虫が鳴くわけ
神様は今日も、人間の世界を去った罪人を裁くのに大忙しです。
ここへ来たばかりの罪人達は未だ、欲望と悪徳にまみれた醜い顔をしています。
神様はまず、彼らの、その、嘘ばかり吐いてきた舌を、大きな鋏で抜き取ってしまいます。必死に抵抗されても、容赦はしません。彼らはまるで、牙の折れた獅子のように情けなくなります。
次に、真っ白な服を着せ、心の汚れを洗い落とすための修行を課します。その服は不思議な服で、着る者の心を映し出します。当然、彼らが着た途端、真っ白だった布地は、何百年も掃除していない物置小屋のような、汚ならしい埃色に変わってしまいます。
修行は、私達が想像のつかない辛さ、苦しさです。
煮えたぎる血の池にもがき。何千本もの針山を裸足で登り。
罪人達は、声にならぬ声で泣き叫びます。お得意の話術で理屈をこね、命乞いすることは最早出来ないのですから。ただただ、されるがまま、です。
でも、神様は許しません。彼らの服が、一点の汚れもない、真っ白になるまでは。
布地の色が元に戻ったら、神様は彼らをご自分の前に立たせます。
皆、ついさっきまで罪人だったとは思えないほど、綺麗で、清らかな顔です。
言葉で飾り立てることが出来ないので、気持ちは面白いほどはっきりと、身体に表れるのです。どんな罪人も、その身体自体は正直なのです。
そして、舌を失った彼ら一人一人に、楽器をお与えになります。鈴のような音のするものだったり、木琴のようだったり、どれも美しい音色を奏でます。
神様はこう告げられます。
「秋になったら、誰にも見られない場所で、各々の楽器を鳴らしなさい。その音が私のいる天の国まで届いたとき、お前たちの罪は初めて赦される。」
神様が杖で足下を軽く叩くと、雲が割れ、光の階段が現れます。
神様に送り出されて、罪人達は一段一段、ゆっくりと、地上―私達の生きる世界へと降りていくのです。次第に、彼らの身体は小さく、軽くなっていきます。
ついに地上に足を付けたとき、彼らの姿は人間のものではなくなります。神様から授かった楽器を身体の一部と成した彼らは、紛れもなく秋の虫達です。
秋の空に響く虫の声は、地上からずっと遠くにいらっしゃる神様へ届ける償いの旋律なのです。
だからといって、「今」真っ当に生きている人々が悔し涙を流し、潰されていく現実は変わらないし、世界中から憎しみの炎が消えることはありません。何せ、何が「善い」ことで、何が「悪い」ことなのかさえはっきりしていない世の中なのですから。
―それが良いか悪いかはまた別の話。