表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

異世界小料理屋『龍宮亭』

作者: シオヤマ琴
掲載日:2025/11/14

異世界に迷い込んで早三日目。

右を見ても左を見ても獣人やら竜人やら、言葉の通じない亜人種ばかり。

一歩町を出れば、凶暴な野良モンスターがうようよいる。


「はぁ、腹もすいたし……俺、このまま死ぬのかな」


串田五郎。

三日前までは、俺はただのしがないコンビニバイトだった。

そんな俺がなぜ亜人とモンスターだらけの異世界にいるのか、不思議だろ。


実は俺もよくわからないんだ、これが。

いつものように深夜から早朝にかけてバイトをした帰りだった。

帰宅途中の並木道で、何かが空で光った気がしたんだ。


立ち止まり、空を見上げた。

今思えばそれがよくなかったのかもしれない。

直後、俺は光の柱とでも言おうか、とにかくまばゆいばかりの光に包まれた。

そして次に目を開けた時には「異世界よ、こんにちは」って寸法よ。


不幸中の幸いで、俺が目覚めたのは異世界のどっかの町の中だった。

おかげでいきなりモンスターに喰われることはなかった。

しかし、遅かれ早かれ、今のままでは死期は近いだろうな。


気づくと、俺は小料理屋の前にいた。

無意識のうちに、小料理屋の窓から香る美味しそうな匂いに引き寄せられていたのだろう。

出来ることならここで腹いっぱい美味しいものを食べたいところだが、異世界の金なんか持っていないし、金を手に入れたくても言葉が通じなくては話にならない。


「あ~……もう歩けない……」

地面に腰を下ろすと、うなだれるようにしてへたり込む。

そんな時だった。

「おい若造、そんなところで寝んな。商売の邪魔だ」

しゃがれた男の声が降ってきた。


……空耳だろうか。

……日本語が聞こえる。


「おい、聞こえてんだろ。起きろ」

「痛っ……!」

サンダルで頭を叩かれたようだった。


「な、何するんですかっ、痛いなぁもうっ……」

「わしの家の前で寝とるからだろうが。ほれ、客じゃないならどっかいけ」

見上げると「しっしっ」と犬を追い払うかのように初老の男が手をひらひらさせていた。


「――っていうか、あなた日本語喋ってますよねっ? まさか日本人ですかっ!?」

「あん? だったらなんだっつうんだ」

「やったーっ! に、日本人に会えたぞ、助かったんだーっ!」

「なんだこいつは……?」


突如として歓喜の雄叫びをあげて飛び上がる俺に驚き、男は身を引いてぽかんとしている。


「あ、あの、俺、串田五郎って言います! 信じられないかもしれないですが、どうも異世界に来てしまったみたいなんですよ……お願いします、助けてくださいっ!」

「はあ?」

必死に訴える俺に男は首を傾げるだけだった。


◇ ◇ ◇


「う、旨そう。こ、これ、ほんとに食べてもいいんですかっ……!?」

「腹減ってんだろ、遠慮せずに食え」

「はい、いただきますっ!」

テーブルに並べられた大小さまざまな料理に食らいつく。

小料理屋の店主である龍宮さんに出会えて本当によかった。


◇ ◇ ◇


「……ふーん。つまり、光に包まれて気づいたらこっちの世界に来てたってわけだな」

「はい」

食事を終えて一息つきながら、俺は龍宮さんに事の経緯を説明した。

龍宮さんは興味深そうに俺の話に聞き入る。


「ちなみに五郎がいた時代は西暦何年だ?」

「え、2025年ですけど」

「なるほど……わしも年を取るわけだな」

と白いあごひげをわしゃわしゃしつつ、感慨深げに龍宮さんは言った。


「ところで、龍宮さんはどうして異世界に? もしかして俺と同じですか?」

「んなことはどうでもいいだろ。それよりお前、これからどうしたい?」

椅子から立ち上がると龍宮さんは店内のテーブルを拭き出した。

今は準備時間中らしく、店内には俺と龍宮さんしかいない。


「どうって……そりゃ、元の世界に帰りたいですけど」

「そうなのか? 話を聞く限りじゃ、向こうに家族はいないんだろ。定職にもついてなかったみたいだしな」

何が言いたいのだろう。


「まさかですけど、もしかして元の世界に帰る方法は、ないんですか……?」

「ああ、残念だがな」

ちっとも残念そうには見えない顔で笑いながら言う。


「そんな……」

「そこでだ、もし五郎さえその気なら、ここで雇ってやってもいいんだが。どうする?」

龍宮さんはそんなことを言ってきた。

元の世界に帰れないのなら、そのお誘いは願ってもないことだが……。


「でも、俺こっちの言葉はまったく喋れませんよ」

言葉がわからなくては仕事にならないんじゃなかろうか。

そう思い訊ねたのだが、龍宮さんは一笑に付す。


「そりゃ問題ねぇよ。こっちの世界のもんを口にすりゃ自然と会話できるようになるからな」

「えっ、そうなんですか!?」

「ふふ……若い時は苦労しても良い経験になるぜ。さあ、店を開けるぞ。今日の仕事から学んでみろ」

そう言って龍宮さんは入り口の扉の鍵を開け放った。外はすっかり夕暮れの色に染まっている。

これから小料理屋「龍宮亭」の夜が始まるのだ。


カウンター席とテーブル席が数卓あるだけのこぢんまりとした店内だが、常連客が多いようで、開店してすぐにぽつぽつと客が入ってきた。

「いらっしゃい!」

「いらっしゃいませぇ!」

龍宮さんに負けじと俺も声を上げる。


威勢のいい掛け声とともに俺は初めて客の対応をしようとした。

しかし相手は毛むくじゃらのドワーフ族の男性。

果たして本当に言葉が通じるのだろうか。


不安になってちらりと厨房で支度をしている龍宮さんのほうを見る。

龍宮さんは大丈夫だとばかりに俺に向かって力強くうなずいてみせた。


「お飲み物は何にされますか?」

「じゃあエールをくれ」


客のドワーフ族の男性に声をかけると、彼はエールを頼んできた。


「は、はい、少々お待ちください」

注文を繰り返すことも忘れずに伝える。

やはり龍宮さんの言った通り、異世界の人と会話が出来るようになっていた。


俺は冷蔵庫に代わる魔法石でできた箱から瓶に入ったエールを取り出すと、先ほどの男性の前に置いた。

