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薔薇は代用品

作者: 七支

私は街の花屋さんだ。


と、いうのはちょっと語弊があるかもしれない。

このご時世、店舗だけではとてもやっていけなくて、コネを最大限に利用して店舗やパーティー、ウェディング等の飾りつけや、カルチャースクールの講師をしてなんとか糊口をしのいでいるからだ。

子どもの頃から花が好きで、花屋さんになりたくて、大手チェーン店に就職して色々学んで資格も取って人脈も広げて、借金してひとり立ちして五年目。

開店時の借金は返済のめどがついた。この不況のあおりを受けて運転資金が微妙に危ないけれど、まあなんとか街の花屋さんを続けていられる今日この頃だ。


朝一番に仲買さんのお店へ商品を取りに行き、その足で出張先に向かい花を生けて回り、出先で自作弁当の昼食をとり、自分の店に帰って書類仕事を片付け、仲買さんに明日の仕入れについて連絡し、時間があればちょっと仮眠を取って、店を開けるのは夕方からだ。

駅前の小さな店舗は会社帰りのお勤めの人をターゲットにしていて、ミニブーケが主力商品だ。疲れたOLさんが自分へのご褒美に、記念日を思い出したお父さんが奥さんへの感謝を込めて、可愛らしい出来合いの花束をワンコインで買っていく。

もちろん冷蔵のショーケースにはお高い薔薇や百合や蘭が鎮座ましましているけれど、動くことはほとんどない。というか、正直これらは明日の出張のための花で、この時間に売る気はないので値札も出していない。

朝が早いから、本当は店じまいも早くしたいところなんだけど、街の花屋さんとしてどうしても店舗は維持したいので、営業時間は夜の十時までだ。まあ、ターゲットからして遅い時間の客を狙っているので、仕方ないんだけれど。

でも、店を始めて五年ということは私も順調に五歳年を取ったわけで、開店当初は大丈夫だった無茶がだんだん利かなくなっている。

イベント会場の飾り付けで徹夜とか、どうしても使いたい花を遠方の生産者さんのところまで直に買い付けに行くとか、もう無理だ。

しかし、コストパフォーマンスを考えると、一番に切り捨てるのは店になってしまう。店ってあるだけで家賃はかかるし、店を開いたら光熱費もかかるし、一人でやっているから店番として私がそこにいなきゃならない。ミニブーケはそこそこ売れるけど、正直原価が回収できる程度で利益は出ていない。てことは、店にいる時間はほぼ持ち出し状態ってことだ。

店舗をやりたくて花屋になったのに、本末転倒過ぎて笑えない。

このことを考えていると行き詰ってしまうので、私は頭を振って思考を切り替えることにした。


明日花を生ける店舗は、前回は淡い色の花でボリュームをつけて華やかな感じだったけれど、今度は濃い色の花でシンプルシックにまとめようかしら、なんて考えながら、ふと今日はお客が少ないな、と気付いて外を見ると、いつの間にやら雨が降っていた。

雨脚はそう強くないけれど、それでも雨の日に売り上げが落ちるのはいつものことだ。

「今日は早仕舞いかな……」

つぶやく声を聞いているのは花だけだ。ため息をついてはいけない。それは自分で作ったルールだ。花を育てるのにモーツァルトを聞かせるとか、サボテンやキャベツに電極を通して感情があることを確かめたとか、そんな記事を読んでから、少しでも美しく保つために売り物の花の前では愚痴やため息をこぼさないと決めているのだ。

しかし、どれだけ気遣おうとも花は生ものだ。いくつかのブーケは冷蔵ショーケースに入れても明日の開店までは保たないだろう。

二つほど自宅に持って帰って、あとは出張先でサービスと称して女の子に配ろう。

さて、どの子を連れて帰ろうか。

ブーケを並べた棚を見て思案した時だった。

カラン、と小さなベルの音が響いて入り口の扉が開かれた。

「いらっしゃいませ」

反射的に顔に笑顔を貼り付けて振り返ると、そこにいたのはいつもの疲れた顔のOLさんやサラリーマンのお父さんじゃなく、背の高い青年だった。俯いているので顔は分からないけれど、さりげなく品のいい服装で、雰囲気はずいぶんと格好いい。

