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第四話:家族を想う 後編その二

 喉の奥をダムでせき止められたようだったけど、それでも僕はその言葉を吐き出すことが出来た。みはると池口さんは、両目を見開いたまま固まった。ひょっとして、半信半疑だったのだろうか。


「誰に訊いたのかな。僕が、知っていながら、忘れようとしてるってこと」

「東海林先輩です。彼に、全て聞きました」


 ああ、そういうことか。納得がいって、小さくため息が零れた。

 東海林は、去年の春にここに押しかけたことがある。その時にどんな会話をしたか、僕は全く覚えていない。たぶん、僕の解離性障害の所為でその時の記憶は抹消されているんだろう。でも、その出来事があったという客観的な視点なら、僕も聞いただけ知っている。

 東海林は、僕が弟の幽霊を見ていると察した。東海林が僕の霊感が特別強いと知ったのは、それからだ。


 東海林は意外と勘の働く奴だ。僕が解離性障害を患い、秋人が死んでいるという事実から逃げようとしていると、気付いた。だから、東海林はさりげなく僕の弟を気にするようなことを言う。そうやって、少しずつ現実と向き合わせようとしたんだ。


「東海林先輩が言うには、日下部先輩は、以前はもっと酷かったと。秋人さんの話題を口にしただけで意識を失くされることもあったとか」

「その通りだよ。秋人が死んでいるって言うワードを聞くだけで……僕は気を失いそうになる。今も、ちょっと眠気に襲われてるんだ」


 立ち上がり、台所に入って顔を洗った。これで、少しは意識を保っていられるだろうな。ついでに鍋の火を止めて、居間に戻る。池口さんとみはるは、もう居間に上がっていた。電灯を点けようかと思ったけど、やめた。今日はきれいな満月。科学的な明かりは、無粋だ。


「東海林には、感謝してるんだ。あいつが秋人の死を語るから、そのおかげで僕は少しずつ現実に向き合えた。こうして、簡単に寝てしまわないくらいにはね」


 一言一言、吐き出すように告げていく。視界の中で、池口さんとみはるの表情に安堵が混ざったのが視認できた。もう少し、もう少し、言葉を重ねなきゃ。


「時間はかかるかもしれない。でも、少しずつ、この障害を克服できるようにはなってるんだ。……この間は、迷惑をかけたね。急に秋人が霊体になってたものだからさ、僕も驚いたんだ。ほら、いつもは、大家さんたちが用意してくれた仮の肉体に憑いてるからさ」


 そう、大丈夫。僕は、少しずつだけど、この障害と向き合えてる。

 解離性障害は、障害者である僕が、現実を認識できない。本来なら僕は自分が障害者であると認識すらできないんだ。だけど、東海林が少しずつ働きかけてくれたことで、大家さんや秋人が時間を作ってくれたことで、改善に向かえてる。僕が障害者だって気づけたのも、今年の六月にやっと、だ。


「ひょっとして、今朝から二人して様子が変だったのって、これの所為だった? はは、ゴメンゴメン。でも、今話した通りだから、大丈夫、だよ」


 じっと見つめてくる池口さんに、僕は乾いた笑顔を浮かべた。大丈夫。ほら、こうして苦笑できるくらいには、自分が解ってる。大丈夫、大丈夫――




「それで、いつまで先送りにするつもりなんです」


 鋭い言葉の刃が、心に突き立った。

 みはるだ。


「み、はる……?」

「秋雨さん聞いてます? てゆうか、聞けよ現実逃避野郎」


 家に来てからの最初の一言以来、ずっと黙っていたみはるが、ねめつけるように僕を見上げた。畳の上に立ち、ぎろりと双眸を叩きつける。


「意識出来てるから、大丈夫だから。そう言って、いつまで今の状況を続けるつもりです?」

「みはる……」

「秋雨さん。あなた本当は治す気なんてこれっぽっちもないですよね。秋人さんと一緒に暮らせる現状を、いつまでも続けていたいだけですよね。死人と暮らし続ける狂った環境を、いつまで続けるつもりですか?」


