四、出会ってしまった二人
せめて『彼』が登場するまでは! と思い、なんとかここまで投稿しました。
大変お待たせいたしました。ようやく彼が登場します。
「い、いた、い……」
脳内の心境と現実が綺麗に重なる。声がかすれ気味なのは全力で叫び過ぎたせい。
投げだした手足と背中に当たる固い土の感触。とにかく全身が痛くて――でも痛いだけ。手足は折れていないし、酷い出血があるわけでもないとみた。
「私、悪運強いのね」
悪運に感謝して称賛を贈りたい。たった今、崖から転げ落ち無事に生還したところである。
視界が晴れれば星に彩られた夜空が一面に広がっていた。やっぱり世界は美しいと、そんなことを噛みしめる余裕はあるようで少し安心。
頭は死守したけれど、しばらく起きあがれる気がしない。これといった致命傷や大きく痛む箇所はないけれど体力気力ともに削ぎ落とされていた。
「今の、走馬灯?」
脳裏に浮かんだ物騒な場面。死んでいないからいいものの、迫りくる恐怖が最期の思い出になるなんて御免だ。十七年の人生、楽しいことも幸せなこともあったというのに、もっと気を使えと憤りたくもなる。
……走馬灯に意見するのはよそう、不毛だ。それよりも!
「あの、聞いてます? 私、死にかけたんですけど! いつも信じてきたけれど。獣に追われたり、滝に落ちたり、落とし穴にハマったり。大抵ろくな展開にならないのは何故!? こんなことのために合図を教えたわけじゃないんですが!」
仰向けのまま愚痴るが、いくら喚いたところで一方通行なのが悔しい。
何度酷い結果に陥ろうとも相手は女神様。もしかして何か――と期待する度、なんて非道な! と愚痴ってきたこの十年。
せめてゆっくに眠れるところへと体を動かそうとするが実行する力は残っていなかった。どう足掻いても疲労が勝っている。
意識が途切れる寸前、傍で土を踏む音を聞いた。
第三者から見て明らかに生き倒れと映るだろうこの状況。追剥や賊であれば撃退するべきだが、幸い耳にした呟きは「見ろよ! いいカモが寝てやがるぜ!」の類ではなかった。
「君、生きてる?」
悪運の中にも確かに幸運を宿していたようで、『女神に愛された』だけのことはある……と思いたい。
透明で癖のない声、私はこの声が大好きだった。
なんて都合の良い幻だろう。それとも走馬灯の続き? 私が愚痴たから都合の良い夢を見せてくれた?
こんなところで彼と会えるなんて!
会いたかった。ずっと会いたかったの。ただひたすら、それだけを心の支えに生きてきた。
自分が主人公で、世界を救うという使命は私が想像していたより重かった。何度も泣いたし、抱えきれない重圧に逃げだしそうになったこともある。
その度に彼のことを想った。彼を想えば、逃げるなんてこと出来なかった。
抗えない疲れを前に目を閉じる。たとえ幻でも私にとってはご褒美だ。次に目が覚めたなら健やかな気分でまた頑張れる気がする。
「……あの子が生きていたら、これくらいの年齢か」
悲壮を宿した呟きだ。誰かが私の傍に寄り息があることを確認している。
ああ、また悲しそうにしてる。私の夢の中でまで悲しまないでほしい。早く大丈夫だと伝えたい。
そうしたら、あなたは笑ってくれますか?
彼は今、何を考えているのだろう。
夢か幻かもわからない相手のことを考える。されるがまま抱き起こされた私が憶えていたられたのはここまでだ。
心地良い音が私の意識を呼び覚ます。近くに火があるのだろう、薪の燃える音がする。視界を閉ざしている分、耳に意識が集中していた。
……あ、温かい? 夜道で倒れていたはずなのに、もう朝?
目覚めたばかりの思考では時間の経過が把握しきれない。視線の先には天井があり、背中には柔らかい感触で寝心地は悪くない。手当てまで施されている状況から察するに、誰かが助けてくれたのだろう。
体を動かすと忘れていた痛みが襲い、崖から落ちて気を失ったことを実感させられた。起き上がるだけの力はなく、あまり時間は経っていないのかもしれない。
僅かに顔だけ動かすと視界の隅に影が飛び込んだ。黒を基調とした服装に薄く優しい桃色の髪が映る。
う、そ……
「崖から落ちた? よく無事だったね。自分の名前、分かる?」
ちょっと、女神様!?
私はまだ夢の中?
ねえ、誰かそうだと言って!
「え、あ……!」
そ、そうだ名前、早く名乗らないと!
「リユ、です……」
夢じゃ、ない? え、嘘……。夢というか、嘘! そりゃ、会いたいとは言いましたけど!
