は簡単に約束を破るクズヤロウです」
メリーさんが口にする失敗談は、インターネット上で冗談交じりに言われてる対処方だ。あれって、通用するんだ。
「あんまりお粗末だから、先輩方も愛想尽かしちゃって……わたしを見捨てるとか、センパイ方には良心ってのがないですよ」
調子が戻ってきたのかな。メリーさんが毒を吐き出し始めたよ。しかもけっこう強力な奴。
「そういえば、メリーさんって今、女の子の姿してるよね。元々の人形は?」
メリーさんは意志を持った人形、というのが定説だ。だったら、元になった人形もあるのだろう。あるいは、人形が変化して今の少女の姿になったのか。
「あ、わたしの本体ですね。えっと……これです! どうです? 可愛いですよね?」
「あ、あ~うん。そうだね」
ポーチの中から取り出した人形は、メリーさんと同じ長い亜麻色の髪に白のワンピース姿、肩からポーチを下げており裸足といういでたちだ。捨てられた所為か、かなり汚れているが、確かに外国製の人形でどこか愛らしさがある。ただ、
「ちょっと、不気味な感じがするね」
「不気味!? どこがです!? わたしのどこが不気味っていうんですか!?」
「う~ん、なんというかさ、可愛いのは可愛いんだけど……目が、笑ってないんだよね」
「笑ってない……そんなことないです! わたしは常に笑顔を絶やさない純真なメリーさんです! ……あきさめさんの目が節穴なんじゃないですか?」
あ、僕にまで毒が迫ってくる。これ以上不機嫌にさせると話が進みそうにないな。
「あーうん。とにかくこの可愛らしい人形は置いといて……」
「可愛らしい……え、えへへへへ」
あ、笑った。分かりやすいな。
「それで、君はどうしたいのかな?」
何か悩みなら訊くよ。そう言ったのは僕だ。そして、メリーさんのこの先の言葉も半ば分かっていた。でも、こういうのは、きちんと本人の口から訊くべきだと思う。
そして、メリーさんは満面の笑みで僕に言うのだった。
「なら、お願いです。わたしの復讐相手を見つけ出してほしいのです!」
厄介な頼まれごとだ。
知りもしない元の持ち主を捜しだす。当事者のメリーさんが思い出せないと言うのに、全く関わりの無い僕が、一体どうやって探し出せと言うのだろうか。
でも、手掛かりがないわけじゃない。
メリーさんに詳しく話を訊いたところ、彼女はこの町で、五ヶ月ほど前に生まれたのだそうだ。
メリーさんは捨てられた恨みを持って誕生する。『メリーさんの電話』のお話通りに誕生したと仮定すれば、メリーさんを捨てたのは五ヶ月前にこの町から引っ越した人物。であれば、まずはメリーさんが誕生した五ヶ月前、つまりは去年の十一月にこの町から引っ越した人物を探せばいいのだ。
幸いにも、明日は土曜日。カレンダーを確認すると、バイトは入ってない。家の掃除を済ませて、縁側で本でも読んで、秋人に勉強を教えて過ごそうかと思っていたけど、それ以上に有意義に時間を使えそうだ。
ふと、隣を見るとメリーさんが「すぅすぅ」と小さな寝息を立てていた。いつのまにか寝てしまったのか。度重なる失敗で耐えられなくて涙を流し、それを紛らわすようにご飯をいっぱい食べ、そして悩みを打ち明けて、疲れ果てて眠ってしまったのか。
僕は押入れを少し開く。すると、何も言ってないのに秋人が隙間から毛布を出してくれた。
「ありがとう」
「……兄ちゃん。また、怪異の相談を訊くんだ」
「うん。大家さんにも言われたことだからね」
「……頑張って。たぶん、兄ちゃんはすぐ気づけると思うよ」
「そっか」
そこまで言うと、秋人は押入れの戸を閉め切ってしまった。何か気づいていたようだけど、答えてはくれない。いや、答えてくれなくてよかった。
だって、これは僕がやりたくてやるんだから。人ではなく、人ならざる者の悩みを訊き、解決するのが僕の生き甲斐だ。
出してきた毛布をメリーさんにかけ、その小さな頭の下に枕代わりの座布団を敷くと、音を立てないように寝室に入る。
春の穏やかな風が木々を揺らす音を耳に、布団を敷いて横になった。そして、僕の意識はゆっくり安眠の中へ消えていった。