記憶を持つ指導対象者
記憶を持つ指導対象者
・違和感のある日常・
俺の名前は田中太郎。平凡な高校二年生だ。
少なくとも、昨日まではそうだった。
今朝目を覚ましたとき、俺は見知らぬ部屋にいた。
でも不思議なことに、この部屋の記憶もあった。
佐藤悠真の部屋。この世界での俺の名前らしい。
(何だこれ、夢か?)
鏡を見ると、自分の顔なのに、微妙に違う。
髪型も、着ている服も、全てが微妙にズレている。
でも一番おかしいのは、俺が二つの人生の記憶を持っていることだった。
田中太郎としての十七年間。
平凡だけど、友達もいて、家族もいて、普通の高校生活を送っていた記憶。
そして佐藤悠真としての十七年間。
成績が悪く、素行不良で、最近「指導プログラム」を受け始めたという記憶。
(指導プログラム?)
佐藤の記憶を辿ると、成績や素行に問題のある生徒が受ける特別な指導らしい。
週に一度、カウンセリングのような面談を受けている。
学校に着くと、いつもの教室があった。
でも「いつもの」というのは、佐藤悠真にとっての話だ。
田中太郎としての俺には、全てが新鮮に見えた。
「おはよう、佐藤」
クラスメイトが声をかけてきた。
でも、距離感がある。
佐藤悠真は、あまり人付き合いの良い奴じゃなかったらしい。
授業が始まると、俺は真面目に聞いていた。
田中太郎としての習慣で、自然と集中してしまう。
(でも、佐藤悠真はもっと授業をサボっていたはずだ)
周りの反応を見ると、確かに「珍しく真面目だな」という視線を感じた。
でも、指導プログラムを受けている生徒が真面目になるのは、みんなも知っているようで、
特に驚く様子はなかった。
昼休み、俺は一人で弁当を食べていた。
佐藤悠真の記憶によると、いつものことらしい。
「佐藤くん」
振り返ると、美しい少女が立っていた。
長い黒髪、整った顔立ち、知的な雰囲気。
制服には生徒会らしきのバッジが付いている。
「白石雪菜です。私のこと、覚えていますか?」
佐藤の記憶を探ると、確かに彼女の顔に見覚えがあった。
生徒会副会長で、指導プログラム受講生のサポート担当。
「あ、はい。白石さん」
「調子はどうですか?指導を受け始めてから、少し落ち着いたみたいですね」
白石雪菜は優しく微笑んだ。
その笑顔に、俺は少しドキドキした。
「そうですね。おかげさまで」
「何か困ったことがあったら、いつでも相談してくださいね。
それが私の役目ですから」
彼女が去った後、俺は考えた。
指導プログラムって、一体何なんだ?
記憶はあるはずなのに、指導プログラムのことだけは思い出せない。
午後の授業も、俺は真面目に受けた。
でも頭の中では、田中太郎としての記憶と、
佐藤悠真としての記憶が2つ混在していて、集中できない。
特に気になるのは、田中太郎の家族のことだった。
優しい母親、厳しいけど愛情深い父親、ちょっと生意気だけど可愛い妹。
でも佐藤悠真の記憶では、家族構成が微妙に違う。
母親の性格も、父親の職業も、妹の年齢も、全てが少しずつズレている。
(俺は一体、誰なんだ?)
放課後、俺は校舎を歩き回った。
どこか、元いた田中太郎だった世界への手がかりがないか探していた。
でも、見つかるのは佐藤悠真の記憶にある風景ばかり。
図書館、体育館、中庭。全て見覚えがあるのに、田中太郎としては初めて見る場所だった。
疲れて廊下のベンチに座っていると、また白石雪菜が現れた。
「佐藤くん、まだ学校にいたんですね」
「あ、白石さん」
「何か考え事ですか?最近、よく考え込んでいるみたいですが」
俺は迷った。この人に相談してもいいのだろうか?
