十二、フェリスの憂い
路地裏で反省していても過去は変わらない。何もないまま過ぎていった日々に比べれば警告とはいえカノエさんから接触があった。それだけで大進歩!
さて仕事に復帰しますか。……少しは良い方向に物事を考えないと生誕祭までに私の心が折れます。
「あなたは、どうして地面で寝ているんです? しかも……粉っぽい?」
「え?」
寝ころんだままの私、見上げればフェリスさんが逆さまに映る。別コースで巡回していたはずが、どうしてここに?
「私は……不審人物を追跡したんですが、逃げられてしまいました」
よし、嘘は言ってない。時間停止の中で動ける怪しい人間を見つけましたと報告するわけにもいかないので。
「そうですか。僕も同じようなものです。怪しい人影が路地から姿を見せたので、人目をはばかる取引でもと探ってみれば……あなたでしたか」
フェリスさんは黙って手を差し伸べてくれた。
「ありがとうございます。……亡霊だったかもしれないのに、すみませんでした」
「そう気にする必要はないでしょう。逃してしまったのはあなただけではありません。本当に亡霊だったのかもわかりませんし」
なおさらすみません! カノエさんを捕まえて引き渡すつもりはないんですが、本当に亡霊だったんです。
――って、フェリスさんのこの諦めモードな空気はいただけない。
私は騎士団を再建させるつもりだ。とはいえ一人突っ走ったっところで限界があるし、先輩方にもやる気を出してもらわないと。
「フェリスさん! 亡霊、捕まえてやりましょうね」
「は?」
フェリスルートでは亡霊の追跡がメインに語られているので話題に選んでみたけれど、ちょっと厳しかったかな?
「その……。亡霊を捕まえて私たちの名誉、挽回してやりましょうと思いまして」
「随分、張り切っていますね。疲れるだけですよ」
「フェリスさんは、諦めるんですか?」
「そうは言いませんが……」
あまり乗り気ではないという反応だ。
「僕らは何も期待されていない。存在するだけ、女神の名を途絶えさせなければそれでいい。あなたも街の人の反応には気付いているでしょう?」
ひそひそ囁かれるのは『役立たず』と心無いものばかり。遠巻きに噂され、視線を合わせば逸らされて見ないふりをされる日々だった。
「それでもこの風当たりを覆そうと?」
「その質問に私は『はい』と答えます。呆れますか? こんな奴には付き合いきれないですか?」
フェリスさんはずっとこの境遇に耐えてきた。でも私はこのままじゃいけないと思う。エルゼさんが守ってきた歴史を、帰る場所をこのままにしておけない。
引き下がるつもりはないと訴えれば、耐えきれず逃げたのはフェリスさんの方。
「……僕は貴族の、ローゼスタ家の次男です。しかも母親は妾。僕が家督を継ぐことはないでしょう。期待もされず、家にいては体裁が悪いと厄介者のように放り込まれたのが騎士団でした。結局ここでも同じ扱いです。だからそんなふうに言えるあなたが、眩しい」
握った拳が震えている。吐き出される言葉には苦しいという感情が込められていた。
私は――、かつての私は王女で、将来は国を治めることを望まれていた。恵まれた環境で育った私が、軽々しくフェリスさんに声をかけていいわけがない。でも、どうしても伝えたいことがある。良い話ができるとか、慰められるなんて思わないけれど……これだけは伝えたかった。
「真実は見る角度によって違いますよね」
「リユさん?」
「卑怯者、臆病者、逃亡者……色んな言葉で非難されている人がいます。でも私は、彼が本当は何を思って行動し、どんな想いを胸に秘めているか知ってる。だから私はこの目で見て、この耳で聞いたことを信じます」
「何が言いたいんですか?」
「フェリスさんもそうです。厄介者扱い? 私から見たフェリスさんは違いますよ。真面目で責任感があって、尊敬に値する人です。私はフェリスさんがいてくれて良かったと思いますし!」
「えっ――」
「頼れる先輩がいてくれて嬉しいです」
「あ、ああ、そう、ですか。そういう意味ですか……」
「だから、名誉挽回目指して一緒に頑張りませんか?」
フェリスさんの赤い耳が見えてしまった。もしかして照れてる? 気になるけれど指摘したら怒られそうなので触れないでおこう。
「僕は……。騎士です」
ただ事実を述べただけ。それだけなのに、さっきまでの苦しさは消えていた。
「騎士として、職務を遂行するだけです」
反対や拒絶ではなかった。これは、少しは頼もしい再建仲間だと期待してもいいのかな?
「よろしくお願いします。頼もしい先輩!」
「あなたは、どうしてそう恥ずかしい台詞を臆面もなく言えるんですか?」
私、そんなに恥ずかしかった!? この際だからって言いたいこと全部言っちゃったけど……そんなに恥ずかしい!?
