第6話 暴牛と黒掌
天井に開いた穴を眺めながら、俺は頭を抱えた。
「……修理費、いくら取られるんだろうな」
とりあえずは誤魔化すしかない。
本を抱え、慌てて家を出た俺は、約束通りギルドの内部にある飲食店へと足を運んだ。
「レン! こっち!」
「遅かったじゃない。何してたの?」
「……ちょっと、家で魔法の練習をしててな」
「へぇ、魔法? レンが?」
ユナは驚いたように目を瞬かせた。
俺は慌てて視線を逸らす。……まさか家の天井をぶち抜いたとは言えない。
「もう手続きは終わらせてるから、レンも準備ができてるなら――すぐにでも出発できるわよ」
ユナは胸を張って言った。彼女の前のテーブルには、既に簡素な地図や行き先のメモが並べられている。
俺は思わず眉を上げた。
「……早いな。ギルドでの交渉とか時間かかると思ってたけど」
「それよりも、準備って、武器とか持ってきてるんでしょうね?」
「一応、剣は……。あと薬草も少し。」
剣といっても、少し前まで使っていた短剣だ。まあ今回はユナもいるし、大丈夫だろう。
「ふふん。頼りにされてるってことね?」
「ま、そういうことだ」
「はいはい。じゃあ、さっそく行きましょうか」
ユナが立ち上がり、腰に吊るした杖を軽く叩いた。
俺も慌てて荷物を背負い直す。
こうして俺たちは、街の東門を抜け、指定されたB級ダンジョンへと向かった。
――《血晶の迷窟》
名前からして物騒だ。
血のように赤く輝く結晶が洞窟内を照らし出すことからそう呼ばれているらしい。中に入った冒険者の中には「視界が赤く染まり、戦っている最中に錯覚で味方まで敵に見える」とか、ろくでもない噂ばかりだ。
「……なあ、本当にここでいいんだよな?」
「もちろん。依頼の指定場所だもの」
ユナは迷いなく進む。俺は不安げに洞窟の入口を見上げた。
「……やっぱり物騒だな」
「文句言う暇があったら足元に気をつけなさい。ほら、さっそく出てきた」
ユナが杖の先で奥を指す。
――ガシャリ。
結晶の影から這い出してきたのは、黒い外殻を持つトカゲのような魔物だった。
「クリスタルリザードね。単体ならそこまで強くないけど、数が増えると厄介よ」
ユナの声を背に、俺は腰の短剣を抜いた。
「――行くぞ」
呼吸を整え、刃に意識を集中させる。
すると、短剣の周囲に淡い青白い光がにじみ出した。
俺は魔力を纏わせた短剣を振り抜き、正面のクリスタルリザードを衝撃で吹き飛ばす。
「おお、やるじゃない!」
こんな基本の技で褒められるなんて俺もまだまだ甘いな――そう思いつつも、口元が少しだけ緩んでしまう。
こんな調子で俺たちは、ゴチャゴチャとした戦闘を繰り返しながら、ついに最終層へとたどり着いた。
「……やっと着いたか」
俺は息を切らしながら天井の赤い結晶を見上げる。
それにしても――今更だけど、本当に俺たち、ここに挑むのか?
「ほら! ちんたらしてたら蹴り入れるわよ!」
「え、ちょ、ま、まさか――」
次の瞬間、ズドン、と腰のあたりを強く蹴られる感触。思わず転びそうになった俺は、慌てて手を伸ばしてバランスを取る。
半ば強制的に、俺は押されるようにして赤く脈打つ結晶の光に包まれる洞窟内部へと踏み込んだ。
息を整えようとした瞬間、重低音の地響きとともに巨大な影が現れた。――ミノタウロスだ。
「お、お前……二度目だな」
低く唸る声が洞窟に響く。
「この前の分もあわせて容赦はしねぇぞ?」
ミノタウロスの一つ一つの動作は、確かに圧倒的破壊力を秘めている。斧のような角の一撃で岩壁が粉々になるし、踏み込む足の衝撃で地面が割れる。周囲5メートルほどは確実に巻き込まれるだろう。
――だが、遅い。異様に、動作が重いのだ。
その巨大な腕を振りかぶる時間は長く、地面を蹴って突進するまでに一呼吸以上かかる。重力の影響で振りが鈍り、決定的なスキを作っている。
チャンスだ。俺は深呼吸をして足を踏み込み、短剣を前に突き出した。
「――ここで決める!」
だが、その瞬間、ミノタウロスの動きが変わった。重く鈍い巨体が、突如スピードを増して突進してくる。
「え……? ちょ、ちょっと待て、スピード早くできんの!?」
予想外、だが俺には奥の手がある。
「……この前の俺とは、少し違うぞ……黒掌、《シャドウハンド》!!」
俺が短剣を握り直し、手のひらから黒い影のような霧を解き放つ。影は宙に浮かび、まるで生き物のようにミノタウロスへと絡みつく。
その瞬間、ミノタウロスの突進は不意に止まった。慣性で振り回されるはずの巨体が、黒掌の絡みつきで動きを封じられている。
低く唸るミノタウロスの声に、怒りが滲む。だが、黒掌はさらに角や腕を縛るように動き、突進力を奪っていく。
俺は影の力で距離を稼ぎながら、心の中で密かにほくそ笑む。
「ふふ……今回は、俺のターンだ」
ユナも目を丸くして見ている。
ミノタウロスは怒り狂い、振り回す角や腕で黒掌を振り払おうとするが、遅い。重い。黒掌の絡みは、ただの拘束ではない。動きを縛りつつ、攻撃の予測を逆手にとる罠のようなものだ。
――これなら、少なくとも突進や広範囲攻撃は完全に封じられる。
俺は深く息をつき、短剣を構え直した。
「さあ、次は……決める!」
俺は手のひらの黒掌をぎゅっと握り込む。黒い霧がねっとりと伸び、ミノタウロスの腕や角、太い首をまるで鋼の手で握るかのように絡め取った。
その圧力は想像以上で、巨体がうめき声をあげる。重く鈍い動作しかできなかったはずの巨体が、まるで紙のように動きを制限され、地面に根を張るかのように動けなくなる。
「……これで……終わりだ」
俺の意思と黒掌がひとつになり、ミノタウロスの体を包み込む影が、力強く絞り上げる。息が止まるかのような重圧が洞窟内に響き渡り、ついには巨体がガクンと膝を折る。
――ミノタウロスは、完全に動かなくなった。
遠くから見ていたユナが、駆け寄るようにして俺の横に立った。
「……あんた、闇属性、何て覚えたのよ?」
「い、いやぁ……少し前にちょっとね……」
俺は焦ったように手を振り、照れ隠しをする。
「ま、別に闇属性を覚えたからって私よりも強くなることはないんだから、さっさと地上に戻るわよ」
「はいはい...」
俺たちが地上へと戻ろうと、一歩踏み出したその瞬間――洞窟内に、機械音にも似た低い声が響いた。
【ダンジョン第20層攻略により、第21層が解放されました】




