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ドヴェルガー社

「これってどこのリールなんです?」


釣行を終えて、職員室に戻り、校長と話す。

手にしていたリールとロッドをもてあそびながら聞いた。

スーさんは後片付けがあるようで、既にいない。


使っていたロッドもリールも貸し出された物だった。

ルアーだけは自前の物だ。

アメリカだろうか?

見慣れないリールだった。


「それですか?日本では取り扱いの無いメーカーなんですけどね」


名前だけは前から聞いていた。

ドヴェルガー社のミスリールと言うらしい。

全然聞いた事が無い。

リールにはエンブレムもロゴもそれどころかギア調整用の数字なんかも書かれていない。

たまにドワとかドワーフとか呼んでいたりもするのは何故なのか?


しかし、ミスって。

名前が失敗というのは不吉過ぎる。

その割に全然バックラッシュ(リールの内部で糸が絡まってしまう事)しない不思議なリールだった。


銀というよりも白銀と呼ぶべき華やかな輝きが美しい。


「いくらくらいなんですか?」


ちょっと、いや正直かなり欲しかった。


「特注品なんで高いですよ」


高級外車のSクラスが変える値段だった。

高価過ぎる。

からかわれているのかもしれない。


「ロッドも同じメーカーなんですよね?」


リールもロッドも釣る魚に合わせて色々な種類があって、そのどれもがドヴェルガー社製らしい。

そのどれにもリールと同じく、何の刻印もされていない。


「そうですよ。ここで使う用に特殊な素材で造ってもらってます」

「へー。カーボンやグラスファイバーといった一般的な素材じゃないんですね」

「アダマン・ファイバーを贅沢に使用しています」

「へー」


全く聞いた事がない。

粘りとパワーのバランスが良く、投げる時には良く力をため、魚の引きに応じて力を逃がし、それでありながら魚を良くコントロールしてくれる。

そんなロッドだった。

何よりも感度が素晴らしい。

ほんの些細な魚のアタリを良く捉え、伝えてくれる。


値段は聞かなかった。

聞かずとも高いのは分かる。

まるで漆を塗ったような美しいロッドだった。


「まあ、機会があればメーカーの人をご紹介しますよ。たまにいらっしゃるんですよ」

「そうですか。それでは是非、お願いします」


買えるとは思わない。

それでもこんな素晴らしいタックル(釣り道具)を作るメーカーの人とはどんな人なのか、そこには強い興味を持った。






その釣り堀へと通うのも何度目か。

数えるのが馬鹿らしくなってきた頃に、ひとりの老人に会った。


釣行を終え、職員室に向かうと、隅のソファーとローテーブルのあるスペースに校長と見慣れぬ老人がいた。


背がとても低い。

140センチほど?

たくわえた髭はとても立派でそれこそ股の下くらいまで伸びている。

着ている服は職人が着るような作務衣なのだけれども、その顔がいかにも外国人の顔で正直、違和感が凄い。

昔、会社に研修に来ていたドイツ人にどことなく雰囲気が似ている。

いや、その人はこんなにしわくちゃな顔では無かったけれども。


その老人が私を見て、何事か声を掛けてきた。


「……!」


おお。

何言っているか全然分からない。

例の宇宙人語だった。


「おや、入木さん、お疲れさまです。釣れましたか?」

「ええ。ほとんど琥珀でしたけど、なんとか黒曜が1本。ええっと、今、この方は何て仰ったんです?」


一度、おじいさんを見てから、私を見、笑いながら校長は答える。


「ああ。ウチで造った竿はどうだって」


そう言って、紹介してくれた老人はドヴェルガー社の、それも開発部の人だった。


「なるほど。凄いの一言です。水中で何かにぶつかっても、ああこれは岩にぶつかったんだなとか、ほんの少しくわえただけの魚の感触もしっかり掴んでくれますし。リールとラインのセッティングが良いのも勿論なんでしょうけど。後は何と言っても、ここの物凄いパワーの魚のファイトに粘り強く対応してくれるので心強いです」