「白石さん、変な質問なんですが......」
「はい、何でしょう?」
「指導プログラムを受けると、記憶が混乱することってありますか?」
白石雪菜の表情が少し変わった。
「記憶の混乱......ですか?」
「家族のことを思い出そうとすると、何だか曖昧で......」
それは嘘だった。記憶は鮮明すぎるほど鮮明だった。
でも、どう説明していいか分からなかった。
「そうですね......」
白石雪菜が少し考え込んだ。
「実は、過去にもそういう事例がありました。
指導の副作用で、一時的に記憶が混乱する『発作』のようなものです」
「発作?」
「でも、心配いりません。時間が経てば落ち着きます」
白石雪菜の説明は、どこか教科書的だった。
まるで、用意された答えを読んでいるような......。
「ありがとうございます。でも......」
俺は思い切って言った。
「俺、家に帰りたいんです」
「家に?でも、佐藤くんの家はここから歩いて10分ですよね?」
「そうじゃなくて......」
俺は言葉に詰まった。どう説明すればいいんだ?
「本当の家に、帰りたいんです」
白石雪菜の表情が困惑に変わった。
「本当の家?佐藤くんの家は——」
「違うんです!俺の本当の家族は——」
俺は立ち上がった。感情が溢れてしまう。
「俺の母さんは、もっと背が高くて、料理が上手で......
妹は今年中学二年で、バスケ部に入ってて......父さんは——」
記憶が混ざってパニックになる。
「佐藤くん、落ち着いて」
白石雪菜が俺の腕を掴んだ。
「でも、佐藤くんのお母さんは小柄で、お料理はあまり得意じゃないし......
妹さんは高校一年で、文芸部ですよね?」
俺は愕然とした。彼女は、佐藤悠真の家族について詳しく知っている。
「それに、お父さんは単身赴任中で......」
「違う!」
そんなわけない。父さんも母さんも妹もいつも一緒に暮らしてたんだ。
俺は叫んだ。
「俺の父さんは単身赴任なんてしてない!
毎日家にいて、俺の勉強を見てくれて......」
白石雪菜の顔が青ざめていた。
「佐藤くん......」
彼女の声が震えていた。
「それは......発作にしては、あまりにも......」
「発作じゃない!俺は本当に覚えてるんだ!」
俺は必死に説明した。
田中太郎としての記憶を、できるだけ詳細に話した。
住んでいた町の名前、通っていた学校、友達の名前、家族との思い出......。
白石雪菜は黙って聞いていた。
その表情は、困惑から疑念へ、そして恐怖へと変わっていった。
「佐藤くん......」
彼女が小さな声で言った。
「過去の発作事例では、せいぜい『知らない場所にいた夢を見た』程度でした。
でも、あなたの話は......」
「信じてもらえませんか?」
「信じるとか信じないとかじゃなくて......」
白石雪菜が俺を見つめた。
その瞳には、今まで見たことのない真剣さがあった。
「もし、あなたの話が本当だとしたら......
指導プログラムは、私たちが説明されているものとは、全く違うものということになります」
・疑念の芽生え・
次の日、白石雪菜は俺を生徒会室に呼び出した。
「昨日の話、もう一度詳しく聞かせてもらえませんか?」
俺は覚えている限りの田中太郎としての記憶を話した。
生まれ育った町、通っていた学校、友達との思い出、家族との会話......。
白石雪菜は真剣にメモを取っていた。
「佐藤くん、いえ......田中くん、でしたっけ?」
「はい」
「私、指導プログラムについて詳しく調べてみました」
彼女が一冊のファイルを取り出した。
「これまでの受講生のデータです。
確かに、記憶の混乱を起こした生徒は何人かいました」
「どんな?」
「例えば、田村くん。『知らない家族と暮らしている夢を見る』と相談してきました。
でも、具体的な内容を聞いても、『よく覚えていない』『曖昧で......』という答えでした」
白石雪菜がページをめくった。
「鈴木さんも同じです。『違う学校に通っている気がする』と言いましたが、
学校の名前も、友達の名前も、全く思い出せませんでした」
「俺とは全然違いますね」
「そうなんです。あなたは、あまりにも具体的すぎるんです」
白石雪菜が俺を見つめた。
「田中太郎としての記憶を、まるで昨日のことのように覚えている。
これは、発作では説明がつきません」
「じゃあ、俺は......」
「分かりません。でも、一つだけ確実に言えることがあります」
白石雪菜の表情が真剣になった。
「指導プログラムについて、私たちは嘘の説明をされている可能性があります」
