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転生者、魔法理論を求めて流離う。

作者: 西 一


― 目覚めと動機の確立 ―


 ぐしゃっ、と湿った草の上で音がした。

 瞼が重たい。全身が泥のように沈んでいる感覚と共に、ケニーはゆっくりと目を開けた。


 目の前には、鬱蒼とした森が広がっていた。細かい霧が立ち込め、木々の隙間から斜めに光が差し込んでいる。地面には落ち葉と苔が混じり合い、どこかのんびりした匂いが漂っていた。が、彼の脳内はそれどころじゃなかった。


 「……ここ、どこだ?」


 その問いに、誰も答えない。当たり前だ。自分自身も、よくわかっていなかった。


 


 ――名前は、ケニー。それは覚えている。


 それ以外は……ぼんやりした霞の奥に沈んでいた。過去の生活、家族、友人、学んできたことさえも手の届かない場所にあるような感覚。けれど、その中で一つだけ、鋭く胸に突き刺さる確信があった。


 


 「この世界には、魔法が存在する」


 


 そして、それを理論として解き明かさねばならないという、抑えきれない衝動。


 それはまるで、飢えのようだった。無意識に食物を求めるように、彼の思考は「魔法の法則性」に向かっていた。


 


 立ち上がると、ズシンと足元が沈む。ぬかるんだ地面に靴が半分埋まっていた。足を引き抜くと同時に、腰に引っかかっていた何かがぽとりと落ちた。


 


 「……お守り?」


 


 小さな布の袋。金糸で雑に縫われた幾何学模様が刺繍されている。だが、どこか幼稚だ。よく見ると、その模様の一部は上下が逆だったり、線が途中で途切れていたりした。


 木を見上げると、枝に吊るされた縄。そこには、彫りが甘いマークがいくつも刻まれていた。いわくありげな印――の、つもりなのだろう。


 


 「……なるほど、そういう世界ね」


 


 ケニーはフッと鼻で笑った。

 形式だけの記号、意味不明な模様。それらを「魔除け」だの「祝福」だのと呼んでいるのだとしたら、この世界の魔法は想像以上に感覚頼りの民間伝承に近い。


 再現性?制御理論?現象分析?そんなものは微塵も感じられない。

 彼の中で、学術的な興味がむくむくと顔を出していた。


 


 「こんなもんで“力”が働くなら、法則なんて要らないじゃないか」


 


 皮肉ではなく、純粋な疑問だった。

 もし本当にそれで現象が動くのなら、そこには何かしらの“仕組み”があるはずだ。単なる思い込みで何かが起きるなら、それはもう心理学の分野だ。


 だったら、自分がやるべきことは決まっている――。

 この世界に蔓延する“おまじない”を、現象として分解すること。


 


 気づけば、周囲の木々が密集し、先が見えにくくなっていた。枯れ葉が音を吸い込み、しんとした空気が辺りを包んでいる。まるで、世界全体が彼の観察を黙って見守っているかのようだ。


 


 そのとき――


 


 「ギャウッ!」


 


 突然、耳を裂くような小さな悲鳴が響いた。すぐ近くだ。ケニーは反射的に身体を低くし、音のする方へ向かって草をかき分けた。


 


 視界の先、苔むした岩の間に仕掛けられた縄の罠。その中央で、小型の獣が逆さ吊りになってもがいていた。


 紫がかった毛並みに、鋭い耳と短い脚。おそらくこの世界の生き物――知識はなかったが、何となく\*\*「ポルカ」\*\*と呼ばれる種に似ている気がした。

 動物図鑑のページを一瞬だけ脳裏に思い出しながら、彼は近づく。


 


 「おい……大丈夫か?」


 


 声をかけると、ポルカはびくっと体を硬直させた。そのまま、逃げるでもなく鳴くでもなく、ただ震えている。ケニーの目を見て、一瞬息を呑むように見えた。


 


 「……何か、悪さでもしたのか?」


 


 もちろん返事はない。ただ、怯えの色を湛えたまま、静かに揺れていた。


 


