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第四話:家族を想う 後編その一

 最近は、変な日ばかりだ。


 始まりは先週の事。

 朝、午前七時。いつものように目が覚めたのだけど、不思議なことに昨日いつ寝たかの記憶がない。昨日は確か、池口さんとみはるの今後を相談するために家に招いたはずだけど、何か話したという記憶は一切なかった。それについては改めて相談するしかない。


 もちろん、これだけじゃない。朝ごはんの時から僕が登校するまで、みはると秋人がやたらと話すんだ。普段は押入れに閉じこもっているはずの秋人も、その日は一緒に食卓を囲んだ。嬉しい事ではあるんだけど、少し違和感を覚えるのはなぜだろう。しかも、それがこの一週間毎日続いてる。


 高校では、休み時間に池口さんが僕の教室に乗り込んできた。普段誰ともかかわらない――強いて挙げるなら東海林くらい――僕に一つ下の女子が尋ねてくるのだから、周りの視線が怪しいことこの上ない。誤解されそうになったりで、本当に面倒だ。だから、人と関わるのは嫌だってのに。




 慌ただしい日々も、下校時間になってしまえばいつもと同じような日々に戻りつつあった。帰りにスーパーにより、夕ご飯の食材を揃える。今日は……久しぶりに鍋でもやろうか。今朝は秋人も調子よさそうだったし。

 ま、実際はまた久々に帰ってきた大家さんから「今夜は鍋を囲んで賑やかに時間を使いたいな」と言われたからだけど。

 白菜、大根、水菜……必要そうな食材を買い込み、スーパーを出るともう十七時半だ。秋も深まったこの時期、十七時ともなると日が落ちるのが急速に早くなってくる。

 夜闇に支配される時間は、怪異の活動が活発になる時間だ。怪異は、世間のイメージにある通り、夜の方が生き生きしている。明るいイメージがある日中は生きている人々の、真っ暗な夜は暗いイメージがある怪異の時間だ。


 自転車を曳き、畑の横の灘道を歩いていると、沈んだ夕日の微かな赤い光の中をトンボが横ぎった。そして、真っ暗になりつつある道のど真ん中に、一人のお爺さんが立っている。いや、お爺さんじゃなくて、僕の良く知る怪異だ。


「大家さん?」


 声をかけると、大家さんは笠の下から鋭いまなざしを僕に向ける。


「秋雨か。今帰りか」

「はい」

「そうか」


 杖が地面を叩き、大家さんはゆっくりと歩き出す。先に帰って晩御飯の準備を使用かとも思ったけど、せっかく会ったんだから、今日は大家さんと帰ろうか。


「……秋、か。お前の時期だな」

「はい? ……ああ、そういうことですか」


 僕の名前とかけたのだろう。でも、それなら落ちていく夕焼けが映える今ではない。秋に降る雨が、僕の時期だろう。


「お前が儂の下に来て、もうすぐ一年と半年か」

「そうですね。ここで相談役をやっていられるのも、あと一年と半年です」

「折り返し、という奴だな。ここに居る間は、役目を頼むぞ」

「はいはい。任せてくださいよ」


 急な昔話だ、だけど、大家さんはけっこうな年だから、こうやって昔話を振って来る事も珍しくない。


「お前さんが相談役をやっている時は、なかなか面白い相談があったな。ビデオから出れなくなった貞子をでぃーぶいでぃーとやらに移してやった」

「ありましたね。今年の春ですよ。ああ、みはるがやってきたのも、今年の春でしたか」

「今年は、去年に増して相談が多かった。泥田坊から安住の田を探してほしいという頼み」

「家中泥だらけにされて、掃除が大変でした」

「見た人を狂わせたくないという妙なくねくねの頼み」

「あやうく、僕ら笑い死にしかけましたよ」

「後は……夏だったかな。東海林とやらに一目惚れした八尺の女を説き伏せたこと」

「東海林は最後まで八尺様に魅入られたことに気づいていませんでしたね。怪異に興味バリバリなのに、あそこまで鈍感だと笑うしかありません」

「妖怪に都市伝説。あ奴らの悩みはしょうもなく、だが面白い。……しかし、今年は人間霊を相手にすることが増えた」


 思い返すと、実際そうだった。


「みはるが梅雨乃さんと友達になった辺りかな。みはるも相談に乗る様になって、あのころから僕も人間霊の相手をするようになりましたね」


 昔は人間霊の相手なんて面倒だと思っていたけど、僕の意識は大きく変えられた。梅雨乃さんの一件以来、人間霊たちの未練を探すのも、悪くないと思う様になっていた。久々に悪霊の相手をしたのも、けっこう堪えたんだろうな。


