二、銀の縁
私はいったいどこに迷い込んでしまったのか。
室内には簡易なテーブルと備え付けられた木の椅子、そして私が寝ていたベッド。むき出しの木と暗い色合いでまとめられた部屋、こんな背景を私は知らない。
そして先ほど顔を合わせたばかりの男性――おそらく団長よりも年上だろう。背景だけでなく、彼のことも私は知らない。
カノエさんは先に行くと席を立ってしまった。私は乱れた髪を整え、椅子にかけられていたコートを羽織ってから追いかける。ところで別々に姿を見せるのは何かありましたと主張しているような気がするような……。
結局どう転んでも複雑な心境は拭えないだろうと覚悟を決めて私は階段を下りた。
「あー、嬢ちゃん。さっきは邪魔して悪かったな」
開口一番に頂いた言葉です。しかもどこか遠くを見るように視線をそらしながら……本当に誓って何もなかったんですけどね!
「誤解ですよ! ちっとも邪魔とかそういったことはありませんので、誤解なさらずにお願いします!」
「そうなのか? カノエが女連れ込むなんて初めてだし、俺はてっきり――」
「違いますから、本当に……というかそのカノエさんはどこへ?」
そう、必死に弁解しているのは私一人。まさかあのまま逃げられた!?
ようやく私には周囲を見回すという余裕が生まれていた。
階段を下りた先のドアがこの部屋へと繋がっていた。所狭しと並べられた物は彫刻や食器、宝石といった代物で、共通点は銀細工ということ。磨き上げられた銀が負けじと光を放り、ここが工房であることが理解できた。中でも目につくのは女神像で、生誕祭に向け作業中なのかもしれない。
「あいつなら、嬢ちゃんが落ち着けないだろうって出てったぞ」
逃亡を疑ってすみませんでした。そっと私は心の中で謝罪する。
「ここは……カノエさんのお家、でしょうか!?」
カノエさんの家はゲームでも謎に包まれていたけれど、まさか禁断の自宅に迷い込んでしまったのでしょうか!?
「いや、俺ん家兼工房だ。あいつは、たまにふらっと顔出すんだが――」
あ、違うんですね。……少し残念に思ったのは不可抗力。
「ああ、そうだ! 戻るまでここから動くなって伝言。で、俺は見張り役も兼ねてると。たく久々に顔見せたかと思えば、まさかの女連れってね。いやいや驚いたもんだ。しかも嬢ちゃん、噂の銀の乙女だろ?」
「う、噂の?」
「なーに、この界隈じゃ有名な話だ。あのヴィスティア騎士団に銀の乙女がいるってな。しかも美人で親切、気立ても良くて剣の腕もたつってよ。まさかカノエの女だったとはねぇ」
「いえ、それについては本当に誤解です。そんなおこがましいことあり得ません!」
ここは誰のルートにも属さない世界――
主人公は誰のルートにも入れなかった。これがゲームなら続くのはバッドエンドだろうけど、私はここからカノエさん救済ルートを構築して見せるの。
「それで、あの、ええと……」
私はまだ匿ってくれた親切な人の名前も聞いていなかったのだ。
「おっと、悪かったな。んじゃま、自己紹介しとくか。一応元先輩としてキメとかないとな」
先輩、それが導く存在なんて決まっている。けれど私がまさかと反応するよりも早く慌てて訂正を始めた。
「て、そうはいってもヒラ団員にすぎないぜ! ジゼなんて名、どうせ団長だって憶えてないだろうよ。けどな、これでも国のために尽くしてきた身さ」
でもそれは、すべて過去の話だった。
「ジゼさんは、辞めてしまわれたんですね……」
「あー、まあ、そうなるな」
ジルさんは頭を掻いては決まりが悪そうに視線を逸らす。
「俺さ、エルゼさんに憧れてたんだ。いや、そもそも伝説の騎士に憧れてたのは俺だけじゃないぜ! あの若さにして王家からの信頼も厚いなんて大したもんだろ!? けどな、あの人は悪夢の夜が起こって姿を眩ませた。正直失望したよ。自分の立場が危うくなった途端、これかってね」
「信じようとは、思いませんでしたか?」
「信じるって、何をだい?」
「何か事情があったかもしれないと……」
「はっ、一体どんな事情があるってんだ? 俺らは見放されたんだよ。失望して、何人もの奴が辞めてった。俺もその一人だ。……まあ、それだけ偉大な人だったんだよ」
こうなることを覚悟してエルゼさんは私を助けてくれた。ジゼさんの言葉を借りるなら、本当に偉大な人だと思う。
無条件で人を信じることは難しい。私にはゲームの知識があるけれど、言葉もなく信じていられる団長のような人は奇特だ。ジゼさんを責めることはできない。私だってまだ、カノエさんを信じていいか迷っているのに……。
「ジゼさんは、カノエさんとはどういう関係ですか?」
「今じゃ稼業の工房を手伝ってるんだが、ここから出荷もしてるんでな。あいつに世話になることも多いんだ。でまあ、そのうち仕事以外でも話す間柄になったってわけさ」
一つ新しいカノエさんの情報を入手できた。そして仕事モードのスイッチが入ったジゼさんの語りは止まらない。
「主に銀細工や木彫りの彫刻を扱ってるんだが、この時期は女神像が稼ぎ時でな。そうだ俺の力作見ていってくれよ! エデリウス史に残る傑作に違いないぜ」
伝承される女神ヴィスティアには特定の記述がないため造り手の想像力が試されるらしい。差し出されたのは掌に納まる木彫りの人形。銀細工だけでなく彫刻にも取り組んでいるとかで、手ごろな値段設定が庶民の間で一番人気があるそうだ。
次々入れ替わるように見せられる品の合間に私は質問を繰り返していた。
「カノエさんは、普段はどんな方ですか?」
「そりゃ、嬢ちゃんの方が知ってんじゃないのか?」
未だに誤解されているようですが深い関係ではありません。お二人の方が絶対に長い付き合いだと思います。
「私には……よく、わかりません。でも助けてくれました……。だからこそ、わからないんです」
ジゼさんは手で目を覆う。見ていられないと言われているようだった……何を?
