第一話:ひねくれ者の僕と落ちこぼれな人形霊 その一
生物は死ぬと、魂だけが残される。未練がましい魂は、成仏することなく現世をふらふらと彷徨う。そんな霊体は、存在しているのに知られることはない。冗談交じりに、お茶の間を騒がせる程度だ。
それは、昨今のインターネットでおふざけに書き込まれる怪談話や都市伝説も同じ。古今東西世界中で囁かれた怪奇現象に恐れをなした人々が妄想した存在――妖怪だって同じだ。
幽霊。
都市伝説。
妖怪。
科学万歳の世の中で、存在を疑問視されながら、でも存在している彼らを、まとめて『怪異』と呼ぶ。
僕は『怪異相談役』だ。怪異たちから愚痴を聞いて、偶にお願いされる。普通は見ることのできない怪異の、人間への頼みを聞くお役目。それが、僕に押し付けられたお役目であり、僕の趣味でもある。
趣味だけど、大切なことだ。存在していないと思われがちで、でも存在している怪異たちと人間の間に立つお役目。
そんな建前もあるけど、僕は特にそんなこと意識していない。
だって、人と関わるより、怪異と一緒に居た方が面白いんだ。人間よりも、怪異の方が何倍も何十倍も面白いんだ。
そう、人間なんかよりね。
――――――――――――――――――
大家さんの所有する古民家で暮らし始めてから、今日で一年が経過した。古民家は人里から少し離れ、誰も立ち入らないような細道を抜けた先にある。人と関わることが嫌いな僕にとって、それはとても都合がよかった。偶に近隣の妖怪や迷える霊なんかに妙な相談を持ちかけられたりするけど、そういうことが大好物な僕にとっては願ったりだ。
僕にとって、今の暮らしは天に授けられた理想郷と言ってもいい。
「おーい、日下部。そこのダンボール持ってきて」
「はいはい」
今日は高校の入学式があった日だ。朝から入学式の準備やら片づけやらにつき合わされ、正直疲れた。明日は土曜日で学校は休日。来週の月曜日は早速授業。それから新入生への部活紹介だ。だから、今日は多くの部活動が事前準備なんかで大忙しだった。
まぁ、部活に入っていない僕には関係の無いことだけど。だから、早く帰って桜を眺めながらのんびり読書でもして、頭を休ませたい気分だ。なのに、僕はなぜかある部活の知り合いによって強引に準備を手伝わされている。
その部活とはオカルト研究会、通称オカ研だ。といっても、僕はその活動内容を詳しく知る訳じゃない。そもそも部員じゃない。オカルト関係には興味はある――というか大好き――なのだけど、人と一緒に活動するなんて面倒なだけだ。一人でいい。
伯幡高校のオカルト研究会は、部員はかなり少ない。趣味性の強い活動の所為か、部員が集まらないのだそうだ。僕が知っている部員は、部長の東海林夏秀だけ。ここでその手伝いをしているのも、東海林の友人が混ざっているらしく、誰が部員で誰が部員じゃないか、さっぱりわからない。
「……うし、これで準備オッケーだな」
マーカーで色付けし、完成した看板を立て掛けて東海林は満足げに頷いた。会心の出来栄えだとでも言うのだろうか。やたらおどろおどろしく描かれた絵や文字が不気味さを際立てる看板だ。物珍しさに見に来る人はいるだろうが、入ってくれる気は正直しない。看板の横には、白い布が置かれている。手伝いの一人がそれを拾い上げた。
「なー東海林、これは?」
「なにってお化けの仮装だよ。こいつを被って幽霊に成りすますんだ。やっぱインパクトが大事だろ? 去年の文化祭のお化け屋敷にも使ったんだ。けっこう好評だったんだぞ!」
「まーそうだけどさ、ただの変人扱いされねー?」
「いやいや、変人を探してんだよ、俺は」
「なんだそれ。大体お化けなんて――」
「なにぃ? 俺はな、本物の幽霊に会った事があるんだぞ! 都市伝説のメリーさん! それに、撃退に成功したんだぜ! この体験談とコスプレできっと……」
お化けの仮装と、いつもの自慢話を語り始める東海林。盛り上がってる東海林とその友人を傍目に、僕は帰り支度を整えた。いつまでもここに留まる必要はない。準備は整ったようだし、さっさと帰る。
「あ、おーい日下部」
「……なに?」
