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へびの夫婦  作者: たま
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四話 一方的な逢瀬

 時貞が紫を閨に呼んだのは、それからまもなくのことでした。

あれほど呼ばぬと決めていた正室の娘でしたが、どうにも苛々としたものが止まらなかったのです。

 それが何故かはわからず、だからといって人目のあるところで話しかけることにも抵抗がありました。



 しばらくしてあらわれた紫は、他の側室がここへ来る時と同じように白い襦袢だけの姿になっておりました。閨に呼ぶこということはそういうことです。

 もともと小さな紫の身体は襦袢だけになるといっそう儚く、そして壊れそうなほどちいさなものに見えました。蛇骨族特有の尾が短く、それゆえ首や胴に巻いていないためか、余計にほっそりと華奢なものにみえました。

 その姿を見て、時貞は一瞬だけ呆気にとられました。不思議なことにそのようなこと、考えてもいなかったのです。

 ただ、なぜだか紫とふたりきりになりたかっただけなのです。

 しかしこの娘は明らかにその対象に成りえる存在であることを、今更ながらに認識したのでした。


 紫は入ってくると、部屋の隅に座ったままじっとしておりました。ぼんやりとした表情もいつものもの。ただ少しだけ不思議そうな表情にも見えました。

 それはそうだろうと時貞とて思います。

 これまでいないものとして扱ってきた娘。

 妻としての扱いなどしたこともなく、閨になど一度も呼んだこともなかったのですから。


 真正面からその表情を見ることはせず、いつものように視界の隅にとらえながら酒を満たした杯を手にしました。その水面には丸い月が揺らめきながら映りこんでおりました。


 しんとした静寂が訪れました。

 紫は何も言わず、そうして時貞もただ窓辺で酒をあおります。



 月が中天にさしかかったころ、時貞は言いました。



「――もうよい。出ていけ」






 それからも時折、時貞は紫を呼ぶようになりました。

 しかし初日と同じように何もせずに過ごすだけです。

 それをどこからかぎつけたのでしょう。だからこそ側室たちの嫉妬はおこりませんでした。

 ただきまぐれな主人の戯れととらえているようでした。





 そんなある日、やはり窓辺で手酌で酒を飲んでいた時貞は、ふと紫に目線を向けました。

 紫は部屋の隅でちんまりと座り、やはりぼんやりとした表情を浮かべております。

 部屋の隅。そこは時貞からいちばん遠い場所でした。

 いつのまにかそこが紫の定位置となっていることに気づいて、時貞は苦笑しました。

 この娘はちっとも感情をおもてには出しません。しかし、もしかしたら少しは時貞のことを恐れているのでしょうか。



「――俺が怖いかい?」



 そう尋ねると、紫は驚いたようでした。薄暗い部屋の中でも鮮やかに見える赤い瞳が時貞をみつめてきます。



「まあ、俺の身は呪いでできているからな」



 ふん、と時貞は鼻で笑いました。しかしそれはいつもの薄い笑いではなく、自嘲の色が混ざっておりました。

そのことに紫も気づいたのでしょう。ほんのすこしだけ首を傾けました。

 それに気づいて焦燥感にとらわれたのはやはり時貞の方でした。

彼はそこで、内の深くに沈めこんで忘れていたものを、自ら掘り起こしたことに気づいたのです。

 時貞は杯を盆の上に置きました。

 思っていたよりも強く置かれたそれは、音とともに杯の中身が盆の上に零れるほどのものでした。



「もうよい。――でていけ」





 その数日後のことでした。


 やはり紫を閨に呼んだ時貞は、窓の傍で酒を飲んでおりました。

 紫はやはりいつもの暗がりで正座をしてじっとしております。

 その表情も先日と変化はなく、いつものぼうっとしたものであるように見えました。



 まったくこんな娘を呼んでなにが面白いのか。

そう自嘲して思うものの、しかし側室を呼ぶことも街におりることもする気にはなれない自分がおりました。

 この時点でもやはりわからず、だからこそ時貞はただ紫を呼びつけるだけなのでした。



