第三話:その時はいつも突然 その一
何もかも、出来事は突然やってくる。前触れもなく、ね。
そう言ったのは、僕だ。
相談っていうのは、いつもいきなりやってくる。前振りなんてなく、突然、唐突に。
何かが変わる事っていうのも、突然だ。それまでの生き方を大きく変える出来事も、自分の価値観を転換せざるを得ない出来事も、追いかける夢を見つけることも。
その時は、いつも唐突にやってくる。
僕が『怪異相談役』になったことも、突然だった。そして、僕らが一人になったのも、突然だった。
だから、僕は悟ったんだ。
生きることは、いつも突然に振り回されるんだなって。予測は出来ても、それが起こる時をピタリと当てるのは不可能なんだなって。
何もかも、常に突然やってくるんだ。
そう、僕は言った。
でもね、僕の最も近くにいる弟は、言うんだ。
例えそれが突然だったとしても、本人の気づかないところで、前触れは存在するんだ。
それを警戒して、皆は生きてるんだ。ってさ。
うん、わけわかんないね。
言ってる僕らもさっぱりだよ。
とりあえず、その日は二人で笑って過ごしたな。
でも、それがみはるの来る前日だったんだよね。
――――――――――――――――――
九月。
その月を訊くと、僕は季節が秋に移ったように感じる。だけど、実際はまだまだ暑い。気温三十度を超すなんて日はザラだ。こんな時期に、体育祭なんてどう考えてもおかしい。
それだけならまだしも、例年なら十一月に行っている文化祭まで十月に繰り上げられた。今年の十一月は、伯幡高校創立五十周年祭があるらしく、その所為だ。立て続けの行事は大変だから、いっそ十月に回してしまおうという訳だ。
だから、今年は夏休みが終わってから大忙しだ。体育祭の準備に文化祭。体育祭はクラスでの集団活動が多くて面倒だ。その点、僕のクラスの文化祭は楽だった。劇をやるという話になったが、役者と裏方を決めていった結果、僕の担当は小道具。こまごまとした作業はあるけれど、本番は特にやることもない。他のクラスの出し物を眺め、模擬店の食べ物をつまみ、のんびり文化祭を楽しもう。
今年は美春もいるし、せっかくだからみはるにも伯幡高校の文化祭を見学させてあげようか。学校に連れて来ると大変だから普段は留守番させているけど、みはるは高校がどんな感じかとても気にしてる。こんな機会だから、校内を見学させよう。
……そう思っていた時期が、僕にもあったんだ。
「悪いな日下部。助かるよ」
「うん、それはいいからさっさとからあげ買ってきてよ。東海林のおごりで」
「おう。手伝い賃くらいは払ってやるさ」
休憩に入る東海林にそう言いつけ、僕は椅子に座った。机の上には案内の地図と目いっぱい明かりを弱めた懐中電灯。そして、僕の隣の教室の入り口から先は真っ暗。
今日はのんびりできる。そう思ってたのに、東海林からオカルト研究会の出し物の手伝いを頼まれたのだ。正直面倒だけど、断る訳にもいかない。
僕はクラスでは浮いた存在だ。正直人付き合いは苦手だから出来るだけ避けている。それもあって、僕はクラスでもかなり浮いた存在、いわゆるぼっちだ。ぼっちが嫌なわけじゃない。ただ、学校というコミュニティの中に居る以上、最低限情報を共有し、周りに置いて行かれないだけの立場を確保するための知り合いは必要だ。一人が好きだから孤独になってると、クラスで誰にも相手にされなくなる。もしもクラスの連絡で聞き逃したことがあったとして、その情報を仕入れられなかったらいろいろ問題がある。孤独でも別にいいけど、クラスから完全に孤立してしまうのはマイナスでしかない。最低限、話せる人が一人くらいは必要だ。
そして、東海林は僕にとって唯一まともに会話が出来る奴だ。押しが強いし、面倒事を叩きつけられるし、会うたびにオカ研に勧誘されるけど、この繋がりを断つのは惜しすぎる。だから、繋がりが切れない程度に関わっておくのは大切だ。
さて、オカ研の出し物が何かといえば、やっぱりというか当然というか、お化け屋敷だ。オカ研の部員は結局全然増えず、顧問の先生のおなさけとカモフラージュの幽霊部員――東海林の友達らしい――でどうにか体裁を保っている。そんな状態で活動しているように見せかけ、その上友人を頼ることでお化け屋敷という出し物をしっかりやっているのだ。準備から協力させ、さらにお化け役まで障子の友達だ。友人たちをここまで乗せてしまえるのだから、東海林の手腕とカリスマはかなりのものだとうかがえる。かくいう僕も、協力する友人の一人なんだから。
