二十一、文句も言う
お気に入りありがとうございます。とても嬉しくて、励みになりました!
強固だった見えない壁は女神様の優しさのおかげでガラスのように崩れ去った。
「わたくしは間違ってはいない!」
遮られていた王妃様の叫びが溢れだす。
暴れた拍子にヴェールは脱げてしまったのか、両手で覆う顔には深い皺が刻まれていた。
その姿は老い過ぎている。
瞳には光が宿っておらず、何を映しているのか判別できないほど虚ろだ。髪は雪のように白く、十年の時ではとうてい変わりようのない姿がそこにある。
「こんな老いた姿はもう嫌ぁ……わたくしは娘を殺めたの、もう後には引けない。リージェンも、あの頃の姿も取り戻さなければならないのに!」
やがて王妃様は糸が切れたように抗うことを止めてしまう。
「このまま沈んでしまえば、この姿を誰にも見られることもないのかしらね……ふふっ、ああ……なんて愚かなの……。そうよ、愚かなのは、わたくしだった」
王妃様は顔を覆っていた手を空へと伸ばす。
「高くて遠い……わたくしはそこへは行けないのね。でも、もういいの」
静かに目を閉じ、運命を受け入れているけれど――
「いいわけない!」
私は無理やりその手を掴む。記憶に残っている柔らかな手ではないけれど、これは私のお母さまの手だ。
「やっと過ちに気付いてくれました? だったらそんな勝手、私が赦しません!」
やっと届いた!
でもさすが元凶、触れただけで体が重くなっていく。手の感覚が失われ、足の力が入りきらずよろめいてしまう。危うく手を放してしまいそうになったけれど、後ろから伸びた手が私ごと支えてくれた。
「手伝うよ」
「カノエさん!? な、陛下は!?」
「だから、その陛下から妻と娘を助けろって命令!」
陛下の姿を探せば膝をつき、必死に抗っていた。目が合えば一度だけ頷き、私の行為を後押ししてくれる。それはとても感動的な光景のはずなのに……
「なに、それ……あなた、贅沢すぎ」
私の中に生まれたのは苛立ちだった。
「え?」
「こんなに愛されているのに、どうしてそれだけで満足出来なかったの!」
「わたくしが……?」
「どうして普通の幸せで満足出来ないの!? 特別な力なんていらない、普通でいいじゃない! 私はそれすらも叶わなかったのに、あなたはずるい!」
あああもう私は何を言ってるのかな!? でもですね、王妃様を見ていたら我慢の限界でした。
誰かを好きになって、恋をして。
誰かを愛し、愛されてみたかった。
結婚して子どもを産んで、温かい家庭を築く。
そんな普通の生活に憧れていた。でも私の夢は叶わなかった。叶う前にこうしてリユという新しい人生が始まってしまったから……前世の私は夢を叶える前に死んでしまったのね。
それをこの人は『もっと』と欲をかいた。普通の幸せだけでは足りなくて特別を欲した。
「陛下はあなたを助けようと必死。今もあなたを愛しているから!」
一国の主から、自分の身よりも案じられていて何が足りないの?
「私だってお母さまが大切だからここまで来た! それじゃダメだった? 足りなかった? 私はとても、こんなにもあなたが羨ましいのに!」
前世のことは墓までもっていくつもりだったけれど、無理でした。
「なあに、それ……」
虚ろな瞳が彷徨い、ある一点で止まる。初めて視線が交わった。
「その瞳……」
苦い笑いだった。申し訳なさそうに眉を寄せ、カサついた唇が緩む。
「本当ね、どうして気付かなかったのかしら……リージェン」
灰色のように薄れた瞳が辛うじて私を捉えている。これほど近くに寄って顔を覗きこまなければ見えないのか。
「わたくし娘を殺めたというのに何も得られなかった。それどころか、その娘が止めに現れるなんて滑稽ね。おまけにどうなっているのかしら、殺した張本人まで引きつれて……」
その動揺は察します。
「そうですね、シルヴィス様。あなたの娘は随分と規格外のようですよ」
「カノエ、あなたそんな顔もするのね。いいえ、わたくしが知ろうとしなかっただけかしら」
王妃様の体は顔の半分まで闇に蝕まれていた。
「そう、わたくしは……愛されていたのね。幸せが当たり前すぎて、気付けなかったなんて……」
せり上がる闇に包まれながら、王妃様はカノエさんに一つ命令を下す。
「カノエ、最後の命令を聞いてくれるかしら。その子を放さないで」
こんな命令、反則だ。
「約束します」
それで良いと王妃様は満足そうに瞳を細めた。
「カノエさん!? まさか従う気ですか!」
カノエさんの手がターゲットを私へと変えている。他の攻略対象たちと同じように危険だから引き離そうとするんですか?