 どれぐらいそうしていたでしょう。

酒も半分は胃の腑になくなってしまったころ、ふいに衣擦れの音がしたのです。


「時貞さま……」


 視線をうつした時貞がみたものは、そろそろとこちらに歩いてくる紫の姿でした。

 紫がこのような行動をとるのははじめてで、そうして自ら進んで名を呼ぶこともはじめてでした。

 それに思わず目を瞠っていると、紫は時貞のすぐ前に腰を折りました。

 その際にふわりと香の匂いと、そうして草花の匂いと、なにやら濃厚な頭の芯をくらくらとさせるような甘い香りがしました。

 それに身をこわばらせる時貞には気づかず、紫は小さな両の手のひらを彼の前に差し出してきました。



「あの、これを……」



 言われるがまま手のひらをみると、そこには小さなしずく型の石が乗っておりました。

 白い石は宝石ではなくただの石ころのようでした。しかしその表面には、なにやら紋様のようなものが彫ってありました。



「……守り石です。わたしが作ったものなので不恰好なのですが、これを、よろしければおそばに……」



 小さな声でつぶやかれた内容に、時貞は呆然としました。なにやら胸を抉られた様なこころもちでしたが、その感情を理解することはできません。


「…………」


 時貞は呆然と紫をみやりました。

 紫はやや伏せがちの赤い目をまっすぐに時貞に注いでおりました。その感情はやはり読み取りにくいものでしたが、そのてのひらは小さく震え、だからその石も細かく震えておりました。



 わけもわからず胸が痛く、だからこそぴくりとも動けない時貞の様子を誤解したのでしょう。いえ、自分をみつめる時貞の表情にいつもの笑みがまったく浮かんでいないことに誤解をしたのかもしれません。


 やがて紫は唇と引き結び、そうしてそっと両手を引き戻しました。

 一回だけけぶるような白いまつげをしばたかせ、そうして白い石を握りこんだまま深々と頭を下げます。



「ですぎた真似をいたしました。もうしわけございません……」



 そのまま紫が遠ざかりかけるのを感じ取り、時貞はあわててその手を伸ばしました。右手がほそい紫の手首を捕らえます。

 その拍子に握りこんだてのひらから白い石が零れました。


「……っ」


 痛かったのでしょう。紫がほんのわずかですが眉を動かしました。

 しかし時貞はそれどころではありませんでした。

 時貞はそのほんの力をこめただけで折れてしまいそうな華奢な手首に、ふたたび身体がこわばるのを感じていたのです。


 このままこの娘をこちらに引き寄せ、自らの望みのままにしてしまえばきっと何かが楽になれるのでしょう。

 よくわからない胸の痛みも、疼く様な衝動も、抉られるような切なさも、すべてがきっと無くなるのに違いありません。漠然と、それだけはわかりました。


 しかし紫は「正妻」でした。

 彼のもっとも憎むべき、忌むべき相手でもありました。


 だから彼は手を離しました。その指で畳の上に落ちた白い石を摘み上げます。

 この娘が、時貞のために作ったという守り石。

 正妻である、この娘が。



「ふん……。こどもの玩具のようだな。街の出店の方がよいものを売っているぞ」



 そうして出した絞り出した声音は、なんとかいつもの冷たさを保っておりました。

 紫は俯き、そうしてもう一度深く頭を下げます。

 泣くかと思いましたが、表情の乏しい娘はやはり泣くことはしませんでした。




 時貞はその石を小袋に入れ、懐の深くに入れておくことにしました。

 誰にもみつからぬようにひっそりと、それをくれた紫にさえそれを気づかれることは避けておりました。

 石には細く、魔を避ける紋様が刻まれておりました。

 それに、先日紫に言った言葉が思い出されました。



――自分は呪いでできている。



 ああ、だからあの娘はこれを自分に。




 時貞の身に満ちる呪いはそんなものでは払うことはできません。

 しかしそれでもその石を見ていると、わすかに心がやわらかなものでそうっと撫でられたような気がするのでした。



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