やってくるお客さんに懐中電灯を渡し、簡単な案内を済ませて奥へと進ませる。そんなことを何回かこなし、ふとお化け屋敷の中が気になった。
「みはる、うまくやってるかなぁ……」
今回、みはるにも協力してもらっている。もちろん人形の方を雰囲気出しに使わせてほしいと頼まれたのもそうだが、僕自身の遊び心もある。みはるの本体である人形はお化け屋敷の人形として去年も活躍したが、何せ今回は本物の怪異がついている。これを利用しない手はない。
真っ暗な教室の奥からは悲鳴が聞こえてくる。どうやら、お化け屋敷は順調のようだ。
「お前、そんなにあの人形にゾッコンなのかよ」
僕の洩らした声を耳ざとく訊きつけたのか、紙カップに入ったから揚げを机に乗せながら、東海林はにやにやと意地悪げに笑った。
「まぁ、ね。びっくりし過ぎたお客さんに破られたら、ちょっと怖いし」
破りでもしたら、怪異の美春がどれだけ怒るか分かったもんじゃない。生まれてまだ一年弱の無垢な怪異だけど、悪霊の怪異『メリーさん』には変わりないんだ。
「相当気に入ってんなぁ。ま、みはるを大事にしてくれるなら別にいいけどよ。うちの看板お化けだし」
「東海林。君はみはるの作り主か親なのかい?」
障子の言葉は、なんだか裏に気づいているような気付いていないような、複雑な感じだ。まぁ、きっと気づいていないんだろうけど。
僕はお客さんが来ていないことを確認すると、から揚げを頬張りながら椅子から立ち上がる。窓辺に近寄り、窓の外の景色を眺めた。
「なんだ? なんか面白そうな出し物でもあったか?」
「いや、そうじゃないけど……よかった、来てないみたいだ」
僕の横顔を覗く東海林が訝しげな表情を浮かべた。東海林は陽気で、誰とでもすぐに打ち解ける。そして、かなり勘がいい。僕が少し焦っているのにも、気付いているはずだ。
今日の文化祭。いつものように穏やかに終わると思っていたけど、そうもいかない事態が発生しているのだ。
文化祭の開催一週間前のことだ。
バイトを終えて家に帰った僕は、最近みはるが覚えた花札に興じていた。僕も花札は好きだ。以前はパソコンでAI相手にやってたけど、最近はみはるが覚えてくれたことで少し楽しさが増した。大家さんも覚えてくれればいいのに、あの人はあちこちをふらついてお酒を飲んでばかりだ。
もちろん、大家さんが方々を周って怪異たちの様子を逐一確認しているというのは知っている。大家さんはこの辺り一帯の怪異の中では最も力が強い、元締めなのだ。そんな大家さんの役目は、怪異たちが人間と接触して問題を起こさないようにすること。各地の見回りが、大家さんの役目だ。
けど、酒瓶片手にふらついて、あげく人の家に上がり込んで自分が家主のように振舞うのだから、見回りの役目を果たしているとは思えない。
「よし、猪鹿蝶揃った。ここであがり」
「えーまたですか? あきさめさんこいこいしないからすぐ勝負が終わっちゃいますよ」
「賭けに出るより堅実に。少しずつ増やしていけばいいんだからね」
「男なら度胸って言いますよ。もうちょっと無理すればいいじゃないですか」
「やだ」
無茶やって相手に点取られるより、自分でコツコツと点を積み重ねていく。最終的に勝っていればいいんだ。危険な賭けはするもんじゃないと思う。
「次は負けませんよ! 今度は大勝ちして見せます」
握り拳を作って気合入れ直すみはるを眺めながら、僕は軽快な音を立てながらカードをシャッフルする。しかし、やっぱりボードゲームをやるなら意思のある存在を相手にした方が面白い。パソコンのAI相手だと、プログラムに何か細工をされてるんじゃないかって疑いたくなるような負け方だ。その点現実の存在を相手にすると、小細工は無用だ。イカサマするようだったら、むしろバレすにイカサマできる技術を褒めてやりたいくらいだ。
そうやって、僕とみはるは花札に熱中する。今日は月もきれいだ。月明かりの下、縁側でコーヒーを片手に花札に興じる。なかなかに風情があっていいじゃないか。
そんな時だった。珍しく大家さんが帰ってきたのだ。
「む……なんだ、今日も日下部が勝っているのか」
「うー、偶にはわたしが勝つんですよ。でも、あきさめさんがいつの間にかコツコツ積み上げてトータルでは負け越しなんですぅ」