「僕、あの人の命令には逆らえないから」
「さっき思いっきり逆らってくれましたけど。何勝手にまとめてるんですか嫌ですよ、お母さま! カノエさん、あなたは私を信じていればいいんです!」
「へえ……そうまで言うからには策が?」
「もちろんです! だってこの日のために伸ばしてきたんですから――ね!」
私の髪は本来の主人公よりもずっと長く、それはもう毎日の手入れが大変だった。それでも必死に伸ばし続けてきたのは今日この時のため。
無造作に引っ掴み、むしるように掻き切った。
「女神様の加護がありますように!」
勢いよく頭上に向かって放り投げる。ハラハラと散る花のように――なんて優雅なものではないけれど、舞い散る銀はそれなりに美しい。
ここで一つおさらいを。
『銀の姫騎士』には育成要素もあり、その中に銀の加護という値がある。これはどれだけ女神の加護を受けられるかという目安で、普通に生活していればどんどん貯まっていくものだ。クエストを消化しても貯まる。
最終的にこの値が低ければどんなに好感度を上げてもハッピーエンドには辿りつけず、王宮バッドエンドになってしまう油断ならないものだ。
極論だけど、つまり加護があれば助かるのでは? もしも普通以上に加護をため込むことが出来たら?
針は王妃様の元へ辿りつくために使い切ってしまった。これ以上、銀を持ち歩くことは重量的に難しいけれど、髪ならいつでも傍にあるでしょう?
銀の加護を貯めた主人公は女神様に守られているから闇に呑まれることはない。だとしたら私がお母様を決して離さなければいいのよね?
ゲームではね、主人公は絶対に間に合わない仕様になっているの。だからいつも最後に主人公は泣いていた。でも私は、最後まで泣きたくない。だから私もお母さまと一緒に行こうと思うの! たとえ闇の底まででもついていく。
「リユちゃん!?」
カノエさんが私の名前を呼んでくれるなんて、最後の思い出にはピッタリ。最後にあなたの傍にいられるなんてとても幸せなことでした。
「ちょっと行ってきます。だから……」
髪を切るために自由になっていた両手で力の限り押そう。私は不意打ちでカノエさんをつき飛ばした。
「なっ!?」
まさかそう来るとは思いませんでしたね? 大成功で何よりです。
最後にカノエさんが来てしまうなんて予想外なんですよ。お母さまについていくのは私一人でいいんです。いくら力の保有者に許可されているからといって、それだけでは危険がないとは限らない。ここは正真正銘本家加護持ちの私に任せてください、なんて口で説明しても納得いただけないですよね……
だから、さよならをしましょう。
「リユ!?」
うそ……
そんな、だって……
呼び捨て!?
その素敵なお声で名前を呼んでもらえていただけで夢のような心地だったのに、最後の最後で呼び捨てなんてどんなご褒美ですか! 最高でした、一生の思い出にさせていただきますね。
そういえばゲームでも好感度の高い相手は主人公の身を案じて止めに入る。だからこそ私も念のため、最後は誰の邪魔も入らないように警戒していた。でもカノエさんは来てしまった。ううん、来てくれた。そして攻略対象たちと同じ行動をとろうとした。
それって、つまり……?
終わったことをいくら考えても意味はないのかな。それこそ真実は闇の中、たった一つ幸せな思い出をこの胸に刻んでおけばいい。
ほら、私はこんなにも幸せです。だからどうか私のことは忘れてください。あなたは誰もその手にかけてはいないんです。悲しいことなんて何もないんです。後悔することも、赦される必要もありません。
あなたにも幸せを感じてほしいんです。だからどうか、私のことなんて忘れて笑ってください。それこそが私の見たかったもので……陰から鑑賞させていただければ十分です。
最後に目にしたカノエさんの姿が闇に塗りつぶされる。
抱き着いていたはずのお母さまの感触さえ消えていた。
お付き合いありがとうございました。
今日中にまた更新することが目標なので、もし間に合いましたらその時はまた読んでやってくださると嬉しいです。