 ケニーは仕掛けられた縄を慎重に切り、ポルカを地面に降ろした。ふらつく体を片手で支えながら、彼は内ポケットに手を伸ばし、包帯らしき布を取り出す。


 


 「ほら、じっとしてろ。……こっちは医者じゃないが、応急処置くらいはできる」


 


 ポルカは抵抗することなく、大人しく彼の手当てを受け入れた。体のあちこちに擦り傷と、小さな出血があった。骨は無事そうだが、衰弱がひどい。


 小動物とはいえ、その目に浮かぶ恐怖はどこか異様だった。ケニーが近づいたとき、むしろ逃げなかったことが気になった。


 


 「……お前、どうして俺を怖がらないんだ?」


 


 問いは空に溶ける。だが、その瞬間ケニーは自覚する。

 自分もまた、ここで何かに試されているのではないかと。


 命を守るという、ごく当たり前の行動すら、ひとつの“観察機会”であり“対象との接触”でもある。これは記録されるべきだ。科学的手順の一環として。


 


 「よし。とりあえず、お前も一緒に行くぞ。……その辺の草食ってれば治るって世界じゃないだろ、これ」


 


 ケニーはポルカをそっと抱え上げ、再び歩き出す。


 深い霧と木々のざわめきの奥――その先に、自分の求める“理論”がある。

 この異界の魔法が、本当にただの“おまじない”なのか。


 それとも、知られざる論理が、まだ誰にも定義されていないだけなのか。


 


 「……解明してやるさ。こんな世界でも、現象が起きる以上、理屈はある」


 


 ケニーの視線が、霧の向こうを捉える。

 空は淡く晴れ、森の向こうで、何かが始まろうとしていた。


― 村と魔法への違和感 ―


 


 ――村というには、あまりに慎ましい。


 ケニーが辿り着いたその場所は、森の端にぽつりと開けた土地に、木の柵と粗末な家々が寄り添うように並んでいた。空を横切る鳥の鳴き声と、煙突からの細い煙だけが、そこに人の営みがあることを教えていた。


 「……あ、村っぽい。助かったかも」


 ポルカを小脇に抱えながら、ケニーは半分脱力した声を漏らした。

 森を抜けるだけでも骨が折れたというのに、出てきたのがこの規模。

 文明、もっと頑張ってくれ。


 


 だが、村の入口に立った途端、彼は冷たい視線の集中砲火に晒されることになる。


 「……なんだあれ」「ポルカ、連れてる……?」


 腰に鋤を下げた男、薪を抱えた女、見知らぬよそ者にじっと目を向ける子供たち。

 彼らは一様に、ケニーの腕の中で大人しくしているポルカに目を奪われていた。


 


 「あ、あの、襲ってきたわけじゃなくてですね。森で罠にかかってたのを――」


 


 言い終える前に、ひときわ年嵩の男が口を開いた。


 「……運が良かったんだな、お前」


 「……えっ、それで終わり?」


 警戒も追及もなく、それだけ。

 男はそれっきり何も言わず、背を向けて歩いていく。


 


 ケニーはポカンとした顔で立ち尽くした。


 


 普通さ、もっとこう……「その魔物は危険だ!」とか、「よくぞ手なずけたな!」とか、「村の掟では」って始まるパターンあるじゃないですか。


 でもこの村、どうやら違うらしい。

 よそ者も魔物も、受け入れないわけじゃないけど、深く詮索もしない。

 \*\*「面倒ごとは深追いしない主義」\*\*が地に染み込んでいる空気だ。


 


 それからの数日、ケニーは村の片隅に間借りさせてもらいながら、静かに観察を始めた。

 といっても、学者みたいにノートを広げるわけじゃない。

 畑の手伝いをしながら、井戸端で話を聞きながら、

 村人たちの生活に紛れるようにして、少しずつ情報を集めた。


 


 そして、ひとつの結論に辿り着く。


 


 「……この世界の魔法、びっくりするほど適当だな」


 


 たとえば、ある日の朝。

 広場の端で、老人が両手を天に掲げて祈りを捧げていた。


 その手には、なにやら乾いた木の枝と石ころが括りつけられた棒があり、

 その先で「ぶおおお……しっかっ、すうっ!……でぇえいっ!」と謎の声を上げ、地面に渦巻くような記号を描いていた。


 