「去年は、人間霊などつまらんなどと抜かして相手にせなんだからな」

「すみません」


 だって、人間を相手にしたってつまらないんだ。やっぱり、僕らの常識が通じない怪異の方が話してて面白い。でも、みはるが来てからは、人間霊の相談を聞くのも悪くないって思うようになった。


「気が変わった理由は、なんだ?」

「さぁ、みはるが何でもかんでも首を突っ込むからでしょうか。人間霊の悩みも訊こうとするから、僕もそれに巻き込まれたんですよ」

「嘘を吐くな」


 大家さんの鋭い一言が、僕のセリフを切り裂く。


「みはるが怪異相談に興味を持ったのは、梅雨にやってきたひきこに影響されてからだ。お前は、ひきこがメリーを訊ねるよりも前に、人間霊の相談に乗った。あのひきこの両親だ。――なぜだ」


 やけに、強く言ってくるな。大家さんはいつも厳つい顔で、高圧的な話し方だ。だけど、今日はちょっといつもより強い。


「分かりません」

「……そうか」

「っていうか、なんで今日はそう強く踏み入るんですか? 怪異の相談を受けろ。選り好みしても構わん。引き受ける時にそう言ったのは、大家さんですよね」


 この家に引っ越して来たとき、大家さんはそう言ったんだ。聞く相手を選んでも構わない。ただ、怪異と人間の軋轢を生まないためにも、相談役を引き受けて欲しいと。そう言えば、相談役は調整の役割だというのに、どうして選り好みを許したんだろう。


「最初に、この相談役を託そうと思うたのは秋人だった」


 驚いた。でも、分かる気もする。秋人は、僕よりも霊感が強い。だからクラスで除け者になって、居づらくなって、今の状況なんだ。


「そっか。秋人は、僕より霊感が強いからですよね」

「違う。お前よりも、人間として歪んでいるからだ」


 大家さんは、またもばっさりと斬り捨てる。


「儂が相談役に選ぶものはな、皆、歪んでおる。歪なのだ。どこか、人として欠落している奴等だ」

「欠落……?」

「最近の人間には多かろう? 他人との付き合いを嫌い、孤独を愛する者が。己しか見えておらぬ、自己中心的という者が。他人を想えず、己にしか価値を見いだせぬものが。そして、秋人も他人と関わるのを嫌う、歪な人間だった。……もっとも、今は、お前の方が歪んでいる。儂がこれまで見て来た人間の中でも、とびきりな」

「……大家さん?」

「儂はな、そういった者こそ相談役に相応しいと思うておる。面白いのだよ。怪異どもの相談を聞くうちに、そやつらは変わっていく。喜びを見出してゆく」


 気づくと、すでに家の前までたどり着いていた。モンの隙間から覗く庭には、秋の花が咲き乱れている。少し前までは夏の花が名残惜しげに残っていたのに、気付けばもうこれだ。

 庭は、近くに住む怪異が勝手にやってきては手入れをしてくれる。いつもいつも、季節の花を堪能できる。意識している訳ではないが、季節の変化を楽しませてくれるのだ。


「変化するものは面白い。だからこそ、その変化が見たいから儂は相談役にお前のようなひねくれ者を選ぶのだ」

「まぁ、僕はひねくれてますよね。人付き合いは嫌いですから。気を使うのは面倒だし、無関心だった方が、よっぽど気が楽です」


 僕の答えは、心からの言葉だ。断言する。だけど、僕が思ってる以上に、感情が全く籠らなかった。ずっと、そう思ってきていたはずなのに、どうしても自分の言葉だと思えない。

 門を通り過ぎ、自転車を仕舞って玄関を上がる。声をかけたが、みはるはいないようだ。秋人も、今日は出てこない。珍しい。

 買い物袋から野菜を取り出し、ひとまず冷蔵庫に入れておく、一通り片づけを済ませて居間に入ると、大家さんが二人分のお茶を入れて待っていてくれた。


「先に言うたぞ。変化するものは面白い。だがな、変化の無いものは、面白くない」


 大家さんは、お茶を一気に飲み干して立ち上がる。いくつもの皺が刻まれた顔は厳つく引き締められ、背筋はぴんと伸ばされている。木製の古びた杖を下げる姿は、どうしてかいつも以上に険しい。


