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へびの夫婦  作者: たま
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十四話:別れ

 蛇骨族はその一族の長によって守られておりました。

 現在の長は蛇五衛門清正。そして、その若君の名は時貞といいました。

 時貞が次期族長として公にされてからおよそ百年。

 この地における蛇骨族の繁栄は永遠に天に約束されたようなものでした。

 なぜなら彼らには「神」に匹敵するほどの力を持つ「若君」の存在があったのです。

「若君」は彼らを絶対に守ります。

 それは彼らが「若君」の「あるじ」だからでした。

「若君」が彼らを支配しているのではありません。

 むしろその逆でした。

  実際のところ、「若君」を支配しているのは彼ら、つまり「蛇骨族」という一族そのものなのでした。



「若君」は「神」です。

造られたものといえど、それはほとんど「神」と呼べるしろものでした。

 その「神」は蛇骨族を守るためだけに造られました。

 だから誰であっても蛇骨族を滅ぼせるものなどおりません。

 若君のことを知るだれもがそう思っておりました。



 しかしその日、蛇骨の一族のうつくしい都はひとつのあやかしによって襲われました。

 それは小山ほどもある巨大な巨大な紫紺の大蛇でした。

 その頭は八つ、その尾も八つ。

 ふつうに生を受けるものではとうていありえない、実に禍々しい姿をしておりました。


八岐大蛇。

蛇骨族だけを守るために造られた巨大な神は、しかしその守るべきものを襲い始めました。

その巨大な体躯で家々を壊し、恐ろしい咢は毒霧を生み、鋭い牙は逃げまどう蛇骨のものをただの肉塊に変えていきます。

八つの尾をひと振りするだけでその場にいるものは一瞬にして大地の赤い染みへと化しました。


蛇五衛門清正は己の屋敷でその報告を受けました。

都は壊滅。

化け物はこの屋敷にも向かってきていると。


 そのときにはすでに屋敷も混乱のさなかにありました。

逃げ惑う人々の中、清正はひとり苦い笑みを浮かべて近づいてくる「神」の姿を見ておりました。

強大な八頭八尾のあやかしが地を蠢きながら這ってくるさまは実に禍々しく、そしてどこか神聖ですらありました。

それは彼が一族のために自らの手で作り上げた神でした。

親子の情など捨て、ただ一族の長として決断した証でした。

しかし彼はいつかこのような日がくることを悟っておりました。

ひとをのろわばあなふたつ。

古の言葉通り、ついにその呪いが一族に返ってきたのです。


作った神により屋敷が破壊されていきます。

ばらばらと落ちてくる瓦礫の中、それはまっすぐに清正に向かってきました。

八つの頭にある十六の瞳が清正を見据えます。

それには意思の光は感じられませんでした。ただただ「あるじ」を「殺す」という制約に縛られた単なる「もの」でありました。

時貞の自分を見る瞳を思い出します。

諦観を含んだ憎悪の色を向けられていたことすら今では懐かしく思えました。

呪いはよくできていて、息子は「あるじ」である彼や一族を恨もうとはしませんでした。彼へ反逆のそぶりもなく、ただ「あるじ」を守るために生きておりました。

それは呪いによるものだったのでしょう。いや、もしかしたら息子の感情によるものだったのかもしれませんが、今となっては知る由もありません。


なぜなら、もうすでに息子であったものは居ないのですから。


狂った神がその強大な顎のひとつを開きます。

そうして次の瞬間、清正の意識は永遠に闇に途絶えたのでした。





八頭八尾のあやかしは盛大に息を吐きました。

一番殺したかったものは殺せたように思えましたが、それでも対象はまだたくさん残っております。

 ぎゃあぎゃあと喚きながら逃げ惑うそれらに視線をうつします。

 そうしてすぐにそれは思いました。

 ああ、殺そう、と。

 それらを殺せば充足感を得られることは本能でわかっていたのです。

八頭八尾の大蛇の中ではひどい渇きのようなものが身の内を蝕んでおりました。そして、それを満足させるためには逃げ惑うそれらをひとつずつ殺していくしかないのでした。

ばらばらと屋敷を壊しながら、八頭八尾の大蛇はそれぞれの頭で目に入ったそれらを殺していきました。

引き裂くもつぶすも食うも壊すも自由でした。そうしてそれをするたびに不思議な充足感が身の内を占めるのです。それはもはや快楽とさえ呼べるものでした。

屋敷にはたくさんのそれが住んでいたようでした。壊していくたびにそれが中から溢れてきて、ばらばらに逃げていきます。

八頭八尾の大蛇は嗤いました。

ああ、まだたくさん居る。

たくさん殺せる。

愉快な気持ちで、そう思ったのです。



 そのときでした。

八つある彼の頭、その中の一対の瞳が一つの色を捉えたのです。

 それはいまや赤く染まった景色の中、ただひとつの白い色でした。

 ちいさな白い色。

 ほんとうにぽつんと小さなそれは、しかし何故だか八頭八尾の大蛇の意識をすべてすいよせる力を持っておりました。

小さな白いそれは、逃げ惑うひとびとの中、ただひとりだけ逃げてはいきませんでした。

八頭八尾の大蛇をみあげたまま、こちらに向かって駆けてきているようでした。

逃げる人々につきとばされて何度も転びながら、それでも、何度も。



 それをみつけた八頭八尾の大蛇は、何故だかその場からぴくりとも動けなくなりました。

 どうしてかだなんてわかりません。