俺の心臓が跳ねた。やっと、信じてもらえた。
「白石さん、協力してもらえませんか?」
「協力?」
「指導プログラムの真実を探るんです。
俺一人じゃ、どうにもならない」
白石雪菜は少し迷った後、頷いた。
「分かりました。でも、慎重に行きましょう。
もし本当に何か隠されているなら、危険かもしれません」
それから一週間、俺たちは密かに調査を始めた。
白石雪菜は生徒会の立場を利用して、指導プログラムの関連資料を集めた。
俺は他のプログラムを受けた生徒たちを観察した。
分かったことは、想像以上に深刻だった。
指導プログラムを受けている生徒は、全校で十五人。
みんな、以前と比べて大人しくなり、真面目に授業を受けるようになっていた。
でも、詳しく話してみると、微妙な違和感があった。
「田村、お前の趣味って何だった?」
「趣味?えーと......」
田村は困ったような顔をした。
「よく覚えてないんだ。最近、昔のことが曖昧で......」
鈴木も同じだった。
「昔好きだったミュージシャンとか、覚えてる?」
「うーん......誰だったかな......」
指導プログラムを受けた生徒たちは、みんな過去の記憶が曖昧になっていた。
でも本人たちは、それを「指導の効果で、悪い過去にこだわらなくなった」と解釈していた。
俺だけが、田中太郎としての記憶を鮮明に保っていた。
「おかしいですね」
白石雪菜が資料を見ながら呟いた。
「指導プログラムの公式説明では、『生徒の内面的成長を促すカウンセリング』となっています。
でも、記憶への影響については一切触れられていません」
「それに、卒業生の進路も変ですよね」
俺は以前調べた資料を見せた。
「指導プログラムを受けた卒業生、やたらと科学技術系や文化芸術系の分野で活躍してません?」
「確かに......」
白石雪菜が驚いた表情を見せた。
「このデータだと、指導を受けた卒業生の八割以上が、革新的な技術開発や文化発展に貢献している......」
「偶然にしては、偏りすぎています」
その時、生徒会室のドアがノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、見知らぬ中年男性だった。
スーツを着て、何かの関係者のような雰囲気。
「白石さん、お疲れさまです。
私、指導プログラムの運営委員会から来ました、田代と申します」
俺と白石雪菜は顔を見合わせた。
「佐藤くんもいらっしゃるんですね。ちょうど良かった」
田代という男が椅子に座った。
「実は、佐藤くんの指導について、少し相談があります」
「相談?」
「最近、記憶に関する相談をされたと聞きました」
俺の血が凍った。誰かが報告したのか?
「これは珍しいケースでして、特別な対応が必要かもしれません」
田代の目が光った。
「明日、特別面談を行います。
佐藤くん、必ず出席してください」
「でも——」
「必ずです」
田代の声に、有無を言わせない強さがあった。
「それでは、失礼します」
田代が去った後、生徒会室に重い沈黙が流れた。
「佐藤くん......」
白石雪菜の声が震えていた。
「彼らは、あなたが記憶を保持していることを知っています」
「どうしましょう?」
「逃げても無駄でしょう。でも......」
白石雪菜が俺の手を握った。
「明日の面談で、きっと何かが分かります。
真実に近づけるかもしれません」
「危険じゃないですか?」
「危険です。
でも、このまま何もしなければ、あなたは他の受講生と同じように、
記憶を失ってしまうかもしれません」
俺は頷いた。もう、後戻りはできない。
「分かりました。面談を受けます」
「私も、できる限りサポートします」
白石雪菜の手が温かかった。
「一緒に真実を見つけましょう」
・特別面談・
翌日の放課後、俺は指定された特別教室に向かった。
普段は使われていない、校舎の奥にある部屋だった。
ドアをノックすると、昨日の田代が現れた。
「佐藤くん、お疲れさまです。中へどうぞ」
部屋の中には、見慣れない機器がいくつか置かれていた。
コンピューターのような画面と、何かの測定装置のような機械。
「座ってください」
俺は指定された椅子に座った。田代が向かいの椅子に座る。
「まず、確認させてください。
あなたは最近、記憶の混乱を経験していますね?」
「はい」
「具体的には、どのような内容でしょうか?」
俺は慎重に答えた。あまり詳しく話すと、危険かもしれない。
「家族のことが、何だか曖昧で......」
「曖昧、ですか」
田代がメモを取った。
「他にはありませんか?