大学生かしら珍しい。

ちらりと頭をよぎったが、お客の詮索をするのはよろしくない。にこりと笑いかけてミニブーケの前のスペースを開けた。

できれば今日私が持って帰ろうと思っていたアレかアレを買って欲しい。ていうか買え。

そっと心の中で念を送るが、もちろん何の能力者でもない私の念など届くわけもなく、青年はぐるりと店内を見渡した。

あら、雰囲気だけじゃなくて顔もいい男じゃないか。髪が黒いから日本人と思ったけれど、彫りの深い顔立ちや肌の色から白人だと分かった。一見地味だけど、かなり整った顔をしている。花が好きな私はもちろん美しいものが好きだ。この顔は見ごたえがある。

しかしこの客、日本語話せるのかしら。ちなみに私は日本語しか話せません。

不躾にならない程度に観察していると、彼の意識がこちらへむいた。

「お決まりですか?」

控えめに声をかけると、彼はすっと奥の冷蔵ショーケースを指差した。

「バラを、全部」

なんですと?

いやいや、確かに薔薇は売るほどある。花屋だし。だけど、明日の分なんだよ。十本くらいなら売るけど、全部売るわけにはいかない。

「申し訳ありませんお客様、あちらの薔薇は売約済みです。少々ならお分けできますが、全部はお売りできません」

「少々とは」

「十本程度でしたら」

薔薇は六種で四百本くらいある。一本四百円から千二百円で、大学生のバイト代じゃ難しいよ。

彼女に奢るなら、小さめの薔薇の花束と、あとはアクセサリーと食事にしておきなさい。

そう念をこめて微笑むと、青年はいらだたしそうに首を振った。

「十本なんか焼け石に水だ」

そう言って大股にショーケースへ向かう。

「お客様!」

慌てて止めようとしたが間に合わず、彼はショーケースのガラスの扉を勝手に開き、薔薇に手を伸ばした。

コラ! 力任せに花を掴むんじゃない、茎を大切に優しく摘め!

私が止めようとした視線の先で、赤い薔薇がくしゃりと潰された。

「ちょっと! 何する――」

私の非難の声は途中で途切れた。

潰れた薔薇の花弁が、あっというまに瑞々しい色を失い、黒く干からびて店の床へ落ちたからだ。

「なに」

青年は次々と薔薇を潰し、干からびさせる。

恐怖と驚きで一瞬思考が止まった私はしかし、ふつふつと湧き上がる怒りに思考を取り戻した。

この赤い薔薇はローテローゼだ。私が子どもの頃からのロングセラーの定番品種だったけれど、人気品種の世代交代が進んで栽培農家も減り、久しぶりに仲買さんが仕入れていたのを見て懐かしくて買ったのだ。最近の巻き数が多いゴージャスな薔薇もいいけれど、すっきりとして凛としたたたずまいがたまらないのだ。

それを、潰すだなんて。しかも、どうやってるのか分からないけれど、汚く干からびさせるだなんて。ポプリにしたってドライフラワーにしたって、美しく乾かす方法はあるのに。

私は強引に薔薇と彼との間に割り込んだ。

「やめなさい!」

怒鳴りつけると、青年は奇妙な顔をして動きを止めた。

自分の右手をかざして見つめている。爪が長くて、とがっていた。あの手で薔薇を枯らしていたのかしら。どうして? どうやって? 彼は何者なの? 何の目的で私の薔薇を枯らすの?

考える時間ができたことでカタカタと体が震えだす。

青年は見つめていた自分の指を、おもむろに一舐めした。

「処女か」

その言葉を理解した途端、私の頭に血が上った。

なんでそんなこと分かるのよ! ていうか、なんでそんなこと言われなきゃならないのよ! 確かに私はモテない女だけど、仕事一筋で彼氏もなかなかできなかったけど、できてもなんとなく恐くて逃げてるうちに振られたりしたけど、そんなの見ず知らずの外人には関係ないじゃない! 私だってもう捨ててもいいんじゃないかと思ってるのよ! チャンスがないだけで!