 しかしその白い色は八頭八尾の大蛇の何かを捕まえてはなさない何かを持っておりました。



――ああ。


八頭八尾の大蛇は小さな白いものをみつけたまま思いました。



――あれが欲しい。殺したい。いや……。



 それは強い強い感情でした。

  蛇骨族の長を食った時よりもはるかに強い強い感情でした。



――食いたい……。



 その感情を認識した瞬間、身体中がぞくぞくと快感にうち震えました。

 ああ、食いたい。食いたい。あの白いのを、食いたい。

 あれを口に入れたらどんな味がするのだろう。

 喉を通すときは、腹に入れたときはどんな気持ちになるのだろう。

 それを想像するだけで恐ろしいほどの興奮が身の内から湧き上ってきます。

  腹に入れて、そうして胃の中でどろどろに溶かしてしまって。

 そうして自分の一部にしたら、きっとあの白いのは永遠に自分のものになるのではないだろうか。


強い強い感情は、ただひたすらそれを求める欲求でした。

八頭八尾の大蛇を縛る大きな呪い。そのまんなかにあるかすかな意識下の、しかし強い強い感情でした。



 ちいさな白いのはやはり逃げようとはしていないようでした。

 こちらにむかってひとり、駆けてきます。

 みっともなくぼろぼろと泣きながら、そうしてこちらに向かって何かを言っているようでした。

 何かを、必死に。



 ばらばらと崩れる瓦礫の音、そして悲鳴やわめき声が辺りには響いています。

それらにかき消されそうなほどちいさな声は、それでも岩肌をそっと降りてくる水滴のように八頭八尾の大蛇のもとへと届いてきました。



――……さ……ま……



――ときさだ、さま……



 八頭八尾の大蛇はすでに「時貞」ではありません。

 だからそれは鼻で笑いました。そんなものもうどこにもおりません。

「一族を守るために生みだされたもの」は消え、その真逆のものとなったのです。

呪いにのまれ、裏側へ消え去ったのです。



八頭八尾の大蛇は白いものにむかって顎を開きました。

八頭の頭すべてがそれを求めておりましたので、白い娘はそれこそ八つ裂きにされ、八つの肉塊になるはずでした。そうして腹の中で八頭八尾の大蛇のものになり、ひとつになるはずでした。



――やめろ。




 だというのに八頭八尾の大蛇の意識のひとかけらに娘の声が響いたのです。

 裏側に沈んで、もう出てくることなどなかったはずのそれは瞳を開け、そうしてちいさな白いものを認識しました。

 ともすれば大きな波にのまれてしまいそうな意識の中、それは思います。



――馬鹿か、「俺」は。食ってどうする。


――違うだろう。あれは、あれは――



 食ってどうなるのでしょう。自分の一部にして、だからどうだというのでしょう。

 そんなことをしたら、あの娘はいなくなってしまうのに。

 やさしい手も声も……そのこころもすべて感じることができなくなってしまうのに。



昨日思い描いた光景が脳裏に蘇ります。

 それは未来で、野山を走り回る白い娘の姿でした。大好きな二匹の大蛇とともに生き、つつましくと も自由に笑う娘の姿でした。

 その未来を自分は選んだはずなのです。

 だから。

 だから――。



 ――勝手なことをしてんじゃねえぞ。



時貞は身体を傍の岩山に叩きつけました。

八つの頭部を、身体を。何度も何度も叩きつけます。

そのたびに赤い血が滝のように地に向けて降り注ぎます。

しかし時貞はやめませんでした。ともすれば強大な意識が時貞を飲み込もうとしますが、それを抑え込みながら頭部をひとつひとつ破壊していきます。



――あれは俺のもんなんだよ。今はまだ、俺の、俺だけの……。



岩山の一部が砕けます。赤いものにまみれたその一角は天に向かって鋭く尖っておりました。

時貞は迷いなくそこに身体をうちつけました。強大な身体が裂け、尖った岩はまるで杭のようにその心臓を縫い留めました。



――だから「俺」にはやらねえよ。肉の一片たりとも髪の一本とて。あれは、俺のものだ。



恐ろしいほどの痛みにのたうちながら、しかしそれでも時貞の身体は死ねませんでした。

造られたとはいえ、神に匹敵する身体の再生力はみるみるうちに傷をふさいでいくのです。時貞は身体を貫かれたまま再度頭部を持ち上げました。そうしてそれを地に打ち付けます。死ねないのならば永遠に頭部を破壊するまででした。それがどんな痛みを伴おうとも、そうするしか「自分」を止める方法などないことを時貞は知っていたのです。


周囲は赤の色に染まっておりました。

だから時貞の瞳にすでに白い色はうつっておりませんでした。

けれども脳裏には未来で生きる娘の姿があります。

自分ではない他の誰かを慈しみながら、それでも穏やかに笑っている娘の姿があるのです。

だから時貞には、頭部を破壊し続けるという永遠の痛みを受け入れる覚悟はとうにできておりました。


頭部を砕く痛みの中、時貞は思いました。

強く、強く。

いまはもう見えない、白い娘に向かって。




 この地はこのまま流れ続ける俺の血で呪われてしまう。

 だからどうか、遠くに逃げろ。

 遠くの地へ。

  おまえのような弱い娘でも笑って生きていける土地へ。

 もうおまえは、自由だ。

 だからこれからは、自分の思うように。

  自由に。



 どうか。

……どうか、笑っていろ。







そしてできれば。


ほんの少しでいい。






「俺」という存在があったことだけは―……忘れないでいてほしい。







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