「……」


校長が何事か通訳する。

それを聞くと、おじいさんはすさまじい力強さでにやりと笑った。

まるで戦国武将か何かの笑い方。


「……!」


声が大きい。

そして分からないので、校長の顔を見る。


「当然だって。こっちのやわなタックルと一緒にして欲しくないそうです」


私も思わず笑ってしまった。

確かに、おじいさんの所のタックルは使う程にその凄みが分かる。

魚を誘う時にはトラウトを狙うような繊細さで、魚を掛けてからはグレートトレバリーの引きにも耐えるようなパワーで応えてくれる。

ただし。


「ちょっと重いのが難点ですかね。持ち重りする程ではないんですけど、それでも2時間くらい振っているとちょっとコントロールミスが出たりしまして」


自分の筋力不足と技術の甘さと言われてしまえばそれまでではある。

まあ、せっかく開発筋の人がいるのなら、正直に思った事を言ってしまった方が向こうのためにもなるかと思って、さらにいくつか気になっていた点を指摘した。

校長がそれを時間をかけて訳す。

最初は頷きつつ聞いていた、おじいさんの顔色がやがて変わっていった。

あ、地雷踏んだかも。


その後、しばらくおじいさんは何事かを言い続けた。

それを校長が静かに聞いている。

聞き終わってから通訳してくれた内容を要約すると、こうだった。


「具体的に必要な性能を言ってみろ。軽くて扱いやすいのを1本造ってやる」


言ってみるものである。


驚く事に2週間後に再び訪れた時には、もう試作品が届いていた。

特に問題なかったけれども、どうせならと気になる部分をさらに伝えた。


少し粘りに欠けますね。

もう少しバットにパワーが欲しいです。


クレーマーじゃないんだから、と我ながら思っていたのに、おじいさんは律儀にもさらにその要求に応えるロッドを造ってくれた。

と、言うかである。

校長に聞いた所、どうやら私はおじいさんに気に入られたらしい。


どうやらあそこで会う以前にも、ここで釣りをする何人かのアングラーの事を話していて、その中で新参者の私の話も出ていたようだ。

そして私はその話の時点で何かがおじいさんの琴線に触れたとか。


そんな事があって、私は試作品のテスターとして次々に新しいロッドを試す事になった。






「え?おじいさんも行くんですか?」

「そう。一度使っている所を見せろって」


出張が続いた上に、休日と予約の取れる日とが合わず、大分間が開いてしまったある日、あの釣り堀の方から電話が掛かってきた。


「あの後も何度か来ていたんですけれども、あの若造はどうした、今日は若造はいないのかってうるさかったんですよ」


随分、気に入られたものである。

好き勝手文句を言っていただけなのに。


「最近、あまりご予約頂いてなかったので、それなら先に入木さんのご予定を聞いておいて、それを伝えた方が早いと思いまして」

「なるほど」


特に異存はなかったので、スケジュール帳を見て、予定の空いている日を伝えた。


「分かりました。では当日お待ちしております。ああ、あとその日のガイドは私がしますので、よろしくお願いしますね」

「ええ!?」


要はガイドと言うよりも、通訳としての役割の方が大きいらしい。

それで特別に校長がガイドしてくれるらしかった。


ちなみに、その日はタダで釣らせてくれるとの事だったので、こちらとしては何の文句も無い。

おじいさんの顔を思い浮かべて、何を言われるんだか、そう思うとなぜか笑ってしまっていた。






土曜日の夕方に釣り堀へと訪れた。

今日はどうやら夜釣りらしい。

職員室へと向かうと、おじいさんと校長が応接スペースでコーヒーを飲んでいた。


「おや、早いですね」

「いやー、気が逸ってしまいまして」

「……!」


うん。分かりません。

訳してもらったのを要約すると、今日は若造の腕を見せてもらうからな、貧弱な腕してたら水の中にたたき落としてやる、だった。

さすがに夜にライフジャケットの性能テストはしたくない。


「まあ、ご期待に添えるように頑張ります」

「今日は……を釣りに行きますよ。楽しみにして下さい!」


今日はアングラー達が象牙と呼んでいる魚を釣りに行くらしい。

ナマズのような夜行性の肉食魚のようだ。

サイズは大きいものは5メートルを超えるものもいるらしい。

イートングーシーダダか。

つい最近、ドキュメンタリーで見た南洋の怪魚の姿を思い出していた。






夕暮れの第2ビオトープ。

ボートはゆっくりと進んで行く。

校長はスーさんに比べると、それほど力がありそうには見えない。

それでも校長が漕ぐボートはスーさんと変わらぬスピードで進んで行く。


校長はジャージにライフジャケット、おじいさんは作務衣にライフジャケット姿だった。

ちょっと驚いたのはおじいさんが腰に何気なく差していた山刀、と言うかもはや剣じゃないのそれ?と思える業物だった。

突っ込んだ方が良いかと思ったけれども、ボートを操縦する校長の脇には銛がおいてある。

いや、銛と言うよりも槍に見えるのは。

いや、何だか突っ込んだら負けな気がしてやめておいた。


そして今更のようにワニのような危険生物が釣れる事もあるという話を思い出していた。


「だ、大丈夫ですよね」


そっと呟いた言葉は波音にかき消された。






日が暮れる前にエサとなる琥珀を釣っておこうという話になった。

今回は生き餌での釣りのようだ。

ルアーでも釣れない事はないけれども、大物を狙うならエサの方が良いらしい。