「儂は、お前さんに変化を望む。残り半分の月日、変化がないと見れば追い出す。その覚悟を、固めておくのだな。歪んだ人間」


 立ち上がった大家さんは、縁側で下駄を佩き、真っ暗な秋の夜に歩いて行く。去り際に「今宵の晩餐、にぎやかになることを期待しておるぞ」と、言い残して。




 今日の大家さんは、少しいつもと違った。違うといえば、最近の僕の周りもだ。みはるも、池口さんも、秋人も。みんな、どことなく何かを気にしていた。そして、その中で僕だけは、いつもと変わらない。普段通り授業を受けて、普段通り買い物をして、普段通り家に帰る。変化の無い、抑揚のない日々。それが、今日も続いただけ。

 ……ひょっとして、あのことに気づかれたのかな。

 一通り鍋の下ごしらえを済ませると、手を洗って居間に戻った。ちょうど携帯電話に着信があったので開いてみる。池口さんからのメールだ。みはるのことで話があるから今から向かうとのこと。ほぼ決めつけられているような感じだけど、別に嫌ってわけじゃない。むしろ、ちょうどよかった。池口さんとは、話がまだ終わってない。


 縁側に腰を下ろすと、測ったように一人の少女が現れた。梅雨乃さんだ。


「浮かない顔だ」

「そう見える?」


 からかうように返すと、梅雨乃さんは素直に頷いた。今日も鹿の死体を引き摺りながら現れ、それを床に投げ出すと僕の隣に座った。


「自分を好きになるのは難しい。ホントにそうだ」

「だろうね」

「秋雨も、解ってるから難しいって言ったんだろ」


 ちらりと目線を梅雨乃さんに向ける。梅雨乃さんは、今日は長い前髪を降ろしていて表情を伺えない。


「怪異になってしまう人間霊は歪だ。大家さんに言われたよ」

「あれ、それさっきも大家さんが言ってたよ。相談役を任せるのは歪んだ人間だって」


 梅雨乃さんの口元が、僅かに緩まるのが見えた。


「だと思った。秋雨は、ひねくれてるから」

「自覚してるけど、周りに言われるほどかい?」

「ああ、ひねくれ者だから、歪んだ怪異の相手が出来るんだ。でも、だからこそ秋雨も、自分の歪みと向き合うべきだろう?」


 梅雨乃さんの言い方。たぶん、気付いてるんだろう。どこから知ったのだろう。彼女はけっこうな神出鬼没だから、隠れてどこかで聞いたりしていたのかもしれない。それに、彼女が知ってるってことは、彼女と一番仲が良い怪異であるあの子も、きっと気づいてる。


「秋雨、逃げちゃダメだ。私みたいに、ずっと真実から目を逸らし続けちゃダメだ。分かってて逸らすのは、もっとダメだ。……言わずとも分かっているだろうが」


 説教でもしに来たのか。いいや違う。彼女は、この後の展開を分かってる。僕がみはるを止めると分かってて、みはるに協力した先週のように。この後が分かってるから、僕の所に来たんだ。


「君は、分かってるね。三年もかかった君は」

「ああ。きっと秋雨も苦しむ。泣き叫びたくなる。別れるって、解ってても我慢できないから」


 梅雨乃さんは立ち上がり、鹿肉を置いたまま家の裏に、山の方に向かって行った。「また後で来るよ」と、言い残して。




 梅雨乃さんが置いて行った鹿肉を捌いて、一部を鍋の具材として放り込んで、またぼんやりと空を見上げた。満月だ。十五夜の月見とするには、絶好の綺麗な満月。


「秋雨さん」


 ああ、やっと本命の登場だ。庭を横切って来たのは、みはると池口さん。みはるは、僕に歩み寄りながら言葉を突きつけた。僕が、最も恐れている言葉を。


「知ってますよね。秋人さんが、もう死んでること」


 躊躇もなにもなく、いきなり刃を斬り込ませてきた。

 拒絶反応が、カラダの全身を駆け巡った。考えるよりも前に、足が寝室に向かいそうになる。自分の意識が急速に欠け、無意識に支配されそうだった。みはるが口にした言葉が、頭の中であっという間に消化されそうだった。そのまま、片隅にも残らず、消えてしまいそうだった。

 だけど、




「………………そうだね」

 体と精神が全力で否定したがるのをねじ伏せて、僕は、ようやくその言葉を言うことが出来た。

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