その後も続々と入ってくる客を捌いている内に、俺の喉はすっかりカラカラになった。

俺は休憩がてら、奥にある従業員用の小さなスペースに引っ込むと、龍宮さんが用意してくれていた水を飲む。


「五郎、初めてにしては客の扱いも上出来だ」

「ありがとうございます」


ひと心地着いたので、改めて厨房に戻ろうとすると、そこにちょうど一人の女性が入ってきた。


「いらっしゃいませぇ!」

「あー、そいつはいいんだ」

「……ただいま」

「おう、おかえり」


彼女は金髪ロングのスレンダー体型で、切れ長の瞳の美女だった。

年のころは二十歳くらいに見える。


「えっと、この人は……?」

「ああ、そいつはわしの孫娘のマリアだ。ここらで冒険者をしてる」

「そうなんですか。あ、初めまして、今日からお世話になってます串田五郎です。よろしく」

「……」

ぺこりと礼儀正しく頭を下げると、彼女は無言のまま自分の部屋に行ってしまった。


「気にしないでいい。あいつは昔から人付き合いは苦手だからな」

「はあ」


その後も俺は忙しさに追われるように働き続け、一日目の営業が終わった頃には、疲れ果てていた。


「お疲れさん」

「あ、ありがとうございます」


龍宮さんに温かいお茶を淹れてもらい、それをすするとホッと体が休まる。

それと同時に疑問も湧いてくる。


「なんで龍宮さんはこっちでお店やってるんですか?」

「まあ色々あってな。その辺はおいおい教えてやるよ」

「はあ、そうですか」


気になるが、無理に聞き出しても失礼だろうと思い、俺は素直に納得することにした。

しつこくしてクビにされても困るしな。

それから俺は住む場所が無いということで、しばらく龍宮さんの家に居候させてもらえることになった。

店の二階には俺の部屋もあるらしいのでありがたい限りだ。


「疲れてんだろ、早く休め」

「はい、そうさせてもらいます」


言われた通りベッドに潜り込む。

明日はどんな日になるんだろうか。

元の世界に帰ることが叶わないというショックはまだ抜けないが、とりあえず龍宮さんのおかげで当分は生活できそうだ。

疲れ切っていた俺は、すぐに眠気に襲われ、そのまま深い眠りについた。


――翌朝、俺は朝から裏庭で掃除や草むしりなどをさせられていた。


「五郎、ちょっとわしについてこい。食材の調達だ」

「はい!」


龍宮さんに呼ばれてすぐさま駆け寄る。

店の裏口から出て行く龍宮さんの背中に続く。


「どこに行くんですか?」

「あそこに見える山だ。少し歩くぞ」

「は、はあ。山ですか……」

山菜採りかな、それとも川魚でも捕るのだろうか。


◇ ◇ ◇


「よし、ここから飛び降りろ」

「いやいや、無茶言わないでくださいよっ。崖ですよここ、死ぬでしょ!」


龍宮さんに連れてこられたのは山肌が剥き出しになった険しい崖の上だった。

どうやら崖下に珍しい鳥の巣があるらしいのだが、それを取ってこいと言うのだ。


「なんだ、情けねぇな。それでも男か?」

現代日本ならセクハラになりそうな言葉を言い放つと、龍宮さんは今にも飛び降りようとする。

「ちょちょちょっ、何してるんですか、正気ですかっ?」

「こら、手を放せっ」

「ここから飛び降りたりなんかしたら死んじゃいますって、せめて命綱を――」

「いいから放せおらっ」

龍宮さんは俺の手を強引に振り払うと、何のためらいもなく崖下に飛び降りた。


「た、龍宮さぁーんっ!」


突然の出来事に慌てて崖っぷちギリギリまで寄っていく。

下を覗き込むが、深い霧がかかっていて様子は分からない。

だが、おそらく無事ではないだろう。

いや、確実に死んでしまっているはずだ。


「龍宮さん……」


呆然とする俺の目の前に、不意に大きな黒い影が現れた。


「うわっ!」


慌てて後ずさる。

黒い影の正体は、巨大な怪鳥だった。

どうやら龍宮さんが言っていた珍しい鳥とはこのモンスターのことらしい。


怪鳥はくちばしから炎のような息を吐き出した。

周囲の岩肌が赤熱化し、焦げ臭いにおいが漂った。


恐怖で足がすくむ。こんな怪物に遭遇したら生きて帰れるはずがない。

だが——

「オラァッ!!!」

突然、下から龍宮さんの雄叫びが聞こえた。と同時に龍宮さんが大きな鳥の巣を抱えて跳躍してきた。


「うそだろ……」

崖の側面を蹴り上がり、まるで野生の猿のように昇ってきたのだ。


「ぼさっと見てんな!」

龍宮さんの怒声が飛ぶ。怪鳥がこちらを睨んだ。鋭利な爪が陽光を反射している。

明らかに戦闘態勢だ。


「五郎、こいつを持ってろ!」

鳥の巣を俺に預けると、龍宮さんは怪鳥に向かって跳び上がった。

信じられない跳躍力だ。初老のそれではない。


龍宮さんは空中で一回転すると、渾身の拳を怪鳥の顔面に叩き込んだ。

なんという格闘センス。


『ギャオオオン……!』


鈍い音が響き渡り、怪鳥の巨体が吹き飛ぶ。まるで小さな山が崩れたような衝撃波が発生し、俺は尻もちをついた。

しかし、敵も一筋縄ではいかないらしい。すぐに体勢を立て直し、龍宮さんに襲いかかる。


鋭い爪が風を切り裂いた。


「あ、危ないっ!」

「問題ない」


龍宮さんは身軽に攻撃をかわすと、次の瞬間には敵の首根っこを掴んで地面に下り立っていた。

そして、

「五郎、よく見ておけ」

怪鳥を軽々と持ち上げ、地面に叩きつけた。


『グゲェ……』


重低音とともに怪鳥は倒れ込み、動かなくなった。


「こんなもんか。まあ楽勝だな」

「な、なんてパワー……うそだろ」


龍宮さんは平然とした表情で、怪鳥の死骸を担ぎ上げると、再び俺に向かって微笑みかけた。


「さあ、帰るぞ。巣だけのつもりだったが、今日は運がいい。こいつの肉は最高なんだ、がっはっは!」

「マ、マジかよ……」


――これが、龍宮さんとおこなった初めての食材調達だった。


◇ ◇ ◇


「冒険者っ!? 龍宮さんが!?」

「ああ。もう何年も前に引退したがな」

龍宮亭で料理の仕込みをしながら、平然と言う。


「冒険者ってあれですよねっ? 危険なモンスター退治とかを生業としてる……」