そのためにまずは琥珀をいつものルアーで狙った。


最近、テストを頼まれるのは、アダマンファイバーなる謎の素材から別の素材で造られたロッドへと変わっていた。

アダマンファイバーはとても高価で貴重らしい。


今使っているのはグラスファイバー製らしかった。

ただ、どうも自分が持っているグラスファイバーのロッドとは感触が違う。

グラスファイバーとは言ってしまえばガラス繊維の事だ。

通常、それはカーボン製の物に比べて重く、感度(魚のアタリの判別のしやすさ)も鈍い。

それが妙に軽いし、感度も良い気がする。

確かにグラスファイバー特有の粘り強さはある。

もしかするとこれも謎素材製なのかもしれない。


最初に向かったのは、以前にも攻めた事のある立ち木だった。

タックルボックスを開けてルアーを選ぶ。

この釣り堀でも多くの釣り堀がそうであるように、ワーム(樹脂で出来た柔らかいルアー。芋虫やザリガニを模している)を使うのは禁止されている。

ワームが使えたら琥珀なんていくらでも釣れると思うんだけど、使えない物は仕方が無い。


取り出したのはシャッド。

小魚を模した小指ほどの小さなルアーだ。

何本か持って来ていたロッドから軽いのを扱うのに適した1本を取り出して、ラインに結ぶ。


投げる前に一度、校長とおじいさんを見た。

校長は笑顔で頷き、おじいさんは顎を上げたどこか見下ろすような見方で目を細めた。


さて、それでは始めますか。

第一投目をフルキャストした。


シャッドはいくつかある木立の1本の先に着水する。

シャッドはラインを引いてくると水中へと潜り、ラインをゆるめるとルアー自身の浮力で浮く。

そうして水中の魚にアピールしながら、まるで本物の魚のように泳ぐ。


トップウォータールアーのように待つ必要はあまり無いので、すぐにリールを巻く。

ラインに引かれたシャッドは小さな波紋を残して水中へと姿を消した。


巻く速度を時々変える。

ロッドをあおって、シャッドの泳ぎをわざと乱す。

逃げ惑う小魚を演じて、捕食者たる魚にアピールする。

獲物がここにいるぞ、と。


そうして巻いてくると、やがてシャッドは立ち木の中の1本へと至る。

魚というのは水の中をただ適当に泳いでいる訳では無い。

それぞれが住処とする場所があり、エサを求めて回遊する場所があるのだ。


それは水中の障害物がある場所。

それは日が遮られ影を落としている場所。

それは水の動きがあって水中の酸素が豊富な場所。


魚がいる場所とそうでない場所がある。

これはどんな魚でもそうだ。

回遊している魚だって、ただ泳いでいるのではなく、エサを求めてよりエサが豊富な場所へと集まっていく。


これが分からないと、どんなに時間をかけても魚は釣れない。

分かっていなくとも釣れる事はある。

しかし、それは釣ったのではなく、釣れただけだ。


1本の杭に魚が付いている事はある。

しかし、1本の杭よりも2本3本とより多い方が魚はその場所に付く。


つまり、目の前の立ち木は絶好のポイント。

今、ここに魚がいる。

そう信じて巻いてきたシャッドをピタリと止めた。


それまで必至に、逃げ惑うように泳いでいた小魚が、ほうけたように動きを止める。

泳ぎ疲れたのか、それとももう安全だと勘違いしたのか。


さあ止まったぞ。

襲いかかるなら。


ロッドもリールも動かしていないのに、水中へと伸びるラインが横へと走る。


「今しかないよな!」


横へと走ったラインの反対側へとロッドを傾け、そしてそのまま体をねじる。

フッキング。

その瞬間、ロッドへと魚の疾走が伝わってくる。


「よっし。掛かった!」


ドラグが疾走に引かれて鳴り出す。

しかし、疾走の割にロッドに伝わってくる重みは軽い。

ドラグを少し、締めた。


琥珀相手なら、ラインブレイク(糸が切れる事)を気にする必要は無い。

疾走する相手を無理矢理にロッドコントロールで押さえ込み、そしてそのままリールを巻く。

立ち木のポイントで魚の疾走を許すと、ラインが木にからまり、そのまま逃げられてしまったり、ラインが切れたりする。


遊んだりせずに、力任せに巻き、そしてそのまま水面に浮かんできた魚を、ロッドをあおって引き抜いた。


琥珀。

その大きさは手のひらほどの、平べったく体高のある小さな魚だ。

琥珀の名が示す通り、黄金色の美しい魚体。

そして水晶と同じく、体が透けていた。

しかし、琥珀と呼ばれるのはそれだけが理由ではない。


その透けた体の中に、ちいさな虫が覗き見える。

この魚は内蔵とは別に、体の中に貯蔵庫を持っているのだ。

この中の生き物は腐らず、消化されずにそのまま保管され、そしてエサが少なくなるとそれを消化するらしい。


中に入っているのは虫だけではないので、場合によっては小魚だったり、小さなカエルだったり、そして時には何だか分からない気味の悪い水棲生物だったりする。

中身の綺麗、気持ち悪いは確かにあるものの、印象としてはとても綺麗な魚だった。


釣った琥珀は持って来ていた水を張ったクーラーボックスへと入れる。

琥珀はそれほど釣るのが難しい魚ではない。

それこそブルーギルみたいなものだ。


その後、数匹釣った所で魚の反応が悪くなったので、今回の獲物、象牙を狙うべくボートを進めた。

琥珀 = 食べても小骨が多くてあんまりおいしくない。

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