例えば、知らない場所の記憶とか......」
俺は首を振った。
「いえ、特には......」
田代の表情が少し変わった。
「そうですか。では、少し検査をしてみましょう」
田代が機械を操作し始めた。
画面に複雑なグラフが表示される。
「頭に電極を付けさせてもらいます。
痛くはありませんので、安心してください」
俺の頭に、いくつかのセンサーのようなものが取り付けられた。
「では、いくつか質問をします。思い浮かんだことを、そのまま答えてください」
田代が質問を始めた。
「あなたの名前は?」
「佐藤悠真です」
「家族構成は?」
「父、母、妹です」
「お母さんの特徴は?」
俺は迷った。
佐藤の母親の特徴を答えるべきか、田中太郎の母親の特徴を答えるべきか......。
「小柄で......料理は......」
その時、機械が激しく反応した。
画面のグラフが大きく振れている。
「面白いですね」
田代が画面を見つめた。
「非常に興味深いデータです」
「何が分かるんですか?」
「あなたの脳波パターンが、他の受講生と大きく異なっています」
田代の目が光った。
「通常、指導を受けた生徒は、過去の記憶に関する脳波が安定します。
でも、あなたの場合は......」
画面を指しながら説明した。
「二つの異なる記憶パターンが混在しています。
これは、非常に稀なケースです」
俺の心臓がドキドキした。嘘をついてもバレているのか?
やはり、何かが起きている。
「では、次の質問です。あなたが一番帰りたい場所はどこですか?」
「帰りたい場所......」
俺はあきらめて正直に答えた。
「家です。本当の家に帰りたいです」
機械が再び激しく反応した。
「素晴らしい!」
田代が興奮したような声を上げた。
「完璧なサンプルです!」
「サンプル?」
「あ、いえ......」
田代が慌てて言い直した。
「データという意味です。
あなたのケースは、研究価値が非常に高い」
「研究?」
俺は立ち上がった。
「指導プログラムって、研究なんですか?」
「落ち着いてください、佐藤くん」
田代が手を上げた。
「私たちは、より良い指導方法を開発するために、様々な研究を行っています」
「でも、俺は研究の対象になった覚えはありません」
「指導プログラムに参加することは、研究への協力も含まれます」
田代の説明は、どんどん胡散臭くなっていた。
「佐藤くん、あなたは非常に貴重な存在です」
「貴重?」
「はい。あなたのような反応を示す生徒は、これまでいませんでした」
田代が別の機械を取り出した。
「もう少し詳しく調べさせてください」
その機械は、明らかに医療機器ではなかった。何かの実験装置のような......。
「ちょっと待ってください」
俺は後ずさりした。
「これ以上は嫌です」
「大丈夫です。危険はありません」
「嫌だと言ってるんです!」
俺はドアに向かって走った。でも、ドアは鍵がかかっていた。
「佐藤くん、落ち着いて」
田代が近づいてくる。その手には、注射器のようなものが握られていた。
「これで楽になります」
「やめろ!」
俺は必死にドアを叩いた。
「助けて!誰か!」
その時、ドアが開いた。
「佐藤くん!」
白石雪菜が飛び込んできた。
「白石さん!」
「何をしているんですか!」
白石雪菜が田代に詰め寄った。
「これは正式な面談です。関係者以外は退室してください」
「佐藤くんが嫌がっているじゃないですか!」
「これは必要な処置です」
田代が注射器を俺に向けた瞬間、白石雪菜が田代の腕を掴んだ。
「逃げて、佐藤くん!」
俺は開いたドアから飛び出した。廊下を全力で走る。
後ろから田代の怒鳴り声が聞こえた。
「逃がすな!」
校舎の中に、他の大人たちの足音が響いた。
田代以外にも、仲間がいたのか。
俺は階段を駆け上がった。屋上に向かう。
屋上のドアは鍵がかかっていたが、
非常時用の鍵が隠してある場所を、佐藤悠真の記憶が教えてくれた。
屋上に出ると、夕日が眩しかった。
しばらくして、白石雪菜も屋上に現れた。
「大丈夫?」
「白石さん、ありがとうございます」
「あの人たち、明らかにおかしいです」
白石雪菜が息を切らしながら言った。
「指導プログラムなんて嘘です。
あれは完全に人体実験です」
俺は頷いた。もう、あんな体験をしたら疑う余地はなかった。
「白石さん、俺たちはどうすればいいでしょう?」
「まず、外部に助けを求めましょう。
警察とか、先生とか教育委員会とか......」
でも、その時俺は気づいた。
