陰口を言う屑共は全員死ね
私がやれる十の事とは簡単な事柄であって、身の回りの世話をやる範囲内である。
なので、世界平和を唱える程の壮大な話ではないし、かと言って上記の題名それる話でもないのである。
苦手であったものを克服し努力を怠なければ良い。
明日から少しずつ慣れていけばいい。
さしずめ、俺の背の中で遊ぶことしたらええし、明日から頑張ろうと思う。
人間は何故、いじめや陰湿な脅し等をするのか。まるで暴力団かのよう。
ブラック企業と認定し、求人の差し押さえに給与差し押さえを施す必要がある。
社会全てが悪い訳ではないが、その内の心情は全ての社会が「悪」として捉える他無かっただろう。
人間不信の人間が人間を問うことならず、私は現状維持では此の先寸足らずでは無いかという不安視を叫ぶ。
元気のある息子は二人の世話をすることになるのだが、三年の月日が経った。
大きな老人ホームが設立するようになった。
住むことになるということは、別れともなる。
飲んだら寝る。山椒魚にバルーンを乗せて、喉に違和感を感じても祭りは続行されゆく。
完成すれば、いづれ別れなければならないが中々、言い出せずに完成間近まで経ってしまった。
最後の日となってしまいましたが、明日にでもやってくれるだろう、そう言い聞かせていた。
家を飛び出し、向かった先は社畜の溜まり場、ヤクザのネットワーキングホリデー。
「俺や、悪いな。」そう言わんばかりに、緊張の面持ちで何年一緒だと思っているのか。
一緒だと思うよ、彼もそう。
いつか別れがやってくる、覚悟はしていた。
何かあったのだろうかと、話を付けていても置いてある物が言葉を繋げていくかのようだ。
これがあれば落ち着いてやれるやろ。
動物と言っても人間。人間も動物。
当たり前であったことも触れることが出来無い寂しさ、誰しも味わうブルーな憂鬱な気持ち。
人情も心煩わしさに起きる人間の弱さなのかも知れない。
そして、数日毎に減らしていって「さようなら」を言える日がついに来る。
何年も一緒に居れる訳が無いからこそ、別れが必要だと思うのであって、出会いも別れも、一定数の確率に起きる遭遇だとすれば、運命なのだと。
元の姿に思い出して、とても辛かったのでもう見ることは無い。