 周囲の人々は一様に真剣な顔で見つめている。

 やがて、土の裂け目から水がじわりと滲み出た瞬間、拍手が起こった。


 


 「おおっ、水だ!」「さすが祈り手様!」


 


 ……いやいやいや。


 「意味のない言葉+意味のない動き+意味のない図形=結果オーライ」


 こんな式、見たことない。

 「現象として何がどう働いたか」がまるで見えてこない。


 


 ケニーは、あの「でぇえいっ!」が決定打になったような気がして仕方がなかった。


 


 「もしもあれで失敗してたら、声量が足りなかったってことにされたのか? マジで?」


 


 住人に話を聞いてみると、返ってくるのは一貫してふんわりした返事ばかりだった。


 


 「魔力ってのはな、心の力だ」「強く願えば、通じるもんだ」


 


 いや、雑すぎません?


 「じゃあ、水を出すときの“強く願う”って、どの段階で何に対して?」と聞いても、

 「心に聞け」と返ってくる。

 いやその心がわからんのだってば。


 


 さらにケニーを驚かせたのは、魔力の扱いに関する知識が、属性とか相性とか、

 よくわからない“感覚”の話に終始していたことだった。


 


 「火の魔法が得意なやつは、水が苦手なんだ」とか、

 「風は気まぐれだから制御しづらい」とか、

 「水は優しく話しかけると応えてくれる」とか。


 


 ……え、魔法、感情あるの?人格あるの?

 そのうち「水がへそ曲げた」とか言い出さない? ねえ?


 


 ケニーは夜、焚き火の前でぼんやり思考を巡らせた。


 


 ――この世界の人々は、魔法を“現象”として捉えていない。

 彼らにとっては、祈ることも、叫ぶことも、なにか神聖な手順のひとつらしい。

 でもそれはただの“おまじない”だ。


 


 でも、水が出たという事実は確かにある。

 であれば、現象を引き起こす“何か”は働いていたはずだ。


 


 「問題はそこに至るルートが、毎回バラバラすぎるんだよな……」


 


 言葉の意味、手の動き、使っていた素材、それらが現象にどう関与していたのか。

 村の祈り手のやり方を忠実にコピーしたところで、再現できる保証はない。


 


 「これが科学だったら論文三回くらい却下されてるぞ」


 


 ケニーは膝に頬杖をつき、焚き火をつついた。ポルカがその横で丸くなって眠っている。

 毛並みはだいぶきれいになったが、未だに言葉は通じない。

 当然か。通じたら通じたで怖い。


 


 しかし――この世界の“魔法”とやらが、あまりにふわふわしているおかげで、

 逆に、ケニーのやるべきことは明確だった。


 


 「……解剖してやるよ、“おまじない”ごと」


 


 論理を、組み立てる。

 構成要素を分け、変数を定義し、現象の原因と結果を繋ぐ。

 曖昧な信仰ではなく、確固たるロジックを。


 


 ケニーの目が、焚き火の向こうの闇をじっと見据えた。

 その先にあるのは神秘なんかじゃない。未定義の変数の集合体だ。


 それなら、あとはひとつずつ解いていくだけだ。


― 理論構築の兆し ―


 


 昼過ぎ、村の中心で、突如として騒ぎが起きた。


 


 「リオが! リオが熱で……!」


 


 駆け込んできた女の悲鳴のような声に、村人たちがざわつく。

 祈り手と呼ばれる老人が急ぎ足で小屋の中へ入り、次いでケニーも足を踏み入れた。


 


 小さな寝台の上、年端もいかない少年が汗だくになって唸っていた。

 顔は真っ赤で、息は浅く、何かを訴えるように苦しげに手を伸ばしている。


 


 「リオ……! お願い、なんとかして……!」


 


 母親らしき女性が泣きながら少年の手を握りしめていた。


 


 祈り手は手早く布を濡らすと、少年の額にあて、低い声で呪文らしきものを唱え始めた。


 