振り向かずに話しかけられたことへの驚きなんてきれいに吹き飛んだ。
「あなたが、助けてくれたんですね」
「そうなる、のかな」
複雑そうな口調で語る。とはいえ助けられた身には関係のないことで、口にすべき言葉は決まっていた。
「ありがとうございます。とても助かりました。……でも、どうして?」
こんなイベント見たことがない。会話に不自然はないだろうか、一言一言が重く感じる。
「どうして、だろうね。ただの気まぐれかな……。だから礼には及ばない。僕は感謝を受ける資格もない人間だ」
その根底からくる理由を知っている。今ここで違うと叫んでしまえたら――
そんなの、本人とっくに赦してますからね!
そう言えたら、どんなに楽だろう。けれどまだ言ってはいけない。知られてはいけない。だから真実を隠してこの想いだけ伝えよう。
「感謝に資格は必要ありません。おかげで私は助かりました。だから、ありがとうございます」
受け取ってくださいとやや強引に言えば「仕方ないね」とそっけない返事が返される。けれど嫌な素振りはなく、どこか照れているようにも聞こえて……もうそれだけで私は泣きそうだ。
それきり互いに黙り込んだ。彼がどういうつもりか何を考えているのかはわからないけれど、私はといえば内心パニック必死である。憧れの人が突然目の前に現れたのだ、緊張しないわけがない。しかも何の準備もなしに。
女神様、良い仕事ありがとうございます!
称える半面、せめて心の準備をと恨めしく思う気持ちがせめぎ合うから乙女心は複雑だ。というかこの矛盾どうしてくれよう。共通ルートはシナリオ通りに進めるつもりだったのに……。
順に攻略対象たちと出会い、騎士団入団を認められ交流を重ねる。彼と会うのはその後、本部へ手紙を届けてくれたところなのに現実はこれだ。女神様の気回し(?)で、いきなり大本命に遭遇してしまった。これが動揺せずに落ち着いて会話に興じられるか!
どうしよう、どうしたら……
会話? 何か話して――
でも何を!? 私どうしたらいいの? こんなことなら、もっともっともっと計画を練っておくべきだった!
自分の甘さを呪う。不用意な発言はできないと言葉を探しまくった。
薪が燃え、パチパチと軽快な音を奏でる。緩やかに暖炉の火が揺れ、私の荒れ狂った心情さえ見えなければ穏やかな時が流れているのかもしれない。
無理に何か話す必要、ないのかも?
緊張しているとはいえ、嫌な空気ではない。このまま浸っていられたらどんなに心地良いだろう――そんな風に浸っていられるくらいには心地良い。
甘い誘惑にまどろんでいた私を現実に引き戻したのは彼だ。人の時は限りあるものだから。
「意識が戻ったことだし僕は行くよ。ここ好きに使って構わないから、動けるようになるまで休むといい。それと道は分かる? 道なりに進めば王都だけど、というかどこを目指したら崖から落ちるのかな?」
若干の呆れを含ませ言い切られると返す言葉がない。私は複雑な面持ちで沈黙した後、重い口を開く。
「……王都です」
少しの間が空いた。どちらともなく気まずい空気が流れる。なにしろ迷いようがない、分かりやす過ぎる整備された一本道なのだ。
「まあその、次は気をつけなよ」
ですよね!
傍らに放られていた黒い外套を拾い上げ、それを纏えばがらりと雰囲気が変わった印象を受ける。闇に溶け込んでしまいそうなシルエットが、ひらひらと後ろ手を振っているので慌てて声をかけた。
「ま、待ってください! あなたは――、名前を教えていただけませんか?」
そうすれば名前を呼んでも許される。いつまでも初対面のふりを貫いて、たどたどしい距離に身を置く必要はない。
外へ出ようとしていた足が止まった。それなのにいつまで経っても望むものが得られない。
「……僕は、亡霊」
長い沈黙の末、ようやく紡ぎだされたのは酷く虚しい響き。その名のように闇へ紛れ、閉ざされた扉が拒絶を示すように冷たい。
「名前、教えてもらえなかった……。名前、呼べなかったな」
たったそれだけのこと。すぐにまた会えるはずなのに、でも。
「早く会いたいです。カノエさん」
大切な宝物のように、そっと彼の名を紡ぐ。
これが運命の『出会い』ではなく『再会』だったと彼が自覚するのはまだまだ先になる予定。
こうして私は王都へ辿り着く前に、ゲーム開始前に登場人物と出会う矛盾を犯してしまった。この結果が何をもたらすのか、私にはまだわからない。
閲覧ありがとうございました。
ようやく登場、とはいえ本来出会う予定のなかった二人。まだまだ出会っただけです。これからどうなるのかリユの頑張りを見守っていただければ幸いです。