「こやつ相手ではやっても詰まらんだろ。かといって、他にやる相手もおらんか……秋人は出てこんし、梅雨乃はどうだ?」
「梅雨乃さんは木の実集めに夢中なんです。こないだもトチノミをたくさん集めたとかで……」
梅雨乃は六月以来もたびたびここにやってきている。普段は山の中でたくましく――そりゃあもうたくましく――山の引き籠り生活を満喫しているらしい。で、山の中で見つけた猪だったり鹿だったり、獣肉を持ってきてくれるんだ。他にも茸だとか木の実だとか山菜だとか。
獣肉の処理には困るけど、肉の解体までやってくれるからすごい助かるんだ。彼女の成仏が何時になるかは分からないけど、せっかく怪異になったんだから、それを楽しむのは全く問題ない。むしろいい傾向だと、僕は思う。そうやってこの世を楽しんでいる限り、都市伝説の怪異が悪霊になってしまうことはない。
「それで、大家さんはどうしたんです? こないだ、知り合いのところに飲みに行くって言ってませんでした?」
大家さんが帰ってくるのは大抵何かあった時だ。みはるがここに居候を始めた日も、梅雨乃が悩み相談に来た時だって、大家さんはしれっと帰ってきていたんだ。
「ああ、そうだったな。日下部、近々厄介な奴が相談に来ることになった」
「厄介な?」
「覚だ」
その名前を訊き、僕は思わず渋面を作ってしまう。
「あきさめさん。さとりって、さとるくんとは違うのですか?」
「うん。さとるくんはここ数十年の内に生まれた怪異だけどさ。覚ってのは、かなり昔から存在が伝えられてきた妖怪だ。江戸時代に描かれた『今昔画図続百鬼』に記述が残っているし、それ以前から各地の民話でも伝えられてきたんだよ」
“
飛騨美濃の深山に玃あり。山人呼んで覚と名づく
色黒く毛長くして、よく人の言をなし、よく人の意を察す。あへて人の害なさず。
人これを殺さんとすれば、先その意をさとりて逃げ去と云
”
古典『今昔画図続百鬼』に記された覚の説明だ。
各地に伝わる民話によると、
山中で人間の近くに現れた覚は「お前は怖いと思ったな」といい、その後も人間の心を次々と読み当て、隙を見て食べようとするのだ。だが、木片や焚火の火の粉が偶然跳ね、それが覚に当たると「思わぬことが起きた」と言って逃げ去る。
「変わった妖怪ですね。食べれる直ぐそこまで近づいたのに、木片や火の粉なんかで驚いて逃げるなんて」
「思考を完璧に読める妖怪だからね。先読みはお手の物、なんだけど、それを覆すことが起きちゃうと途端に尻込みする。まぁそんなとこじゃないかな。でも、相手するのはすごく面倒だよ」
「どうしてです?」
「だって、僕らの考えは全部御見通しなんだから。覚にとって予想外なことが弱点ってのを知ってても、覚の予想外は僕らの予想外なんだ。嘘も吐けないし、相手にすると面倒なことこの上ないよ」
僕の説明に、みはるはぼんやりと想像しているのだろう。どんな面倒な妖怪なのか、と。
「あの、この間あきさめさんが見せてくれた『だんまくげぇむ』? のさとりとは違うんですよね」
「一緒にしちゃダメだよ。日本のオタク文化は戦車や城、戦艦まで女の子にしちゃうけど、現実は残酷なんだから」
みはるに昔の妖怪を説明するツールとして、最近話題のゲームを使ったのは間違いだったかな。合う合わないもあるし、普通に古典を使った方がいいかもしれない。
「悪かったな。オイラはこんな醜い姿でよ」
そう言ったのは、僕の背後に立っていた黒い毛玉のような動物だ。ただ、よく見れば長めの腕と小さな脚が見て取れる。二足歩行も四足歩行も出来そうな動物。サルのような顔つきで、だけどしわがれて老獪な印象を与える。
「あ、覚」
「面倒な奴で悪かったな。オイラだって好きであんたらの意を読んでるわけでねぇ。耳をふさぐだけで周りの音を完全にシャットアウトできるか? あんたらの言葉が勝手にオイラに聞こえて来るだけだっての」
現れて早々、よくしゃべる奴だ。
「あの、あきさめさん。ひょっとしてこの方が……?」
「うん、さっき話してた覚だよ」
みはるは興味深げに覚を見つめる。すると、覚は「ケッ」と悪態を吐いた。
「オイラはれっきとした雄だ。勝手なイメージを押し付けんのはやめてほしいな。それからメリーのあんた。こいつ雨四光狙ってっからそこの札を取れるなら取っちまったほうがいいぜ」
「ちょっと、教えないでよ」