パニックになってあうあうとわななく私の左腕を、彼の手が捕らえた。

え、と思う間もなく、その手を持ち上げられ、当然手にくっついている私の身体は彼のほうに引き寄せられた。なんですかこの体勢は近すぎるよ、と抵抗する時間も与えられず、掴まれた左手の手首から肘までを舐められた。

「ひゃああああ!」

たいへんだ! へんたいだ!

逃げようとした時には既に遅く、しっかりと腰を抱きかかえられて密着させられていた。

待て待て、あんた大学生かそこらでしょう! 私きっとあんたよりあんたのカーチャンの方が年が近いわよ! カーチャンみたいな年の女を相手に役に立つのあんた?

「問題ない。いける」

多分独り言だけど、私の思考に対応した答えにもなっていた。

「ちょっと待て、性犯罪者!」

何かされる前に逃げなくては、とばかりに叫んで、舐められた手を突っ張って距離を取る。

「……性犯罪は犯していない」

不本意そうな声で抗議をされるが、知ったことか。ていうか、腰を抱いてるところが私的には性犯罪です! でも、これじゃ弱いのか。

「舐めたでしょう!」

「怪我をしていたからだ」

え?

慌てて舐められた腕をみると、薄く赤い筋がついていた。

「私の爪で傷つけたのだから、私が治療したのだ」

文句あるか、と言われても、困るんですけど。文句なんかあるに決まってるじゃない。舐めるのは治療じゃないし。

「とりあえず、離して下さい。それから、あなたに薔薇は売りません」

ダメにした分は弁償してもらいますけど、と言ったら彼はふっと笑った。気障で胡散臭い。略して気障臭い笑顔だ。私の背中に悪寒が走る。

「バラはもういい」

晴れ晴れとした口調だった。

嫌な予感がして暴れだす私の身体を、彼は難なく封じ込め、私の首筋にその綺麗な顔を寄せてきた。

ぎゃ~! お~か~さ~れ~る~ぅ!

叫び声もあげられないまま首筋を舐められ、私の意識は闇に飲み込まれた。


結論から言うと、犯されませんでした。

「空腹に耐えかねて夕方から駅前を張ってたんだが、女子高生の処女率があんなに低いとは思ってなかった」

満足そうな声をあげるのは外人の性犯罪者だ。名前はレイモンドなんちゃら。長くて覚えられなかった。

店は戸締りをして明かりを落とし、私は奥の事務室の仮眠用のソファに横になっていて、彼はソファの隣にパイプ椅子を持ってきて座っている。

「バラの生気は処女の生血の代用品になるから、あるだけ貰おうと思ってたんだが」

質のいい処女がいてよかった、と満足そうな彼に血を取られた私は貧血で倒れたらしい。

ぶっちゃけ、彼は吸血鬼なんだそうだ。なんですかそのファンタジー路線。むにゃむにゃ年生きてきて、ファンタジーとは映像や小説の中だけだと信じていたのに、リアルでこんなことが起ころうとは。いや、彼は私よりうんと長く生きてるらしいから、むにゃむにゃ年ごときで経験語るなとか言いそうだけど。

ていうか、処女の生き血に質があるのか。

「ある。豚や牛に特別な飼料を食べさせてブランド化するのと同じだ。いい食事を取るとおいしい血になる。ジャンクフードやスナック菓子ばかり食べているとまずくなる。煙草や薬もよくない」

ああそうですか。私が玄米食でお弁当派でジャンクフード嫌いなのが悪い方へ作用したのですね。

「悪い方じゃない、いい方だ」

そうですかー。

「久しぶりにうまい食事をした。お前は命の恩人だ」

そうですかー。

「これからも頼む」

そうですかー。

……。

「ええ?」

「これからも、頼む」

レイなんちゃらは気障臭い笑顔で白い乱杭歯を見せた。その顔、恐いんですけど……。


彼が、私の処女を守るために周りの男性を排除していると気付いたのは、かなり後だった。

ちょっと! 私このままじゃ一生処女の運命だよ!

それってかなり嫌なんですけど!

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