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へびの夫婦  作者: たま
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十三話:おわりのはじまり

次の日の朝の空はきれいなものでした。

絵筆でうすく伸ばしたかのような群青色をかすめるように、白い陽光が東の空に広がっていきます。神々しいまでの白い光。それが昏く淀んだ闇を静かに塗り替えていくさまはまるで何かを暗示しているかのようでした。


紫と正式に離縁をする。


朝議で族長にそう告げ、侍従にその後のことを指示します。

そうして時貞は身支度を整えると白い守り石をいつものように懐ふかくに忍ばせ、出かけるべく玄関に向かいました。おそらくはすでに離縁のことが伝わっているのでしょう。いつものように見送りに出てくる十二人の側室たちの顔はいつも以上に晴れやかに見えました。

時貞はふいに視線をその後方へと向けました。

そこにあらわれた気配はすでになじみ深いものでした。心底欲しくて欲しくて、しかしだからこそこの手から解放する決意をした娘のものでありました。

突如扉からあらわれた娘に側室たちは怪訝そうな瞳を向けます。しかし紫は遠くで時貞を見あげたまま、その場からはぴくりとも動きませんでした。胸元で握られた両手は軽く震えてさえおりました。

それを見て、時貞は薄く皮肉気に笑いました。

これが最後の見送りです。

この距離は結局縮まることはないままでした。


「おい」


だから時貞はその距離のまま、せいぜいいつものように傲慢に告げてやりました。


「いいか。夜には帰ってくるから必ずここで、この館で大人しく待ってろ。いいか、俺の許可なく勝手に出ていくんじゃねえぞ」


紫が怯えたようにぴくりと震えました。

時貞は鼻で笑います。そうして続けました。


「ふん、お前のような何の能もない娘、そのまま出て行っても野垂れ死にするだけだ。元とはいえ正妻であった奴がそうなるのは俺の矜持が許さねえ。夜にはそれなりの準備ができているだろうからな。出ていくのはそれからにしておけよ、小娘」


嘲りを含んだように聞こえる時貞の言葉に、側室たちからささやかな嘲笑が洩れました。

しかし紫はその笑い声の中、じっとその赤い瞳を時貞に向けておりました。今ではどんな宝玉よりも時貞を惹きつけるその瞳は、ひたすらきれいに時貞をみつめておりました。


「――はい」


かすかなかすかな声は時貞の耳には届きました。雑多な音が満ちるこの場で、その声はしずかな水音のようでした。

それを聞き届けて、時貞は戦いに赴くために身をひるがえしました。




一族を守ること。

それは呪いを受けた時から「彼」を形作るなにより重要な存在意義でした。何故なら「彼」は、「蛇五衛門」はそのために生まれ、そのために作られたのです。

不思議なことに作られたことに対する恨みはありませんでした。もしかしたらそれすらも呪術の中に組み込まれている感情なのかもしれません。だから一族を守る役目を担うことは「彼」にとって息をするより当然のことだったのです。

けれども今、その感情の中にひとつの変化が表れておりました。


自分が一族を守ること。

それはひいては、ちっぽけで自分の身も守れないような弱いひとつの存在が生きていく「場所」を守ることに繋がることを昨夜、痛いほど理解したのです。

一族を守る。

今となってはそれは「時貞」の意思でした。作られたものではない、「時貞」としての感情でした。



だからその日、いつものような化け物どもに襲われた時も時貞に迷いはみじんもありませんでした。

それはいつもよりも数が多く、そしてやたらと広く散開していておりましたが、時貞の力には到底及びません。それこそ紙切れのようにそれらを消滅させながら都の周囲の荒れ地を時貞と蛇骨族の精鋭兵たちは進んでおりました。


しかしその日、其の出来事は起こりました。


蛇骨族の都をぐるりと囲む沼地や荒れ地。いつも霧がかっているそこから、奇妙な音をした言葉が粛々と流れてきたのでした。

それはひとりではなく何十人もの声でした。怪訝そうに眉をひそめる蛇骨の兵たちでしたが、しかし次の瞬間、足元から放たれた青い光によって一瞬にして消え去ってしまいました。

それこそ、肉片ひとつ残すことなく。


残ったのは蛇五衛門時貞、蛇骨族の若君ただひとりだけでした。青い光を浴びてもその並外れてあやかしの力を強く帯びる身体は消えることはなかったのです。

時貞は眉をひそめました。そうしてあやかしの力をふるいます。霧はまっぷたつに切り裂かれました。そうしてそこから現れたのは頭からつま先まで白い装束をまとった人間たちと、千人以上もの人間の兵たちでした。


その場に堂々と立つ時貞の姿を認めて、人間たちは少なからず動揺したようでした。白装束たちがなにやら両手を複雑な形に組んで、さきほどの言葉を唱和しだします。時貞は鼻で笑いました。そんなもの、彼の前には単なる言葉遊びと同意なのです。