「もう帰んの?」
「そうだけど」
「そっか、家に腹ペコの弟が待ってるんだよな」
僕には弟が一人いる。僕が引っ越したその数日後、家を抜け出して勝手にこっちまでやってきた変わり種の弟だ。
「今日はサンキュな。でさぁ」
「断る」
東海林が続けて言おうとしたそれを、僕はきっぱりと切り捨てる。
「何でだよ! まだ一言も言ってないだろ!」
「どうせ、入部しろって言うんでしょ」
「おう。ぜひとも日下部には入部してもらいたい」
「やだよ、面倒だから」
東海林が毎度のごとく誘ってくるのをきっぱり断り、僕は部室を後にする。開かれた扉は、重苦しく閉じた。
時刻は二十二時を回っていた。ほとんどの生徒はとっくに帰ったが、いくつかの部室にはまだ明かりが灯っていた。オカ研と同じように、来週の新入生歓迎会の部活紹介に備えて準備をしているのだろう。土日使ってのんびりやればいいのにと思うのだけど、みんなそれだけ気合を入れてるのだろうか。その所為と時間の御蔭で、帰り道には誰もいない。静けさに満ちた帰り道を、僕はのんびりと自転車を曳いて歩く。
夜は良い。特に春の夜更けは、冬の厳しさが過ぎ去った後のほんのりとした穏やかさが感じられる。冬の寒さが僅かに残るものの、春の息吹が入り混じった暖かさが感じられる。僕は極端な温度を持つ夏や冬より、中途半端で、でも穏やかな春や秋の方が好きだ。だから、今日は自転車に乗って帰るより、この穏やかな気候に身を浸らせながらゆっくり帰ろうと思う。
部室で準備に没頭していた時と比べて、思考に余裕を感じられるようになった今、それまで無視してきた空腹感が、浜に迫る波の様にどっと押し寄せた。
今日の夕ご飯は……ああ、昨日の残りがあるか。昨日、夕飯を多めに作ったから、家の冷蔵庫には大量のお惣菜がタッパーに詰めてしまいこまれている。ただ、今の空腹感では家まで我慢できるだろうか。
帰りにコンビニに寄って適当な惣菜パンでも買おうかな。そう、空腹からの誘惑が脳裏を漂った時、ポケットからの振動が意識を現実に戻した。
「……ん?」
ポケットをまさぐり、振動の正体を取り出す。黒い携帯電話が小刻みに振えていた。メールじゃなくて電話。こんな時間にめずらしい。
さっき別れた東海林だろうか。だとしたらSNSか何かで連絡してくるはずだ。昨今、SNSが流行している所為でメールや電話が使われることはめっきり減った、ように思う。
誰からの電話だろうか。折りたたんだ携帯電話を開くと、見覚えの無い番号が並んでいた。それも、若干文字化けしている。怪しくて仕方ない。
ふと、部室を出る前の東海林の話を思い出す。
『俺はな、本物の幽霊に会ったことがあるんだぞ! 都市伝説のメリーさん』
…………まさか……ね。
脳裏にある可能性が浮上する。じっと携帯電話を、表示された番号を見つめる。携帯電話は、じれったそうに震え続けている。
じっとそれを見つめ、やがておもむろに電話に出る。
「……もしもし」
『わたしメリーさん。今橋の上に居るの』
プツンッと切れる電話。
軽く、背筋が冷えた気がした。今、電話の相手はメリーさんと名乗った。これは本物なのか? それともたちの悪い悪戯? いくつかの可能性が浮上し、しかし、全部否定した。そして、薄ら笑いが浮かぶのを抑えきれなかった。
僕は何も言わずに片手に携帯電話を握りしめ、片手で自転車を曳いて歩いた。
「……来た」
掌に感じる振動。
すぐに自転車を止めて画面に目をやると、先ほどと同じ、文字化けした番号、そして電話相手の名前――すなわち【メリーさん】と表示されていた。
二度目からはメリーさんだと明言するのか。登録した覚えはないのに、勝手に表示された名前を見て、僕は心臓の鼓動が早まったのを感じた。この理屈で説明できない状況。否が応でも興奮を抑えられない。
軽く深呼吸し、呼吸を整えると僕は携帯電話の真ん中のボタンを押して電話に出る。軽く手に汗が滲んでいるが、構わない。やっぱり、何度体験してもこの感覚は慣れず、でも楽しい。
『わたしメリーさん、今道路から脇道に入るの』