「それだけじゃないが、まあそんなとこだ」


どうりで崖から飛び降りても無事なわけだ。

同じ人間、同じ日本人に会えたと思っていたが、龍宮さんは俺とは違う。

どうまかり間違ったって、俺にはあんな巨大な怪鳥、倒せるわけがない。


ちなみに怪鳥の名前はコカトリスというそうで、卵も巣も肉も最高級の品らしい。

それを龍宮亭では、お手頃価格で提供しているのだそうだ。

まったく、頭が下がる。


「そろそろ昼飯にするか。五郎、二階に行ってマリアを呼んできてくれ。多分まだ寝てるだろうから、頼んだぞ」

と龍宮さん。

マリアは二十歳になる龍宮さんの孫娘で、一緒に同居している。

冒険者ということだが、人見知りらしく、まだほとんど話せてはいない。

昨夜だって会釈された程度だ。


「わかりました」

店の二階に上がって、一番奥にある彼女の部屋へと向かう。

扉の前に立ち、ノックして声をかける。


「マリア、おはよう。昼食の時間だけど、起きてるか?」

「……」

返事はない。


「マリア」

もう一度声をかけるが、反応がない。

だが微かに人の気配を感じたので、やはりまだ寝ているのかもしれない。


「マリア、入るぞ」

ドアノブをひねって扉を開く。

「——は?」

扉を開けた瞬間、俺は思考停止した。

眼前に広がる光景があまりにも衝撃的すぎたからだ。

ベッドの上でマリアは、全裸で眠っていたのである。


「うわぁっ!」

反射的に扉を閉めた。

そして階下に急ぐ。


「ん? マリアはどうした?」

「あ、え~っと……すぐ来るそうです、はい」

俺はとっさに嘘をついていた。

とても正直に話せる状況ではなかった。


しばらくすると階段をゆっくり下りてくる足音が聞こえ、マリアが姿を見せた。

髪はボサボサだが、服はちゃんと着ていた。


「……おはよう」

こちらを見てマリアは小さく会釈すると、食卓へと歩いていく。

俺が部屋に入ったことには気づいていないらしい。とりあえず安堵する。



「おはようマリア。今日のシチューはコカトリスを使ったんだぞ。しっかり食べておけ」

龍宮さんが鍋をかき混ぜながら言う。新鮮な肉を使っているからか、とてもいい香りが食欲をそそる。


「……ん」

短く返事をしてマリアは席につく。

相変わらず愛想がないが、龍宮さんへの返答はちゃんとしているようだ。


「さあ、五郎も座れ。ほれ」


促されるまま席に着くと、目の前には湯気の立つコカトリスのクリームシチューが並べられる。

具材も大きく、食べ応えがありそうだ。


「いただきます!」


手を合わせてからスプーンを握る。

一口含むとクリーミィなソースが舌に絡みつき、コカトリスの肉の柔らかさと濃厚な味わいが広がった。


「お、おいしい」

「……うん、おいしい」

思わずつぶやいてしまうほどの絶品だった。


「当然だ。このコカトリスはとれたてだからな」

龍宮さんが誇らしげに胸を張る。


食事が終わると、マリアはギルドとやらに向かった。

俺と龍宮さんは開店準備に取り掛かった。

今夜もきっとたくさんのお客さんが来ることだろう。


◇ ◇ ◇


「ありがとうございました、またお越しください」

最後のお客さんを送り出して、ようやく今夜の営業が終了した。

店内は俺と龍宮さん以外に誰もいない。


「ふぅ~、今日も賑わいましたね」

「ああ、おかげであんなに沢山あったコカトリスの肉が全部なくなっちまった。明日も早いぞ、今日はもう休め」

「了解です」


皿洗いや後片付けを済ませると、俺は二階へ上がり、自分に用意された部屋に入って床に腰かけた。

すると、部屋の外からトントンとドアを叩く音がした。

なんだろう。


「どうしました、龍宮さ……あ、マリア」

「……」

ドアを開けると部屋の前にいたのはマリアだった。


「おかえり、帰ってたのか」

「……うん、ただいま」

「えっと、それで、何か用?」

「……明日、ちょっとわたしに付き合ってほしいんだけど」

意外なことにマリアはそう口にした。


「ああ、いや、でも明日も仕込みとか掃除とか店の手伝いがあるから、多分無理かな」

「……今日、わたしの裸見たでしょ」

「ぅへえっ……!? き、気づいてたのか……?」

「……おじいちゃんには言わないでおいてあげるから、明日付き合って」

「う……わ、わかった」

「……じゃ、おやすみ」

それだけ言ってマリアは自室へと戻っていった。

脅されて同行することになったものの、一体何をするつもりなのだろうか。


翌日。

俺は龍宮さんに、無理を言って休暇をもらった。

そして龍宮亭の外でマリアと落ち合う予定の場所に向かった。

すると彼女はすでにそこにいて、いつものラフな服装ではなく、きちんとした冒険者の装備を身につけていた。


「……行くよ」

「あ、ああ」


俺は緊張しながら彼女の後についていった。

町を抜けて郊外に出ると、うっそうとした森の中に続く道が見えた。

森に入ると徐々に木々が増え、薄暗くなっていく。


「マリア、どこまで行くんだ?」


俺の問いかけにマリアは答えなかった。

ただ前を向いて黙々と歩いていた。


「……」


沈黙の時間が続く。

やがて森の奥の方に到着すると、そこには巨大な洞窟があった。

入り口からは冷気が漏れ出しており、とても寒そうだった。


「ここは……?」

「……ついてきて」


有無を言わさぬ口調でマリアが言う。仕方なく俺は洞窟の中へ足を踏み入れた。

内部は思ったよりも広く、天井も高かった。


さらに進むと広い空間に出た。

その中央には犬小屋のようなものがあり、中には子犬らしき姿が見えた。

だがしかし、近寄っていくとその子犬には頭が三つもあった。


「な、なんだこれ? もしかしてモンスターか?」

「……ケルベロスの子ども」

平坦な口調で答える。


ケルベロスと言えば冥界の番犬として有名だ。

三つの首を持ち、毒の息を吐くと言われている怪物である。


「そ、それをどうするんだ?」

「……育てる」

「ペットにするのか?」

「……保護。この子は親を亡くしているから、わたしが育てる」

「そ、そうか……でもなんでマリアが?」

