こんなにも…
じわりと続きますっ
暖かな太陽の光りが瞼を刺激している。
それと同時に芳醇な花のーこれは薔薇だろうかー香りが鼻をくすぐる。
太陽の下で小鳥たちが囀る楽しそうな音・・・
そして自身の身体を優しく包むシーツの温もり。
「い、――――る」
生きている。
喉は張り付き、音は出ないけれど確かに自分は生きている。
あのとき確かに屋上から短い人生を終え、亡き祖父の後を追ったはずなのに確かにここで生を感じているんだ。
嬉しいのか悲しいのか分からない。
ただただ零れる涙の暖かさ・・・
生きている、その事実を受け止められない。
この心臓はもう脈打つはずがなくて、この涙は溢れるはずがない。
それなのに、僕は生きている。
―ガタッ
物が倒れる音がした。
近くに誰かいるようで、苛めのせいで人が苦手になってしまった僕は体が固まってしまって動けない。
足音が響く、ここへ近づいてきている。
「もしかしてお目覚めになられたのですかっ!?」
声と共にカーテンが勢いよく引かれた。
そして現れたのは・・・黒檀のように美しい髪をもった女性だった。
眼鏡の奥の瞳はエメラルドのように深い緑色。
「あぁ、なんということでしょう!光りの神フォスタリアに感謝いたしますっ」
とても慌てた様子のその人は、僕の顔を見るなり綺麗な緑色の瞳に今にも零れ落ちそうな涙を浮かべた。
…どうしてこの人はこんなにも嬉しそうなんだろうか。
過去に会ったことがあっただろうか?
…いや、記憶にない。
そもそも外国人の知り合いなんて僕にはいない。
おじいちゃんの仕事の仲間ならいたかもしれないけれど、僕とは一切の関わりを持ってはいなかったし、僕のためにこうやって泣いてくれる人なんて…
僕は独りだった。
一ヶ月ほど前に財産と邸とハウスメイド達、そして次期社長という大きな椅子を残して逝ってしまった祖父。
今まで元気だったのに、急死という電話がかかってきたときには信じられなかった。
嘘だと思った。
でも、電話越しで涙を流し、嗚咽交じりに僕にそのことを告げたメイド長さんがいて…本当なんだって気付いた瞬間に今まで張り詰めていたものが破裂した。
それは涙と共に流れていって、最後は空っぽにはならなかったけれど無に等しくはなっただろう。
身内だけのひっそりとした葬儀を済ませ、1人じいちゃんがずっと使っていた書斎へと足を運ぶ。
そこはじいちゃんの香りが残っていて、熱いものがまた一つ、二つと零れ落ちた。
自分にはまだ流せる涙があったのかと笑みが零れた。
それから僕は一ヶ月間の間に身の回りを片付けるため動いた。
おじいちゃんには申し訳ないが学園も退学した。
その際、引止められることもなくスムーズに書類に判を押してもらえたのは学園の理事長が転入生の叔父だからだろうな。
可愛い可愛い甥のために伝統行事を潰したり、同室の僕にその甥の面倒を見ろと召使かのように扱使ったり。
生徒会の暴力に気付きながらも見てみぬふりをしたり…
挙句には僕に退学を勧めてきたりしてさ。
何か最後に仕返しをしてやろうと退学届けを出した数日後、荷物を取りにという理由で学園に入り込んで屋上から投身自殺をしてやった…。
これで学園の評判は悪くなるはずだ。
どうせ理事長の権力で事件をもみ消すだろうと思って、自宅に遺書を書いてきた。
今頃、メイド長さんが見つけて警察に届けてくれているだろうか…
そんなことを思いながら、僕は今だ自由に動かない身体に愕然とした。
自殺を試みた結果、死ぬことは出来なくて、訳も分からない場所に寝かされて、そして不自由な体になってしまった。
これならいっそ殺してくれと僕を生かそうとした名も知らぬ人物に頼みたい。
体が自由に動くなら、小鳥がさえずり、太陽の光を部屋に注ぎ込む窓から体を乗り出し、もう一度、今度こそ祖父の後を追いたい…
「ミランダっ」
慌しく扉を開ける音と、誰かの名前を呼ぶ声。
この部屋には僕しかいないはずだけれど、部屋を間違えてんじゃないのか?
なんで僕は…見ず知らずの女性に抱きしめられているんだろう…?
「私の可愛いミラっ、目が覚めたのね!」
痛いぐらいに抱きしめられ、僕の肩に顔を埋めたその女性は何度も何度も、愛しいものに語りかけるようにミランダと呼ぶ。
誰か分りませんが、僕はミランダなんて名前じゃない。
そう言ってこの人をどうにかして離したいけれど、ただただ体を少し動かすだけしか出来なかった。
「母上、ミランダが困惑しておりますよ。少々離れてあげてはどうですか?」
「そうだぞ、エリーナ。ミラが驚いている」
少々遅れて、二人の男性が入ってきた。
1人は40代前半の口ひげがダンディーなおじ様。
そして10後半、もしくは20代前半の学園にいたら王子様と騒がれそうなほど美しい青年。
「あらあら、はしたなく騒いでしまって申し訳ありません。
ですが…15年間も眠り続けていた娘が漸く目覚めたのですよ?こんなに神に感謝した日はありませんわっ」
僕の頬を柔らかくて暖かな手のひらで包み込んだその女性はニコリと微笑み、もう一度『ミランダ』と呼んだ。
…おかしい、おかしすぎる。
なんで僕の顔を見て、僕じゃない名前を呼ぶんですか!
貴方達は誰なんですか!
僕は、僕は誰なんですかっ!!
急に怖くなって涙が零れ落ちた。
僕はどれだけ泣けば、この水は枯れるのだろうか?
目の前の三人が突然泣き出した僕に驚き、慌てて柔らかなタオルで涙を吸い取ったり、頭を撫でてくれたり、抱きしめてくれたりしたけれど、そんな優しさを与えてくれた人はこの人たちが初めてだった。
おじいちゃんだって、こんなことしてくれなかった気がする。
そもそも、目の前で泣いたことなんてなかったっけ。
「私の大切なミランダ。なにが悲しいんだ?」
男性が優しく頭を撫でる。
父がいたら、こんなにも頼もしいんだろうか。
「大好きなミラ、どうしたの?」
女性が優しく僕を包み込む。
母がいたら、こんなにも暖かいんだろうか。
「愛しい妹、安心していいんだよ」
青年がボロボロと零れる涙を拭う。
兄がいたら、こんなにも安心できるんだろうか。