 「ふむむ……すぅぅ……るらら……ひぃいんっ!」


 


 その手は宙に印を描くように動き、時折「とぅっ!」と叫びながら息を吐く。

 ケニーはその様子を見て、すでにツッコミの限界を感じていた。


 


 「治す気あるのか、それ……?」


 


 だが村人たちは真剣だ。皆が固唾を呑んで見守っている。


 


 ……しかし、結果は変わらなかった。少年の顔色に変化はない。

 呪文は続き、印は何度も繰り返されたが、熱は下がらない。


 


 「おかしい……祈りが足りぬのか……っ」


 


 祈り手が汗を拭いながら呟く。


 


 「ちょっと、交代」


 


 ケニーが前に出ると、一瞬場の空気が凍った。


 


 「……なにをする気だ?」


 「魔法? お前、使えるのか?」


 


 村人たちはざわついたが、誰も止めようとはしなかった。

 むしろ、「何かしてくれるなら頼む」という目で見ていた。


 


 ケニーはそっと少年の額に手をかざす。

 触れた肌は、熱い。火でも入ってるんじゃないかってくらいだ。


 


 「いいかケニー、冷静になれ。必要なのは“火消し”じゃない。冷却だ」


 


 彼は深く息を吸い、目を閉じる。


 


 まず“何をしたいのか”を明確にする。

 「体温を、適正な範囲まで下げる」

 これが目的。


 


 次に、それを実現する手段を組み立てる。

 対象は“体”。対象内の温度を下げるには、どこかから熱を逃がす必要がある。

 物理的に氷水ぶっかけるわけにはいかないので――


 


 「……エネルギー移動で、表面から抜く」


 


 意識の内側に、ぐっと集中を向ける。

 何か、身体の内にあるものが、うねるように応えてきた。

 じんわり、手のひらの中心から広がるそれは、まるで血流のようでもあり、

 意志に応じて変形する水流のようでもあった。


 


 「……これが、“魔力”か……?」


 


 名前をつけるなら、これは“流れ”だ。血液より軽く、神経より敏感な流れ。

 “魔力流”――魔力の流れ。

 彼の意識がそれを定義した瞬間、その動きはさらに明確になった。


 


 「目的は冷却。流れを手のひらに集中させて……接触面から、熱を吸う」


 


 ケニーは手のひらをほんのわずかに動かした。

 目には見えないが、手から“抜けていく”感覚があった。


 


 少年の額に触れる手の下、熱が、ゆっくりと引いていく。

 まるで氷の粒が肌の中を溶かしていくかのように。


 


 数秒後――少年が、息を深く吸い込んだ。


 


 「……っ、呼吸が、楽に……!」


 


 周囲から驚きの声が上がる。


 


 「なんだ、今の……?」「呪文もなにも……」


 


 誰もが困惑し、ケニーに視線を集中させる。


 


 「……いやあの、別に魔法使いとかじゃないです。なんというか……冷やしただけです」


 


 正直、説明しろと言われても困る。

 だが確信はあった。


 


 今のは、祈りでも偶然でもない。

 意志(何をするか)と、動作(魔力の流し方)、そして内的に定義した“言葉”が組み合わさった結果――明確な論理に基づいた現象制御だった。


 


 村人たちはざわざわと話し合いを始めた。

 ケニーの行為を「魔法」と呼ぶには、あまりに静かで、派手さがなかったらしい。


 


 けれど、ケニーはそんなことには構わなかった。

 手のひらに残る微かな感覚。さっきまでそこを流れていた力の痕跡。


 


 「……ちゃんとやれば、動く。おまじないじゃなくて、仕組みで」


 


 彼の中で、確かにひとつ、線が繋がった。

 バラバラだった点が、線になり、形を持ち始めた。


 


 魔力は流れる。意志で動く。

 言葉にしなくても、思考が“定義”を持てば、作用する。


 


 そして、現象が起きる。


 


 「おまじないでも、祈りでもない。これは……“技術”だ」


 


 少年の額に残る汗が、静かに乾いていく。

 その傍らで、ケニーはひとり、世界の法則に手をかけ始めていた。


― 失われた構造と仮説の補強 ―


 