「……」

俺の問いかけには答えず、マリアはケルベロスの頭を優しく撫でる。

すると彼らも気持ち良さそうに目を細める。


「……ほら、触ってみて」

「え、いや、でも噛まれたりしないかな」

「……平気」


おそるおそる手を伸ばす。ケルベロスは抵抗する素振りを見せず、逆に甘えるように鼻を鳴らした。

そしてペロッと俺の手を舐めた。

温かい感触が伝わってくる。


「か、可愛いな……」

思わず声が出てしまうほどの可愛らしさだった。

「……うん」

得意気にマリアは微笑んだ。

彼女のこんな笑顔を見るのは初めてだ。


それからしばらく、マリアと二人でケルベロスの世話をした。

餌やりはもちろん、散歩なども行う。

さらにお手などのしつけも行ってみた。

ケルベロスは知能が高いらしく、教えたことをどんどん覚えていった。


と、

「……この子、飼いたい」

唐突にマリアはそんなことをつぶやいた。


「いや、それはどうだろうな。うちは飲食店だろ? 龍宮さんが許可しないんじゃないかな」

「……だから、五郎にも協力してほしい」

「う~ん、そう言われても……」

「……わたしの裸見たくせに」

「わ、わかったよっ」

「それと、わたしがお世話できない時は五郎、あなたが代わりにやってほしい」

「まあ、それは構わないけどさ、いいのか俺で?」


するとマリアは無言のまま、こくりとうなずいた。

彼女は無口で少々厄介だが、優しい性格なんだなと改めて感じた。


「ところで、この子の名前は決めているのか?」


そう訊ねると、マリアは少し考えるようなそぶりを見せた。


「……ポチ」

「ぶっ」


あまりにも安直すぎるネーミングセンスに思わず吹き出してしまった。

しかしマリアは不服そうな表情で俺を睨んでくる。


「わ、悪かった、ごめん……つい笑っちゃって」

「……名前なんてなんでもいいでしょ」

「わ、わかった、ごめんって」


必死で謝ると、やがて機嫌を直したのか、マリアは再びポチの頭を撫で始めた。


夕方になり、日が傾いてきた頃。

俺たちはケルベロスの子犬――ポチを連れて、龍宮亭へと向かった。

マリアの肩に乗ったり、腕の中から顔を出してきょろきょろしている様子はとても愛くるしく、すれ違う人たちは皆驚きの眼差しを向けた。


「ただいま、おじいちゃん。ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」

そう告げてマリアは龍宮さんにポチを見せた。


「……この子、飼ってもいい?」

「ん? なんだそりゃ。犬か?」

「……違う。ケルベロスの子供」

「ほう」

龍宮さんは目を細めて感心したような表情を浮かべた。


「ケルベロスは人には懐かないと聞いたが、どうやら違ったらしいな」

「……うん」


龍宮さんはしゃがみ込んで、じっくり観察するように眺めてからポチを撫で始めた。

すると三つの頭が嬉しそうに揺れた。


「良い目をしている。ちゃんとしつければいい番犬になるかもしれんな」

「……え、じゃあ飼ってもいいの!?」

喜色満面の笑みを浮かべてマリアは聞き返す。

普段の無表情とのギャップがすごい。


「ただし条件がある。ちゃんと面倒を見ること。それが守れないなら却下だ」

「……大丈夫! わたしが責任もって育てる」

「だったらオーケーだ」

「……やった!」

子どものように無邪気に飛び跳ねて喜ぶマリアに、ポチも嬉しそうに吠え立てた。


それから数日後――。

「ああ、疲れた~……」

俺は仕事を終えて自室に戻るとベッドに倒れ込んだ。


異世界での仕事は想像以上に大変なのだ。

慣れない環境で働くというのは精神的な負荷も大きい。

しかも最近になって新しい仕事が増えたことも原因だ。


その仕事というのは、ポチの世話だ。

マリアが家にいない時は、俺が代わりにエサやりなどを引き受けたからだった。


「う~ん……腰痛ぇ~」

うなり声を上げつつ寝返りを打つ。


「……五郎」


突然、声をかけられてハッとする。

いつの間にか部屋の入口にマリアが立っていた。


「ど、どうした? 何か用なのか?」

「……これ、あげる」


そう言って彼女が差し出してきたのは手作りのクッキーだった。

素朴な焼き菓子だが、なんだか懐かしい感じがする。


「え? あ、ありがとう。でもなんで俺に?」

「……ポチ用に作りすぎたから」

「そ、そうか……」

要するに余ったものを押し付けられただけというわけだ。

だが、せっかくなのでありがたくいただくことにする。


ひと口食べて、

「……どう?」

「うん、やっぱりポチ用だから、俺にはちょっと甘いかな」

「……馬鹿」

マリアはそうつぶやくと、足早に部屋から出ていってしまった。

そして、その様子を部屋の外から覗き見していたポチも『くぅ~ん』と少し吠えたあと、去っていった。




「ふぁ~あ……よし、今日も一日頑張ろうっと」


窓から差し込む朝日に目を細めながら伸びをして起き上がる。

俺が部屋を出て食堂に向かうとすでに龍宮さんは忙しく働いていた。


「おはようございます」

「おう、五郎。おはようさん。朝食の準備はもう少し待ってろ」

「はい、ありがとうございます」


俺はテーブルを拭きながら、厨房で立ち働く龍宮さんの様子を眺めていた。

すると突然、店の扉が勢いよく開け放たれた。


「邪魔するぜ!」


入ってきたのは竜のような翼と鱗を持つ、背の高い竜人だった。


「あ、まだ準備中なんです。夕方過ぎにまた来てもらえま――」

「どけ! 貴様に用はないっ」

その竜人は俺を払いのけてズカズカと店内に踏み込んでくる。


すると龍宮さんは竜人を一瞥してから、

「お客さん、そいつが言ったように店は夜からだよ。出直してくれ」

また朝食の準備に戻った。


「オレ様は客じゃないぜ!」

そう言うと、続けざま竜人は「マリアいるかっ! オレ様が迎えに来てやったぜ!」と二階に向けて大声を飛ばした。

それを受け、マリアが階段を下りてくる。


「……ゼフィロス、なんでここに?」

「おお、マリア! 今日も綺麗だな、それでこそオレ様の嫁にふさわしいぜ!」


……嫁?


