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へびの夫婦  作者: たま
20/25

ひとつのたまご:後編

(6)



 その声は彼には聞いたことのないものでしたが、毛むくじゃらには聞き覚えがあったようでした。毛むくじゃらの耳がぴくりと動き、彼に歯を立てているあごの力が少しだけゆるみます。


「ちび、だめだよ。お願いだから離してあげて」


 次には声とともに毛むくじゃらの身体がふわりと浮きました。その拍子に彼はぽてりと地面に落ちます。傷だらけになった身体にはその衝撃はとてもひびきました。しかしなんとか目を開けて毛むくじゃらを探しました。


 果たして毛むくじゃらは空に浮いておりました。いえ、毛むくじゃらより大きな白いものが、その身体を抱き上げていたのです。


「ちびは今おなかがすいているわけではないのでしょう? ならばこの子たちは見逃してあげて」


白いものは心底困ったような声を出して毛むくじゃらを宥めておりました。しかしそれに毛むくじゃらはしゃあと威嚇の声を返します。気が立っているのはあきらかで、そうして白いものの手から逃れようと爪を立てたままじたばたともがきました。


「あっ」



その拍子に白いものの手に傷がつきました。そこから零れた赤い水はぱっと散り、彼の目の前にもぱたぱたと落ちてきます。毛むくじゃらはその隙に白いものの腕から逃れると、そのままどこかに行ってしまいました。

白いものはどこか悲しそうな目でそれを見送りましたが、すぐに彼と、そして赤いもののそばに膝をつきました。


「おまえたち、大丈夫? 」


その声に地面に落ちていた赤いものが目を覚ましました。そうしてきょろきょろと辺りを見まわします。膝をついている白いものを見て驚いたようにきゅうと声を上げた赤いものでしたが、すぐそばに彼が横たわっているのを見ると一目散に這ってきていつものようにその頭をすり寄せました。それは彼が赤いものを置いて行く前と、なんらかわりのない仕草でした。

きゅい、と彼も声を上げました。おいていってごめん。そういう意味を込めて赤いものの頭にその頭をすり寄せます。動くと身体中にいたみが走りましたが、そんなことより今は赤いものにこうしていたかったのでした。


「おまえたちは仲が良いのだねえ」


 そのとき再び白いものの声がしました。

彼はあわてて赤いものを自分の身体の後ろにかばいます。そうしてせいいいっぱい威嚇の声をあげました。


「……私は何もしないよ」


 白いものは彼の威嚇にひるんだようでした。

 けれども逃げ出すことはなく、少しだけはなれたところで膝をつき、ちいさな赤ん坊蛇たちに向かってやさしくこう言いました。


「私はお前たちに怖いことはしないよ。だからへいきだよ。お前たち、二匹ともとてもちいさいのにほんとうによくがんばったねえ」


 それはとてもとてもいたわりに満ちたやさしい声でした。

 赤いものがきゅうと鳴きます。彼もなんだかその声を聞くと身体のちからがするすると抜けてしまいました。そうすると、途端に身体のあちこちの痛みが気になりだしました。毛むくじゃらにひっかけられて噛みつかれて、彼はとてもひどいけがを負っていたのです。

きゅい、と赤いものの慌てたような声がしました。それとともに彼の身体はへなりと地面にぶつかります。そうしてずきずきとひびく痛みのなか、意識を失ったのでした。



(7)



つぎに彼が目を覚ましたとき、彼の身体はなにやらふかふかとしたものに横たえられておりました。あわてて赤いものの姿を探すと、赤いものはいつものように彼の身体に寄りそってくうくうと眠っておりました。その姿はあまりにものんきで当たり前で、彼はまたもやちょっぴり泣きたくなりました。


「気が付いたんだね。よかった」


小さいけれどやさしい声がして、意識をうしなうまえに見た白いものが彼の前にしゃがみこんできました。全体的に白いのに、瞳だけが真っ赤なのがひどく印象に残りました。


「ここは私の家だからもう大丈夫。……その子、すごく心配していたんだよ。きゅうきゅう鳴いて、ずうっとおまえのそばを離れなかったの。一匹ではごはんもたべてくれなかったんだよ」


彼は赤いものを見ました。くうくうと眠っている赤いものの頬に頭をすり寄せます。申し訳なくて、けれどもうれしくて、なんだか胸がいっぱいになりました。

そうしていると赤いものが目を覚ましました。彼を見て嬉しそうにきゅうと鳴き、そうして白いものにもきゅうと甘えた声を出しました。


「よかったねえ。赤坊、ほんとうに心配していたものね」


 赤坊と呼ばれて赤いものは嬉しそうに返事をします。きょとんとする彼に向かって、白いものは言いました。


「お前たちには名前がないのでしょう?二匹いつもいっしょにいるのなら名前がないと不便だと思って名前を考えたの。赤いのは、赤い赤ちゃん蛇だから赤坊、お前は青い赤ちゃん蛇だから青坊。どうかなあ」


彼はことばを失いました。白いもののつけた名前がへんてこだったからだけではありません。

二匹いつもいっしょにいるのなら。

その言葉は今の彼にはじんときたのでした。いつか大人蛇に、蛇が二匹一緒に居るなんてことはおかしいといわれました。けれど、どんなにひもじくても危ない目にあっても、彼は赤いのとずっとずっといっしょに居ると決めたのでした。だって、それが彼にとってもいちばんの望みなのですから。

白いものがつけてくれたなまえは少しへんてこな感じもしますけれど、それでもいいやと彼は思いました。


 きゅいきゅいと赤いもの――赤坊が甘えるように鳴きます。その声に白いものはちいさく笑って立ち上がりました。そうして持ってきたものは、美味しそうな匂いのするひとつの丸い食べ物でした。サカナのすりみをまるめたものだよ、と白いものは言いましたが、もちろん彼にはサカナなんてさっぱりわかりませんでした。ただ、これは食べられるものだということだけがわかりました。


「おまえたちおなかがすいているでしょう。ほら、おたべ」


 彼はそのおいしそうなものをじっとみつめました。赤坊も困ったように彼とおいしそうなものをかわるがわるみつめています。彼は赤坊をみました。そうして心の底からしずかな気持ちでその食べ物を譲ろうとしました。だって、これからも二匹で生きていくのです。白い殻に詰まっていたころから、今この時も。そしてはるかなみらいも、きっと、ずっと。


「ああ、そうか。ごめんね」


すると白いものがそのおいしそうなものをひょいと手に取りました。


「お前たちは蛇だからこれをふたつに分けれなかったのだね。気づかなくてごめんね」


あっと思いながら見上げる二匹の目の前で、白いものはそのおいしそうなものを両手で持ち、きちんとふたつに分けてくれました。

そうして、いかにもやさしげにこう言ったのでした。



「……はい。これでちゃんと二匹でおんなじように食べれるよ」





 蛇骨婆というあやかしをご存知でしょうか。白い髪に赤く光る瞳を持ち、赤と青の二匹の大蛇を身体に巻きつかせているこわいこわいあやかしのことを。


 蛇骨婆は自分の旦那が封印されている蛇五衛門の塚を守っているあやかしです。どんなことがあろうと蛇塚の傍にいて、蛇五衛門を守っているあやかしなのです。

 そうして、そんな蛇骨婆を守っているのは赤と青、二匹の大きな蛇たちでした。


 もし、蛇骨婆の絵姿がみつかったらよくみてごらんなさい。そこには必ず赤と青の大蛇の姿が描かれていることでしょう。



――そう。ずうっとずうっと、はるかなむかしから、この三匹はいっしょに居るのですから。


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