「わ、私だって恥ずかしいものは恥ずかしいですよ!? え、どの辺がダメでした?」
参考までに聞かせていただこう。
「全面的に」
さすがフェリスさん容赦ない! いいですけどね、だって――
「明日言えなかったら後悔しますから。だから言いたいことは言っておこうと決めているので」
ある日突然人生が終わるなんてもう御免だけど、あり得ないとは否定できない。だから後悔しないように生きていたいのだ。
そんなことを考えていたせいか、私は自然と遠くを見ていたのかもしれない。
「リユさん!」
「はいっー!」
急に呼ばれて背筋が伸びる。
「すみません。なんだか、消えてしまいそうだったので……」
「はい?」
「あなたには底知れず明るいという印象を抱いていましたが、そういう顔もするんですね」
「そういう顔、ですか?」
私、今どんな顔をしていた?
「いつも笑っているので少し意外に感じました。だとしたら、どうしたらそう前向きに生きていられるんです?」
「以前にもとある配達業者の方に似たようなことを聞かれたんですが。みなさん私の教訓なんて聞いても参考になりませんからね!?」
馬鹿にされているという解釈もできるけれど、ことフェリスさんは真剣だ。
「あのですね。私より歳下なんですから、そんな年寄りじみたこと言わないでくださいよ」
「と、年寄り? そんなことを言われたのは初めてです。あなた、僕をなんだと思っているんですか?」
「高潔な先輩騎士様です! それとフェリスさん。私、別に前向きなわけじゃありません。ただ、そうするしかないだけです。だからフェリスさんにだってできますよ! 難しいなら……しかたないですね。私のこと見ていてください。本当はどうしようもなくネガティブな私だって頑張っているんですから! 少しくらいなら元気、おすそ分けしてもいいですよ?」
フェリスさんは目を丸くしている。そんなにおかしなことを言っただろうか?
「あなたは、変わった人ですね」
しみじみと呟やいたフェリスさんの姿が、私の所持している記憶と重なった。『変わった人ですね』それはゲームの中で主人公がフェリスさんにもらった言葉。こんな路地裏じゃなくて明るい日の下で、フェリスさんはどこか嬉しそうに言うの。嬉しいことに彼の『変わった人ですね』は嫌いじゃないという意味が込められている。
でも……。自分の言葉で言ったつもりなのに、それでもどこか私の心には主人公の影がある。だから素直にこの言葉を受け取るのはどこか後ろめたい気持ちがつきまとう。
きっと私はこれから何度も同じ感覚を抱きながら生きていく。
「僕はアイズさんと落ち合いますが、あなたはどうします? 報告は僕一人いれば問題ありません」
「あの、実は寄りたいところがありまして」
「では、今日は本部集合にしてしまいましょう。その方が効率的ですし、あなたも疲れているでしょう? ……何をどうしたらそんな有様になるのかわかりませんが」
フェリスさんの視線が私の団服に向いている。
「あ、あはは……」
粉まみれだったことを思い出し、私はコートを脱いだ。叩いただけでは粉っぽさが消えず、とてももう一度着る気分になれない。肩に羽織って緩くフードを被ることにする。ああ、できることなら早く戻って洗濯したかった。
その足でカノエさんに助言されたパン屋へと向かう。亡霊の発言を鵜呑みにするのも危険だとは思うけれど、パン屋だよ!? しかも私が王都でパン屋と聞いて連想するのはエマさんのお家くらい。入団してから早速利用させてもらったけれど、ふわふわの生地が癖になる美味しさだ。
遠い距離ではなく、すでにエマさん家が見え始めたけれど……本当にここで合ってるのかは謎のまま。そんな私がドアの横に見つけた小さな存在は!
「こ、ココちゃん?」
まさかと名前を呼んでみれば「にゃー」と軽快な返答が。
「エマさん!? あの、表の猫はいったい……」
「あ、リユさん。いらっしゃい! それが、この辺りで迷っていたみたいで。家で保護していたんですけど、もしかして飼い主さんご存知なんですか?」
「猫探し、クリア?」
「リユさん?」
「ありがとうございます! 私、猫探しなんて一生かかってもクリアできないと思っていたので! ご協力感謝します」
私の感動ぶりにエマさんは驚いていたけれど、すぐにおっとりとした表情に戻る。
「もー、大げさですよー。うちも店先に可愛い子が居てくれたおかげで売れ行きよかったですし。さっきも小麦粉を買いたいって男の人が撫でてたらしくて、やっぱり猫さんがいると違うんですかね!」
へー、ここで小麦粉調達されたんですね、カノエさん……。
「でも飼い主さんが見つかったなら良かったです」
口元が引きつりそうになったけれど、悪気のないエマさんが微笑んでくれたのがせめてもの救い。
ここで一つ疑問が。どうしてカノエさんは猫のことを知っていたのか。
私、そんなに「にゃーにゃー」叫びながら探してた!? 見られていたなら恥ずかしすぎる。