「……帰って」

マリアはつまらなそうな顔で淡々と口にするが、ゼフィロスと呼ばれた竜人は怯まない。


「冷たいな。今日こそオレ様の国へ行こうぜ」

「……何度言われても一緒に行くつもりはない」

「なんでだよ。オレ様と結婚すれば一生遊んで暮らせるんだぜ? ドラゴニアの女王になれるんだぜ?」

「……興味ない」


聞く耳持たないと言った様子で、マリアはそっぽを向いて二階へ戻ろうとする。

が、それを遮るようにして、ゼフィロスがマリアの前に回り込んで立ち塞がった。


「ふんっ、そんなこと言って本当は照れているんだろう? 安心しろ、オレ様はどんなお前でも愛してやるぜ!」

「……どいて」

「マリア、素直になれよ」

「……離れて」


苛立ちを隠し切れない表情で、マリアはじろりとゼフィロスを睨む。

その眼光に一瞬だけたじろぐゼフィロスだったが、それでもなお強引にマリアの腕を取って抱き寄せた。

次の瞬間、パチーンと乾いた音が響く。

マリアがゼフィロスの顔を平手打ちしたのだ。


「うぐっ……」

ゼフィロスはよろめくが、

「オレ様は諦めないぜ……気の強い女は嫌いじゃないんでな」

威勢のよさは変わらない。


それを見てマリアは大きなため息をひとつ吐いた。

そして俺の方をちらっと見てから、ゼフィロスにこう言った。


「……わたしにはもう恋人がいる。だから諦めて」

「恋人だとっ!? 嘘だ、でまかせだ!」

「……本当」

「だったらどこのどいつなんだ! 言ってみろ!」

とゼフィロスがマリアに詰め寄る。


「……彼」

マリアは指をさして俺を示した。


「……は?」

当然のことながら俺は困惑した。


「はっ、冗談だろ。こんな貧弱そうな男よりオレ様の方がイイに決まっている」

ゼフィロスは憐れむような眼差しを俺に向けてくる。


「……五郎は弱くない」

マリアは静かに言い返した。


「じゃあ、証明してみろよ。おいお前、五郎と言ったか。マリアをかけてオレ様と勝負しろ!」

「はあ!? なんで俺が――」


突然の提案に俺は耳を疑った。

だが当の本人は本気らしい。腕を組んで仁王立ちになっている。


そこへ、朝食の準備を終え、

「おもしれぇじゃねえか、やってみな」

と龍宮さんまで加わる。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 俺は喧嘩なんてしたことありませんよ!」

「関係ねぇよ。男なら自分の好きな女のために戦ってみせろ。それができねえなら出ていきな」

「いやいやいや、そもそも俺別にマリアが好きとか――」

「情けねぇ奴だな、マリアが可哀想だぜ」

「……」

マリアの方を見ると、何か言いたそうな目をして俺を見つめていた。

まるで四面楚歌だった。逃げ道はない。


「く、くそっ! わかりました! やりますよ!」

こうなったらやってやるしかない!


「オレ様と勝負する気になったか! いい度胸だ、褒めてやるぜ!」

ゼフィロスは嬉々として俺を見る。


「ただし武器は禁止だ。拳と拳の真剣勝負といこう」

「ああ、わかった」

武器の使用禁止は俺にとってはありがたい。

俺は武器など持ってはいないし、扱ったこともないからな。


「ゼフィロスとやら、今日は五郎は店の手伝いがあるんでな。勝負は店が休みの明後日にしてやってくれ」

「いいだろう。おい五郎、逃げるなよ!」

龍宮さんと言葉を交わしたゼフィロスは意気揚々、店を出ていった。

その後ろ姿を見ながら、マリアが塩をまいた。


「さてと、それじゃあ腹ごしらえしたら特訓だ、五郎」

「え……特訓?」

「ああ。心配するな、お前のことはちゃんと鍛えてやる」

「龍宮さんがですか?」

「そうだ。わしとお前、今日明日はずっと特訓だ」

「あの、でも……それだとお店は?」

「臨時休業ってやつだ。たまにはいいだろ」

自信満々に胸を張る龍宮さん。

コカトリスを一撃で倒せるほどの実力者なので頼もしい限りだが。


「……ありがとう」

振り返ると、マリアが俺に向かって深々と頭を下げていた。

それから顔を上げると、彼女はいつになく真面目な表情でこう続けた。


「……五郎には迷惑かけるけど」

「まあいいさ。こうなったらなるようになれだ」

俺は胸をたたいて、マリアの期待に応えるべく笑顔を作って見せた。



マリアによると、ゼフィロスは一度パーティーを組んだことのある冒険者仲間らしい。

だが、それ以来つきまとわれているのだそうだ。

竜族の第二王子らしく、あの手この手で迫ってきたそうだが、今回初めて店に押しかけてきたという。

マリアいわく、ゼフィロスはCランクの冒険者くらいの実力はあるようだった。


「見た感じ、あいつはなかなか強敵だな。だが、わしが特訓すれば何とかなるだろう」

とは龍宮さんの弁だ。


本当だろうか……?