 みはるの言葉が、鋭い槍となって僕に突き刺さる。あまりの痛みに、返す言葉が紡げない。だけど、みはるは止まらない。


「先週するはずだった話は、お姉ちゃんとわたしをもう少し一緒に居させるための相談でしたよね。おかしいですよね。以前秋雨さんは言ってました。人間霊は、あまりこの世に長居すると悪霊化するって。私は怪異ですけど、人間霊から生まれたんですから、未練も何も残さず居なくなるように促すのが、秋雨さんですよね。それが、あなたのお役目ですよね」


 みはるは、苦い表情だけど、捲し立てるように告げた。


「それは……二人が別れる前に、気持ちの整理くらいは付けさせるべきかと……」

「そんなもの、とっくに……ついてますよ。お姉ちゃんが本当に求めてた美春さんは、もう成仏しましたからね。わたしは、美春さんの思念から生まれた残りカスみたいなもんですよ。美春さんの様で、美春さんと一緒じゃない」


 池口さんを見ると、少し驚いた風だったけど、決然と頷き返した。


「秋人さんが言ってましたよ。『死人憑』は、妖怪の一つのように語られてるけど、本質的には人間霊――浮遊霊に過ぎない存在なんだって。だったら、長居させるのはマズイですよね。秋雨さん、秋人さんを悪霊にするつもりですか」

「違う、そんなことは……」

「だったら、こないだの態度はなんですか。秋人さんが死んでることを指摘された瞬間、秋雨さん脇目も振らずに布団に向かいましたよね――逃げましたよね」


 ザクリと心臓を斬りつけられる感覚が襲う。みはるは毒舌が強い。今日ここにい至って、それは絶好調だ。僕に対して、躊躇など全くせずに言葉を叩きつけてくる。


「お姉ちゃんには自分の罪から逃げられないとか偉そうなこと言っといて、自分が一番逃げてるんじゃありません? 秋人さんが死んだのは、秋雨さんが引っ越す日でしたよね。一年半も、こんなふざけた状況を続けてるって、まだ続けようってんですか?」


 …………うるさい。


「秋人さんは『死人憑き』という怪異です。怪異相談役が、自分の傍にある怪異の悩みを長々と放置してるんですか? とてもじゃないけど相談役名乗れませんよね。大家さんの選定にも、酷い誤りがあったものです」

「……うるさい」

「秋人さんの望みを踏み躙って、秋雨さんは自分の望みに終始します。それどころか、自分と似たような間違いを平然と否定し、自分は逃げてんですか、盗人猛々しいですね。ねぇ、秋雨さん――」

「うるさいよ!!!!」




 取り乱すなんて、僕らしくない。握り込む拳はわなわなと震え、普段らしからぬ怒声で叫んだ。抑えられない。


「僕の両親は、僕の引っ越しの後で死んだ。事故死さ。父さんも、母さんも、秋人も! みんな死んだんだ! 残ったのは僕だけ。浮遊霊になってまで戻ってくれた秋人も、分からず屋の親戚たちが引きはがそうとする! そんなの、容認できる訳ないじゃないか!」


 僕の親戚にも、霊感の強い人がいる。僕より少し年上の、今は立派な若神主だ。彼は、秋人を成仏させようとした。悪霊になりかねないと言って、祓おうとしたんだ。

 秋人は僕のたった一人の家族だ。浮遊霊だとしても、怪異だとしても、僕がその死を認識できていなかったとしても、僕に残されたたった一人の家族だ。それを失うなんて、我慢できない。


「……池口さん」


 僕の問いかけに、池口さんは迷いの残る瞳を向ける。


「池口さんなら、少しは分かるんじゃないかな。美春さんを亡くした時、美春さんを想うあまりに君は彼女の存在を否定した。でも、それで残った空しさは、哀しみはどう? 納得できた? 自分を抑えられた? 家族を失った現実を、認められた?」