 村の外れにある林を抜けると、急に視界が開けた。


 


 岩が崩れた斜面、窪地に水たまりが点在する泥の地面――

 ここが、村人たちが口を揃えて「近づくな」と言っていた場所だった。


 


 「……あからさまに人工物の匂いがするんだが?」


 


 ケニーは腰に手を当てながら、足元の地形を眺める。

 ぬかるみの中に、不自然な形の石がいくつも転がっている。

 整った直線、研磨されたような表面、そして妙に区切られた平面構造。


 


 「どう考えても自然にできる形じゃない。これ、絶対なんかの施設の跡だろ」


 


 言葉に出してみたものの、返事はない。

 当たり前だ。付き添いも案内も誰も来てくれなかったのだから。


 


 「“危険だから近づくな”って……まあ、滑るとか崩れるとか、その程度の話だよな?」


 


 慎重に足場を選びながら奥へ進む。

 倒木の影、崩れた岩の隙間――そこで、彼の目がひとつの“パターン”を捉えた。


 


 「……あった」


 


 そこには、半分埋もれた石板があった。

 表面は風化して摩耗しているが、うっすらと刻まれた模様が残っている。


 


 「幾何学……円と直線の交差、反復配置……ただの装飾じゃないな。これは“意図的な構造”だ」


 


 魔法陣にも似ているが、どこか違っていた。

 この世界で見たどの魔法陣よりも、規則的で、計算的で、整然としている。


 


 「魔法を“装飾”じゃなくて“構造”で組んでた……そんな文明があったとしても不思議じゃない」


 


 再現性。反復。整合性。

 それはまるで設計図だ。祈りでも感覚でもない。機能としての魔法。


 


 「……さて、じゃあ、やってみるか」


 


 石板の前に座り、視線を泥だまりへと移す。

 目標は単純だ。水を“澄ませる”。


 


 「対象:水。状態:濁ってる。ゴール:透明にする。方法:……変換」


 


 頭の中で、概念を組み立てる。

 「濁っているものを澄ませる」――この抽象的な言葉を、自分なりに定義し直す。


 


 「粒子を沈めるか、分離するか……もしくは光の屈折を均一化するか……まあ、理屈は置いといて、試す」


 


 手のひらを水面にかざし、魔力を流す。

 “魔力流”が手の中を通って指先へ――

 そこに「澄む」という内的定義を重ね、魔力に意味を与える。


 


 数秒、何も起きない。


 


 「……まあ、そう簡単にはね」


 


 手の角度を変える。圧力を高める。動きのパターンを変えていく。

 水面に映る自分の顔が、ただ虚無に浮かんでいるだけのようだった。


 


 「ちがう、そこじゃない。操作の範囲が広すぎる。対象を“この一滴”に絞って――」


 


 指をすっと沈め、意識を一点に集中させる。


 


 「変換、流動、安定……『清澄』」


 


 その瞬間、水面がかすかに震えた。

 ぴたり、と張りつめたような静けさのなかで、泥水の底に、すこしだけ透き通った層が生まれた。


 


 「……!」


 


 呼吸を殺し、さらに集中。

 魔力の流れを変える。強すぎれば撹拌になる。弱すぎれば届かない。


 


 調整、補正、再配置。


 


 波紋が、ぱらりと広がる。

 水面の濁りが、すこしずつ下層に沈み始めた。


 


 「これは……いける……いけてるぞ!」


 


 透明な水が、ほんの数センチ。

 たったそれだけ。されど、それだけ。


 


 再現可能な変化。明確な作用。定義に従った現象の変容。


 


 「……やっぱり、“やれば動く”んだよ、この世界は」


 


 泥水の中に浮かぶ、自分の歪んだ笑顔。

 それを見ながら、ケニーは心の中でつぶやいた。


 


 「……ここには、何かあった。構造があった。でも、失われた。なら、再構築するしかない」


 


 石板の模様を見つめながら、彼はそっと魔力の流れを止めた。

 ほんのわずかに澄んだその水面は、まるで何かが眠る深層を覗かせるように、静かに揺れていた。


― 科学としての魔法を求めて ―


 