「駄目です」
「なぜ?」
「田代は、指導プログラムの運営委員会から来たと言いました。
つまり、学校を超えた組織が関わっている」
白石雪菜の顔が青ざめた。
「じゃあ、私たちには......」
「いえ、方法はあります」
俺は決意を固めた。
「指導プログラムの中枢を見つけて、システムを止めるんです」
「でも、どうやって?」
「白石さん、俺を信じてもらえますか?」
「もちろんです」
「俺は、本当に田中太郎という別人の記憶を持っています。
つまり、何らかの方法で、意識や記憶を操作する技術がある」
白石雪菜が頷いた。
「その技術の中枢を見つけて、破壊すれば......」
「みんな、元に戻れるかもしれません」
俺は夕日を見つめた。
「俺だけじゃない。
田村も、鈴木も、他のみんなも、本当の自分を取り戻せるかもしれません」
・システムの中枢へ・
その夜、俺たちは学校に忍び込んだ。
白石雪菜が生徒会の鍵を使って、裏口から校舎に入る。
「どこから探しましょう?」
「まず、今日の特別教室を調べてみましょう」
俺たちは慎重に廊下を歩いた。
夜の学校は不気味だったが、手がかりを見つけるためには仕方がない。
特別教室に着くと、昼間の機械類はまだそのまま残っていた。
「これ、見たことない機械ですね」
白石雪菜が画面を覗き込んだ。
「何かのデータが残ってるみたいです」
画面には、俺の脳波データらしきグラフが表示されていた。
そして、その隣に気になる文字が......。
「『対象者:田中太郎』?」
俺は驚いた。画面には、確かに田中太郎の名前が表示されていた。
「やっぱり......」
白石雪菜が震え声で呟いた。
「あなたの話は本当だったんです」
画面をさらに見ると、他にも衝撃的な情報があった。
「『記憶移植成功率:98.2%』『意識統合:失敗』『緊急処置必要』」
「記憶移植......
俺の記憶は、移植されたものなのか?」
「でも、どこから?」
その時、画面に新しいウィンドウが開いた。
「『並行世界座標:X-47-B』『対象世界:地球-02』『エネルギー残量:72%』」
「並行世界......」
白石雪菜が驚いた声を上げた。
「まさか、本当に佐藤君の話していた別の世界が存在するということ?」
俺は画面を見つめた。全てが繋がり始めた。
「俺は、並行世界の田中太郎の記憶を移植された佐藤悠真......いや、違う」
俺は気づいた。
「俺は田中太郎だ。
並行世界から、この世界の佐藤悠真に移植されたんだ」
「じゃあ、本当の佐藤悠真は?」
「分からない。でも、きっと俺の世界に......」
その時、教室のドアが開いた。
「そこまでです」
田代が数人の男性と一緒に現れた。
「白石さん、余計なことをしてくれましたね」
「あなたたちは一体何者ですか!」
白石雪菜が田代に詰め寄った。
「私たちは、世界発展促進機構の研究員です」
田代が胸を張って答えた。
「並行世界から優秀な人材の記憶を取得し、この世界の発展に活用する」
「それって......泥棒じゃないですか!」
「必要な犠牲です。
おかげで、この世界の科学技術は飛躍的に発展しました」
田代が画面を指した。
「これまでに取得した記憶データは、数千件。
全て、優秀な並行世界の人材からです」
俺は怒りで震えた。
「俺たちを実験動物扱いするなんて......」
「実験動物?」
田代が笑った。
「あなたたちは、新しい人生を得たのです。
佐藤悠真は問題児でした。でも田中太郎の記憶を移植することで、立派な人間になれる」
「元の世界に帰る権利は?」
「ありません」
冷酷な答えだった。
「並行世界への帰還は技術的に可能ですが、コストが高すぎます。
それより、この世界で活躍してもらった方が有益です」
白石雪菜が俺の前に立った。
「そんなの間違ってます!」
「間違い?」
田代が眉をひそめた。
「白石さん、あなたは理解していない。
この技術のおかげで、何人の生徒が救われたと思いますか?」
「でも、それは別の人の人生を貼り付けただけの作りものです!」
「結果が全てです」
田代が部下に合図した。
「二人とも、連れて行きなさい。
ここまで知ってしまえば、記憶の調整が必要です」
男性たちが俺たちに近づいてくる。
「逃げよう、白石さん!」
俺は白石雪菜の手を引いて、窓に向かった。
幸い、一階の教室だった。
窓を開けて外に飛び出す。
「追え!」
田代の声が後ろで響いた。
俺たちは校庭を走り抜けた。
でも、どこに逃げればいい?