龍宮さんを信用していないわけではないが、いかんせん俺はただのフリーターだった男だ。

それがたった二日で、異世界の中級冒険者と互角以上に戦えるようになるとは思えないのだが……。



「五郎、まずは基礎体力をつけるところから始めるぞ」

「はい」


龍宮さんに指導されながら、森の中を走り回る。

そして休憩中に軽く型のようなものも習う。


「次は防御だ。攻撃を受ける時に使う技を教えてやる」

「はい」


そうして、俺と龍宮さんの猛特訓が始まった。

初日の昼過ぎには全身筋肉痛に襲われるほどハードなものだった。

それでも龍宮さんの指示通りに体を動かし続けるうちに、徐々にコツをつかんできたような気がした。

夕方には龍宮さんと組手もした。

正直、彼の動きには全然ついていけなかったが、それでも何度も挑戦した。


「よし、今日はここまでだ。飯にしようぜ」

「はいっ」


マリアの手作りの晩ご飯を食べてすぐに横になる。

決戦は明後日だ。


――翌日、俺は龍宮さんに秘伝技とやらを教えてもらうことになった。


「いいか五郎、こいつはな、自分の身体能力を何倍にも高める技だ。だがその分、体への負担もでかい。使いどころを間違えると自滅するぞ、注意しろ」

「はい!」


マリアが見守る中、俺は秘伝技の特訓を開始する。


「よし、まずは呼吸法を習得するところからだ。腹式呼吸でゆっくり息を吸う、吐くときは細く長く」


龍宮さんに言われた通りのやり方で試行錯誤しながら続けること約一時間、なんとか形になってきた。

この秘伝の呼吸法によって内側から力が湧き上がってくるような不思議な感覚を感じた。

続けて、この状態を維持したまま素振りを行う。

それからまた少し休んで、今度は龍宮さんに稽古をつけてもらう。


「ふんっ!!」

龍宮さんの剛腕がうなりを上げて繰り出されるパンチを、腹で受ける。

相当な衝撃だが、ギリギリ倒れずに済む。


「ほう、手加減してるとはいえ、わしの拳をまともに腹に受けて立っていられるのは大したもんだぞ、五郎」

「は、はい」

「ではもう一回だ!」

「はいっ」

「……五郎がんばれ」

遠くから声援を送ってくれるマリア。

その存在が意外と励みになった。


その後、特訓は続き、夕方を迎えた頃には俺は限界寸前になっていた。

そして最後にもう一度だけと挑んだ組み手で、なんと偶然にも龍宮さんを投げ飛ばすことに成功した。

といっても俺自身も地面に叩きつけられて、息も絶え絶えだったが。

しかし、龍宮さんは「よしよし、五郎は本当に飲み込みが早い」と上機嫌だった。



そして――いよいよ決戦当日の朝を迎える。



「……五郎、起きてる?」

マリアの声に起こされた。すでに朝食の時間だった。

昨日はかなり体力を使ったので爆睡してしまっていたみたいだ。


「あ、ああ、今行く」


部屋を出て、食堂に向かう途中でマリアと合流し、一緒に席に着く。

テーブルの上にはパンとサラダとスープといった簡単なメニューが並んでいる。


「いただきます」

「……いただきます」

二人同時に食べ始めると、

「おい五郎、よく眠れたか?」

台所から顔を出した龍宮さんが声をかけてきた。


「はい」

「それならいい。お前はこれから男同士の決闘に行くんだからな。万全じゃないとな、がっはっは」


豪快に笑う龍宮さんを見て、少しだけ緊張がほぐれた気がした。


「あの……龍宮さん、秘伝の技とやらを教えてもらったおかげで少しは強くなった気がします。本当にありがとうございます」

「気にするな。それに秘伝の技と呼んではいるが、あれは誰にだってできることだ。だが、誰も本気でやろうとはしない。努力しないからな。やろうと思えばできるんだ」

「はい。今日は死ぬ気で頑張ってみます」

「そうだ、その心意気だ」


朝食を済ませ、マリアと一緒に待ち合わせ場所へ移動する。

そこは町から少し離れた郊外にある訓練場だった。

すでにゼフィロスは到着していて、こちらを見るなりニヤリと笑う。


「やっと来たな。待ちくたびれたぜ!」

「……」

マリアは無言で睨み付ける。


「まあ、そう焦るな。あらためてまずは自己紹介といこう。オレ様はゼフィロス・ドラグニティア。ドラゴニア王国の第二王子だ」

「ご丁寧にどうも。俺の名前は五郎だ。お手柔らかに」

お互い軽く頭を下げた。


「さてと、じゃあ始めるとしようか、五郎とやら。マリアはそこでオレ様の勇姿を見ていてくれ」

「……五郎、がんばって」

「ああ」


短く返事をした俺は、意識を集中させながらマリアと距離を取る。


「おい、五郎。ハンデをくれてやろうか。お前は一発だけ先制攻撃してもいいぞ。何せオレ様は強いからな」

ゼフィロスは両腕を広げて堂々と言い放つ。


「いいのか? それなら遠慮なく」

「おう、来い!」


俺は龍宮さんから昨日教わった秘伝の呼吸法を早速試した。

ゆっくり息を吸い、細く長く吐くを何度も繰り返す。


「おい、どうした? まだか?」

ゼフィロスの問いかけにも答えず、俺は何度も何度も呼吸法を繰り返した。

すると徐々にではあるが、体の表面に黄色いオーラを纏うような感覚がしてくる。


これが龍宮さん曰く、力を身体能力を高めた状態だということだ。

呼吸のペースに合わせて、オーラは大きくなってゆき、最終的には俺の身体全体を包むまでになった。


「ふむ、何やら怪しい動きをしているようだが、時間稼ぎにしかならないぞ? いい加減に始めようぜ」

ゼフィロスの呆れたような声に反応することもなく、俺はひたすら呼吸法を続ける。

そこから三分、さすがに痺れを切らしたのか、ゼフィロスは声を荒らげた。


「おい! いつまでそのヘンテコな動作を続けるつもりだっ!」

ゼフィロスが怒鳴る。

しかし俺は構わず続けた。


「……いい加減にしろよ!」

とうとう我慢しきれなくなったゼフィロスが突進してきた。

巨体に似合わないスピードで接近し、右ストレートを放ってくる。

まさに電光石火の如き速さだったが、今の俺には十分に見えた。

それを避けてから反撃に転じる。


全身に力を溜めた状態で放つ渾身の一撃は重く鋭い。

それはゼフィロスの胸元に深々と突き刺さった。


「ぐがあっ!」


吹き飛ばされたゼフィロスは地面に激突しバウンドする。

そのままピクリとも動かない。

まさか、死んでないよな……?