 「……ッ、はあっ、は……!」


 


 膝をついた。

 地面の冷たさが、じわりと掌に染み込んでくる。

 背中を汗が流れる感覚――だけど、それすらも鈍い。


 


 「これ、完全に……体の奥から削られてる感じ……だな……」


 


 あの変換魔法の成功と引き換えに、ケニーの身体は確かに限界を訴えていた。

 ただ力を使ったのではない。

 “普段使われていない筋肉を無理やりフル稼働させた”ような、内側の軋み。


 


 「いやー、これ、明日になって全身ガチガチコース……!」


 


 情けなく笑ってから、彼は座り込んだ。

 頭の中は、未だに先ほどの魔法の再現性に夢中だった。

 “あの方法で、水が澄んだ”――ただそれだけの現象が、なにより価値ある証明になっていた。


 


 「祈ったから? 詠唱したから? そんなもんじゃない。構築したから、動いたんだ」


 


 まるで、目の前の水面に向かってレンズを通した光を正確に差し込んだような手応え。

 環境、動作、思考――どれかひとつでもズレていたら成立しなかっただろう。

 だからこそ。


 


 「これは、神秘なんかじゃない。完全に“技術”だ」


 


 魔法が“技術”であるならば、それは再現性と理論性を持って扱えるということ。

 それはもう、“おまじない”なんて甘っちょろい分類から卒業している。


 


 ふと、地面にぺたんと座ったケニーの膝に、何かがぴとっともたれた。


 


 「……って、お前か、ポルカ」


 


 もっふりとした毛玉のような小型獣――それが、ケニーの足元で丸くなっていた。

 元々この貯水池のあたりに棲んでいた野生の動物だったはずなのに、

 いつの間にか懐ききっていた。


 


 「……いやいや、俺の魔力に惹かれたとかそういう話じゃなくてな?

  そういうの、勘弁だからな?」


 


 ケニーが指をツンと差し出すと、ポルカはふにっと鼻を押しつけてきた。


 


 「……ああもう、顔が無垢すぎてツッコめねえ」


 


 ケニーは目を細めながら、彼の隣にちょこんと並んで座っている毛玉を見つめた。

 知性ではない。言葉もない。

 でも、そこにあるのは確かな信頼。きっと、判断基準はそれだけなんだろう。


 


 「……まあ、いいや。ひとりじゃないってのは、悪くないしな」


 


 太陽が、林の向こうへ沈もうとしている。

 空は茜に染まり、影が伸びる。


 


 「さて……そろそろ、出ようか」


 


 ケニーは立ち上がり、手をパンパンと払った。

 頭の中には、もういくつもの仮説と検証の計画が渦巻いている。


 


 「この世界には、まだまだ“謎”が多すぎる」

 「感覚頼りの魔法しか使われてないってことは、まだ誰も“原理”に気づいてないってことだ」


 


 なら、やることはひとつ。

 すべての魔法現象を観察し、記録し、定義する。


 


 「そして、いつか必ず理論体系として提示する。魔法を、“科学”にする」


 


 口に出してみると、少しだけ恥ずかしかった。

 でも、その恥ずかしさを吹き飛ばすくらい、彼の内側には熱が宿っていた。


 


 ポルカがトコトコと歩き出す。

 振り返って、ケニーの方をじっと見る。


 


 「はいはい、行く行く。……って、あれ? なんか先導してないか?」


 


 獣にナビされる学者ってどうなの、と苦笑しながらも、

 ケニーはその後ろを追いかける。


 


 道の先に広がる世界は、もう神秘じゃなかった。


 


 彼の目に映るものは、秩序ある物理法則。

 すべての“魔法的現象”が、ただの“現象”として並ぶ世界。


 


 ――解き明かしてやるよ、この世界の全部を。

 現象のすべてを論理で説明できるなら、それはもう“魔法”じゃない。


 


 それは、“技術”であり、“科学”だ。


 


 ケニーの旅は、始まったばかりだった。


 


 背中に差し込む夕陽が、彼の影を長く引き伸ばしていた。


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