……嫌に細かく現在地を教えてくれるメリーさんだな。橋の上を通ってどこかの脇道に入る。それがどの道路でのことかは分からないけど、そのコースが僕の大学への道筋にあるそれを指しているなら、メリーさんは真っ直ぐ僕の家を目指して進んでいた。橋を渡り、脇道に入る。そうして、真っ暗な道をずんずんと突き進むこと約十分、僕の家にたどり着く。
……だけど、おかしいな。
脳裏を疑問が走り抜けた。メリーさんは、真っ直ぐ僕を目指して迫って来るのだ。なのに……橋を渡った? 脇道に入った? それは、確実におかしい。
僕を狙ってないのか? それとも、電話相手を間違えた? いやいや、そんな間抜けなメリーさんなんて聞いたことない。
ともかく、真相を確かめるべく自転車のペダルに足をかけた。左足を乗せ、右足で三回地面を蹴って助走をつけ、自転車に跨りペダルをこぎ出す。
一回、また一回とペダルを踏みだすたびに、期待に胸を膨らませ、心臓の鼓動が大きくなる。
しばらく走り続け、五分もかからずに橋に差し掛かった。橋を通り過ぎ、数分走らせたところで脇道が目に入る。街灯の一つもない脇道は真っ暗闇に閉ざされ、明かりもなしに入れば視界を完全に閉ざされ、二度と這い出てこれないのではないかという錯覚すら覚える。
悪い事に、僕の自転車のライトは故障していた。
まぁ、僕にとってはもう慣れた道、慣れた暗闇なので、意に介する必要もなく突き進んだ。それでも、脇の畑に突っ込んだりするのは憚られて、速度は抑える。
少しスピードを抑え、ゆっくり自転車をこぎながら暗闇の奥へ、さらに奥へと進む。目が暗闇に慣れてくると、少しずつスピードを速め、一直線に僕の家を目指す。
ちなみに、ここまでの道のりでも一度自転車を止め【メリーさん】からの電話に応じた。その内容は『今、明かりの無い真っ暗な道を進んでいるの』だそうだ。心なしか、声がかすれているように思えたのは僕の感覚がおかしかったからだろう。
そして、ついに見えてきた一軒家。古い木造の日本家屋。一年前、初めてこの古民家に着た時と比べて、庭先はかなり豪華になった。たくさんの花が咲いているからだ。その理由は大家さん。そして、この周辺に居着いた怪異たちだ。定期的にやって来ては庭の手入れをしていくので、庭先には色とりどりの花が咲き乱れている。四月の頭に近い今は、優しいピンク色をした桜が咲き誇っていた。
家の外観はそこまで乱れてはいない。初めて来たときはボロボロだったが、休みの日なんかに少しずつきれいに整えてきた。おかげで、住むには困らない状態にまで改善できている。
自転車は家の前に停めておき、塀から顔をのぞかせてみる
……居た。
暗くてよく見えないが、外見年齢十歳ほどの少女が。ゆっくりと、何か意を決したような足取りで地面を踏みしめ玄関に歩んでいく。さっきたどり着いたのだろうか、今から玄関に向かおうとしているところだ。
「な……で、…………暗……で……か」
少女は小さな声でぶつぶつと何かつぶやいている。不満をぶちまけているのか、その声にプラス方向の感情は感じられない。それに、声は若干涙ぐんでいるかのように擦れていた。
僕はその様子を見つめ、軽くため息を吐いてから、ポケットの携帯電話を握りしめ、足音を忍ばせながら玄関に――そこに立つ少女の背後に歩み寄る。
少女は玄関に立つと、大きく深呼吸する。
「大丈夫。絶対できるです。後は、電話して開けてもらうだけ。そしたらこっちのもの。メリーさんの力で、背後に回るのは簡単です。最後に脅かしてあげますよ。……イマ、アナタノウシロニイルノ。よし、大丈夫!」
少女は何かことさら不気味な声を吐きだし、それで自分を叱咤させ握り拳を作る。そして、手に持った真新しい携帯電話を取り出し、指をタッチさせたりスライドさせて操作する。
すぐに僕の手の中で振動があった。音を立てないよう、折り畳み式の携帯電話を半開きにして耳に当てる。
『わたしメリーさん。イマ、アナタノイエノマエニイルノ』
「僕はメリーさんの後ろにいるけどね」
「っ……!?」
メリーさんを名乗る少女が飛び跳ねるほどびくりと身体を硬直させた。僕はあえて気づかせるために、音を立てて携帯電話を閉じた。
パタンッ!