と思っておそるおそる近づいてみると、ゼフィロスは白目を剥いていた。


「……か、勝った?」

拍子抜けしてしまう。

すると、すぐさまマリアが駆け寄ってきた。


「……五郎、怪我はない?」

「ああ、なんともない。俺、勝てたんだよな?」

「……五郎、すごかった」

マリアが珍しく頬を緩めて微笑んだ。


「そっか、よかった」


俺も安堵のため息をつく。

そう言えば、秘伝の呼吸法の効果はもう切れたのか、今となっては全く感じられない。

その辺はまだまだ修行が必要らしい。


「……五郎、お店に帰ろ」

「でもあいつ、あのままでいいのか?」

倒れたままのゼフィロスに目を向ける。


「……問題ない。あれでも一応Cランク冒険者だから、そのうち目を覚ます」

「なら、いいか」


こうして俺とマリアは、龍宮さんの待つ龍宮亭へと戻るのだった。


ゼフィロスとの決闘から一夜明けた。

龍宮亭は相変わらず繁盛している。


「よぉ、大将。いつもので頼むわ」

「あいよ」

龍宮さんはいつも通りカウンターの中で料理を作っていた。


「今日は随分とお客が多いですね」

「ああ、今夜はちょっと特別なんでな」

俺が手伝いで店内を動き回りながら話しかけると、龍宮さんはフライパンを振りながら答える。


「特別ってなんですか?」

「それはな――」

「大将、こっちの注文まだかい?」

「はいよ」

料理を作るのは主に龍宮さんで、俺は接客担当だ。

俺は料理の経験などはないし、お客さんは龍宮さんの料理を目当てに来店してくるので、当然といえば当然だ。


「五郎、話はあとだ。こいつをそっちのお客に持ってってくれ。あと酒もな」

「はいっ」


この二時間後、俺は龍宮さんが言っていた特別という意味を知ることになる。



午前零時を過ぎると龍宮亭には常連以外の客も集まってきた。

普段は夜明け前には閉店するはずなのに、どういうわけかこの日だけはいつもの時間になっても営業していた。


するとついにその時がやってきた。

店内の照明が落ちると共にジャズ調のBGMが流れ始めたのだ。


「お前たち、席についたか!」

龍宮さんの掛け声とともに照明が点灯すると同時に、一段高いステージ上にスポットライトが当たる。

するとそこにはサックスを持った龍宮さんが立っていた。


「さて、今宵はわしの誕生日パーティだ!  ここからは全部わしのおごりだ、みんな楽しんでってくれや!」

盛大に吹き鳴らされるサックス。

歓声に包まれる店内。飛び散るシャンパンの泡。踊り出す亜人種の男女。


「五郎君もこっちおいでよー!」

「おい五郎、一緒に飲もうぜー!」

お客さんたちに誘われたものの俺は戸惑うばかりだ。

この世界に来て初めて参加するお祭り騒ぎに困惑する俺に、いつの間にか二階から下りてきていたマリアが声をかけてくる。


「……五郎も飲みなよ」

「いや、でもまだ仕事中だし……」

「……今日はおじいちゃんの誕生日だからいいの。ほら飲む」

半ば強引にグラスに入ったビールを手渡された俺は、一瞬ためらったあと、それを一気に飲み干した。

ビールの苦みが喉を通り抜ける。普段はあまり飲まない酒だが、今夜の雰囲気にはなぜか合っていると思った。


「あら五郎君、いい飲みっぷりじゃない」

「若いってのは素晴らしいねえ」

常連客から賛辞を浴びる。


「五郎君、これも食べてご覧よ。コカトリスの卵焼き、おいしいわよ」

奥の席にいたハーフエルフの女性客が、手招きしつつ料理を勧めてきた。

それを受け取って口に入れると、トロッとした食感とともに濃厚なうま味が広がる。


「すごい、美味しいですこれ!」

「ふふふ、そうでしょ。わたしの大好物なの」


「僕も頂戴!」

「あたしもー」

周囲の人たちにも分けながら、俺はしばらく宴を楽しんだ。

そうこうしているうちに酔いが回ってきたようだ。

少しふらつきながら席に戻ると、マリアが水を持ってきてくれた。


「……五郎、顔赤い」

「あ、ああ……ちょっと飲み過ぎたかも」

「……休む?」

「ああ」

言われるままに椅子に腰掛ける俺。

視線の先には楽しそうにおしゃべりをしている龍宮さんたちの姿があった。

和気あいあいとした空気の中、俺の口角も自然と上がっていく。


「……五郎、聞いてほしいことがある」

とマリアが言うので耳を傾ける。


「……五郎のおかげでわたし解放された」

「え?」

「……わたしずっとつきまとわれてた」

「ああ、ゼフィロスか……」

そういえば、あいつ大丈夫だろうか。

放ってきてしまったから少し心配だ。


「……今はとても自由な気分」

「そっか、よかったな」

「……五郎が来ておじいちゃんも楽しそうだし、わたしも嬉しい」

マリアの頬がほんのり赤い。

俺と同じく酔っているのだろう、普段よりも饒舌になっているようだった。


「……五郎は大切な家族」

「そ、そうか。ありがとう」

照れくさい気分になりつつも、嬉しさの方が大きかった。


「……五郎」

トロンとした目のマリアが顔をぐっと寄せてきた。

「マリア……」

そしてゆっくりと口を開き、

「……ぅおぇぇ~」

俺の胸に盛大に吐き散らかした。


「うわぁっ! マリアが吐いたーっ!!」


突然の出来事に店内が騒然となる。

だが、龍宮さんだけはその様子を見て「がっはっは!」と愉快そうに笑っていた。



「……五郎、ごめんなさい」

「いや、別にいいけどさ」


翌朝、マリアが青白い顔で俺の部屋を訪ねてきた。

俺にゲロを吐いたことを一応反省しているらしい。


「それより、お前顔色悪いぞ。まだ寝てた方がいいんじゃないか?」

「……うん、そうする」

そう言ってふらふらと自分の部屋に戻っていくマリア。

その足取りはおぼつかない。


「……大丈夫かな?」

一抹の不安を抱きながら、俺は龍宮亭の仕事を始めた。


今日も今日とて忙しい。

そんなわけで、朝からせわしなく働いていると、

「五郎、ちょっといいか」

と龍宮さんに呼び止められた。


「はい、なんでしょう?」

「実はな、ちょっと買い出しに行ってくれないか」

「いいですよ。何を買ってくればいいんですか?」

「小麦粉が切れそうなんだ。町の中央にある市場まで行ってきてくれ。わしもあとから行くから」

「了解です」


言われた通り、市場を目指す。

中世ヨーロッパ風の町並みは見ているだけで心がウキウキしてくる。


地図を見ながら歩いているうちに、目的の市場に到着した。

するとちょうどそこで、見覚えのある男と出会う。


「お、五郎じゃないか! 久しぶりだな!」

ゼフィロスだ。

彼は相変わらずの威圧的な態度で話しかけてくる。


「え、ゼフィロス……お前、大丈夫なのか? このまえ、結構ボコボコにしちゃったけど……」

「ん? ああ、あれくらいどうってことないさ。オレ様はドラゴンの血を引いているんだ。あの程度の傷なら一日で完治するぜ!」

「そ、そうか……」

なんとも頼もしい限りだが、正直もうあまり関わりたくはないな。


「なんだ、買い物か?」

「ああ、店の買い出しだ。あとから龍宮さんも来るってさ」

「マリアも来るのかっ?」

「あいつは来ないよ。家で寝てるはずだ」

「おお、そうか」

こいつ、まだマリアに未練があるようだな。

態度でわかる。


「五郎、今日は暇か?」

「暇じゃないよ。仕事あるし」

「そうか……じゃあ、今度時間があるときにオレ様と組手でもしようぜ」

「え……あ、ああ」

断りたい衝動に駆られたが、しつこく付きまとってきそうなので、適当に返しておいた。

「またな」と去っていくゼフィロスの尻尾が嬉しそうにピョンピョン跳ねていたのが印象的だった。



「いやあ。五郎、助かった。やっぱりお前に手伝ってもらってよかったぜ」

大量の荷物を抱えつつ龍宮亭に帰還した俺は、そのまま厨房に入り込んだ龍宮さんの後を追いかけるようについていく。


龍宮さんの料理の腕はたしかだ。

どのメニューも素材本来の旨味を最大限に引き出しており、毎回味が違うと言っても過言ではないほどバラエティに富んでいる。


「五郎、今日から新しいメニューを出すから味見してくれ」

そう言って差し出してきた皿には、野菜と肉の煮込みが入っていた。


「わあ、美味しそうですね!」

一口食べた瞬間にわかるスパイシーな味付け。

食欲をそそる香りに、思わず舌鼓を打ってしまう。


「どうだ?」

「すごく美味しいです! 特にこのソースのアクセントが最高ですね! 隠し味に何か使ってたりするんですか?」


「よく気づいたな。実はな、隠し味としてメガマイマイの殻を使ってるんだ」

「メガマイマイの殻、ですか?」

「ああ」


聞くと、メガマイマイというのは、少し離れたところにある湿原にいる大きなカタツムリ型のモンスターで、背中に背負ったトゲトゲの殻には栄養分が豊富に含まれているのだそうだ。

