第16話 黒影の迷宮
――黒影の迷宮。
王都北の山脈地帯に穿たれた巨大な洞窟群。太陽の光が一切届かず、昼でも夜でも暗闇に包まれている。
「……空気が重いな」
ゼノが低くつぶやき、肩に担いだアックスを軽く回す。金属が鈍く唸りを上げた。
「この匂い……湿気と血の混ざった匂い。魔獣が近いかもしれないわ」
噂通りなら、普通のB級とは格が違う。けれど、ここを越えなければギルド結成もスポンサー契約も夢のままだ。
「……行こう」
俺たちは黙って頷き、闇の中へ足を踏み入れた。
「ゼノ、前衛頼む。俺は側面を見る。ユナは後方から照明と回復を」
「了解。……おっと」
ゼノが足を止め、地面に視線を落とす。
「罠だ。踏み板式。踏めば矢が飛ぶタイプだな」
「やっぱり……序盤からこれじゃ先が思いやられるわね」
俺はしゃがみ込み、慎重に板の周囲を観察する。金属の反射――矢尻が埋め込まれている。
「避けて通ろう。位置をマークしておく」
罠をかわしながら進むこと数分。
ふいに、洞窟の奥から――低く唸る声が響いた。
「グルルルル……」
「三体……いや、四体いる!」
ユナの声と同時に、闇から飛び出してきたのは黒毛の狼――〈シャドウウルフ〉。影に紛れて動くB級魔獣だ。
「来やがったなッ!」
ゼノが豪快にアックスを振るい、一体を壁に叩きつける。骨が砕ける音。だが残りの三体が一斉に飛びかかる。
「黒掌」
「――黒掌!」
俺の右手が闇色に染まり、掌から黒い光が弾けた。
空気がねじれ、衝撃波のように広がる。突進してきた一体が、それに呑まれて吹き飛んだ。
「ギャアッ!」
狼の体が壁に叩きつけられ、黒い靄のような煙を上げて崩れ落ちる。
〈黒掌〉――魔力を凝縮して放つ、圧縮衝撃の一撃。直接触れずとも、空間ごと打ち砕く。
「レン、右だ!」
ゼノの声に振り向くと、影の中からもう一体が俺の背後を狙っていた。
「――見えてる!」
俺は逆手に構えた短剣で弾き、体を半回転させながら掌を突き出す。
「黒掌・弐式!」
短距離の爆撃。黒い波動が直撃し、シャドウウルフの胴体が真横に裂けた。
「すげぇ威力だな、レン!」
「魔力消費もすげぇけどな……」
黒掌・弐式。昨日、編み出したばかりの新技だ。
従来の〈黒掌〉を瞬間圧縮して放つことで、威力を倍増させる代わりに、魔力の消費も跳ね上がる。制御を誤れば、自分の腕ごと吹き飛ぶ危険すらある。
「ふぅ……なんとか持ったか」
右手の痺れを振り払い、残る敵影を探る。
「レン、左後方!」
ユナの声に反応し、反射的に跳ぶ。直後、俺がいた場所をシャドウウルフがかすめた。
「……おいおい、まだいたのかよ」
ゼノが眉をひそめ、構えを取り直す。
闇の奥から、ゆっくりと姿を現した。
黒鉄のような毛並み、赤い瞳。
通常のウルフの倍はある巨体――〈シャドウウルフ・アルファ〉。
「B級中位……いや、上位だな」
「普通の群れに混ざるタイプじゃない。アルファ個体が群れを率いてたのよ」
アルファは低く唸り声を上げ、地面をひと蹴り。
瞬間、影が地を這うように広がった。
「影縛り!? 動くな、床に魔力が――!」
ユナの警告より早く、俺の足が闇に絡め取られる。
「くそっ……抜けねぇ!」
影が蛇のように這い上がり、全身を締めつけてくる。
「レン、動くな!」
ゼノがアックスを振り上げ、床ごと斬り裂いた。
土煙が上がり、影の拘束が一瞬だけ緩む。
「助かった!」
「礼はあとで言え、まだ終わっちゃいねぇ!」
アルファが口を開く。黒い靄が集まり、圧縮され――
「ブレスだ、伏せろ!」
ユナが叫ぶ。
黒い閃光が走り、壁を抉った。石片が雨のように降り注ぐ。
轟音とともに、石片が地面を叩きつける。
ゼノは腕で顔をかばいながら、一歩、いや半歩だけ前に出た。
「……やるじゃねぇか。だが、今度はこっちの番だ!」
アックスの刃が地を擦り、火花を散らす。ゼノの体を包む魔力が、鈍色の光を帯びて膨張していく。
「〈大地鎧化〉!」
瞬間、ゼノの全身に岩の装甲がせり上がった。皮膚の上に石の鱗が重なり、足元の岩盤と同化するように光が走る。
重戦士の上位スキル。防御と攻撃を兼ね備えた、まさに前衛の極み。
「レン、下がってろ!」
ゼノが大地を踏み抜いた。
――ドンッ!
足元から衝撃が走り、洞窟全体が震える。
「〈地裂衝撃〉ッ!」
アックスが地を叩きつけられると同時に、亀裂が走り、岩の破片が槍のように隆起する。
その衝撃波が一直線に走り、〈シャドウウルフ・アルファ〉の胴体を直撃した。
「ガアアアァァッ!!」
黒い巨体が吹き飛び、壁を砕いてめり込む。
「……倒した、の?」
「いや、まだだ。かすかに生命反応があった。」
ゼノとユナが顔を見合わせた。
そして、奥の闇の中から――微かな声が響く。
「……タス……ケテ……」
血の気が引く。
その声は、確かに人のものだった。
「……アルベルトさん……?」