夜闇に包まれた中、手の中で弄んだ携帯電話を閉じる音が嫌に響く。
恐る恐る、メリーさんを名乗る少女はゆっくりと振り返った。真っ暗で見えづらいが、なかなか可愛らしい容姿だ。流石はメリーさん。人形のように愛らしい顔つきだ。ようやく顔を出した月明かりが少女の顔を照らし、その容姿を露わにする。
顔は子供らしくふっくらとした感じがする。両の瞳は驚きで大きく開かれているが、その大きな瞳は少女の愛らしさに拍車をかけるものだった。服は、最近あまり見ない真っ白のワンピース。腰辺りまで伸ばしている亜麻色の髪がそれと見事に調和していた。肩から下げたポーチが、またいいアクセントである。
総じて、とてもかわいらしい女の子だ。
「まったく、背後をとられるはずのメリーさんの背後をとるなんて初めてだよ。君、僕が家に居ると思い込んでたんだね。それに……」
僕は腕を組み、咄嗟に思いついた言葉を言い始める。色々とお粗末なメリーさんに少し説教でもしたくなったのだ。こんなお粗末な妖怪、初めて見た。
ん? 説教するんじゃなくて驚くんじゃないのか? 僕は、こういうのは見慣れているんだ。そういう常識は、とっくに捨てている。
「ちゃんと相手のことをよく確かめて、そもそも家の中は真っ暗だろう? だったら留守か、もう寝てるかのどっちか……って、どうしたの」
少々いかつい顔つきを作って話していたが、目の前のメリーさんが俯いて肩を震わせていることに気づいた。
その姿は、幼気な少女が悲しみに暮れて泣き崩れているようで……、
「え? ちょ、ちょっと? 言葉が過ぎたかな。それとも……」
「違うです。……うっ、ひくっ」
「あー……そうなの? でも流石にここで泣かれても困るし、理由くらい教えてもらえないかな」
「……メリーさんは、どうせ下手でダメダメな怪異ですよぉ……うわあああああん!」
メリーさんは言葉を紡ぐたびに涙が溢れ出してくる。さすがに泣き出してしまった女の子を玄関先に放置したまま中に入る気にもなれない。
これじゃぁ僕が泣かせたみたいじゃないか。
僕にその理由は分からないが、少なくとも僕がメリーさんの真似事――らしきこと――をしたせいで少女を泣かせたのは事実だった。
「えっと、なにか理由があるなら話してくれないかな? 泣いちゃった理由とか……言えないか。あ、そうだ! 悩み事でもあるなら相談に乗るよ」
「相談、ですか……?」
とっさにいつもの調子で相談に乗ると言ったが、メリーさんは涙をいっぱいに溜めた瞳で僕を見上げた。縋るような光を湛えた両目を見て、僕の中で何とかしてやりたい思いが高まった。
あれから一年間、何度もやって来たことだ。結局、これは僕に合っていたのだ。
「うん、僕は、君みたいな人ならざる者たちの相談役をやっているんだ」
見方によっては幼気な女の子を誘惑しているようだが、相手は怪奇現象の類だ。その辺りは適用されないだろう。
「僕は日下部秋雨。君の悩み事、訊かせてくれないかな?」
僕の問いかけに、メリーさんは涙でぐしゃぐしゃになった顔を両腕で必死に拭い、それでも流れる涙に顔を伏せながらも、大きく頷いて歩き出したのだった。
こうして、今日も僕の元に相談事が舞い込んできたのだ。