――ああ、なるほど。


二度目の青い光の中で碧を帯びた群青色の髪をそよがせながら時貞は思いました。以前、情報を仕入れたことがあったのです。

東の地には人の住む都がある。そこはたいそう大きく、栄えている都である。何故なんの力も持たない弱い「人」ごときがそのように栄えているのか。それは妙な術を使う「人」が存在するからである――。


それを聞いたあやかしたちはほとんどのものがそのようなこと信じませんでした。自分達よりはるかに弱くて寿命も短い存在。そのようなものがそんな力を持つなど考えられなかったからです。


青い光はなにやら不可思議な力を帯びているようでした。蛇のあやかし、蛇骨族の精鋭たちをも一瞬で消し去る力。それが「人」の使う術のひとつなのでしょう。

時貞は青い光の中でにやりと笑って見せました。そしてその光を纏ったままゆるりと歩き出します。ひっと声を上げて人間どもが後ずさりました。


それを叩き潰すのは蟻の巣を壊すことより簡単なことでした。蛇の尾の一振りで数人の命は消え去ります。途中、再び奇妙な言葉とともにいつもの化け物どもが現れましたが、時貞の敵ではありませんでした。


――なるほど、化け物の正体も人間どもだったわけか。


時貞は尾を振るい、そしてあやかしの力を存分に使いながら低く笑いました。おそらくはこの人間どもも蛇骨族の土地を狙ってきたのでしょう。

蛇骨の都は荒れ地と沼地に囲まれた中での唯一つの豊穣の地でありましたから、他のあやかしどもに狙われるのも「今の時貞」が生み出されるまでは日常茶飯事であったのです。


矢も、刀も時貞の身体には傷をつけることができません。もし傷をつけることができてもその再生能力はなみのあやかしの比ではありません。

青い光も、紙でできた化け物も時貞には傷をつけることができません。


時貞はまだ残っている数百もの人間を冷たい笑みとともに見やります。

愚かな人間ども。しかし蛇骨族に手出しをした以上、根絶やしにしなければなりません。そしてあの娘の、ちいさくて弱いあの娘の生きる場所をおびやかすものどもには生きる価値などないのです。


凄味のある美貌を歪めてより深く笑んだ次の瞬間、時貞のまわりの空間がぐにゃりと歪みました。そうして次の瞬間、時貞の居た場所には小山ほどもある巨大な大蛇があらわれました。

碧を帯びた群青の鱗に漆黒の瞳を持つ、それはそれはうつくしい大蛇でした。しかしそれはそれは実に醜悪な形をしておりました。

何故ならそれは、「八つの頭に八つの尾」を持っていたのです。

時貞が「食った」のは全部で八人の兄弟でした。だからその呪いは強大な力となって彼の身に宿っていたのです。


彼を見て白装束どもが叫びました。


「そんな」

「や、八岐大蛇」

「ばかな」

「伝承の」

「復活したのか」

「だがしかし」



人間どもは彼の姿を見て一気に怖気づいたようでしたが、時貞は彼らを逃がすつもりなどみじんもありませんでした。

青い光も紙の化け物も、いえ、一本の矢も一振りの刀でさえ、それは簡単にちいさなただひとつの存在の命を脅かすものなのです。

だから逃げまどう人間どもを躊躇もせずにまとめて叩き潰し、飲み込み、絞め殺しました。八頭八尾の大蛇の姿に変化した分、人の姿の時より簡単にそれらは行えました。



 「落ち着け、伝承のオロチの復活ではない。あれはまがまがしい呪術の産物だ」



そのときひとつのしわがれた声が聞えました。血糊で赤く染まった大地に目を落として時貞は笑います。

そこに立つ白装束に向かってああ、そうだと答えました。


――俺は伝承の八岐大蛇……神なんかじゃねえさ。蛇五衛門、蠱毒によって作り出されたまがいものの存在だ。しかしだからといって何か問題でもあるかい? 俺の身体に傷ひとつつけることもできない人間風情が。俺を殺せるのならば殺してみるがいい。


「できないな」


しわがれた声は答えました。


「だが――呪術ならば返すことができる」


そうして白装束は何やら両手を不思議な形に組み、何やら唱え始めました。しわがれた声がつむぐそれは朗々と辺りに響きます。

時貞はなにやら得体のしれないぞっとするものを感じ、その白装束をひとつの尾で叩き潰そうとひとつの尾を持ち上げました。

しかし死の淵に叩き込まれるほんの一瞬前、老いた白装束は時貞に向かって枯れ枝のような指を伸ばし、こう言ったのでした。



「醜悪な呪いは術者に返るもの。哀れなあやかしの若者よ、行け。行っておまえの守りたかったものたちをすべて滅ぼしてくるがいい」





その瞬間、「時貞」の意識は黒いものに塗りつぶされました。





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