「……認められませんよ。そんなの」


 ほら、やっぱりそうだ。家族を失ったことは、どうしても認められない。長年一緒だった人を失うことは、どうしても納得できないんだ。

 子を亡くして悲しみに暮れる親。親を亡くして、その死を認められない子ども。みんな同じだ。

 親が余命宣告されて、その親は延命処置など望んでないのに、子は反対を押し切って延命を望む。それと同じさ。僕は、亡くすことが、亡くしてしまった事実に向き合えないから、こうやって、事実がやってくるのを先延ばしにするんだ。みんなと、それこそ同じさ。

 歪んだ僕だって、それだけはみんなと同じ……。


「――でも」


 池口さんが何かを堪えるように顔を歪めながら続けた。


「その事実に、必ず向き合わないといけない。死んでしまった現実から目を背いたって、いつかは向き合わないといけません。それを私に教えてくれたのは、日下部先輩です!」


 苦い言葉が、僕の口から確かに伝えたそれが、僕に返ってくる。


「日下部先輩が後押ししてくれたから、私は美春の死に向き合うことが出来ました。先輩も、自分の言葉に嘘を吐かないでください。自分が言った言葉に、責任を持ってください」


 池口さんの目は、少し潤んでいた。きっと、美春さんと完全に死別したことが、まだ尾を引いているんだろう。でも、彼女がここで告げた言葉は、僕の選択とはまるで違う。


「お姉ちゃん……いえ、小冬さんは、美春さんのいない今を生きていくと言ってます。わたしが残らなくたって、心配ないでしょう。小冬さんと美春さん姉妹のことなら、もう決着がついてますよ。あとは、まだ引き摺ってる秋雨さんと秋人さんの兄弟にケリをつけないといけませんね」


 みはるは、きっぱりとした態度で歩き、押入れの前に立った。半透明な腕を取っ手にかけ、押入れの戸をがらりと開ける。

 そこにあったのは、腐敗した肉体だ。大家さんが用意した密閉処理が施された入れ物の中から顔をのぞかせるのは、最近まで秋人が使っていた仮の肉体。腐乱臭が漂い、池口さんが咄嗟に鼻を押さえた。そうしなければならないほど、腐敗しきっている。


「こんなのを愛でることが出来るのは、それだけあなたが狂ってる証拠ですよ。秋雨さん」

「……そうさ。僕は狂って、イカレてる、変わり者だよ」


 月夜に照らされた腐った肉体が、ピクリと動いた。指がぴくぴくと痙攣し、次いで体全体が錆び付いたボロボロの機械を始動させるように、軋んで、震えて、息を吹き返す。


「……兄ちゃん」


 動いた。秋人が憑き、肉体は動き出す。それこそ、怪異、『死体憑き』。

 動きが鈍い。腐ってて、うまく動かせないのだ。それでも、秋人は必死に口を動かした。


「兄ちゃん。……僕、ね……そろそろ、限界なんだ。もう、悪霊になっても、おかしくない。……僕はさ、みはるみたいに、強い想いがあったわけじゃ……ない。ただ、兄ちゃんと一緒に居たかったから、我侭だから……気持ちが弱いんだよ」


 秋人の見る影もない姿は、そのボロボロの身体が、僕に伝えてくれる。浮遊霊が発するオーラみたいなものも、限りなくどす黒いそれに代わりつつあった。もう、本当に、秋人は悪霊に変わりつつある。


「僕はさ、今、兄ちゃんに憑いてるんだ。兄ちゃんも意識してなかっただろうけど」


 ああ、そうか。僕が特別霊感が強いのも、他の怪異を取り憑かせることが出来ないのも、そういうことだったんだ。

 怪異を取り憑かせたら、その人の怪異への耐性が強くなる。他の怪異を取り憑かせることはできない。僕は、ずっと秋人を憑かせていたから、だから、こんなに怪異に対して強かったんだ。