隠し味に使うと、高級感のあるスパイシーな風味付けができるという。


「せっかくだから実際にそいつを採りに行ってみるか? もう在庫も使い切っちまったところだから丁度いい」

「でも店は……?」

「なあに、わしたちが帰ってくるまでマリアに任せとけばいいさ」

「はい、じゃあお願いします」

「よしきた! それじゃ早速出発だ!」


こうして、俺は龍宮さんと一緒にメガマイマイの殻とやらを取りに湿原へと向かうことになった。



目的地である湿原までは馬車に乗って片道三時間ほどかかるらしい。

馬車に揺られ、ようやく目的の湿原に到着した頃には昼過ぎになっていた。

湿地帯の独特の臭いが鼻孔をくすぐる。

あたり一面に生い茂る草木は異様なほど背丈が高い。

木々の隙間からは巨大な昆虫や爬虫類などがちらちら見える。


「おお、こりゃまた立派なモンスターがわんさかいるな。わくわくするぜ」


龍宮さんは目を輝かせて前方を指差す。

視線の先には小山のように巨大な甲虫がいた。

あんなのに襲われたらひとたまりもなさそうだが……。


俺は呆れつつも警戒心を高める。

こんな危険な場所で油断すれば、きっと痛い目を見るだろう。

いくら呼吸法を学んだとはいえ、今の俺は数分しか力を発揮できない。

だがしかし、龍宮さんはどこ吹く風といった様子だった。


「大丈夫だ。ここら辺のモンスターは基本的にはおとなしい。それにいざとなったらわしが守ってやる。安心しろ」

「そ、そうですか……」

「まぁとにかくメガマイマイを探すとするか。多分この辺りにいるはずなんだが……お、いたいた!」


龍宮さんは嬉々として草むらをかき分け始める。

するとそこには見上げるほど大きなカタツムリがいた。


「これがメガマイマイか……」

「おお、なかなか良質の個体だな。こいつなら上等なスパイスになるぞ」


龍宮さんは慣れた手つきでナイフを抜き放ち、迷いなくその巨体に斬りつける。

しかし刃が届いた途端、メガマイマイは激しく暴れ出した。


「わっ!」


予想外の反撃に慌てて身を引く俺だったが、

「五郎そっちにいったぞ! 逃がすなよ!」

龍宮さんが檄を飛ばす。

いざとなったら守ってやるんじゃなかったのか、龍宮さん。


「ええい、くそっ!」


俺は咄嗟に構えをとり、呼吸法を開始した。

以前よりも早くオーラを纏うことに成功する。


「逃げちまうぞ!」

「わかってますよ!」

「殻は壊すなよっ」


思いっきり助走をつけて飛びかかると同時に拳を突き入れた。

鈍い感触と共に拳が深くめり込む。

しかし……、

「うわっ!?」

その瞬間、メガマイマイの体内からヌルヌルとした液体が噴射された。

強烈な勢いの水圧に押し流されてしまう。


「おいおい、大丈夫か!? 五郎!」

「だ、大丈夫です!」


なんとか体勢を立て直すが服がベトベトだ。

しかも妙に甘ったるい匂いが漂ってくる。


「くさっ!!」

「がっはっは、こりゃまずいな」


龍宮さんが鼻を押さえながら爆笑する。

確かにこれは不快指数満点だ。


「龍宮さん、あいつ今の俺には倒せませんよっ」

「仕方ねぇ。焼いちまうか」

そういうや否や火炎魔法の詠唱を始める龍宮さん。


「フレイムバレット!!」

呪文の完成と共に大きな火球が出現し、メガマイマイに向かって飛んでいった。


ボォンッ!!という爆音と共にメガマイマイは燃え上がり、やがて黒焦げになった。

龍宮さんはそれを見て満足そうな表情をする。


「ふぅ、楽勝だな」

「……だったら初めからそうしてくださいよ、まったくもう」

俺は苦笑しながら焦げた甲羅を拾い上げるのだった。



「さて、わしはこいつを二台の馬車で運ぶから、五郎はひと足先に帰っててくれ」

黒焦げのメガマイマイを見上げつつ、龍宮さんが言う。


「馬車二台は金がかかるが、こいつは特大サイズだからな、十分元は取れるだろう」

「俺も残りますよ。一緒に帰りましょう」

「いや、いい。マリア一人じゃ接客が不安だからな、五郎は先に帰れ。そんでマリアと店の準備をしててくれ。もしわしが間に合わなかったら店を開けて客を入れろ。料理はマリアに教えてあるから問題ない」

「はあ、わかりました。じゃあ先帰ります」

「おう」


手を振る龍宮さんを背にして、俺は町へと足を向けた。

途中で馬車を拾い、揺られること数時間、無事に龍宮亭に到着する。


「ただいま」

「……おかえり。あれ? おじいちゃんは?」

カウンターの中で料理の仕込みをしていたマリアが顔を上げ、口にした。


「メガマイマイが大きいからあとから帰るってさ」

「……殻を採りにいったんじゃなかったの?」

「うん、まあそうだったんだけど、成り行きでメガマイマイごと丸焼きにしちゃったから」

「……ふーん」

特に驚いた様子もなく、淡々と料理を作るマリア。

驚くようなことではなく、龍宮家にとってこんなことは日常茶飯事なのかもしれない。


その後、二人で店の準備をしていたが、結局龍宮さんは開店時間になっても戻らなかった。

「……どうする?」

「帰らなかったら店を開けといてくれって言ってたぞ」

「……そう」


マリアの料理は龍宮さんに匹敵するほど美味しい。

先ほど味見をしたのでそれはたしかだ。

接客は俺がすれば問題ないしな。


「じゃあ、開店するか?」

俺の問いかけにこくりとうなずくと、マリアは店の暖簾を外に出した。

さあ、今夜も龍宮亭の時間が始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