「佐藤くん、こっち!」
白石雪菜が校舎の地下への入り口を指した。
「地下に何があるんですか?」
「分からないけど、あの機械の電源ケーブルが地下に伸びていました」
俺たちは地下に向かった。
薄暗い階段を降りていく。
地下一階は、普通の倉庫だった。
でも、奥にさらに下への階段があった。
「地下二階?」
「この学校がこんな構造だったなんて......」
俺たちは慎重に階段を降りた。
地下二階に着くと、そこには巨大な施設が広がっていた。
無数のコンピューター、光るケーブル、そして......
「これは......」
白石雪菜が息を呑んだ。
壁一面に、人型のカプセルが並んでいた。
中には液体が満たされ、人間が浮かんでいる。
「まさか......」
俺は近づいて確認した。
カプセルの一つに、見覚えのある顔があった。
「田村......」
「え?田村くんが、なぜここに?」
「この世界の田村じゃない」
俺は気づいた。
「並行世界から連れてこられた、本当の田村だ」
カプセルには「田村健一(並行世界-15)記憶抽出中」と表示されていた。
「ひどい......」
白石雪菜が震えていた。
「並行世界の人たちを、記憶を奪うためだけに......」
俺は他のカプセルも確認した。
鈴木、山田、そして......
「これは......」
一番端のカプセルに、自分とそっくりな顔があった。
「田中太郎(並行世界-02)記憶抽出完了」
俺自身だった。
並行世界の俺が、ここに囚われている。
「なんてことを......」
その時、施設の奥から声が聞こえた。
「驚きましたか?」
振り返ると、田代が数人の部下と一緒に現れた。
「ここが、並行世界記憶移植プロジェクトの中枢施設ですよ」
「人間を実験材料に使うなんて!」
「実験材料?」
田代が肩をすくめた。
「彼らは安全です。
記憶を抽出しても、肉体には害がありません」
「記憶を奪われた人はどうなるんですか?」
「植物状態になりますが、生命には問題ありません。」
俺は怒りで拳を握った。
「それが問題ないって言うのか?」
「感情的にならないでください」
田代が中央のコンピューターに向かった。
「このシステムのおかげで、我々の世界は急速に発展しています。
医療技術、エネルギー技術、通信技術......全て成功した並行世界の知識です」
画面に、これまでの「成果」が表示された。
確かに、この世界は技術的に進歩していた。
「でも、それは盗んだ知識です」
「盗んだ?」
田代が笑った。
「我々は、より良い世界を作るために努力しているのです」
「その代償として、無数の人生を犠牲にして?」
「必要な犠牲です」
田代の目が冷たく光った。
「佐藤くん、いえ、田中くん。
あなたは特別なケースです」
「特別?」
「通常、記憶移植は一方通行です。
でも、あなたは両方の記憶を保持している」
田代が興奮したような表情を見せた。
「これは前例のないデータです。
ぜひ、詳しく研究させてください」
「嫌だ!」
俺は叫んだ。
「俺は、元の世界に帰る!」
「残念ですが、それは不可能です」
田代が別のコンピューターを操作した。
「帰還システムは、管理者権限でロックされています」
画面に「RETURN SYSTEM - ACCESS DENIED」と表示された。
「諦めて、この世界で生きてください」
「諦めるものか!」
俺は中央のコンピューターに向かって走った。
「止めろ!」
田代が部下に命令したが、俺の方が早かった。
コンピューターの前に立つと、画面にはシステムの制御画面が表示されていた。
「これを破壊すれば......」
「やめなさい!」
田代が慌てて止めようとしたが、白石雪菜が田代の足を引っ掛けた。
田代が転倒した隙に、俺はキーボードを叩いた。
田中太郎としての知識を総動員する。
コンピューターシステムの構造、プログラムの仕組み......。
「システム停止コマンドは......」
画面を見ながら、必死にコマンドを入力した。