「おいおい、こりゃカノエの奴、脈なしか?」
あるわけないですよ!? あのカノエさんですよ。私が釣り合うと本気で思ってるんですか!? そこのところ問い詰めたいけれど、ジゼさんは唐突にカノエさんのことを語り始める。
「いいか! カノエは、歳は確か二十一だったか?」
「いえ、二十三です」
「確か南部の地方出身で――」
「いいえ、北部出身のはずです」
「なんだ、ちゃんと知ってんじゃないか!」
公式で公開されている情報は暗記しているのですかさず訂正してしまった。条件反射恐るべし。
ジゼさんは最初こそ素早い訂正に驚いていたけれど、すぐに嬉しそうに歯を見せて笑う。
「なあ、嬢ちゃん。あいつちょっと感覚ズレてるとこもあるが悪い奴じゃないんだ。嬢ちゃんのことは気に入ってるように見えたぜ! だからさ、よろしく頼むな」
何をでしょうか!? ジゼさんは言い切っては満足そうに「こうなりゃ、俺がカノエのいいとこアピールしてやんねーとな」とかなんとか呟いているけれど。
まあ、破滅運命は回避させるつもりですし? よろしく頼まれるまでもありませんが……カノエさんの良いところなら私だってたくさん知っていますからね!
そんな小さな対抗意識を燃やしていた。
カノエさんが戻ったのは完全に日が落ちてからで、私はといえば飽きる暇もなく工房を見学させてもらっていた。まだまだ修行中だとジゼさんは言ったけれど見事な品揃えだと思う。それはもう個人的に買い取りたいくらいに。
いつまでもジゼさん家にお世話になるわけにもいかず、本部へ戻ることをカノエさんに告げた。今後身を隠すにしてもまずは事情を話すべきだ。
闇に紛れたほうが安全だと私はカノエさんに手を引かれ裏道を進んでいる。
まず言わせてほしい。手を引かれるなんて子どもじみたことをしなくても大丈夫だと丁重にお断りしたんです。でも、「そうだよね、犯罪質者扱いだもんね。僕と一緒に歩くなんて不安だよね。それじゃあ、後ろからこっそり見てるから」と言われてはそっちの方が問題行動で。背後からはやめてほしいと指摘したところ「ああ、そっか。背後を取られる心配があるね。それじゃあ――」というズレた返答を貰い。もういっそ普通に隣を歩いてくれたほうが何倍も安心だと折れたのは私でした。
「ねえリユちゃん。今日のことは僕らだけの秘密にしない? 王妃の強行なんてさすがに極秘事項だろう」
カノエさんが提案する。その提案には頷くけれど、私は追及も忘れなかった。
「その極秘情報をどこで手に入れたんでしょうか」
「風の噂かな」
「白状する気がないのはよくわかりました」
「ごめんね」
「いいです」
知ってますし――、とは心の中に止めておけばカノエさんの手から驚きが伝わる。
「聞かないの?」
「教えてくれなさそうですし。だから私が勝手に解釈しようかと思いまして!」
「ちなみにその解釈とやらを聞いても?」
「あなたは王妃様側の人間、ですよね。でも奇特で、優しい人です」
事実と願望を織り交ぜた解釈にカノエさんは肯定も否定もしてくれないけれど、これが正解であればいい。
「カノエさん。王妃様の手は本部にも伸びていると思いますか?」
主人公もこの一件を受けて本部に戻るべきか悩むのだ。王家から狙われた自分の事情に仲間を巻き込みたくないと葛藤する。そんな時、彼女は隣にいる攻略対象に励まされていたけれど――ここで私の隣にいるのは誰でしょうね!? カノエさんは私の質問にどう答えてくれるのだろう。
「その心配はないよ。向こうもことは荒立てたくないはず。だからこそ回りくどい方法で追いつめてきたわけだしね。様子なら両方とも見てきたけど、変わりないから安心しなよ」
わあ……なんて用意周到、既に王宮と騎士団本部は調査済みと。合わせて敵方さんからの状況説明は説得力が違う。誰とは言わないけれど、君を迷惑に感じたりはしないと根拠なく騎士団に留まることを進められるより頼もしい。
どうしてそこまでしてくれるのか問いかければ当然のように『罪滅ぼし』と告げられた。
「あそこにいたほうが一人にならずに済む。僕も安心していられる」
「あの、ということはもうスト――じゃなくて。犯罪者行為は必要ないですね!」
「甘んじて我慢するんだよね」
確かに言いました。完全に勢いで言いました! それなのに有無を言わせない圧力、これはストーカー扱いを根に持っているようです。言葉の節々が刺々しい。
ならばこれは好機と捉えるしかない。カノエさんがそばにいてくれる。破滅のそばじゃない、私のそばにいてくれるなんて……なんて安心! と思うしかない。
「カノエさんは悪い人ではないと思いますし……多分。発言撤回は致しませんが……」
「多分、ね」
「さすがに全幅の信頼を寄せているなんて嘘は付けませんから。逆に嘘くさいですよね?」
こればかりは悲しげな顔をされても譲れない。
「うん、それでいい。けど秘密の関係なんて、ちょっとわくわくするね」
カノエさんは表情を変えなかったけれどその声は楽しげだ。残念なことに、私は緊張していてわくわくなんて擬音を共有することはできなかったけれど。