「はっ、ガキに手加減もしねぇクズを貶めて何が悪い。たくっ、テメェといいあのガキといい、ちっともオイラを恐れやしねぇ。つまんねぇっての」
まったく、面倒臭い妖怪だ。覚の凄んだ視線が飛んでくるけど、生憎僕はそれを相手にする気はない。とりあえず、約束の相手が来たんだし、花札は一旦終わりかな。
「おう、さっそくだがオイラの要件を話させてもらう」
そっか、僕の考え事を読み取れるから、改まって聞く必要ないよね。
「あ? お前から訊くって形が必要なのかい?」
いや、別にいいや。そんな形式ばってるのも面倒だし。
「おう、話がはえぇな。そんじゃあ、話させてもらうぜ」
僕の思考と覚で会話している所為か、美春は会話についてこれていない。でも、覚はそんなのお構いなしといった様子で語り出した。
「こないだ街で見つけた人間がなぁ、うまそうなんだがちっとも俺を怖がってくれねぇ。くーらい感情ばっかりで、眼中にねぇんだ。つまんねぇことこの上ねぇ。だからよ、あいつの悩みをおめぇが解決して、俺に食わせてくれってわけだ」
覚が言う人間が誰なのか。生憎女子であることと、僕が通う伯幡高校の生徒であることしか教えてもらえなかった。明確に誰なのかは、覚が見つけて直接教えてくれるそうだ。だから、僕は普段通りに学校生活を送りながら覚が教えてくれるのを待っていたんだ。
それがいつなのかすら、覚は教えてくれなかった。この文化祭の最中に言ってくるのかもしれない。だから油断できず、僕は常に神経を張り巡らせている。
僕は怪異への感覚は鋭いと自負している。覚はかなり強力な怪異で、高校のどこかに居るならその存在をおぼろげながら感知できる。そして、覚は文化祭に入っていた。人に見えない怪異の特性を活かし、存分に文化祭を楽しんですらいる。
「日下部? おい、そろそろ俺行くぞ?」
「ん? ああ分かった。受け付けは任せといてよ」
東海林はお化け役だ。さっきまでは休憩で、また幽霊の着ぐるみを着て中で脅かすのだ。真っ白な布を頭から被り、東海林はお化け屋敷の裏口から入って行った。
僕は、また椅子に座り直してのんびりとから揚げを頬張る。家に買って帰ることもあるが、大半が美春に食べられてしまうのだ。こうして、のんびりから揚げを抓める時間は案外珍しいものだった。
「あ、あきさめさん! から揚げくださいっ!」
「みはる!? ちょ、なんでここに!?」
「お昼時でお客さん減ってつまらなかったので出てきました。それよりから揚げ! わたしに下さい。よこせっ! この世のから揚げは全てわたしの物です!」
雷速で接近し、みはるは僕の手につままれたから揚げを一口に頬張る。ついでに僕の手にまで歯が立ち、ガリという音と痛みが走った。
結局、のんびり食べようと思っていたから揚げはキレイに全て食べられてしまった。残ったのは空の紙コップと、一緒に買ってきてもらったお茶のペットボトル。しばしそれを眺め、幸せそうにから揚げを頬張り頬に両手を当てるみはるを見る。そして、ペットボトルを頭に落とす。
「いたっ、何するんですか!」
「僕のお昼を盗るそっちが悪いよ! あーあ、しばらく店番だってのに、お昼ごはんが空っぽじゃないか」
このまま空腹で交代まで過ごせというのか。そう思うと、から揚げ一つでも存在の大きさを思い知らされる。このまま買い物に行ってこようかと思ったけど、廊下の先からこっちにやってくる女子生徒の姿が見えた。
僕は軽く精神を落ち着かせ、他人と話す時の心意気を作ると営業スマイルを作る。顔なじみの相手だけど、砕けた態度では店番は務まらない。
「いらっしゃい」と言いかけ、口元は思わず引き攣った。その生徒の後ろに居る存在に渋面を作りかけ、勤めて表情に出さないようにする。
一緒にその女子生徒の顔を見たみはるが「……あれ?」と小さく呟くが、そんなことがどうでもよくなるほど見たくない顔がそこにあった。
「あの、ここってオカルト研究会がやってるんですよね」
「ああ、はい」
「すみません、相談があるんですけど……」
そう緊張気味に話す女子生徒に生返事を返しつつ、僕の意識は半分ほどその背後に移っていた。彼女の背後には、いや背中には、まるでコアラのように――コアラというよりナマケモノだけど――しがみ付く覚がいたのだ。
「察しの通り、この女子だ。悩みを訊いてやってくれ」
覚の言葉に頭痛を覚えたのは、きっとおかしいことじゃない。