「EMERGENCY SHUTDOWN」
「パスワードが必要です!」
でも、俺には田中太郎の記憶がある。
この世界にない知識、技術......。
「たぶん、これだ」
俺は並行世界のシステム構造を思い出しながら、バックドアコマンドを入力した。
「PARALLEL_OVERRIDE_RETURN_HOME」
画面が点滅した。
「ACCESS GRANTED」
「やった!」
システムが停止処理を開始した。
カプセルの液体が排出され始める。
「何をした!」
田代が血相を変えて俺に詰め寄った。
「システムを止めた。みんな、元の世界に帰れる」
「馬鹿な!そんなことをしたら——」
その時、施設全体が震動した。
「システム過負荷!」
部下の一人が叫んだ。
「並行世界との接続が不安定になっています!」
カプセルから、次々と人が出てきた。
並行世界の田村、鈴木、山田......。
そして、俺とそっくりな田中太郎も。
「ここは......どこだ?」
並行世界の俺が周りを見回した。
「大丈夫、もうすぐ帰れる」
俺は並行世界の自分に言った。
「君は、元の世界に戻るんだ」
「君は......」
並行世界の田中太郎が俺を見つめた。
「俺か?でも、なぜここに二人......」
「説明は後だ。今は——」
その時、巨大な光が施設を包んだ。
並行世界への帰還システムが作動したのだ。
「白石さん!」
俺は白石雪菜の手を握った。
「ありがとう。君がいなかったら、真実に辿り着けなかった」
「佐藤くん......いえ、田中くん」
白石雪菜の目に涙が浮かんでいた。
「元の世界で、幸せになってね」
光がどんどん強くなっていく。
並行世界の人たちが、次々と光に包まれて消えていく。
俺も、光に包まれ始めた。
「さよならじゃない」
俺は白石雪菜を見つめた。
「きっと、どこかの世界で、また会える」
「うん......」
白石雪菜が笑顔で手を振った。
「頑張って、田中くん」
俺の意識が、光の中に溶けていった。
・エピローグ 帰還・
目を覚ますと、見慣れた自分の部屋の天井があった。
「太郎、朝よ」
母の声が聞こえる。懐かしい、本当の母の声だった。
「お母さん......」
俺は飛び起きて、階下に駆け下りた。
台所で朝食を作っている母。リビングで新聞を読んでいる父。
「どうしたの、太郎?なんだか嬉しそうね」
「お帰り、太郎」
父が新聞から顔を上げた。
「ただいま......」
俺は涙が止まらなかった。
「本当に、ただいま」
その日、俺は一日中家族と過ごした。
何気ない会話、いつものご飯、当たり前の日常。
全てが愛おしかった。
夜、自分の部屋に戻ると、机の上に小さな紙が置かれていた。
「田中くんへ。無事に帰れましたか?
私も頑張って、学校の問題を解決します。
いつか、きっとまた会えると信じています。
白石雪菜」
手紙が、なぜここにあるのか分からなかった。
でも、確かに白石雪菜の字だった。
俺は手紙を大切に仕舞った。
窓の外を見ると、星空が広がっていた。
無数の星の中に、白石雪菜の世界もあるのだろう。
彼女が、きっと学校のシステムを完全に破壊して、
もう二度とあんな実験が行われないようにしてくれるはずだ。
俺は星空に向かって、小さく手を振った。
「ありがとう、白石さん。君も頑張って」
並行世界での冒険は終わった。でも、俺は多くのことを学んだ。
仲間の大切さ、真実のために戦うことの意味、そして......。
どんな世界でも、正義を貫く人がいるということを。
明日からまた、平凡な高校生活が始まる。
でも、今度は違う。俺は、この平凡な日常がどれほど尊いものか知っている。
そして、もし誰かが困っていたら、俺は迷わず手を差し伸べるだろう。
なぜなら俺は学んだからだ。
一人では無力でも、仲間がいれば必ず道を見つけられるということを。
真実は必ず勝つということを。
そして、どんな困難も、勇気と優しさがあれば乗り越えられるということを。
新しい朝が、もうすぐやってくる。
【完】