「限界なんだ。僕も兄ちゃんと離れたくないからさ、悪霊に成ったら、きっと……兄ちゃんを引き摺りこんじゃう。それだけは、嫌なんだ。だから……」


 取り憑いた怪異を剥がす方法は二つ。一つは怪異の方が自分から出ていくこと。でも、これは怪異の方が意志が強くないとできない。そして、取り憑かれている本人が憑いた怪異を自分の魂に縛り付けたら、出ていくことが出来ない。もう一つは、怪異と憑かれた人間、両方の合意の下、離れる。取り憑く場合も同じで、僕はそれを使って覚を池口さんに取り憑かせ、離れてもらった。

 だから、秋人を成仏させるなら、僕が合意しなければいけない。


「……嫌だ」


 ……だけど、僕には頷くことが出来ない。


「兄ちゃん……」

「嫌だよ。僕の家族は、秋人だけなんだ。それを、せっかく一緒に暮らせてるってのに、どうして手放さないといけないんだよ。嫌だ。僕のたった一人の家族を、手離すなんて、絶対嫌だ!」


 その時だ。僕のポケットの携帯電話がけたたましく鳴った。あまりに場違いな展開。だけど、反射的に池口さんが僕のポケットに手を突っ込み、取り出して僕の耳に当てた。そして、叫ぶ。


「甘ったれないでください!」

『甘ったれんじゃないですよ!』


 池口さんの。みはるの怒声が、鼓膜を揺らす。


「日下部先輩、こんな役目をやってるあなたなら、一番知ってるんじゃないですか。死別なんて、いつかは来る事。経験しない人なんて、誰一人として存在しない。私も、先輩も、それを分かってて現実から逃げたんです。日下部先輩の現状は、普通の人では出会うことの無いボーナスみたいなものです!」


『秋雨さんは、大家さんと秋人さんにボーナスを貰ったんです。その上、東海林さんに陰ながら支えてもらってたんです。そんだけ周りに苦労かけといて、まだ渋ろうってんですか! 腹くくったらどうなんですか、秋雨さん!』


 二人が叫ぶ言葉が、僕を揺さぶった。分かってる。いつかは別れる時が来るなんて、当然だ。常識さ。みんなみんな、それを受け入れて日々の生活を送っているんだ。僕らは、それがちょっと早かっただけのこと。ちょっと不運が巡ってきただけのこと。

 解ってる。解ってるさ。いつまでも現状に甘んじてはいけないって。障害を克服しつつある僕は、いつまでも、もう居てはならない人に縛られちゃいけないってことが。

 でも、それでも……!


「僕の家族は秋人だけ。さっきから言ってるだろ! それを手離すのは、もう嫌なんだ! 父さんと母さんと、それに秋人までいっぺんに亡くしたあの想いを、もう二度と味わいたくなんてないんだ!」


 プツリと携帯電話の通話が切れる。みはるが通話を止め、池口さんは合わせるように携帯電話を閉じた。

 みはるの腕が僕の肩を掴み、ぐるりと回された。視界に、半透明に薄まった亜麻色の髪が踊り、みはるの姿が映る。


「さっきから家族は秋人だけって、そう言ってますけど、秋雨さん。言わせてください」


 大きく息を吸い、みはるは小さな体で叫ぶ。




「わたしは! 今日までここで一緒に暮らしてきたわたしは! 秋雨さんの家族の一員ではないんですか!!!!」




 色々な思考が入り混じる脳内が、ピタリと静まり返る。まるで、荒れ狂う荒波の海域から、僅かほどの風もない湖に放り出されたように、ピタリと思考が止まった。


「日下部先輩。あなたが言っていたように、みはるは消えつつあるんです。だから、卑怯ですけど、お願いがあります。みはるの我侭を訊いてください」


 池口さんが前置きし、みはるが、その言葉を口にする。


「秋雨さん。以前教えてくれましたよね。優れた相談役の人や、霊媒師は、特定の怪異を取り憑かせることで力を高めているって。パートナーみたいにするんですよね。だったら、お願いします」




「わたしを、秋雨さんに取り憑かせてください」

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